Fall in Fairy circle
いじめの始まりなんて、いじめられる当人からしたら青天の霹靂だ。僕の場合は、友達だと思っていた奴に売られたのが始まりだった。
無二の友だと思っていた僕たちは、良くイタズラをして遊んでいた。ピンポンダッシュは日常で、先生の上履きの中にノリを入れたり、体育終わりの休み時間に、いち早く教室に戻ってクラスメイト全員の教科書を隠したり、そんなバカをしながら、つまらない日々を自分たちなりに盛り立てていた。
そんな僕たちの次の標的となったのが、クラスのアイドルである女子であった。長い黒髪が綺麗な女子で、僕も友達だと思っていたそいつも、密かにその女子の事が好きだった。そんな女子に対して、ジャンケンで負けた方が、その髪をハサミで切る。と言う過ぎた悪ふざけで、ジャンケンに負けた僕が、放課後、一人になった女子の隙を見計らって、その女子の髪を切ったのだ。
もちろんその女子は泣いた。当たり前だ。好きな女子を泣かせてしまった僕の罪悪感は凄いもので、その場ですぐに謝れば良いものを、しかし泣いている女子を前に、僕はどうすれば良いのか分からず、立ち尽くす事しか出来ず、泣きじゃくる女子と呆然とする僕の下に、早々に先生がやって来た。
「何やっている!」
怒鳴られるのも当然で、僕は俯いて先生に怒られるままにじっと耐える事しか出来なかった。しかし何でこんなに早く先生が来たのか分からずにいると、僕が怒られている横で、友達だと思っていたそいつが、髪を切られた女子を慰めていた。それを目にして理解した。そうか、こいつに僕は売られたのか、と。
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それからはクラスの悪者は僕一人となり、僕相手であれば、傷付くような悪口を浴びせようと、机に落書きをしようと、掃除当番を僕一人に押しつけようと、クラスメイトたちは何も思わなくなっていた。これに対して先生も同じ考えだったようで、クラスメイトたちの行動を黙認するのに加えて、授業で難しい問題で僕を差し、答えられないと分かると、僕を罵るようになっていた。
それもこれも僕の浅はかな行動に起因するのだから、僕に出来るのはじっと耐える事だけだった。ただ、これを機に僕が髪を切った女子と、そいつが仲を深めたのにはムカついていたが。
その日は夜のうちから雨が降り出し、朝は結構な土砂降りだったけれど、放課後にはもうカラッと晴れていた。
晴れたと言っても道路は水溜まりまみれで、他の生徒たちがそれを避けて帰る中、一緒に帰ってくれる友達などいなくなった僕は、いつもと変わらず、一人とぼとぼと肩を落として帰っいたが、バシャン。と一つの水溜まりに足を踏み込んでしまい、靴とズボンが濡れたところで、何だかもうどうでも良くなってしまい、バシャン、バシャン、バシャン、と水溜まりを狙ってジャンプして、ジャンプして、ジャンプして、飛び跳ねる水飛沫に日頃の鬱憤を乗せては散らせるように、水溜まりへとダイブしていたら、
ドボンッ!!
一つの水溜まりにダイブした時、僕はその水溜まりに飲み込まれてしまった。その深さは僕の身長など軽く超える深さで、水溜まりの中で溺れた僕は、藻掻きながら何とか水溜まりから出ると、全身びしょ濡れの猫のようになりながら、何一つ上手くいかない自分のこの短い人生を呪いながら、家に帰っていったのだった。
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異変に気付いたのは次の日だった。憂鬱で重い足を引き摺りながら学校に行くと、クラスメイトたちの僕への態度が180度変わっていたからだ。
「どうしたの? 暗い顔して?」
僕が髪を切った女子が、心配するように近寄ってきた。
「あ、いえ、別に……」
僕が目を伏せると、他のクラスメイトたちも次々と僕を心配して近寄ってくる。昨日までなら避けられていたはずなのに、何がどうなっているのだろうか? それともこうやって一瞬だけ同情したように見せ掛けて、後でハシゴを外して、「くくく、こいつちょっと優しくしてやったら、本当に同情して貰ったと勘違いしてやがるよ」と笑うつもりなのだろうか?
などとどうにも周りの好意が素直に受け取れない中、一人だけ僕に近寄ってこない奴がいた。僕を先生に売ったあいつだ。何故かあいつだけは席から動こうとはせず、恨めしそうにこちらを見詰めていた。
「あんな奴、放っておこうよ」
「サイッテーだよね。席隣りなの本当に勘弁して欲しい」
「何であいつ学校来れるの?」
「女子の髪切るとか、やり過ぎ」
僕の周囲に集まったクラスメイトたちが、口々にあいつを罵り始めて、僕は『この場所』が、僕がジャンケンで勝ったルートなのだと理解した。それと同時に、周囲から聞こえるあいつへの悪口が、それまで僕を刺してきた悪口なものだからか、僕へ向けられていないと理解しても、僕の心が痛みでズキズキするのは止まらなかった。
もてはやされる学校生活と言うのは、いじめにあっていたルートの僕からしたら、望んでいた学校生活であり、クラスメイトたちからちやほやされるのは気分が良かった。
……良かったのに、いつも僕の視線は僕の代わりにクラスメイトたちから罵られるあいつへ向いてしまい、その度に心臓がチクリとする。どうにも心の底からこの生活を喜ぶ事が、僕には出来なかった。
だからだろうか。僕は雨上がりには水溜まりにダイブするのが癖になっていた。いじめられる学校生活に戻りたい訳じゃない。でも僕の代わりに良く知っている人間がいじめの対象になったままの生活も、心から喜べる生活ではなかった。だから、水溜まりが出来る度にダイブを繰り返していたが、それが無駄骨だと、徒労に終わると、何となく僕は理解していた。あちら側には帰れない。こっち側で生活していくしかルートが残っていないのだと。
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僕がこちらのルートに来てから、季節が一つ過ぎた。あいつへの露骨な悪口などはなくなったが、クラスメイトも、先生も、まるであいつがいないかのように無視するようになっていた。沢山の生徒がいる中で、一人孤独な学校生活を送るあいつの姿は、もう一つのルートを辿っていたかも知れない自分の姿と重なり、この辛さに僕はもう耐えられなくなった。
なのである日の帰りのホームルームで、僕は先生の話を遮って席を立ち上がると、黒板前まで歩いていき、クラス全員へ宣言した。
「彼に女子の髪を切るように指示したのは僕です。なのでこれ以上彼を仲間外れにするのはやめてください。僕のせいで皆さんに不快な思いをさせてごめんなさい」
そう宣言した僕は、呆気に取られる皆の前でハサミを取り出し、自分の髪をジャキジャキ切り始めた。
僕の奇行に慌てて先生がそれを止めに入るが、僕の髪はもう誰から見ても変な髪型になっていた。
その日のホームルームはその場で解散となり、クラスメイトたちが何とも微妙な空気に包まれて帰っていく中、僕とあいつは先生に個室に呼ばれて、事情を尋ねられた。
僕はジャンケンで女子の髪を切る悪ふざけをした事を白状し、これについてこんこんと先生に怒られる横で、あいつは何を言えば良いのか分からず、黙ったままだった。
家に帰れば親に心配され、事情を説明すれば、当然親からも説教を食らい、それにこんなみっともない髪型でいさせる訳にもいかないと、僕は坊主頭にされて、次の日学校へ向かった。
クラスメイトの視線が痛かった。腫れ物に触れるかのようで、坊主頭になっていたのが反省の色を示していたかのように見えたのか、悪口こそ言われなかったが、僕に近付いてくる奴なんていなかった。あいつもその日は遠巻きに僕を見るだけで近付いてこなかった。
更に次の日の事だ。
「……おはよう」
そんな僕に話し掛けてきた強者が現れた。と言ってもあいつである。あいつもあのまま近付かなくなると思っていたので、少し驚いた僕が顔を上げると、もっと驚く事が待ち構えていた。何とあいつも坊主頭になっていたのだ。
「お前……」
「……俺の責任もあるだろ。一人は辛いもんな」
僕が髪を切ったのは、己の罪悪感に耐えられなくなってやっただけなのだから、こいつまで髪を切る必要など一ミリもなかったのに、こいつは自分の坊主頭を擦りながら、ちょっと恥ずかしそうにはにかんでいた。これを喜んで良いのか分からなかったが、僕も多分、何と返答するのが正解か分からず、こいつに向かってはにかんでいたと思う。
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それから十年以上経った。僕は美容師として働いている。十代のうちは髪で女子を泣かせた事の罪悪感が拭えず、だからか、髪に対して人一倍執着するようになってしまい、終いには美容師を志していた。
地元で美容師をする勇気はなかったので、少し離れた街にある美容室で働いている。お客様の髪を大事にする僕の姿勢は、店長からは褒められているが、その度にほんの少しだけ心がチクッとなる。でもそれも含めて自分なのだと思いながら働いている。
あいつは県外の大学へ進学し、そっちで就職してもう疎遠になっている。同窓会で話す事もない。そもそも同窓会に居場所はないので、初めての同窓会以来出ていない。
大人になった今でも、相も変わらず水溜まりを見掛けると、もしかしたら元居たルートに戻るかも知れないと、チョンチョンと足を水溜まりにつけたりするが、やはり何かが変わる訳もなく、僕の日常はこちらのルートで進んでいくのだろう。と諦観とも言えない郷愁のような感情を抱いたまま、日々仕事に追われる生活をしている。