その6:義兄 1
習近平さえいれば、もう、なにもいらない
「ごちそうさまー」
「ごちそうさまでした」
日もとっぷり暮れ、満天の星空の下、公太郎とイリスは両手を合わせた。
焼きたてのパンとアップルパイ、あとは瓶詰の保存食を何点か。イリスが用意してくれた料理は想像していたよりずっとうまかった。
倒したシロクーマの肉はさすがにクセが強かったが、野外で豪快に焼いて塩コショウでかぶりつくってのもなかなかオツなものである。
食べきれない分は、小分けにしてイリスのカバンにしまっておいた。なんでも冷蔵庫のように保存がきくらしい。
「洗い物は俺がしとくから、イリスは先にお風呂に入ってくれー」
「はい。ありがとうございます」
時間経過でマナがそれなりに回復したため。先だって公太郎は簡易的なシンク、風呂、それからトイレをふたつ、土と水魔法を中心に造っておいた。風呂は湯船の下で薪を焚く、古き良きゴエモン風呂である。トイレもそうだが、間仕切りもしてあるのでプライバシーは野外にしては確保されてる方だろう。
「あの…、ハムタロ」
「どうしたー?」
イリスはなにか言いたげだったが、視線も合わさずもじもじしている。
「わたし、こんなとこでお風呂に入れると思ってなかったので、少し長めになってもいいでしょうか?できれば洗濯とかもしたくて…」
「好きなだけどうぞー?」
「…あと、その、このあとハムタロも入るんですよね…?」
公太郎は「うん」と言いかけて、すんでのとこで吞み込んだ。ああそうか、そりゃそうだ。そういう文化圏の日本ですら最近はそうでもないのに、外国どころか世界すら違うんだぞ。年頃の女の子にとって、自分の使ったお湯を、あとで他人が使うなんてありえない。
「いや、そのお風呂はイリス専用だよ。俺はまた別で造るからー」
「そ、そうですか!よかった、わたし、結構毛が抜ける方なので恥ずかしくて…。あ…石鹸持ってますからハムタロにもあげますね」
イリスはほっとした顔で、石鹸を出そうとカバンをあさり始めた。
どうやらイリスが気にしてたのは、抜け毛の方だったらしい。言われるまで考えもしなかったが、尻尾の毛ケアなんかも大変なのだろう。
しかしそれはそれとして、設営したテントにオーブンのある調理場、食卓セット、流しのシンク、風呂とトイレがふたつずつ、そしてリンゴの木。ずいぶん立派な拠点となってきたものだ。
「イリス、明日からここを中心に花を植えていくのかー?」
「いえ、まずは祖母の家に向かおうと思います。転移魔法はここから使えないので、歩きになりますが。2日ほどの距離ですね」
「ふーん?魔法も万能じゃないってことかー」
「ええ、地方を大雑把に移動する、くらいです」
オープンワールドゲームのファストトラベルとイメージすればよさそうだ。とはいえ、ピンポイント移動は無理でもずいぶん便利な魔法に違いない。機会があればイリスにお願いして、様々な場所へ連れて行ってもらいたいものだ。
その時、公太郎の視界の端を、ひときわ明るい流れ星がきらめいた。
流れ星は上空で鋭角の軌道を描き、急速にこちらへ向かってくる。
———流れ星ではない。魔法の光だ。
「転移魔法ッ!誰か来ます!」
イリスはカバンを投げ捨て、公太郎をかばうように前に躍り出た。
光のかたまりはドンッと衝撃と音を立て、公太郎たちの数メートル先に着地した。光のまばゆさと砂煙で正体が何者かは判然とせず、イリスは腰を落として、今にも戦闘態勢へ入らんばかりだ。
「誰に向かって殺気を放っている。愚妹め」
威厳を感じさせる低音の声で歩み出てきたのは、怜悧な美貌を備えた、二十代くらいの男だった。くせ毛気味の黒髪を腰まで垂らし、金の刺繍のほどこされた濃紺のロングコートを纏っている。
「フェ…フェルズお義兄さ…!?お、お久しぶりです!!」
イリスはあわてて警戒態勢を解くと、片膝を地面につけて頭を垂れた。
「フェフェルズオニーサ…?イリスの知ってる人ー?」(小声)
「義兄ですっ義兄ーっ!!魔王っ!!魔王ーーっっ!!」(小声)
イリスは手を小さくパタパタして、公太郎にも自分と同じ体勢をとれと要求した。
「…何をしている」
魔王フェルズは切れ長の目で、その真紅の瞳でイリスを不機嫌そうに睥睨した。突っ立ったままの公太郎は視界にすら入っていないようだ。
「曲がりなりにも私と同じ『魔王』たる身で、軽々に膝をつくな。見苦しい」
「は、はい。申し訳ありません…」
イリスはフェルズの言葉にビクッと震え、すぐに立ち上がった。
「…『魔王』ー?イリスがー?」(小声)
「あとでっ、あとで説明しますからっ」(小声)
空気を読んで声を潜めた公太郎に、イリスの方は「今はいいから黙ってて」のオーラを醸し出し取り付く島もない。嵐が過ぎ去るのを洞穴でじっと待つ小動物のようだ。
「お義兄さま…、突然なぜこのような場所に?ご用があれば、わたしのほうから出向きま…」
「おまえが父上から…大魔王様から、この地の魔王に任じられてどれくらいか」
「いっ、一年半くらいになります」
フェルズは妹の問いかけに答えるつもりなど毛頭ないらしく、左右に首を回し、あたりを眺めている。
「私の見たところ、おまえの領地はその間、微塵も豊かになっていないな。なにをしていた?」
「…た、た、旅を、していましたっ。ひ、人の王都へ」
「旅…?」
公太郎はフェルズの立つ空間が、陽炎のように揺らめくのを見た。空気中に充満した魔素がフェルズへ向けて集まっていく。さっきイリスが恩寵を発動した際と同じく、なにかが起きる前兆だ。
おそらくは不穏ななにかが。
「…おまえは、自分の領地を放り出し、旅にうつつを抜かして遊び惚けていたのか」
「ちっ違います!お告げがあったのです!おばあさまの『夢見』で!王都へ向かえ、と」
「愚妹がっ!!!!!!!!」
フェルズから放たれた怒気が、公太郎を無意識に一歩後退させた。公太郎の前に立っていたイリスに至っては、全身でまともに浴び、卒倒しそうだった。倒れなかったのは背中を公太郎の手が支えたからで、そうしなければイリスはそのままうしろに転がっていたかもしれない。
「馬鹿かおまえは!?魔王たる者、領地を第一に考えねばならぬ。フン、では、おまえはこの地に生きる民たちにこう言うのか?『お告げがあったので一年半留守にする。どうかその間、今と同じ貧しさに耐えてくれ』と!!」
「そ、それは…。ですが、わたしはおばあさまの『夢見』を無視するわけには…」
「愚かな。私とてあの方の『夢見』を無碍にできぬ。だがそうであっても、おまえには魔法があろう。私が手ずから仕込んだ転移の魔法が。都度、戻ってこれたはず。一年半も政務を、停滞させる理由にはならん!!」
「わたしも、一刻も早く戻ろうと考えてました!ですから昼夜問わず、歩いたんです。少しでも王都へ…」
ギルドの受付の男が言っていた『魔界から王都まで大人の足で1年の距離』を、イリスがどう移動したのか地味に気にはなっていた。が、解けた。
イリスは歩いていた。普通に、単純に。ただ、根性で。
「…言い訳ばかりだな。だがどれほど弁明を重ねようとも、なにも変わってないという結果がすべてだ」
「うっ!!」
憮然としたフェルズの容赦ない言葉に、イリスは黙るしかなかった。
「先ほど、『私がなんのためにここに来たか』と訊いたな?私は、愚妹よ、おまえからこの地を取り上げに来たのだ」
「ま、待ってください!!お義兄さまっ!!」
「気安いぞ。おまえの母、あの下賤な淫売、淫魔の娘に義兄などと呼ばれては虫唾が走る」
「そん…な」
「さあ、今すぐ大魔王様の元へ向かい、自ら『魔王』を返上せよ。安心しろ、せめてもの情けだ。我が領地に住む家くらいは用意してやる。己が分をわきまえ、そこで静かに暮らすがいい。それとも…」
フェルズの纏う魔素が激しい炎と化し、巨大な不死鳥をかたどっていく。
「否を応とするため、『魔王』らしく私と一戦交えるか!!」
空気の焦げるにおいがする。熱い。フェルズの放つ「圧」に熱が混じり、じりじりと肌が焼けるようだ。…だというのに、イリスはガチガチと歯の根も合わず、涙目で足を震わせている。
「あのー」
片手を上げた公太郎の呼びかけで、フェルズがはじめてこちらを向いた。
「家族間のもめ事なら口をはさむのもなーと思ってたんですが、よろしいでしょうかー?」
「…なんだ貴様は。人間?愚妹の従者か?…であれば、従者ごときが出る幕ではない。黙って控えていよ」
「従者ー?俺は従者ではないがー。…んん?、雇用契約を結んだから従者なのか?そう言えなくもないような…どうなんだ?」
「愚昧!!おまえの従者ならば、下がらせよ。不敬であろう!!」
要領を得ない公太郎にフェルズはいらだち、イリスへ有無を言わせない強さで命じた。
「ハ、ハムタロッ!あなたはテントの中で待ってて!!」
公太郎のいきなりな闖入に混乱したのか、イリスは言われるままを口にした。…が、公太郎はそれを無視すると、真っ青になったイリスの前へ回り込み、両肩に手を置いて膝をつき、互いの視線を合わした。
「そうはいきませんー、『魔王』さま」
「ハ…ハムタロ…?」
「僭越ながらー、先ほどより私が横でうかがっておりますところ、どうやら、おふたりの間になにやら誤解がある様子。ここはひとつ、私めにお任せいただけませんでしょうかー?」
「な、なにを言って…」
「そうですか!!ありがとうございます!!では、我が『魔王』は、あちらの椅子にでもおかけになってお待ちくださいー!!」
公太郎はひときわ大きな声で宣言すると、フェルズから確認できない角度でイリスに片目をつぶって見せ、すっくと立ち上がった。物事はこれくらい強引に進めたほうがいい時もある。特に、今のような場合は。
「失礼いたしましたー、『魔王』フェルズさま」
公太郎はフェルズに向き直ると、恭しく一礼してみせた。
「お初にお目にかかりますー。私、先般『魔王』イリスさまの従者となりました、ハムタロウと申しますー」
「従者ごときが出る幕ではない、と言ったはずだ」
フェルズから放たれる圧迫感が、今度は100%すべて公太郎へ向けられる。
────熱い。まじで熱い。だが、背中を流れる汗は熱さゆえなのか、それとも…?
モードを切り替える必要がある。心のモードを。サラリーマンで身に着けた、パワハラ上司や理不尽クレーマーに対応する自分を演出する。頭をクリアに、慎重に。
「申し訳ございません。我が君は今、どうにも体調がすぐれないご様子。どうか私に、代わって弁明の機会を与えてはいただけないでしょうかー」
「弁明、だと?愚かな。今日、従者となったばかりの貴様が何を弁明する?この私が戯言を訊くように見えるのであれば、その両目、灰にしてくれよう」
フェルズが右手を掲げると、その手に炎の不死鳥が舞い降りた。「ケエエエエエエエッ!」と不死鳥が威嚇の雄たけびを上げる。
義兄の明らかな攻撃の兆候に、イリスは間に割って入り、身を挺して防御しようとした。
が、その直前、公太郎はイリスに「動くな」と手で制止をかけた。
「いいえ、フェルズさまは私の戯言をお訊きになりますー」
「…ほう?」
公太郎の堂々とした受け答えに、フェルズの口角がわずかに上がった。
────よし。まずはフェルズの興味を惹けたようだ。けど、まだ最低ラインでスタートライン。ここからはアドリブだ。
フェルズの口にした「今日、従者になったばかりの」というフレーズは気になるが、まずはこの場を切り抜けなくては。
おそらく、これから俺の述べる「戯言」はフェルズに通用しない。彼を怒らせるだろう。
そしてその後、一戦交えることになるはずだ。
だが、フェルズの魔法が『炎』で助かった。炎なら勝ち筋がある。……かも。………たぶん。
いや、絶対に勝つ!!
イリスの勇者として────
TIPS:炎魔法を使う人はアニメでもよく出てくるが、彼らは自分の魔法が熱くないのだろうか。
なお、この世界では、自分の魔法は自分が触れてる部分は熱くない。ただし、魔法の火を松明へ移したりした場合、その松明の火は自分由来でも熱い。