D-1「喫茶店にて」
授業が終わるのと同時に美雪は教室を出た。今日は授業が早く終わるからと、恵那を誘っておいてよかった。久しぶりに恵那と買い物に行ける。あのお店も行きたいし、あそこのパフェも久しぶりに食べたい。
一刻も早く恵那に会いたくて、まだホームルームをやっている恵那のクラスの近くで待っていた。開いている扉から恵那の姿は見えなかったが、代わりに彼のつんつん頭が見えた。最近少し気になっている男の子だ。青春真っ只中の中学三年生だもん、好きな人の一人や二人くらいいたっていいでしょ?
美雪は夏休み前に彼と一度話しをした事があった。
その日は園芸委員会の水遣り当番の日で、園芸委員だった美雪は面倒臭そうにホースをぶら下げていた。陸上部最後の大会に向けて部活動に励んでいた美雪は、一刻も早く部活動に参加したくて適当に水をかけていた。
「おい、ちゃんと土に水をあげろよ。それじゃあ意味がないだろう」
背後からいきなり怒られた。振り返るとそこには美雪より背の高い、つんつん頭がいた。
「誰よ、あんた」
美雪は思いっ切りつんつん頭を睨みつけた。
「その言われようは酷いな。一応同い年なんだけどな」
そういって彼はホースを奪い取ると、勝手に自分が水遣りを始めた。
「葉の根元に出来るだけかけてあげるんだ」
美雪は彼に仕事を取られたため、手持ち無沙汰な腕を垂らしながらその場に立ちつくす。
「あんた何なの?勝手に人の仕事とらないでよね」
「だったらちゃんと仕事しろよな。俺が代わりにやってやるから、あんたはさっさと部活に行けよ。大会近いんだろ」
何でそんな事知ってるのよ、この男は。美雪は鞄を拾い上げると、後ろ姿のつんつん頭に叫んだ。
「それじゃあ悪いけど宜しくね。あたしも自分の仕事してくるわー」
それに対して彼は「頑張ってこいよ」と手を振ってくれたのだった。後から思い出したのだが、彼はいつも校舎裏の花壇に水遣りをしている男の子だった。部活動の外周で走っている時によく見かけた覚えもある。その花壇に思い入れがあるのかないのか知らないが、その時の彼はとても優しい表情をしていた。
最初はいきなり怒られたので不快に感じたが、彼なりの優しさだったんだと気付いてからは、少しずつ気になり始めていた。
「起立」
日直の挨拶だ。やっと恵那と買い物に行ける。
「礼」
がらがらがら。挨拶が終わるのと同時に騒がしく生徒が出てくる。美雪は恵那の姿を捕らえると同時に、彼の姿も捕らえたので一瞬心臓が跳ね上がった。二人で何か話している。美雪はその様子をほんの数秒の間、思わず凝視していた。やがて廊下に出た恵那が美雪を見つけて手を振る。美雪はそれを遅れて振り返す。何だがぎこちない動きなのが自分でもよくわかった。
「ごめんね、待たせちゃったみたいで。担任いちいち話す事長いんだよねー」
恵那が謝りながら廊下に出てきた。美雪は一瞬彼を目で追ってから、恵那に聞いてみた。
「……河村君と知り合いだったの?」
「え?」
唐突に聞いたせいもあるけど、恵那の顔が一瞬ひきつるのを見逃さなかった。
「あー、名簿が近いから日直一緒にやってるんだよ。それだけ」
神崎と河村。確かにそう言われればそうだ。美雪は少しほっとした。恵那に対してではなく河村に。
できればそんな自分には気付きたくなかった。
「よかった、恵那が取られるかと思っちゃったよ」
「あはは。あんな変な男には興味ないって」
恵那は笑ってそう答えた。でも恵那と河村君との間に、何かありそうな気がしてならなかった。
それから美雪達はお待ちかねの買い物ツアーに出かけた。前々から行ってみたかったお店にも行けたし、欲しいアクセサリーも買った。欲しかった物も手に入り、行きたい所に行けて美雪の気分は爽快になる筈なのに、何故か先程見た光景が頭から離れなかった。
「ねぇねぇ、ここのパフェ食べて行こうよ」
「美雪、お腹壊してもしらないわよ」
「その時は悔いなし!」
半ば強引に恵那と二人で喫茶店に入る。パフェも食べたかったが、それより今は恵那と河村との関係の方が気になってしょうがなかった。でも聞いた所でどうしようというのだろう。自分が気になったから?それとも好奇心?
「この期間限定のパフェ美味しそう……私これ食べようかな。美雪はこれだったよね?注文しちゃうよ」
恵那がメニュー表を見ながら自分の分まで注文している。美雪はその間にもどう恵那に切り出そうか考えていた。今の所感でしかないけど、恵那は何か隠していると思う。恵那は昔から嘘をつくのが苦手だしね。
その恵那が自分に何か隠している事があるとすれば何なのだろう。本人に直接聞いてみてもいいものなのだろうか?自分にばれるとまずいから何も言わないのだろうか?あの河村も関係している事なのだろうか?……もしかしたら二人は付き合って――――。
「どうしたの美雪、早く食べないと溶けるよ?」
恵那に言われて、美雪はパフェが既に来ている事に気がついた。意外とここの店員は持ってくるのが早いわね。美雪は美味しそうと言ってばくばく食べ始める。
「美味しい!流石人気なだけあるわ」
「ねっ。もう十月だけどまだちょっと暑いし、これくらい余裕だね」
「うん。恵那のパフェも美味しそう、一口頂戴!」
「はいはい、じゃあ交換ね。ん、こっちのパフェの方が美味しいかも」
「どっちも美味しいよ。あ、キーンとしてきた」
こめかみを押さえると、一気に食べるからだよと恵那が笑った。美雪もそれにつられて一緒に笑う。
ふと恵那の鞄に、シーサーのストラップが目に映った。自分があげた翌日から恵那はあのストラップを鞄に付けている。
「…………」
何難しい事いろいろ考えてるんだろう。恵那に聞きたいことがあるなら素直に聞けばいいじゃない。恵那と河村が付き合ってるなら応援してあげればいいじゃない。別に河村の事好きなわけじゃない。ただ気になっていただけ、水遣りを任せちゃったからそれをいつまでも気にしてるだけよ。
「恵那……あのさぁ」
手からスプーンを離して少しかしこまる。恵那もそれを感じ取ったのか、ほぼ食べ終わっているパフェから手を離した。
「何かあたしに隠してる事……ない?」
そう言い終わると同時に恵那の表情が変わった。何でわかったの?と顔が、体全体が訴えている。やっぱり恵那は何か隠していた。
「ひょっとして河村とも関係してる?」
河村の文字を出しただけで、また表情が変わった。そっかぁ……恵那ってやっぱりわかりやすいや。
「何だー、やっぱり河村と付き合ってたのね」
美雪はそう言って大袈裟にソファーに仰け反った。どうりで最近付き合いが悪いと思ったわけだ。
「ちょちょっと待ってよ!河村とは何にもないって!」
恵那が真っ赤になって反論する。その必死さが可愛くてついニヤニヤしてしまった。
「大丈夫、誰にも言わないよ。こう見えても美雪ちゃんは口が堅いので」
「本当に何にもないんだってば!どうして私が河村と付き合わないくちゃういけないのよ!」
「あれ?違うの?……そのわりには凄い動揺してるけど」
「これはっ、その、違うの!とにかく付き合ってなんかない!」
恵那が真っ赤になって頑なに河村との関係を否定した。てっきり美雪は自分に内緒で付き合っていたものだと思ったので、何だか拍子抜けする。少し声が荒げた恵那を一端落ちつかせてから、もう一度聞いた。
「じゃあ他に何隠してるのさ?」
「え……そっそれは……」
恵那が大きく私から目を逸らす。てっきり河村との関係かと思いきや、恵那の隠し事は別にあったみたいだった。
「……あたしには言いづらい事なの?」
恵那の事は親友だと思っている。だから美雪は恵那に隠し事なんかされたくなかった。むしろ相談相手になりたかった。ただ純粋に隠し事が気になるのもあったが、それ以前に恵那の力にもなりたい。
「ごめん美雪……隠すつもりはなかったけど、何て言えばいいのかな」
一生懸命言葉を捜す恵那。その様子を美雪は水を飲んで待った。
「作品をね、作ろうと思ってるの。でも今まで描いたこともない大きなキャンパスだし、描ききれる自身もまだなくて……美雪には堂々と言えなかったんだ」
恵那は更に「ごめんね」と付け足して謝る。少しほっとした。もしかしたら自分にさえも話してくれないと思ったからだ。
「よかった。あたしに関わる事かと思って冷や冷やしたよ」
大袈裟に胸元を撫でてやる。
「ずっと気にしてたならごめんね、騙してたみたいで。恥ずかしくて中々言い出せなくてさ」
「恥かしい?」
「だって絵を描くなんて言ったら、美雪絶対見たいって言うでしょ?」
「うん、見たいよ」
「でも未完成の作品なんて見られると恥かしいだけだからさ……ごめんね」
「あはは、もういいよ、気にしてないし。どこかに応募でもするの?」
「ううん、単なる自己満足かな。でも描きたくてしょうがないんだ」
「よく恵那のお母さん許してくれたわねー。あの勉強おばさん説得させるの大変だったでしょ?」
「あはは。……まぁね」
恵那が苦笑いしながら美雪の質問をかわす。その表情からして、本当は許してもらってなんかいないのだろう。あのお母さんの事だ、無理もない。
美雪は水を飲もうとしていた恵那に、もう一つ気になっていた事を聞いた。
「それじゃ、河村は知ってるの?」
「!……げほっげほっ」
いきなり河村の名前を出したせいか、恵那が思いっきり咽る。
「ごめんごめん、もうちょっとタイミング見てから聞くべきだったね」
呼吸を落ち着かせ、少し涙目にしながらも「そうだよ」と恵那は答えた。
「だから最近河村と仲よかったのね」
「別に仲良くなんかないわよ。あっちが勝手に絡んでくるだけ」
「ふーん」
相変わらず恵那のいろんな表情に、思わずにやにやしてしまう。美雪はかつてパフェだった存在を飲み干した。
「二人で合作でもしてるわけ?」
「そんなんじゃないよ。河村は私の事見てからかってるだけ」
「……じゃあ河村が、恵那の事好きかもよ?」
「それはないって。私の事変な女扱いしてたし」
「そう……」
すっかり空になったパフェの容器を、スプーンの先でぐりぐり弄りながら美雪は恵那の話を聞いていた。何か作品を作ってるみたいだけど、自分が知らなくて河村は知っていた事がちょっと悔しかった。いや、かなり悔しいかな。
恵那の様子からして製作現場をたまたま河村に見られて、それをネタにからかわれている。つまり恵那は何とも思っていなくても、少なくとも河村の方には気があるって事か。
美雪は恵那をまじまじと見てみた。物凄く美人ってわけでも、可愛いってわけでもないと思う。ランク的には中の上に入るだろうか。守ってあげたい女の子、そんな感じだ。男の子の好みはイマイチよく解らないが、自分がもし男だったら恵那とは余裕で付き合えるだろう。
「ねぇ……作品が出来たらさ、河村より先に見せてよね」
「わかった。一番に感想述べてもらうからね」
美雪達は笑い合った。まるで小さな約束を確認し合うかのように。