B-5「神崎姉発見にて」
「まだ機嫌良くならないのか?」
杉浦が先程から仏頂面の志穂にため息混じりに尋ねる。
ここは駅前の喫茶店。志穂と杉浦はあの後、学園内の授業が終わる前にこちらに出てきていた。杉浦の方は仕事と言っても都合は付くので大丈夫なのだと言う。せっかくだから何か甘い物でもと杉浦が提案したので、志穂はまた季節限定パフェを口にしていた所だった。そして杉浦に散々卒業するまで待ちなさいと叱られた後でもあった。
「ふん。私はただ、卒業まで待つのが嫌なの」
「まぁよく考えてもみなさい。君の家庭事情も分かるが、所詮十七の娘と十五の妹。二人だけで生活していけるわけないじゃないか。僕の所に潜り込んだとしても、二人の世話を、お金を全て賄える訳がない。君が今まで稼いできたお金でさえ、半年くらいしか持たないぞ。だったらちゃんと時期を見計らって家を出たほうが懸命だ」
「無くなったら、また稼げばいいじゃない」
志穂がそう言った途端に、杉浦が怒って机を叩いた。
「そんな事させるか。もう君は僕の物、俺の女だ。さっき約束したはずだぞ。援交なんて二度としないと」
「……はいはい。冗談よ冗談」
志穂はつまらなさそうに水を飲んだ。杉浦はそんな姿を見て微笑む。
「それでも家を出るつもりなら、まず僕の所に来なさい。プチ家出くらいだったらいつでも歓迎するからさ」
「そう?じゃあこれからでもお邪魔しようかしら」
溶けかけたアイスクリームをスプーンでつつく。何だか志穂の決心も、すっかりこのアイスクリームのように溶かされてしまったようだ。最初は頑なにあの家をとにかく出たかった。あの家から出れば自由が手に入ると思ってたんだ。
それと同時に現実はそんなに甘くない事も知っていた。子供のままじゃどうにもならない事だっていっぱいある。知っている。自分はそこまで馬鹿じゃない、分かっていた筈だ。本当はこういう話し相手が、自分の居場所が欲しかっただけなんだ。メリットでの付き合いではなく、本当に腹を割って話せる人物。
自分を受け入れてくれる居場所。そして自分を愛してくれる相手。目の前の男はまだまだ頼りない、油断ならない男だけど今一番一緒に居たい相手だった。
「今日は家に帰りなさい。送って行くから。今は少しでもお母さんの側にいてあげた方がいい」
「何よ、急にそうやって先生ぶるのね。まだあんたの事許した訳じゃないわ」
「じゃあどうしたら許してくれるのかな?」
杉浦がにやにやしながら志穂を見つめた。面白くない。志穂はそっぽを向いた。
「それくらい自分で考えなさいよ」
「あはは、志穂さんは本当に可愛いなぁ」
「うるさいっ!」
志穂は席を立つとトイレに向かった。やっぱり杉浦といると調子が狂う。志穂は手を洗いながら鏡に映る人物を見た。そこには世界を恨んでいた、かつての自分はいなかった。その代わりに杉浦を好きになった少女がそこにはいた。顔が少し赤い。突然あんな事言うから……。
志穂は髪型を整えながら、満更でもないなと少し笑った。
何をしてるんだ、俺は。河村は無力感に苛まれながらも一人電車に揺られていた。神崎は今頃、絵を描きながら一人苦しんでいる筈だ。父親が行方不明なんて馬鹿げている。
『ねぇ河村、家族って何だろう』
前に更衣室で神崎はそう呟いていた。たぶん分かってたんだ。父親が居なくなるのを。家庭が崩壊する事を。どうして気付いてやれなかったんだ。あいつは自分なんかよりもずっと苦しんでたんだ。進路なんかよりもずっと苦しい問題に。
駅に戻るともう日が暮れていた。足取り重く階段を下っていると、ふと見覚えのある制服姿の女子高生が目に入った。なんだ、桜ヶ丘女学園の生徒か。車の運転席の人と楽しそうに話をしている。
……待てよ、あの横顔は……。
「神崎のお姉さんだっ!」
河村はダッシュで階段を下りた。丁度送ってもらったのか、車に手を振っている所だった。
「あのっ……神崎恵那のお姉さんですよね?」
河村が後ろからそう尋ねると、お姉さんはびっくりして振り返った。河村の姿を見るなり「誰なの?」といった顔をする。
「突然すみません、俺、河村優二と言います。神崎恵那さんの友達です」
そう名乗ると上から下まで一目された後に返事があった。
「……で、私に何か用かしら」
「はい、ちょっと聞きたいことがありまして……」
河村は周囲を確認した。帰宅時間帯もあり、駅前には人が結構いる。河村が小さい声で「家庭事情の事なんですが」と付け加えると、お姉さんは急に目の色を変えた。
「あんた、何様なの?どうして人の家庭事情を聞くのよ!」
「神崎が大変なんです。あいつに何があったのか俺にも教えて下さい!」
もう頭を下げてそう頼み込むと、お姉さんは「ちょっとついて来なさい」と言って一人すたすたと先に行ってしまった。
河村は自転車を取りに行くのも忘れてお姉さんの後をついて行く。……怖い。
神崎と違って美人だが、性格はかなりきつそうな感じだ。背中から怒りのオーラが河村には見えていた。