地下城塞 2
一昨年の年末、ふとテレビを見ると119番の救急連絡を受ける指令センターの再現ドラマだかドキュメンタリーだかがやっていた。
ドラマといってもかかってくる電話は実際のものを加工してあるため、臨場感やリアリティーさがひしひしと伝わってくる。
ひとつかふたつのエピソードしか見てないのであれなのだが、今でも覚えているのは若いお母さんからの救急電話だ。
お母さんは最初、落ち着いた様子で「こんなことで電話していいのかわからないんですが…」と話し出した。
「仕事が終わって保育園に子供を迎えに行ったら、子供が寝かされていたんです。保育士さんに話を聞くと、どうやら滑り台から落ちたみたいで。でも、家に連れて帰ってからも子供は真っ赤な顔でうんうんうなってて…熱も上がってきちゃって…」
お母さんの言葉はだんだん震え、最後は涙声で消え入るようだった。
その時、電話を受けた救急隊員の人はこう言う。
「お母さん、大丈夫ですからね。今、救急車、向かってますからね。お母さん、泣かなくていいですからね!」
なんて力強い言葉だろうと思った。どれほどお母さんが力づけられ、勇気づけられ、救われたことだろうか。
この若いお母さんにとって、「ヒーロー」とは、 大谷翔平でも、推しのアイドルでも、習近平でもなく、名前も知らない、この人たちなんだ。
そう思うと胸がカーッと熱くなった。
伊藤公太郎、ハムタロも、彼らのような、有名でなくとも誰かのヒーローであってほしい。
「これを羽織っていきましょう。虫よけの魔法がかかってます」
魔法鞄を開いてイリスが取り出したのは、麻でこしらえらえた飾り気のない3人分のローブだった。
「北斗の拳みたいだなー」
受け取ったローブは頭からすっぽりかぶってみると、なるほど、脛あたりまで隠れる本格的なものだ。それが荒廃した世紀末を彷徨うケンシロウのようで、公太郎がしょうもないことを口にした。
「ラピル、お前はまず、その恰好を何とかしなさい。鞄に旅用の服を入っているから、近くで着替えておいで」
イリスが指摘したのはさもありなん、ラピルのメイド姿である。これから蟲だらけの洞窟へ…というには、あまりにもそぐわないビジュアルなのだ。
「…かしこまりました。それでは、失礼いたします」
────あれ?
意外なほどの即断即決に、横で聞いていた公太郎の方が驚いた。もっとこう…メイド服は自分のアイデンティティーですからとか、そういう面倒なやり取りがあると想像していたのに。
さらに加えて、ラピルは鞄から着替えを手にすると、躊躇なくその場で脱衣しはじめた。
「わっ…ちょっ、ちょっとまってくれー、光魔法LV1-!!」
若い女性が間近で堂々と服を脱ぎだしたら、焦らずにいられる男がいるだろうか。公太郎はあわてて魔法を発動し、可視光線を遮る即席の空間を形成した。
「簡易の衣裳部屋を作ったー。そこで着替えてくれー」
「まぁっ」
意外そうにラピルが微笑む。言外に「そんな気遣いができるとは」と見直した顔だが、さすがにそれはもうちょっと自分に期待しといてほしいと公太郎は複雑になった。そりゃあ、ラピルのようなシゴデキウーマンに比べれば、出世と縁のないとっぽい男だけど。
「ハムタロ様はお優しいのですね。ありがとうございます」
ラピルは頭を下げると、服を手に空間へと入り、見えなくなった。パサッパサッという衣服の擦れる音までは消せないが、仕切りのない所で着替えるよりはだいぶましというものだ。
「…しかし、ラピルさんは別に、メイド服にこだわりがあるってわけでもないんだなー」
待ってる間、手持無沙汰もあって無意識に公太郎がごちると、イリスが「いいえ」と首を振った。
「ラピルはあの姿に誇りを持ってますよ。でも、ここではそうも言ってられません。メイドのスカートには幅広にするバネが入ってますから、その上にローブを羽織ってもはみ出してしまいます。そこから蟲が侵入してきますから。それをラピルもわかってるのでしょう」
「な…なるほどー。そりゃあ、選択の余地はないなー…」
凶悪で気色悪い蟲を前にすれば、背に腹は変えられないということだ。ただ、気になることはある。
「イリスの話を聞くとー、正直なところ、このローブだけじゃ心もとない気がするなー」
「そうですね、ハムタロのいう通りです。だからもう一つの手立ても同時にしましょう」
「もう一つー?」
イリスが鞄を探り、こん棒のような木の棒を取り出した。先端に布がグルグルと巻かれ、微かに油が染みている。
「松明かー」
「あれらの蟲は光と熱を嫌いますから。これで追い払いながら進みます。ハムタロ、火をお願いしても?」
「もちろんだー。火魔法LV1ー]
公太郎が指先に作った火球を近づけると、たちまち松明に着火し、炎がメラメラと燃え上がった。
「おおー、これはなんというか、頼もしいー…」
公太郎が息を呑む。フェルズの火炎魔法で嫌というほど火は見たが、黒い煙を上げる松明の炎というのも、なかなかどうしてかなりの迫力だ。
「どれくらい効果があるか、ちょっと試してみましょう」
「そうだなー…でも、気をつけたほうがいいぞ、イリスー」
同意しつつも公太郎は身構えた。以前、ネットかテレビで似たようなシチュエーションの動画を見た記憶がある。マンホールに市販の殺虫剤を注入するとかなんとかだったはずだ。どうしてそんなことを始めたかまでは覚えていないが、結果、逃げ場を求めた大量のGが湧き出てきて、参加者らもパニックに…というオチだけは印象的だった。
そんな公太郎の憂慮とは裏腹に、イリスはためらいなく手にした松明を、空洞の入口へ近づけていく。
「火魔法LV1。並列起動」
公太郎はひそかに指先へ複数の火球を作り出した。もしも動画と同じ結末になった場合、即座に蟲を焼き払い、イリスを守らなくては。
だが。
ボンッ!!ボボボンッボボボボボボボ!!!!
「わっ!!」
「うおーっ!?」
迸った炎の勢いに、イリスと公太郎はびっくりした。松明の炎が空洞の縁を舐めた瞬間、油溜まりにでも着火したかのように燃え広がったのだ。あっという間に壁面全体は炎に包まれ、火が内部へと侵攻していく。
その速度の前では、蟲が這い出る隙などあろうはずもない。天井などに潜んでいたムカデやミミズが丸焼けとなってぼとぼとと落下し、次々に小さな炭と化した。
「あのねばねばのぬめぬめは、可燃性だったのかー」
公太郎は先ほど自分の指についた、正体不明の粘液を思い出して青くなった。周囲には焼けた蟲の…たんぱく質の焦げる嫌な臭いが立ち込めている。あの時、粘液をぬぐわず火魔法なんぞを発動していたら、今ごろ公太郎の指も大やけどを負っていたに違いない。
「わっ、わっ、ハムタロ、どうしましょう!!か、火事になっちゃいましたっ!!」
イリスが泣きそうな顔で振り返ったので、しかし公太郎はいくらか冷静さを取り戻すことができた。
「大丈夫だよ、イリスー。かえって都合がいいー。このまましばらく蟲には燃えてもらおうー」
「でも…、中のドワーフさんのお住まいまで火が行っちゃったら…」
「…なるほど、火事かー」
燃え盛る火を不安そうに見つめながらイリスがうなずく。
イリスの言うこともたしかに一理ある。しかし、それはまず心配なかろうと公太郎は考えていた。理由は単純に、この不快感の激しい蟲のいる区間と居住区が隣接してるはずがないと予想できるからだ。日常生活の空間に、こんな蟲が頻繁に出没したら嫌すぎる。
────最悪、火勢が本当に居住区まで達するようなら、水魔法で消火するし。
「ご安心ください、イリス様」
公太郎が水魔法を起動しようとすると、着替えの済んだラピルが出てきた。
「わたくしの計算したところ、火は入口より20メートルのところで止まっております。その先の大きな空間へまでは、影響が及ばないでしょう」
メガネをくいっとしたラピルは折り目正しいメイド姿から一転、長袖のシャツに革製のベスト、パンツルックにブーツの吟遊詩人のようなラフなスタイルだ。
とはいえ、その上から虫よけのローブを羽織っているものの、頭にはメイド用のヘッドドレスが着けたままとなっている。あくまでもメイドの本分は忘れまいという彼女の意思の表れだろうか。
「しかし、先ほどにも増してひどい臭いでございますね。わたくしとしましては、やはりイリス様をこのような場所へお連れするのは賛成いたしかねます…」
「もがっ!!や、やめなさい、ラピル!わたしは気にしませんから!!」
ラピルが再びハンカチを取り出し、イリスの鼻と口をふさいだので、イリスが苦しげにじたばたした。
「まあ…それは俺が魔法でどうにかするさー」
ただでさえ気分の悪くなるような臭気に、蟲の焼ける臭いが混じってかなりきつい。公太郎は風魔法で空気のドームを3人を覆うように構築した。
「これでいくらかマシにはなるだろうー。さあ、消火しながら行こうー」
念のためローブを頭までかぶりなおしてから、公太郎は洞窟へと進みだした。
穴の天井は普通に立てば公太郎の頭がぶつかるほどに低い。まして煙が充満し、視界が効かない中を手探りで進むのは、たった20メートルといえどかなりの重労働だった。
「光だー…明るくなってるー…?」
それでも道のりの半分も過ぎた頃には、進む先に明かりが見え、公太郎たちは誘引されるようにそちらへと向かっていく。
やっとの思いで開けた空間に出ると、地下へ続く下り階段が現れた。幅は人が3人か4人は楽に並べるくらいか。石畳で舗装され、明らかな人工物だ。
「空振りではないようです。おそらくはドワーフが、そうでなくとも何者かがおりますね」
ラピルの意見に公太郎もうなずく。
────深いな。
先を覗きこむと相当な深さまで、階段が愚直なほど真っすぐに続いている。幸い急な角度ではないものの、目算でビルの10階分くらい下ることになりそうだ。その先に踊り場があるが、上から覗いていると深さに酔うというか、下腹部にむずがゆさを覚えるというか、ともすれば転がり落ちそうな感覚になる。そして、そんな遠い底までが、はっきり見えるほどに、明るい。
壁と天井には燭台がいくつも等間隔でかけられており、煌々としている。が、光は火に由来するものではない。蝋燭の代わりに、なにか光る鉱石でも備え付けられているようだ。発光の仕方が光魔法のそれによく似ている。もっと具体的に言うなら、繁華街のネオンのような、明るいが無機質で、熱を感じない種類の灯だ。
「進みましょう」
きちっと頭までフードをかぶったイリスに促され、公太郎たちは階段を下り始めた。松明を手にしたイリスが自然と先頭となっていく。次に戦闘はからっきしのラピル、殿がラピルよりはいくらかマシ…という程度の公太郎の順である。3人とも別に音を立ててるつもりはないが、ブーツによるコツンコツンという足音が洞窟内で妙に反響して不気味だ。
「静か、でございますね」
少し先を行くラピルも同じ気持ちだったのだろう、公太郎の方をやや緊張した面持ちでチラリと振り返る。
「そうだなー、人の気配がしないー」
バイオハザード2でゾンビを処理し終わった後のラクーンシティーのビジュアルが公太郎の頭によぎった。ゾンビは自分の手で倒したんだし、敵などいないとわかっていてても静けさだけで怖い。
「念のため、松明に注意してください」
ふとイリスが立ち止まり、松明の火を指した。
「万一、火の色が変わったり、消えたら、危険のサインです。いったん戻りましょう」
「有毒なガスが出てるかもってことかー」
「その通りです」
旅慣れたイリスの提案に異論などあろうはずもない。公太郎とラピルは黙ってうなずいた。「念のため」としつつも、イリスもまた背筋を撫でるような静寂が気になるようだ。考えたくはないが、あるいは事故かなにかで有毒ガスが発生し、地下に住むドワーフたちが全滅している…なんてこともなくはない。
「今のところ、わたしの考えすぎでしょうけど」
イリスは探知機のように松明を前方にかざしながら下りを再開した。
正直なところを言えば、風魔法で体を包んでいるから、たとえ毒ガスが充満しててもすぐにどうこうなるわけではない。…とはいえ、警戒するに越したことはないし、それを指摘するのも野暮ってもんだろう。
だが、結果からいうと全て杞憂であった。慎重に、たっぷりと時間をかけたが何事もなく、3人は階段の先の踊り場に着いた。
「扉………というより、これは…門…かー?」
地下の底で目前に現れたのは頑丈そうな鉄の扉だった。大きさは王都の王城にあった城門と比べるものではないが、扉というにはやや仰々しい。見上げると天井に重厚な鉄格子が隠されており、危急に際してはそれが降ろされると予想できる。
門の上部には放射状に格子のかかった半円形の見張り窓があり、通気口も兼ねているようだ。そこから公太郎たちの風魔法のコーティングを貫通するほどひどい臭いが流れてくる。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」
早速イリスが備え付けのドアノッカーを叩きながら呼びかけてみたものの、中からの反応はない。
「すみませんっ!!あっ…!?」
無反応に焦れてイリスも何度目かのノックに予想外の力が入ったのだろう、扉が内側へわずかに開いた。
「まぁ…鍵はかかってないようですね。中におられるのは、少々不用心な方のようです」
ラピルがあきれたように肩をすくめる。
「開いてるなら入ってみようー。呼びかけて返事がないんだー、怒られはしないさー」
公太郎は鉄扉を押し開こうと手をついて力を込めてみた。扉は見た目通りに、かなり分厚く、重たい。長い間開閉されていないのか、ヒンジのきしむ音もする。
「わたしも押しましょう」
「わたくしも」
見かねたイリスとラピルの手を借りて、扉はようやく人がひとり通れるくらいに開いた。
「これはー…」
中へとなんとか体を滑り込ませた公太郎が絶句する。続いたイリスとラピルも言葉を失った。
扉の先の光景が、それはもう…美しかったからだ。
地底に至る階段を下りながら公太郎が想像していたのは、例えるなら、かつて迫害されたキリシタンが住んでいたというカタコンベのような、薄暗い地下に掘られた狭い穴の連なる単純な構造物の世界だった。
だが今、目の前に広がるのは、地上付近までくりぬかれた大空洞の中に拓かれた、見事な街並みである。
限られた空間を有効に利用するために、中央へ向けてすり鉢状に並ぶ小洒落た家々。石で舗装された街路。壁面からドーッと音を立てて勢いよく流れる地下水脈の滝と川。
特に印象的なのは、石造りの太い柱がおそらくは地上付近まで伸びており、アーチを構えて天井を支えているところだろう。柱は大人が10人くらい手をつないで囲めるほどの円周があるのだが、そのひとつひとつに立派な竜の意匠が彫られている。
だが反面、公太郎には、この街並みが遺跡のように見えた。
かつて植え込みであっただろう場所は言わずもがな、街路のそこかしこから草が伸び放題になっている。家々は痛み、屋根は欠け、壁は所々が剥がれ落ちている。柱にもツタ植物がびっしりだ。
────ラピュタかよ。
公太郎は大好きな映画のタイトルを思い出したが、すぐに自分で否定した。ラピュタがこんなに臭かろうはずがない。
この街の空気は澱んでおり、濁っており、腐っており、獣臭く、酒臭い。空気に煩悩が混じってる感じがする。遺跡や廃墟が持つ、ある意味での独特な神聖さ、透明な雰囲気がないのだ。
逆に言えば、この街にはまだ何かが棲んでいる。そんな確信めいたものがある。
「ハムタロッ!!」
イリスが鋭く注意を促しながら、前に出た。
「ああー」
それを見て、すぐさま公太郎も非戦闘員のラピルを背にかばうような位置へ移動する。不測の事態が予想された際、こういう配置にしようと事前に決めておいたのだ。
右手の狭い街路の奥をイリスが油断なく警戒している。
その視線の先で、何かが蠢いた。
TIPS:空洞の壁についてたねばねばは、害虫を誘引するためにドワーフが塗ったもの。これを突破する方法は単純に火をつけて燃やすことであり、イリスは図らずも正しい対処法を実行したのであった。




