表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/41

C-3「スパゲティ屋にて」

電車の手すりを握り締めながら、志穂はいつもの帰り道の延長線を辿っていた。この時間帯はいつも座れない。人が多すぎる。気持ち悪い。志穂はいつも降りる側の出入口付近を確保すると、床に鞄を置いた。こんなに重い物を毎日持ち歩かなければならない。当たり前と言えば当たり前なのだが、今の自分には不必要な代物だった。


『次は……駅。出口は右側です』


耳障りなアナウンスが降りる場所を告げた。これから志穂は『白い鴉』とかいう男に会う予定だ。あのメールのせいだ。腹が立つ。志穂はむかむかする胸元を強く抑えながら改札を出た。


「公衆電話の隣……ここか」


荷物を降ろすと柱にもたれかかった。向こうは自分の顔を知っているようだが、こっちはどんな男なのか見当もつかない。約束した時刻まで後五分。白い鴉とやらはもう来ているのだろうか。実はすでに来ていて、この光景を遠くから見て楽しんでるのかもしれない。どちらにせよ、最悪な放課後を過ごす事になるだろう。志穂が目を瞑って待ち構えていると、不意に上から声がした。


「お待たせいたしました」

 

背の高い痩せ型で、眼鏡にスーツとビジネスマンの格好をした男が目の前にいた。随分と若い男だ。こいつか、白い鴉とやらは。


「……あれ?神崎さん聞こえなかったのかな?」

 

こいつだ。志穂は思いっきり男を睨むと開口一番に言った。


「あんたなんて知らないわよ」


「……そうですか。でも僕はあなたの事知ってます」


「どうしてよ」


「立ち話もなんですし、どこかお店に入りましょう」

 

そう言って男は志穂の荷物を勝手に床から拾い上げると、スタスタと駅ビルの方へ向かっていった。志穂仕方なく男の後ろをついて行く。こいつ何者だ?自分の覚えている限りでは、恐らく会ったことがない。初対面の男だ。だが向こうは自分の事を知っている。もしかして前の奴の友達か?いや、それにしては身なりが他の男共と違いすぎる。


「スパゲッティは好きかな?」

 

男が振り返って志穂に尋ねた。それを無言でやり過ごすと、男は「嫌いではないみたいだね」と呟いて一人そのお店の中に入っていった。


「二名様御来店でーす」


「いらっしゃいませー」

 

店員の笑顔がやたら胸にささる。志穂達は禁煙席に腰を掛けると、男がメニューを広げて言った。


「このスパゲッティおいしそうだね……神崎さんはお腹空いてない?」


「……知らない男と食事するつもりはないわ」


「そう?知らない男とは寝るのに?」

 

志穂は男を睨んだ。


「あんた、どこまで知ってるのよ」


「さぁ。確かなのは名前くらいかな」

 

肘をついて見つめてくる。本当に何なのよ、こいつ。


「じゃあ何で名前知ってるのよ」


「すれ違ったからかな。多分こういう運命だったんだよ」

 

「ふざけないで!何が目的?さっさと用件言いなさいよ!」

 

痺れを切らして叫ぶ志穂に、男は「まぁまぁ」と言ってなだめた。


「用件はメールに書いてあったでしょ?一緒に夕食でもどうですかって。僕はこの期間限定スパゲティに決めたよ。君も早く決めてくれないと店員さんが呼べないなぁ」


「……じゃあ一緒の奴でいいわ」

 

志穂は足を組み直して窓の外を見た。この男のペースに呑まれているのはしゃくだが、確かにお腹は空いている。どうせ奢らせるんだからと、普段の自分なら一番高いメニューを頼むのだが、この男にはそんな気すら起きなかった。


「いつまでそんな顔してるのかな?せっかくの夕食会なんだから楽しくやろうよ」


「この状況でどうやって楽しめっていうのよ。さっきの答え、まだ聞いてないわよ」


「答え?」


「何で名前知ってるのか」


「ああ。じゃあ今の所は君のふった男友達とでもしておこうかな」


「…………」

 

嘘か真か。この男の表情からは読み取れなかった。でも名前を知っている可能性があるとすれば、それくらいしか思いつかない。これまで本名を隠して男共と遊んで来たが、何処かでばれたのだろう。それにしてもこの男が一体誰の友達なのか。そっちの方が見当つかなかった。


「じゃあそのお友達の復讐でもするつもりなの?あれはお互い同意の上でやってる事。第三者が口出しする事じゃないわ」

 

志穂がそれを告げると、男は鼻で笑った。


「まさか。僕は単に君に興味があるだけだよ」


「興味って……」


「君とお話がしたかっただけって事。お、頼んだ物がきたよ」

 

男は広げたメニューを丁寧にたたんでしまった。同じ品が二つ、テーブルの上に並ぶ。


「美味しそうだね……頂きます」

 

まるで子供のように手を合わせると、スプーンも使って器用に食べ始めた。志穂もそれに続いて食べ始める。確かに美味しい。


「僕、ここのスパゲッティ大好きなんだよ。一人でたまに食べに来るのさ」


「そう。で、用件は何なの?」


「何が?」


「まさか本当に食事だけしに来たわけじゃないんでしょ」


「どうして?」

 

男がぽかんとした顔で見返す。


「名前をネタに、私をゆすりに来たんじゃないの?」


「なるほど、そういう手もあるね」


「あんた、私を馬鹿にしてるの?」


「馬鹿にはしてないさ。今日は本当に食事をしにきただけだよ」

 

わからない。何なのこの男は。今まで何人かの男と食事を共にしたが、流石にここまでわからない男はいなかった。みな次なる目的と下心丸出しだったのに。


「……何であたしと食事がしたかったのよ」


「だから君に興味がある、お話がしたかっただけなんだよ。随分と疑り深いなぁ」

 

男は口元をナプキンで拭いてから水を飲む。きっちりした男だ。もしかして育ちはいい方なのかもしれない。紳士っぽい、と言えばいいのだろうか。


「あなたの名前、聞いてなかったわ。免許書見せてくれる?」

 

この男の口だけでは信用ならない。


「ああ、そういえばまだ名前を名乗っていなかったね。……免許書まで見せなきゃだめかい?」


「口だけじゃ信用出来ないわ」


「わかった」

 

財布を取り出すとそこから免許書を引き抜く。志穂にそれを見せながら言った。


「杉浦幸太郎です。名前は信じてくれるかな?」


「ええ。仕事は何をしているの?」


「一応薬剤師という事にでもしておこうかな」

 

嘘臭い笑みで杉浦が答えた。本当かどうかは分からないが、確かにこの男はスーツより白衣の方が似合いそうだ。


「ふーん。でも今日はスーツなのね」


「白衣で出歩く訳にはいきませんしね。初対面の女性には、スーツがいいでしょう?」


「そうかしら。少なくとも私には似合ってる様には見えないわ」


「言うねぇ。まぁ僕も白衣の方が似合ってると思うけどね」


「それにしては若い薬剤師さんだこと」


「そう?こう見えても今年で三十なんだけどなぁ」

 

杉浦が照れくさそうに呟いた。そんな杉浦を志穂は睨みつける。


「……女子高生と食事できて楽しい?あなた本当は援交したいんじゃないの?」


「うーん。確かにこれは援交の一種だね。でも僕は君にしか興味がないならどうかな?」

 

薄ら笑いで志穂を見つめる。何なのこの男。これ以上関わるといろいろ面倒な事になりそうだ。志穂は綺麗に食べ終わると、鞄を持って立ち上がった。


「帰る。ご馳走でした」

 

そういうなりさっさと店を出た。後ろの方で何か聞こえたが、無視して先を急ぐ。これ以上あの男に関わりたくはない。だが、惜しくも改札に定期を通す寸前でその手が止められた。


「ま、待ってくれっ!」

 

杉浦が呼吸を整えながら強く言った。志穂は止められた手と男を交互に見る。


「離して」


「嫌だ」


「何でよ」


「……わかった、正直に話そう」

 

杉浦は改札前から自分を遠ざけると、一度深呼吸をして、大声で叫んだ。


「その、僕は君に…………一目惚れしたんです!」


「はぁ?」

 

何こいつ。人の事脅してくるのかと思えばいきなり告白しやがって。しかも公衆の面前で。


「ちょっと!」

 

志穂は杉浦を無理やり引っ張ると、人目がつかない所にまで連れてきた。


「あんたさっきからどういうつもりなの!何がしたいのよ!」

 

怒鳴りつけると杉浦は「すみません」と頭を下げた。


「でも僕は本当に君に……一目惚れしたんだ。自分でもおかしな事してるのは分かってる……分かってるんだ……」

 

初めて杉浦の顔が崩れた瞬間だった。そしてそれは本当の事を意味した瞬間でもあった。


「私とは何処で初めて会ったのよ」


「それは……悪いが今は言えない」


「何でよ!さっさと吐きなさいよ!」


「…………」

 

杉浦は頑なに口を閉ざした。


「……もういい。あんたはストーカーだったのね」


「どちらかと言うと、そうなるね。まぁそう言われても仕方ないか」

 

悲しそうな目で遠くを見つめる。本当に何なのよ、こいつ。


「で、私にどうしろと言うのよ。また食事にでも付き合えと言うの?」


「そうだなぁ。今度はデザートでも食べに行きませんか?神崎志穂さん」


「……わかったわよ。どうせ断れそうにもないしね」

 

志穂は吐き捨てるように言った。断った時こそ名前をネタにゆすってくるに違いない。これはこれで面倒な男に捕まったものだ。


「じゃあ次の日曜日はどうですか?僕の仕事も午前中で終りですし」

 

だがいい獲物でもあった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ