A-10「リビングにて」
十月最終週。この日から中間テストという受験生にしては最大最悪のイベントが始まる。
大体夏休み辺りから三年生は部活も引退しているので、みな本格的に受験モードへと突入し、その成果が表れ始めるテストだと言っても過言ではない。この中間テストの結果で最終的な受験校、推薦校を大半は決定する。恵那もその中の一人なのだが、最近は意識が絵の方に行ってしまい、ただ何となく中間テストを迎えていた。
「うわー、あの先生こんな所から問題出してたのか」
「ねぇ、問い三の答え何だった?」
「全然出来なかったよー」
テスト終了時と共にあちこちで飛び交う、友達同士での確認事項。
毎度御馴染みの展開を恵那は横で何となく聞き流していた。今日は三時間のテストだけで授業が終わる。あー早く絵が描きたい。
「お前ずっとぼんやりしてたみたいだけど出来たのかよ」
前の席から振り向き様に河村が話しかける。そうだった、テスト期間中は名簿順に並ばされるから、河村とはどうしても席が前後同士になる。
「……平均は取れてるかと」
「もっと上を目指せよ。高得点とるとかさぁ」
「高得点は小学校でいっぱい取ってきたからもういいよ」
「あのなぁ……。もういいや、ところで絵は進んでるのか?」
河村に聞かれて恵那は昨日の壁のビジョンを想い浮かべた。何だかんだ言いつつもあの日から毎日通いつめ、今週いっぱいにでも下絵が完成しそうな勢いだった。下絵はほぼ八割方できてると言ってもいいだろう。
「下絵だけならあともうちょっとかな。今日も頑張って行くよ」
「お、意外と早く下絵が出来るもんだな。……明日は保健とかのテストだし、今日俺も見に行ってもいいか?」
河村に至近距離で言われ、恵那は思わずドキッとした。机ってもう少し大きくなかったっけ?
「どうした?神崎」
「ん?あー……ちょっと緊張しちゃって」
何とか顔の火照りを誤魔化そうと下敷きを扇ぐ。
「あのズボンが汚れた日以来、俺も忙しくて更衣室行く暇なかったしな。それに……お前に聞きたい事もあるし」
「私に?」
「そう、今日の午後はお互い久しぶりの報告会と行こうぜ」
河村はそう言うと荷物をまとめてさっさと教室を出て行った。今日は給食も出ないので一端家に帰って腹ごしらえしてから来るつもりなのだろう。恵那も彼に遅れまいと荷物をまとめて一度家に帰ろうとした。
「恵那―」
廊下から美雪の声がした。ちょっと待ってよと言わんばかりに急いで教室を出る。
「今日は一緒に帰れるよね?」
「うん、大丈夫。一緒に帰ろう」
作品制作を打ち明かしてから、美雪は気を使って朝のみ一緒に登校するようになった。帰りにいつでも残れるようにと、美雪から進んで申し出たのだ。
美雪にはまだ壁に絵を描いている事を告げてはいない。あくまで『学校に残って作品制作』としか告げていなかった。
「今日は残っていかないの?って、流石に明日のテスト勉強するかー」
「あはは、残ってくつもりだよ。一度家に帰るけどね」
「明日のテスト勉強は大丈夫なの?」
「明日は副教科ばっかりだからいいかなぁーって」
恵那が目を逸らすと、美雪は「これだから優等生様は」と言って小突いてきた。
「まぁ恵那なら勉強しなくても多少いい点数取れるから心配ないよねー。あたしなんて今日でもう惨敗だったのに」
「美雪数学は駄目だったもんね。でも後の教科なら大丈夫じゃない?」
「まあね。でもクラスの皆も流石に勉強してきてるだろうし、順位落ちないか不安だよ」
「今回の中間テストの結果で進路選ぶ人多いしね。はぁー受験生は嫌だなぁ」
「全くだよ。早く高校生になりたいなぁ」
それから二人で今日のテストの出来具合を言い合いながら帰った。久しぶりに一緒に帰ったせいか、何だか会話がいつもより弾んだ気がする。最近一人で帰宅してばかりだったのが余計にそう感じさせた。
家に帰ってから恵那は一目散にリビングに飛び込んだ。それほどまでに今日はお腹が空いていたのだ。
「あれ?お姉ちゃん!」
リビングに入るとソファにお姉ちゃんの姿があった。ラフな格好で寝転びながらテレビを見ている。
「お帰り恵那。お腹空いたでしょ、今ご飯温めるから座ってて」
恵那の姿を見るなりお姉ちゃんは起き上がって、冷蔵庫から小分けされたタッパーを取り出した。
「お姉ちゃんの方が早いなんて珍しいね。まだテスト週間だったっけ?」
「うん。今日は最終日で二時間だけだったからね。恵那より早く家に着いちゃったよ」
テーブルの上には先程までテストの見直しをしていたのか、お姉ちゃんの学園の問題用紙が置かれていた。
「ふーん、お姉ちゃん達のテスト難しそう。こんなのよくわかるね」
「そりゃ勉強してるからね。恵那もちゃんと勉強してるの?最近帰りが遅いみたいだけど」
お姉ちゃんに言われて恵那はドキッとした。はっきり言って今回のテスト勉強はあまりしていない。というかする気すら起きなかった。
「絵の勉強も大事だろうけど、学校のテストも大事なんだからしっかり勉強しとかないと」
「……わかってるよ」
お姉ちゃんに勉強を念押しされて、何だか食欲も害された気がした。それでも用意されていたお昼を目の前にすると、あっという間に綺麗に食べ尽くしたのだが。
「ごちそう様―」
恵那がそう言い終わるのと同時に、テーブルの上に置きっぱなしにされていた携帯が激しい音楽と共に光りだした。その音を聞いた途端、お姉ちゃんが慌てて携帯を恵那から離す。
「お姉ちゃん着メロまた変えたの?」
「え?ああ、気分によっていろいろ変えてるからね」
「へぇ……」
恵那も携帯は持っているが、お姉ちゃんの様に始終持ち歩いている事はなかった。大体学校では持ってくるのすら禁止だし、恵那自身があまりメールをする方ではない。それに比べてお姉ちゃんは最近ますます携帯に依存してるような気がした。
「最近よくメールしてるね。彼氏でもできたの?」
恵那がそう言って茶化すと、お姉ちゃんは「こらっ」と言わんばかりに睨んだ。
「冗談言わないの。単なるお友達よ」
「それにしては凄い慌ててたよね」
「余計な事言わなくていいの。お姉ちゃんこれから出かけてくるから、恵那も出かけるなら鍵持って行ってね」
「はーい」
机の上の紙切れを回収すると、お姉ちゃんは何だか荒々しく二階に上がっていった。やっぱりさっきのメールの相手は男だったに違いない。急な呼び出しでもくらったのだろう。
勉強ばかりかと思ってたけど、ちゃんと恋愛もしてたんだ。お姉ちゃんもなかなか隅に置けないなぁ。恵那はにやにやしながら食器を片付けた。