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夜明けには知らないきみと  作者: つゆり
第1章 ひるなかの彼
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5 わたしにお任せください

「……部屋にいる霊を祓ってほしい、ということですか?」


 そうではありませんように、と願いながら椿はたずねた。保科は「うーん……」とつぶやいてから右手をあごに添え、考えこむように目を伏せた。


「昨夜、ベッドで異変が起こるのを待ちながら、ずっと考えていました。それで気づいたんです。カーテン、ローテーブル、本棚。これらは窓から部屋のドアまで一本の線でつなぐことができる。もしかしたらただやみくもに物が動いているのではなく、規則性のある現象……たとえば夜中になにかが部屋を移動した痕跡なんじゃないだろうか、と」


 椿は息を飲んだ。


「窓から入ったなにかが、部屋を通り抜けようと移動している……?」

「ええそうです。どういうわけか毎日すこしずつしか前進できないようですが。だけどそれが真実なら、もう放っておくつもりでした。だまっていてもいずれ玄関から出て行き、この現象はおさまるでしょうからね。だけどさっきコピーさんの話を聞いておもいだしたんです。例の彼女がおもいつめて深刻な状況になるまえ、ぼくは雑談のなかで彼女の表情にすこし引っかかるものを感じていました。それなのに軽く受け流してしまったことを後悔しています。いま井ノ瀬さんがぼくにしてくれているように、あのときぼくが真剣にとりあっていたらと……」


 保科はからだの向きを変え、正面から椿を見据えた。


「彼女に寄り添い、解決へと導いてみせたあの一件から、ぼくは井ノ瀬さんを尊敬しています。今日、コピーさんを祓ったのだと聞いて、自分がまたなにもせずにやり過ごそうとしていることに気づきました。サロンからついてきたのなら、また戻ってしまうのかもしれません。ぼくの部屋にとどまっているうちになにか手を打つべきでしょうか。今回の件、井ノ瀬さんだったらどう対処するか、ご意見をうかがわせてください」


 まっすぐ椿にそそがれる視線。オレンジ色のライトに照らされて日向色にきらめく瞳には、純粋な誠意だけが満ちている。

 それを確かめて、このまま見送っても大丈夫だろうと椿はすばやく結論づけた。不調は単に寝不足によるもののようだし、みえないひとがおもうほど〈彼ら〉の存在が人間に悪影響をおよぼすことはない。


 といっても、それは椿がいままでの実体験から得た持論であり、理論的な根拠があるわけではない。言葉だけで説明するのは骨の折れることだった。とりわけ彼は、不可思議な事態に直面してもパニックに陥るどころか、どんな状況でなにが起こるのかを検証するような人物だ。二年前の彼女のように、親身になって共感し、安心させるというやりかたでは納得してくれないだろう。


(……もう、白状してしまおう。わたしには相談に乗るくらいしかできないんだってこと)


 笑わないで、聞いてくれるんですね。泣きながらほほえんだ彼女をみて、はじめてほかのひとにはない特質なのだと知った。非現実的な相談を、疑いも、笑い飛ばしもせず真っ向から受けとめられること。


 そんな椿にとってはあたりまえのふるまいが、おもいがけず導きの極星となってくれた。椿との面談のあと彼女はみるみる回復していき、同時にこのエピソードは瞬く間にサロン内へ広まった。当然のように尾ひれをつけて、すっかり椿は霊を払った能力者に仕立てあげられてしまったが、悪い霊はもういないと皆に認知されるならと、誤解には目をつむることにした。


 みんなが楽しげに語るような、あやかしを調伏させる圧倒的パワーや秘術など、もちろん持ち合わせていない。それでもこだわらずに話をあわせて、盛り上げ役に徹するのが正解だろうと考えた。しかし予想外だったのは、軽い冗談としてでも期待される自分を演じるたびに、こころの底へ澱のようなわだかまりが蓄積してゆくことだった。


 自分がおもうよりもずっと、雑談と割り切って笑い飛ばすことのできない話題なのだとおもい知った。椿は幼いころ、なにかはわからない、ただはっきりそうとわかる〈ひとではないもの〉を、たしかにみることができたのだから。


(もうすぐ異動だし、潮時かもしれない。どのみち保科さんを相手に、自分を飾ることはできないもの)


 こころを決めると、いくぶんかきもちが軽くなった。しかしひきかえに、武勇伝とはうらはらの力不足で情けない自分をさらけださなくてはならない。勇気のいることだった。


「……じつは、祓ったというのは、便宜上そういうことにしておいた、というのが正しいんです。わたしにはコピーさんがほんとうにサロンにいるとはおもえません。けれど、いると信じているひとに、いないといっても反発されるでしょうから、いまはもういない、安心してだいじょうぶだといういいかたをしました。それが除霊をしたと受け止められてしまって……」

「ああ、そうでしたか。ふむ……いるとはおもえない、というのは、世の中にそういったものは存在しないという意味でしょうか」

「いいえ」


 椿はきっぱりといった。


「こどものころの話ですが、そういったものを日常的に目にしていました。ただ、危険な存在ではありません。……というより、互いに干渉できる関係ではないんです。だから今回、物が動くとお聞きして驚いています。もしかしたら、保科さんがみた人影はわたしの知らない別のなにかかも……。うーん……すみませんが、こればかりはその場所に立って向かったときの肌感覚でしか判断できないので……」


 だからこれ以上、お役に立てることはありません。そういって謝るつもりだった。しかし「そういうことなら」と保科が先に口を開いた。


「これから、井ノ瀬さんの目でぼくの部屋をみてもらえませんか」

「へっ」


(それは……保科さんのお部屋に、行くっていうこと……?)


 予想外の申し出に、すぐには意味がわからず椿はしばし沈黙した。それを戸惑いととったのか、彼は「あ、すみません。つい、ぶしつけなことを……」と撤回しようとしたのだが……。


(それは……保科さんのプライベートを知るチャンスっていうこと?)


「……いえっ、ぜひともわたしにお任せくださいっ」


 もちろん椿の好奇心は、それを全力で阻止したのだった。

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