B-4「神崎恵那欠席にて」
あいつ……今日は休みか。
河村は斜め前の机を見つめた。テストが終わったから、河村と神崎は前後同士じゃない。名残り惜しかったが、後ろから眺められるポジションなのでまだましか。いや、もうこんな席なんてどうでもいいか。更衣室に行けば神崎に会える。秘密を共有している立場に河村は優越感を覚えていた。
授業が終わると真っ先に花壇に向かう。もうすっかり寒くなってきた。そろそろマフラーが欲しいかもしれない。河村は手をこすり合わせると、いつもの様にプールサイドへと侵入した。フェンスを掴んだ手がじんじんする。河村はせっかくだから神崎の絵も拝んでおこうと思った。更衣室に行けば神崎に会える。そんな気がするからだ。しかし肝心の更衣室には鍵がかかっていた。
「あれっ?何でだよ」
がちゃがちゃと回すが、開かない。更衣室の鍵は内側からしかかけられなかった筈だ。……誰か中にいる。
「おい、誰かいるのか?」
河村はドアをノックする。すると中から返事があった。
『いるよ。その声は河村なの?』
「なんだ神崎かよ。お前今日は体調不良で欠席じゃなかったのかよ」
河村は呆れながらも安心した。他の奴が居たらどうしようかと思ったからだ。
『今日は家族会議があったんだよ』
「家族会議?何だよそれ」
『お父さんが行方不明だってさ。お母さんが探して来るみたいだけど』
まるで他人事のように言う。
「お父さんが?お前、こんな所にいて大丈夫なのかよ。絵を描いてる場合じゃないだろ!」
『うるさいな。河村には関係ないでしょ。もう私の事はほっといてよ!』
怒りに近い冷たい反応。河村はこの先どう返して良いのか分からず、ただドアの前にいるであろう神崎を見つめた。今日あいつの家で何かあったんだ。父親が行方不明ってどういう事だ?
「神崎、何があったんだよ。おい、ずっとそこに閉じ篭ってる気か?」
ドア越しに話しかけても、もう返事は来なかった。河村はしばらく佇んでから、これ以上ここに居ても仕方が無いと見切りをつける。神崎の身に何かあったんだ。とにかくこのままじゃ心配だ。あの様子だと何日も引き篭もるつもりなのかもしれない。
河村はまず、神崎の親友の水嶋なら何か知っているんじゃないかと思って、昇降口へと向かった。駄目だ、靴がない。もう帰ってしまったようだ。まだ下校が始まったばっかりだから、こうなったら一か八か通学路で水嶋を捕まえるしかない。
河村は校門を出て急いで自宅に帰ると、自分の自転車を引っ張り出す。「夕食までには戻るから」と弟に告げ、急いで通学路を走った。何処にいる水嶋。頼むからまだ家に着かないでくれ。河村が祈りながら前を見ると、丁度二つ先の信号待ちをしている女の子がいた。待ち遠しそうに髪を掻き上げている。水嶋だ。河村は確信できる所まで進むと、叫んだ。
「おーい、水嶋――!」
水嶋がびっくりして振り返った。河村は急いで水嶋の所まで向かった。
「よかった……まだ家に帰ってなくて」
息を切らせた河村に、水嶋が不思議そうに言った。
「どうしたの河村。何かあたしに用?」
「お前、神崎の家知ってるか?」
「知ってるけど……どうしたの?急に」
「あいつの身に何かあったみたいなんだ。悪いけど案内してくれ」
「恵那に?まさか事故でもあったの?」
「いや、そういう類じゃない。家庭問題みたいなんだけど……水嶋、何か知ってるか?あいつの家族のこと。特に父親について」
「父親……?お母さんの話はよく聞くけど、お父さんの話は一度も……」
「そっか」
「待って、どうしてそんな事知ってるの?恵那の家に行ってどうするつもり?」
水嶋が制服を掴んで離さない。河村は神崎が更衣室で絵を描いていて、まさに立て篭ろうとしている状態を告げようとも思ったが、やめた。今の段階ではあまり事を大きくしない方がいい。
「離してくれ、水嶋」
「嫌よ。またあたしだけ除け者にする気?」
「……まだ事を大きくするつもりはない。ちゃんと後で事情を話すよ」
「……そう、分かった」
そう言うと水嶋はあっさり手を離した。
「何だ、意外と素直だな」
「急いでるんでしょ?恵那の家はこの先の信号を曲がって、右側に見える白くて大きな家よ」
「分かった、サンキュー」
河村は水嶋に礼を言うと、急いで神崎の家を探す。白くて大きな家。ここか。豪邸とまではいかないが、この辺りじゃそこそこ良い家には違いなかった。神崎の家、金持ちだったのかよ。羨ましいなぁ。
河村はどうしようかと思ったが、とりあえずインターホンを押して見る。返事はない。家には誰もいないようだった。
「ちっ、誰もいないのか。どうしたもんかな」
河村はしばらく家の前で立ち尽くす。そうだ、神崎のお姉さんなら真面目だし、午後からでもちゃんと授業に出てるんじゃないのか?確か桜ヶ丘女学園だったよな……。
今度は駅へ向かって自転車を走らせる。学園に行ったって、神崎の姉に会えるとは限らない。しかしこのままじっとしてる訳にもいかない。何か嫌な予感がする。神崎を一人更衣室に残してきた不安と焦りが河村を急かした。
桜ヶ丘女学園前まで着くと、河村は女子高に来てしまった違和感を否めなかった。明らかに黒の学ラン姿が目立っている。河村は恥を偲びながらも、校舎に入った。真っ先に先生らしき人物が立ち塞がる。
「君、何のようだね」
「あの……えと、友達のお姉さんを探しに来ました」
そこまで言って、河村は肝心な名前を知らない事に気がついた。
「友達の?名前は?」
「えっと、神崎……さんです。ここの生徒会もやっているそうなんですけど……」
「何だ、神崎なら今日は欠席だったぞ。俺は神崎志穂の担任の先生だが」
男がそう言って河村を睨みつけた。その先に嫉妬が含まれているのには気付かなかった。
「あ…………そうですか。わかりました、ありがとうございます」
河村はあっさり引き下がって礼を言うと、慌てて学園内から出た。畜生、お姉さんなら授業に出てきていると思ったのに。とんだ思い違いだった。そもそも考えてみれば学園に電話すればよかっただけの話じゃないか。何を焦っているんだ。冷静になれ冷静に。
河村は頬を叩いて顔の熱りを冷ましながら、仕方無しに今来た道を戻った。しかし学園にも来てないって事は、神崎のお姉さんは何処にいるんだ?