小論文
日本史において、大化の改新と明治維新はともに政治体制を根本から変革した転換点として位置づけられる。両者はいずれも外来文明を手本としつつ、天皇を中心とした中央集権国家の形成を目指したという共通点をもっている。大化の改新は中華文明の律令体制をモデルに、明治維新は西洋の近代国家制度をモデルに、それぞれ新しい国家像を模索した点において共通している。
大化の改新では、豪族による地方分権的な支配を改め、天皇を頂点とする統一的な官僚国家を築こうとした。公地公民制の導入や中央官制の整備などは、天皇の権威のもとに政治を一元化するための施策であった。その過程で、地方豪族は中央の貴族官僚層として再編され、地方の支配権を国家に吸収させることで中央集権体制が確立されていった。
一方、明治維新においても、幕藩体制を廃し、天皇を中心とする近代国家を建設することが目指された。明治政府は版籍奉還・廃藩置県を通じて藩主であった大名を華族に編入し、地方支配者を中央政府の統治構造の中に取り込んだ。これは、大化の改新と同様に、地方の支配層を中央の特権的地位に組み込むことで国家の一体化を進めた試みであったといえる。
ただし、両者の「天皇中心」という体制には本質的な違いも存在する。大化の改新では、天皇は神権的な権威をもつ直接統治者として位置づけられたのに対し、明治維新では、天皇は国家の正統性を象徴する存在として近代的立憲国家の中に位置づけられた。すなわち、前者は律令的官僚国家への道を開いた改革であり、後者は主権国家としての近代国家を確立する改革であったといえる。
このように、大化の改新と明治維新はいずれも天皇を中心に据え、地方支配者を中央の体制に統合することで中央集権的な国家を築こうとした点で連続性をもちつつも、時代背景や政治思想の違いに応じて天皇の性格と国家の性質を変化させたという点で相違している。日本の歴史におけるこの二つの改革は、外来文明の受容と日本的再編というダイナミズムを象徴しているといえる。




