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第二話 ワンダと薫

☆午前六時五〇分 霞ヶ関一丁目 バード・ベース




 並び立つトーチカ達の麓で、銀の要塞は朝日に輝いていた。




「メインエンジン、点検完了です」


「千代田より通達。多摩部隊、状況を報告せよ」


「引き続き警戒をお願いします」




 緊張感の中、オペレーターたちは機器類と壁一面のモニターに向き合いながら激務に追われていた。




「一条君、朝からすまんな」


「司令こそ、お疲れ様です」




 佐神輝八サガミキハチ、四五歳。バード・ベース総司令。隻眼の下には隈が顔を出し、司令席のデスクには缶コーヒーが散乱していた。




「またですか」


「命が懸かっているんだ。三徹じゃ休めんよ」




 強がりの傍らで、デスクで唯一綺麗な額縁から母娘は笑う。




「─我々と同じ思いをするのは、我々で最後にせねばな」


 司令は母娘に向かって俯く。そこにあるのは決して絶望だけではない。悲しみをバネに戦う強靭な覚悟だ。


 


「よっ」


 不意に、背後から抱き着かれた。驚き振り返った俺は、あっと突拍子もない声を上げてしまった。




「久し振り。僕だよ、薫だよ」




 坂田薫サカタカオル、十七歳。幼稚園以来の親友が、スーツ姿で俺に抱き着いていた。 




「薫!? 何で─!?」


 司令は苦笑いを浮かべて説明する。


「秘書のバイトさ。中々に有能でね。学業を終えたら正式採用しようと思ってるんだよ」




 薫は変わっていなかった。常軌を逸した人懐っこさに、裏表のうの文字すら知らなさそうな最高に爽やかな笑顔。茶色い大型犬でも相手にしている気になる。実際、そこだけは司令も苦々しく思っているのかもしれない。


「ここで話すのもなんだ。二人で朝食でもとり給え」


 ☆午前七時 バード・ベース食堂


 緊張の毎日の中、俺達の唯一の娯楽は食事だ。ただの目玉焼きでも、今では最高に美味い。美味しさは活力へ、活力は会話へと昇華する。


「竜、大学はどうすんだ? もう十七だし」

「士官学校で大学の分も終わったからなぁ」

「飛び級ってか。良いなー、僕はノイローゼ寸前なのに」


 薫は受験に苦しんでいるらしい。赤本を読み漁り、休日はオープンキャンパスに潰される毎日。聞いてるだけで恐ろしく、そして、羨ましい日常だと思う。


「みんなはどう?」

アキちゃんとケンはレーサー目指すらしいし、ミツルは社長だって。ガイは高校出たら結婚だってさ」


 懐かしい名前だ。小学校以来、誰にも会っていないが元気らしい。だが、安堵したはずの表情は強張っていたのか薫の顔は曇っている。


「─竜?」

「悪りぃ、考え事してた」


 いつの間にか、俺の心には不安が滲んでいた。


「怖いんだ。みんなの幸せが踏み躙られたら」


 かつての記憶が脳裏を過る。親を失い、苦しむ俺の手をみんなが引っ張り上げてくれた。誰もが、裏表のない優しい笑顔を浮かべている。俺がしくじれば、その笑顔は一瞬にして血と涙に飲まれる。もし、みんなに何かあれば─


 牛乳を飲み干し、ようやく落ち着きを取り戻した俺は顔を上げた。


「悪い。暗いよな」

 誤魔化すように皿を片付ける。気まずかった。卒業以来の再会だというのに。薫は俯いている。俺は次の言葉が怖かった。


「─竜」

 暫しの沈黙の末、口を開く。

 

「─獅子座銀花ししざギンカ彗星って知ってる?」


 ─全く想定しなかった言葉だった。

「─は?」

「知ってるか聞いてるんだ。どうなんだ?」

 ポカンとした俺を、薫は笑い飛ばした。まるで、小馬鹿にするように。


「一九七五年一月十日にドイツ人天文学者シュワルツによって観測された彗星さ。黒星星団から飛来したと言われていてね、銀の花みたいだからそう呼ばれているんだ。ちなみに」


 俺の表情は、ますます困惑に曇るばかりだった。

「どう、分かった?」

「何一つ分からねぇ」

 直後、薫はしまったと顔を赤らめた。相変わらずだ。やけに宇宙が好きで、語り出すと止まらなくなる。


「ごめん。本題じゃなかった」

「じゃあ、本題って何だよ」

 怪訝に尋ねる俺に、薫は─


「今度、見に行こうよ。彗星、また来るんだって」


 薫は笑顔を浮かべる。嘲笑ではない、優しさの籠もった温かい微笑みを。 


「みんな会いたがってるよ。昔みたいに、僕んちでワイワイやって嫌な事忘れよ」

 薫が俺の手を取る。


「僕は竜じゃない。大丈夫だとか、心配すんなとかそんな頼もしいことは言えない。だけどね、友達として、寄り添うことはできると思う」 


 食堂の窓から朝日が差し込む。

「嫌な事があったら、ピザ食ってぱあっとやる。僕のやり方さ!!」

 なんて適当で無責任なんだ。そんな事をしたって、事態は変わらない。


 ─なのに、何故だろうか。俺の心はほんの少し、だが確実に晴れていた。


「…ははっ。それ、現実逃避じゃん。赤点の時もそうやってさ!!」

「何だよ、どうせ死ぬなら踊らにゃ損損って言うじゃん!?」

「バカか。─でも、そうだな。言う通りだよな」


 俺は立ち上がる。漲る強い決意を、正義の空元気として顔に浮かべた。


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