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夜明けには知らないきみと  作者: つゆり
第1章 ひるなかの彼
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8 でもそれは、おれじゃない

(……あれ? いま寝てた……?)


 ふと自分が手枕に伏しているのに気づき、あせって頭をあげた。外の灯りをにじませるカーテンと、そのすきまからこぼれる細いひかりを例外に、室内はまだ薄闇に包まれている。椿はほっと息をついた。


(何時くらいだろう。携帯電話を枕元に置いておけばよかった)


 椿は両肘をついて上半身を起こし、無意識に時計のたぐいを求めて視線をさまよわせた。しかしすぐにとなりの保科に釘つけとなってしまった。


 ぐっすり眠っているとばかりおもっていた彼が、じっと天井の一点を注視していた。大きく見開いた両目が、奇妙に白く浮かび上がってみえる。


「保科さん……?」


 問いかけに反応はなく、聞こえなかったのかな、と声をととのえようとしたとき、唐突に頭だけを回転させて彼がこちらを向いた。ロボットのような、すばやく正確で人間味のない動作。驚いて動けずにいると、抑揚のない声がいった。


「なるほど、きみのせいか」


 まぎれもなく保科の声だった。しかしその響きは別人のように冷たい。


 彼は口の端だけで笑みをつくったかとおもうと、次の瞬間には上半身を起こし、ベッドから降りて立ちあがっていた。誰かにひもで引かれているかのような不自然な動きだった。


(保科さん……よね? わたしのせいって、なんのこと……?)


 理解が追いつかないままに、椿もからだを起こす。


 彼はそのまま大股で迷いなく数歩進んだ。途中、床に置いていた椿のバッグを蹴り倒したのだが、まったく意に介さない。そして部屋のドアにぶつかるすんでのところで急に立ち止まり、そのまま動かなくなってしまった。


 ドアまでわずか十センチという距離までからだを近づけている。その位置も中途半端だった。ドアノブとは逆の、蝶番に近いところに佇んでおり、ドアを開けるつもりならば無理がある。


「離れると、みえないか」


 長い沈黙のあと、そうつぶやいたようだった。彼はくるりとからだを回転させ、ベッドのそばまで戻ってきた。準備運動をするときのように、右肩をぐるぐると回しながらいった。


「ああ、動きも格段に良い。きみとなら出られそうだ。一緒にきてくれるね」


 ほほえみ、ゆっくりと右手をさしだしてくる。そのしぐさはさきほどまでとは違い人間らしく自然で、みつめる瞳も、もううつろではなかった。意思を宿してまっすぐに椿をとらえている。


 反射的に、その手を取りそうになった。かすかな違和感はきっと寝起きだったから。部屋が薄暗いせい。ちょっとした勘違い。安直とわかっていても、理由をとりつけて安心してしまいたくなる。けれど頭の芯からはどうしても納得できない。


(保科さんは、こんな笑いかたを、しない)


「行こう」

「どこへ……?」

「どこ? ……さあ、どこかな」


 首をかたむけ、肩をすくめてみせる。他人事のようないいまわしのくせに、声には困惑がにじんでいて、こころの底からの疑問であるように聞こえる。椿はわけがわからなくなってしまった。


「あの、保科さん」


 今度はゆっくりと慎重に名前を呼んだ。わずかな希望にすがるように。


「まあ、あてのない夜の散歩だよ」

「保科さん……」

「聞いてもらえないかな。彼氏の頼みでも?」

「か……っ」


 ふたりの関係をあらわすには到底似つかわしくない単語におもわず椿が絶句していると、彼は、へえ、と短くもらして、意表を突かれたというふうに片眉をあげた。


「違うのか。一緒のベッドで眠るのに?」


 愉快そうな声色だった。


(こんな失礼なひと、絶対に保科さんじゃない)


 苛立ちとともに椿は確信した。


 窓からのほのかな灯りだけが頼りとはいえ、外見は保科そのものとみえた。だからこそ、自信にあふれた強い視線が、ストレートで有無を言わせない口調が、異質さを際立たせるのだった。


(けれど〈彼ら〉とも感じが違うような……)


 もし〈彼ら〉であれば、意識を集中させれば顔がぼんやりと判別しがたくなるはずだ。それがないのも、お互いを認識しスムーズに会話を成り立たせられるのも、これまでにないことだった。保科のからだを介しているのが原因なのだろうか。


(夜中の異変はなにかが部屋にあらわれるのではなく、保科さん自身が動くことで起きていたんだ。なにかに、からだを乗っ取られて……。〈彼ら〉がひとに干渉することはないとおもっていたけれど、それはあくまでわたしが知る限り。絶対にないともいえない……。それともまったく別の、みんながウワサするような心霊のたぐい? 死んだ人間の魂が悪霊となって憑依する……そんなことがほんとうにあるの?)


 懸命に考えたところで、一向に推測の域を出ないのが歯がゆかった。


 こんな時、保科ならどう行動するだろう、といつものクセで考えて、ふっと自嘲のため息がもれた。彼ならそもそも自分のことを、あやふやのままにはしておかない。


(保科さんがわたしの立場だったらきっと、すぐに自分の能力を把握しただろう。実験と観察を繰り返して、自分がなにをみているのか、なぜみえなくなったのか検証して。ああどうして、いままでなにも考えずにいられたんだろう。そんなことだから、肝心なときに役に立てない)


 ようやく這い出した暗い沼。振りかえり正体を確かめることもせずひたすらに逃げて、またおなじ沼に足をとられている。それをまざまざとおもい知らされて、無力感に全身をからめとられてゆくようだった。


 ふと、頬に彼の手のあたたかさを感じた。そのまま親指だけが動いて、目尻をなでる。濡れた感触で、自分が涙をにじませているのだと知った。

 ベッドが傾ぐのを感じ、はっとして顔をあげる。そのときにはもう間近まで彼の顔がせまっていた。


「えっ……、や、」


 顔をそむけ、後ずさって逃げようとした。それを無理に追ってはこなかった。すぐに壁に背がついてしまうのを知っていたのだった。

 ベッドに伸ばした椿の両足をはさみこむように膝立ちにまたいで、彼が静かに見下ろしている。沈黙のままおもむろに右手をあげ、人差し指を椿の喉元に押しあてた。


「なぜ、逃げるのかな」


 低く、肌を刺すような威圧感を帯びた暗い声だった。もちろん声の主は保科であって、保科ではない。しかしついさきほどまでの彼とおなじともおもえなかった。


(表情が読み取れない。焦点が……うまくあわない?)


 椿の胸に、かすかな危機感が芽吹く。


「彼氏じゃない、だっけ? ほんとうに?」

「どうして……信じてくれないの……」

「だってきみはおれが好きだろう?」


 自分でもまだうまく言語化できていない感情を、あっさりと断言されて、椿はかっと頭に血がのぼるのを感じた。反射的にことばが口を突いてでる。


「あなたじゃ、ない!」


 ぴくりと、ふれた指にちからがこもって喉が圧迫されるのを感じ、椿は息を飲んだ。それをみて、彼はすこし笑ったようだった。そう、とつぶやくと、その指を下へ向かって這わせていった。喉元から鎖骨のくぼみへゆっくりとたどる。そしてパジャマの第一ボタンに指がかかって――。


「きみがこんなに無防備でいられるのは、きっといつもの彼がやさしくて、誠実で、大切にしてくれるからだね」


 今度はおだやかな声だった。表情にも人間らしさが戻っているようにみえる。椿がほっと息をついた瞬間――口元に笑みを残したまま、はっきりとした口調でいった。


「でもそれは、おれじゃない」

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