その8 夢見の巫女の村 1
がんばれ習近平
二日ほどかけて夕刻前にたどり着いた先は、ぽつぽつとまばらに生えた針葉樹のもとに築かれた小さな集落だった。
まだ遠目からではあるが、かやぶき屋根の質素な木造家屋がいくつか散見できる。さびれた牧場にでもありそうな簡易的な木の柵が、集落を言い訳程度に囲んでいる。しかしこの魔界の辺境という立地で、たとえばシロクーマの襲撃などがあったとして、さすがに防備的な頼りになりそうな感じはしない。
「もうすぐですよ、ハムタロ」
「うへー」
ここに至るまで延々と徒歩での移動だったため、公太郎はそれはもうヘロヘロと足元もおぼつかなくなっている。日に12時間も歩かされては、現代の日本人がこうなるのは自明の理というものだ。肉体的にはある程度回復魔法でごまかしがきくが、いかんせん精神がきつい。
一方イリスといえば、そこに祖母が住んでいるとのことで、集落に近づくほど足取りも軽くなってきた。はっきりと口にしたわけではないが、隙あらば遅れ気味になる公太郎をチラチラっと振り返る様子や、全身から「はやくはやく」といわんばかりのオーラを発しているので、よほど祖母との再会が待ち遠しいのだろう。
そもそも尻尾が左右にぶんぶんしているため、イリスの心の浮かれようは推して知るべし、ではある。
そういった動物的な習性を考えると、獣人とは嘘がつけない人種なのだな、と公太郎は思った。
余談になるが、フェルズは獣人的特徴を備えていなかった。イリスによると、これは母親の違いからとのことだ。
「イリス様ー!!」
集落の正門が視界に入ってきたころ、そちら側から野太い声を上げて駆け寄ってくる男がいた。
手に石器の槍を持ち、麻のズボンを身に着けただけの毛むくじゃらな男が、仔細まではっきり見えるような距離までくると公太郎は思わず息をのんだ。
男は狼の頭をしている。狼男だった。
上半身を灰色の毛に包んだ筋骨隆々の狼男は、2メートル以上はあろうかという大柄な体躯で、すさまじい迫力ある。なにより口の中に隙間なく並んだぎざぎざの歯が怖い。
「おかえりなさいませ、イリス様」
狼男は、粗野な外見に似合わず、イリスの前できちっと膝をついた。
「ひさしぶりですね、グルガ。みんなは元気ですか?」
「はい。……いえ、ナムズのところに子が生まれたのですが、先日…。それからジズル爺とラジ婆も半年ほど前に」
「そう…ですか」
言葉を詰まらせたイリスにグルガと呼ばれた狼男は神妙な顔つきになった。
グルガはあえて「なにがあったか」は口にしなかったが、愉快なことではないことに間違いあるまい。
「イリス様、そちらのお連れの方が?」
「ええ、わたしのおてつだいをしていただくハムタロです。丁重にもてなすように」
公太郎はイリスの紹介に「よろしくおねがいしますー」と頭を下げた。イリスを人間に近い獣人と分類するなら、グルガは全く逆なので、初めての遭遇にわくわくしてくるのだがとてもそんな雰囲気ではない。
「ハムタロ様、遠路はるばるよくぞお越しくださいました。手前は村の防人のグルガと申します」
「はじめましてグルガさんー。『様』はいらないのでハムタロと呼んでくれー」
公太郎は握手のために右手を差し出した。この世界でも友好の証として、握手が用いられることがあるのは事前にイリスへ確認済みである。
「そういうわけにはまいりません」
「様」呼びの遠慮はきっぱりと断られたが、グルガは笑顔で握手に応じてくれた。やわらかな肉球があるのかと気になったが、握ってみると堅く分厚い大きな手だった。手の甲や指を覆う毛がかなりの固さでちくちくする。意外にも爪は短く丸く切りそろえられている。槍を手にしているし、道具を使うからだろう。
「さあ、参りましょう。村のみなもイリス様のお帰りを今か今かと待ちわびておりました。お荷物は手前がお持ちいたします」
「大丈夫です。それよりもグルガ、おまえは先に行っておばあさまを起こしてきてください。それから子供たちを中央広場まで集めるように」
「かしこまりました。しかしゼナ様でしたら、すでにお目覚めになられてますよ」
そういい残すと、グルガは疾風のように集落へ駆け出した。
「ゼナさまってのがイリスのおばあちゃんー?」
「そうです。『夢見』の恩寵のため、普段は日に20時間ほど眠ってるのですが、今日は珍しいですね」
「『ゆめみ』ー?」
「夢で未来予知ができるんです」
イリスはどこか誇らしそうに笑う。
「ハムタロ、わたしたちも行きましょう」
あとひとふんばりだ、と公太郎は足に気合いを入れた。
「「「「イリス様!!おかえりなさいませ!!」」」」
公太郎とイリスが村の正門をくぐると、老若男女問わず狼男たちから出迎えの声が上がった。
…女性とみられる人たちもいるので「狼人」と呼んだほうが適切だろうか。
などと公太郎が考えている間に、イリスが村人の歓迎の輪の中で手荒くもみくちゃにされている。
ともかく、ざっと見たところ全部で30人ほど。そのうち子供10人、老人が5人程度。狼人の顔しか見当たらないから、単一の種族で暮らす文化なのかもしれない。これはイリスに要確認だ。
地味だが、あとあと街づくりのトラブルに発展しかねないので気をつけねば。
「みんな、ただいま。苦労をかけましたね」
イリスが自分より背丈の低い子供を撫でながら微笑んだ。
「イリス様、この人だぁれ?」
その子供が不思議そうに公太郎を指さす。
「こちらは、わたしのおてつだいをしていただくハムタロです。みんな、ご挨拶を」
「「「「よろしくお願いします」」」」
イリスに促され、狼人たちが一斉に頭を下げた。
「ハムタロですー。よろしくお願いしますー」
公太郎と村人たちが挨拶を交わす間、イリスはひとりひとり確認するように見回していた。各人の健康状態や生活の様子を、彼女なりに推しはかってるのだろう。村人の身に着けた衣服や、集落の建物を見れば、王都に比べてかなり質素な暮らしであることは公太郎にも予想がつく。
そうしてイリスは村人を前に少々黙って考えていたが、おもむろに肩から下げていた魔法のカバンを開いた。
「積もる話もありますが、先におみやげを分けましょう。…グルガ」
「はっ」
先ほどのグルガという男が前に進み出る。
「帰る途中でシロクーマの肉が手に入りました。各家庭に人数で分けて配ってください」
「かしこまりました」
カバンからイリスが(公太郎たちが初日から全然食べきれなかった)シロクーマの肉を大量に取り出すと、村人が「おおっ」とどよめいた。
「それから、子供には別のものもありますよ。みんな一列に並んでください」
「「「「わあっ」」」」
歓声を上げて並ぶ子供たちに、イリスは道中でせっせと作ったアップルパイの紙包みをひとつずつ配っていく。
「うわぁっ、ありがとう、イリス様!食べてもいい?」
「今日はお肉があるから、それを食べた後にしましょうね」
「はーい」
子供たちはみな満面の笑みで、イリスからうけとったアップルパイを大事そうに抱えている。横で眺めていただけの公太郎も、その光景に知らず知らず頬が緩んでいた。
だが公太郎はイリスたちから一歩離れていたため、ひとりの少年が列に並ばず、どこかへ去ろうとしたことにいち早く気がついた。
「君はー、アップルパイがあまり好きではないのかいー?」
「え?」
思わず近づいて呼び止めた公太郎に、少年が意外そうに振り返る。
「いえ、そうではありません。ただ…」
「ただー?」
「うちはもう妹がいただいたので、僕まで…というのはみんなに不公平ですから」
「まじかー」
少年の年齢はイリスよりも2つくらい下だろうか。狼人なので実年齢は知りようもないが、小学生低学年相当に見える。そんな子供が当然のように遠慮をするこの村の現実に、公太郎は胸が痛くなった。
「ジルガお兄ちゃん!」と公太郎たちのもとへ、さらに一回り小さな女の子が包みを抱えて駆けてくる。少年の妹のようだ。
「ラファ、イリス様にちゃんとお礼をいったか?」
「うん!アップルパイ、あとで半分こしてたべようね」
兄妹の無邪気なやりとりに、たまらず公太郎はイリスを呼びかけた。しかし、公太郎がそうするまでもなく、すでにイリスは包みを手に近くまで来ていた。公太郎と目が合ったイリスは黙ってうなづくと、ジルガ少年にアップルパイを差し出した。
「ジルガ、おまえの分です。遠慮はいりません」
「で、でも…イリス様」
逡巡する少年に背後から「受け取っておけ」と大人の声がかかる。シロクーマの分配を終え、大股で近づいてくるグルガだった。
「イリス様が、一度差し出されたものを引っ込められるはずがなかろう。遠慮も時には失礼にあたるぞ」
「ですが…父さん…。こんな貴重なものを2つというのは…」
グルガはふっと笑うと、ジルガの頭をわしゃわしゃと力強くなでた。
「まったく。誰に似たのか、手前の息子は頑固で容量が悪いようです」
「ふふ。戦士グルガの血をしっかりと受け継いでるということです。頼もしいではありませんか。…さあ、ジルガ?」
だが、イリスが再度促しても、ジルガはいまいち踏ん切りがつかないという感じで手を伸ばせずにいる。この少年が行動を起こすには、心での納得が必要なようだ。
「イリスー、リンゴの種をひとつくれないかー」
「ハムタロ、ええ、わたしもお願いしようと思ってました」
公太郎はイリスから種を受け取ると、村の広場のちょうど真ん中あたりにまいた。
「ジルガくん、それから他の方々も、見ててくれー。俺とイリスがこれからどういうことをしたいのかをー」
深呼吸をして体内のマナの循環へ意識を向ける。みぞおちの下、丹田からのめぐりを指先に集め、魔法力へ変換。まいた種の上を覆うように手の平を添える。
「『風』『水』『土』『回復』順列起動ー」
二日の旅の合間をぬって練習したため、公太郎の魔法は初日よりスムーズな発動を見せた。
リンゴの芽が土から顔を出し、みるみる成長していく。
「「「「うおおおおお!?」」」」
驚き、目を丸くした村人たちの前で、リンゴの木は光沢のある赤い果実をたくさん実らせた。
「俺は魔法を使いこなせてるわけではないからー、まだこのくらいしかできないがー、イリスの民であるみんなの暮らしをよくできるよう努力するつもりだー」
一度会話を切り、木の幹をこつんと指で叩く。
「このリンゴはみんなで好きに分けてくれー」
公太郎はぽかんと木を眺めるジルガのもとへ向かうと、しゃがんで目線を合わせた。
「ジルガ君ー、見ての通り少なくともこれからリンゴに困ることはないー。我慢はしなくていいー」
「ハムタロ様…」
「そうですよ、ジルガ。おまえもたべてくれますね?」
「は…はい…」
公太郎の横に並んだイリスのアップルパイを、今度こそジルガは震える手で受け取る。
「ありがとうございます、イリス様。それからハムタロ様。…僕たちはこれから毎日、リンゴがたべられるんでしょうか」
「もちろんー!」
公太郎の力強い返答に、ぱっと顔を明るくしたジルガだったが、すぐさまなにかに気がついたように身を固くした。
見れば、周りをぐるりと村人たちが囲んでいる。中にはグルガの顔もあるようだ。
公太郎は彼らの目に浮かぶのが、歓喜や高揚などではなく、「疑惑」や「疑念」だと感じた。
「イリス様。失礼ですが、その人間は何者なのでしょうか?」
グルガがまず口火を切る。
「どういうことですか?」
不穏な気配を察して、イリスが村人たちを見回した。
「その…なんと申しますか、話がうますぎると思うのです」
「我々を暮らしをよくする、そんな義理がその者にあるとは思えないのですが」
「食糧問題としてリンゴは助かります。けれどあとからどんな要求をされるのか」
「魔族の、それも我らのような力のない者を無償で助ける裏があるのでは」
村に都たちは口々に不安や不信を並べ立て始める。
「そのようなことはありません!ハムタロは…」
「イリスー、俺から説明させてくれー」
公太郎は反論しかけたイリスの肩を叩くと、前に進み出た。
「はじめにー、俺はイリスに1万エンで雇われたので無償ではないことを断っておきたいー。みなさんのいう通り、無償の仕事ほど責任がなくて信用のできないものはないしなー」
「い、1万エンは大きな金だが、暮らしとかいう話には…」公太郎とたまたま目が合った若者がつぶやく。
「ごもっともー。正直にいうと、たしかに俺は俺の労働の対価として、みなさんに求めたいものがあるー」
公太郎の言葉でにわかに村人の顔がざわついた。
「端的にいうと『協力』ー。俺とイリスは3ヶ月で街をつくらければならないー。当然ふたりでは不可能だー。みなさんの『知恵』、『知識』、そして『人手』。それを貸してほしいー」
「さ、3ヶ月で街…?アンタはなにいってんだ…?」
「どうしてそうなったかの顛末はこうだー…」
それから公太郎は自分が異世界から来たこと、王都でのイリスとの出会い、魔王フェルズとの契約を順番に説明した。信頼を得るには、自分から情報や背景を開示しなければならない。
「異世界…ですか」
公太郎が口にした「異世界から来た」というフレーズは、村人たちが訝しむには十分すぎるうさんくささだった。
そりゃあ、初対面の男がそんなことを言い出せば、誰でもそうなると公太郎自身も思う。うかつだっただろうか?
とはいえ、いずれ明らかになることを隠しておくのは、のちの心象にかかわる。
「なにか証明する術があればいいんだがー。ともかく、俺自身としては街を…」
「なんてことだ!!」
公太郎の話が終わる前に、グルガがいきりたった。
「3か月で街がつくれなければ、イリス様が追放ですと!?なぜそのような約束を!!」
「あの時は仕方がなかったのです、グルガ。フェルズは苛烈な義兄。おまえも聞きおよんでるでしょう?そうせねば、今頃わたしは追放されてました」
「しかし!!不可能な約束であれば同じことです!!」
イリスがグルガをなだめている時、「あの」と小さな手が挙がった。息子のジルガである。
「今のお話で状況はわかったんですが、ハムタロ様が僕たちを助けてくださる理由?動機?みたいなのはまだのような気がするんですが…」
思わぬ方向からの助け舟に、公太郎は舌を巻いた。まさにそれをいわんとしてた時に話が途切れたのだ。
グルガの怒りが村人たちへ伝播し、この場が流れずに済んでよかった。
「さっきもいった通り、俺は異世界から来たー。聞いたところ、近々では帰れないようだー。かといって、行くアテも居場所もない。正直、困ってる。だからそれをつくりたいー」
「居場所…」
「新しい街ができたら、みなさんも俺と一緒に住んでもらえればうれしいー。どうせなら素敵な街にしよう。食べ物で困ったり、シロクーマに襲われたりしないようなー。もちろん、故郷に残りたいとなればそれでもかまわない。これが俺の本心だー。どうか力を貸してもらえないだろうかー」
ジルガは顎に手をやり考えていたが、ひとつ頷くと、まだ憤慨の熱が残るグルガのズボンのすそを引っ張った。
「父さん…僕はハムタロ様に協力してもいいと思う。居場所がないつらさって、きっとこの地に住む誰もがわかることじゃないかな?」
「ジルガ…?」
「僕たち狼人族だって、昔…もともとの故郷から追い立てられてここに来たってゼナ様から教えてもらったよ。そんな僕らが居場所のない人に冷たくしちゃいけないと思うんだ」
「ぬ…ぬう」
「それに街をつくるのは、僕らにとってもいいことだし、3ヶ月もまるっきり不可能じゃない気がする。他の魔族、たとえば西の山のドワーフとか鬼とか、彼らも僕らと同じような暮らしぶりだから、うまく協力をあおげば…」
今度こそ公太郎は瞠目した。この少年は子供のセンチメンタルな感情だけでなく、計算で計画の絵図を描きはじめている。
「イリスー、ジルガってなに者なのー?」
「ふふっ、ジルガは頭がいいですよね。王都で彼に本のお土産を買おうと思ってたんですが、どさくさでわたし…忘れちゃいました」
イリスは誇らしそうに笑うと、舌を出して自分の頭をこつんと軽くげんこつした。
「ハムタロ様」
ジルガとの話を終えたグルガが居住まいを正して膝をついた。
「先ほどは取り乱しました。いまだ未熟者でございます。手前の見苦しさをお許しください」
「とんでもないー。あんな突拍子もない話、無理もありません。むしろ魔王イリスへの忠節を感じましたー」
「もはや否などありません。イリス様をお守りするためにも、存分に我らをお使いください」
グルガが頭を下げると、他の村人たちもそれにならう。
「ありがとうー、助かるー。よろしくお願いしますー」
公太郎もグルガを真似、同じ体勢で礼を返した。
ジルガの口ぶりでは、単一種族で暮らす風習、宗教的な制約みたいなことを気にするのは杞憂だったようだ。
街づくりは、まだはじまってもないが、とりあえず足掛かりを得たといっていいだろう。
千里の道も一歩から。
具体的なビジョンや手ごたえをつかんだわけではないけど、なんとかしてみせよう。
ローマは一日にして成らずとも、三ヶ月なら成るかもしれない。
うーん。
やっぱ半年っていっときゃよかったかなー。
TIPS:女の子を出したいのに男ばっか出てくる