A-16「スパゲティ屋にて」
画材を買い終えた二人は予定通りスパゲッティ屋に来ていた。
「あー欲しい絵の具も服も買えたし……満足満足!」
「はぁ、女の付き添いなんてするもんじゃないな」
ため息混じりに愚痴をこぼす河村とは裏腹に、恵那は久しぶりの買い物に大満足していた。テストが終わった開放感もある。でもそれ以前に、河村と一緒にいると楽しい自分に気がついていた。
「今日は本当にありがとう。河村」
「な、なんだよ急に改まって。そんな事言っても奢ってやらないからな」
照れくさそうに河村が呟く。それを見て恵那は笑った。なんだ、自分は河村と一緒にいたかったのか。好きとか付き合うとか、そんな関係無しでも一緒にいたい。今日半日河村と過ごして恵那はそう思った。
「この期間限定スパゲティ美味しそうだな。神崎はどうする?」
「うーん、こっちのクリームスパゲッティも美味しそう。迷うね」
「じゃあこれにすれば?ほら、このメニューだけおすすめシールが貼ってないぞ」
河村が一番端っこにあるスパゲッティを差した。イカ墨たらこ和風スパゲッティ。
「じゃあ河村はそれね。私は期間限定メニューにしよっと」
「冗談だって、俺も期間限定のにするよ」
店員を呼ぶと河村が注文する。しばらくして二人分の期間限定スパゲッティを運ぶ店員が近づいてきた。
「あれ?もう出来たのか?」
しかし店員は河村達の横を素通りしていった。
「私達のじゃなかったね。でもあれにしてよかった、美味しそう」
店員が向かった先に、お姉ちゃんと同じ制服を着た女子高生が座っていた。というよりお姉ちゃんだった。
「あ!お姉ちゃんだ」
禁煙席の一番隅。ここからはよく見えないが、誰かと食事に来ている様だった。
「どれどれ。あの紺色の制服か?確かあの制服、有名学園の所だよなぁ」
「桜ヶ丘女学園。お姉ちゃんそこの生徒会にも入ってるんだって」
「そういえば前に言ってたな。ふーん、偉い綺麗な人だなぁ」
河村がもっと良く見ようと席を立った。が、すぐに座り直す。
「おい、お前の姉ちゃん誰かと付き合ってるのか?」
若干小声気味に河村が尋ねてきた。
「河村……まさか私のお姉ちゃんを……」
「違う!その姉ちゃんが男といるんだよ、しかもビジネスマンの」
「えっ!」
恵那はびっくりしてお姉ちゃん達がよく見える位置まで体を持っていく。確かに河村の言うとおり、お姉ちゃんとビジネスマンが一緒にいる。しかも全く同じものを注文していた。
「うそ……」
でもお姉ちゃんの雰囲気が明らかにいつもと違っていた。何だか凄く怒っている。あんなお姉ちゃんは見たことない。恵那は複雑な面持ちで席に座り直すと、河村がフォローするように言った。
「まぁ、姉妹でも隠し事くらいあるだろ。今の神崎みたいにさ」
「そうかも知れないけど……」
「あんな美人な姉ちゃんに男がいない方が不思議だぞ?別に相手が社会人だっていいじゃないか」
「う、うん」
でも恵那は相手の男よりも、お姉ちゃんの方が気になっていた。いつもの優しいお姉ちゃんとは別人の様な顔立ち。敵意の目。明らかに恋人に向ける顔じゃない。何かあったのは明白だった。
「ほら、俺達にもようやく来たぜ。食べよう」
河村が恵那に早く食べるよう促す。お姉ちゃんの交際関係ははっきり言って知らない。というか聞いたこともなかった。昔から勉強ばかりしているイメージの方が強かったからだ。それにしてもあんなに怒った顔、恵那は今まで見たことがなかった。
「そんなに気がかりなら帰って聞いてみれば?何かお前の姉ちゃん怒ってるみたいだけどさ」
河村の目にもそう映って見えているらしい。やっぱりお姉ちゃんあの男の人と何かあったんじゃ……。
いきなり立ち上がったかと思うと、お姉ちゃんが鞄を背負ってこちらに向かってきた。恵那達はとっさに顔を伏せると、後から男がお姉ちゃんを追うようにして出て行くのが見えた。やっぱりあの男がお姉ちゃんを怒らせたのか。
「とんだ修羅場に出くわしたな」
河村が店を飛び出す二人を見てぼそっと呟いた。
「ただいまー……」
恵那はゆっくり玄関のドアを開けると、恐る恐る家の中に入った。靴を見る。どうやらお姉ちゃんは先に帰って来てるみたいだ。
「おねえちゃん……」
恵那は上を見上げた。おそらく自分の部屋にいるに違いない。恵那は両手いっぱいの荷物を引きずりながら二階へと上がった。あんな修羅場を見せられて、お姉ちゃんにどんな顔をすればいいのだろう。自分の知らないもう一人のお姉ちゃんの姿を、今日は見てしまった気がした。