A-8「登校中にて」
「なぁ、お前今日は残ってくのか?」
次の時間、移動教室だからと準備をしていた所に突然河村が話しかけてきた。河村とは同じクラスだけど、教室で言葉を交わした事はない。
恵那は思わず目をぱちくりさせて、次の言葉が出るのに若干の時間を要した。
「今日は塾があるからまっすぐ家に帰るよ」
「そうか、塾通ってたもんな」
「ごめんね」
恵那はそう言ってそそくさと教室から逃げるように出て行った。突然話しかけられた事にびっくりしたのもあるが、それにしてはやけに心臓の音がうるさい。
河村の奴、今まで一度も教室で話した事なんてなかったのに。河村を避けた態度に罪悪感を感じたが、それ以前に自分の心音を抑えるのに必死になっていた。
とりあえずの塾をいつもどうり済ませると、恵那は足早に家に帰り、部屋に閉じこもる。本棚の後ろから大きなスケッチブックを引きずり出すと早速絵を描き始めた。あの白いキャンパスを思い浮かべながら、ああでもない、こうでもないと次々と描いては消し、描いては消しの試行錯誤を繰り返す。
楽しい。考えるだけでドキドキわくわくしてくる。準備段階でこれじゃあ、この先身が持たないなと自分自身に苦笑しながら、その日は遅くまで机に向かっていた。
次の日、恵那はいつも通り登校した。今日は早めに行く事もないだろう。それよりも遅くまで起きてたせいで、すっかり睡眠不足だ。
「恵那、大きなあくび!」
隣りで歩く美雪がわざと声を荒げて指摘した。
「寝不足なの。昨日遅くまで起きてたから」
「また勉強かい」
「そんな所かな。でも楽しいよ」
笑う恵那を美雪は困惑の表情で見つめる。
「……どうしたの恵那?ついにお母様に毒されてしまったのね」
「あはは、やめてよ。勉強なんて楽しくならないよ」
「そうだよねー。先生や親が勉強勉強って吠えるからやってるだけだし」
「そうそう。勉強してもさ、これから先役立つわけでもないしね」
「義務教育だから学校行ってるようなものよね」
皮肉満載に美雪が言った。今の勉強が将来役に立つとはとても思えない。義務教育だから、仕方なく勉強してるし、学校に行ってる感じだ。
そういえば学校は我慢をする所だと本で目にした事があった。まさにその通りなのかもしれない。
「ねぇねぇ、今日授業終わったら買い物に行かない?欲しいアクセサリー見つけちゃってさぁ」
「今日ねぇ……」
正直言って今日は絵を描いていこうと思っていた。でも最近美雪と遊びに行ってないし、こうして一緒に学校へ行くのも二日ぶりだった。……今日は美雪に付き合おう。
「いいよ。でもお金持って来てたかなぁ」
「少しくらいなら貸せるから大丈夫!」
「そこで奢ってあげるの一声はないの?」
「そんな余裕どこにあるのさ。バイトだってまだ出来やしないのに」
「じゃあバイト始めたら奢ってもらおうかな?」
「じゃあ恵那には内緒で始めなきゃ」
「こいつー」
美雪を小突きながら、お互い高校生になっても、一緒に遊べるのだろうかと恵那は考えてしまった。