ドワーフに会いに行く前に
ゆうて いみや おうきむ
こうほ りいゆ うじとり
やまあ きらし ゆうきん
ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ
ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ ぺい
「できたぞ、ハムタロ!!」
公太郎たちが金貨の山を魔法鞄にしまい終えた頃、玄関の扉をグリが勢いよく開いた。合わせるようにに吹き込んだ風に乗って、果実由来の酸味の強い香りが屋内へと運ばれてくる。
「うおー、すっごいブドウの匂いがするなー」
公太郎の感想通り、見ればグリの裸足の足からタマゴの下半分くらいまで、赤紫の液体でぐちゃぐちゃになっていた。
「グリちゃん、先に足を洗おうか。そのまま入ったら、家がべたべたになってしまうわ」
姿は見えないが、外の井戸のあたりからグリを呼ぶリュナの声が聞こえる。
「うむ、わかっている。だが…ハムタロ、お湯を出してくれ。井戸の水はちょっと冷たい」
「ああ、いいよー」
公太郎は軽く要望に応じると、グリを伴って外へ出た。地面には、なるほど…無数の赤い足跡が広がっている。
「このあたりも魔法で流してもらえると楽なのだけど、お願いできるかしら?」
言いながら、ブドウのたくさん入った籠を抱えたリュナが玄関のところまでやってきて、軒先に籠を降ろした。彼女もまた、素足で脛のあたりまで赤紫に染まっている。
「もちろんー。リュナも、お疲れ様ー。お湯を出すから、先に井戸のところで足を洗おうー」
「うん、ありがとう。…でもハムタロ、アンタほんとにアレを飲むの?」
リュナがやや複雑そうな顔で、庭先に置かれた大きな木製の桶を指さした。桶には濃厚な赤紫というか、赤黒い液体がなみなみとしており、芳醇すぎるほどの香りを放っている。
「もちろんー。どんな感じになってるか楽しみだなー」
「…アンタがいいなら、別に…いいけど…。アタシはちょっと…複雑かも。アンタに足で踏んだのを飲ませるとか」
「はは…俺の世界では、由緒正しき作り方らしいんだけどなー」
リュナからの評判の微妙さに公太郎は苦笑いした。
樽の中身はブドウの果実を踏み潰したものだ。言わずもがな、これで酒を造る。そのために公太郎がイリスの種より育て、収穫し、リュナとグリにお願いして踏んでもらったのだ。
詳しい方法までは知らないが、これを醸成すれば酒ができあがる…はず。もっとも、ゆったりと待ってる時間はないので、魔法で加速するつもりだが。
────ドワーフっていえば、やっぱ酒が定番だよなー。
公太郎は顎を撫でつけながらふと、村の戦士グルガの息子で、物知りのジルガの顔を思い出した。以前に一晩泊めてもらった際、彼とはいろいろ話をしたのだ。
そういえばその時から、ジルガはドワーフの協力を得るべきだと主張していた記憶がある。ドワーフの力強さや、頑健な体躯、モノづくりの職人気質は、必ず助けになってくれるだろう、と。無論、ジルガの意見に公太郎も異論はない。
そしてこれが重要なのだが、ジルガによれば、ドワーフ=大の酒好きという認識は、この世界でも通用するらしい。
ならばこの鉄板で、ド安定かつ、安牌な手段を取らない理由はないだろう。酒を手土産に、ドワーフたちとお近づきになるきっかけとする。
だって…ほら、やれることはやっとかないと不安だし。ゼナの夢見がアレだったから…
「わぁっ、すごい。いいなぁ…」
リュナとグリの足を魔法のお湯で洗い終え、二人が身支度を整えに屋内へと戻ったのと入れ替えで、イリスが玄関から顔を出した。瞳はきらきらと輝いており、興味津々といった風である。
「食べたいなら食べてもいいぞー。ブドウならまだ余って…」
公太郎は籠からブドウのひと房を取ろうとしたが、イリスの視線が籠ではなく、果汁の入った桶に向けられているのに気がついた。
食いしんぼうのイリスのことだ。それならば、できあがったブドウのジュースが飲みたいのかな?と頭によぎったが、見た感じではどうもそうでもないらしい。
────ああ、そういうことか。
一拍置いて、公太郎は合点がいった。声のトーンから察するに、イリスの「いいなぁ」は「楽しそう」の意味であり、「自分もやってみたい」ということのようだ。
「イリスもやってみればいいじゃないかー」
ならば…と軽い気持ちで、公太郎は近くにあった別の空の桶を拾って差しだす。
「…いえ、わたしは…しっぽの毛が抜けやすいので…。桶に入っちゃうからやめておきます…」
しかしイリスは公太郎を見ると、おずおずと首を横に振ってしまった。
「そんなの問題ないさー。どうせ後で漉すんだからー。それに、自分で作ったものって、飲んだらきっと一層うまいぞー?」
あえて言及するが、イリスが口にするならもちろん、醸成する前のブドウジュースでノンアルコールのものだ。
「で、でも…ハムタロが飲むんですよね?」
「そりゃあ、出来具合が気になるし、飲むけどー?」
公太郎が目をやるとイリスは恥ずかしそうにうつむいてしまった。だが彼女の言葉に反して、尻尾はぱたぱたとせわしく左右に触れている。やりたいけどやりたくない、そんな本心が隠しきれていない。
────そういえば、たしか…お風呂の時も、こんなんだったな。
公太郎は斜め上を見やりながら、この世界に来た初日の記憶を探りだした。湯船をつくった後の話だ。イリスはどうにも自分の抜け毛の多さがコンプレックスなのか、気になって仕方がないらしい。
────どうしたもんかな。
個人的にはやってみたいという気持ちが1ミリでもあるなら、やればいいと思うのだけど、それをそのまま口にするのは無神経だということくらい、さすがにわかる。
抜け毛のことは抜きにしても、リュナの反応からおおよそ連想すると、この世界の女の子にとって自分の踏んだものが人の口に入るのは、なかなか抵抗があるようだ。
────いや、まあ…地球でだって現代なら、それは同じなのかもしれないけど。
だがその一方、やったことのない作業に対する好奇心は強いようで、ふたつの気持ちがせめぎあってるのが今のイリスなのだ。
だからそのあたりを汲んで、うまいこと解決へ導く物言いができればいいのだが、悲しいかな…そんな器用なマネが公太郎にできるはずもないのである。
「こういうのは 経験だよ」
その時、困ってしまった公太郎の様子を見かねたゼナが、麻の紐を手にやってきた。
「やって みるといい。尻尾は ボクが くくって あげるから」
「おばあさま…」
ゼナはイリスの返答を待つことなく、彼女の後ろにしゃがみ込むと、手際よく尻尾をたばねていく。
「これは、ゼナさん…すごいぞー」
毛が抜けないように結ぶ、文字にすればたったそれだけの作業に、思わず公太郎は唸った。
ゼナは眠りについてることが多いため、物静かでゆっくり、おっとりとした印象がある。しかしゼナは熟達したピアニストが鍵盤を奏でるように、流れるような手さばきを披露してみせた。
「昔は ウサギの 毛皮で 手袋を 作ったり してたんだ。 これくらい 朝飯前 なのさ」
公太郎の素直な反応に、ゼナがちょっぴり得意げに笑った。
目的を果たすためだけに紐をただ巻くのではなく、交互に交差させながら、少しオシャレに仕上げていく様は、ゼナのひそかな美意識が反映されており、見事としか言いようがない。
「できたよ」
「わぁっ、かわいいっ!!ありがとうございます、おばあさまっ!!」
なんのことはない麻の紐であるはずが、まるでちょっとしたリボンで飾られたような出来栄えにイリスが歓声を上げる。
「でも やるなら もう少し 裾の短い服に 着替えて おいで。汚れて しまうからね。足も きちんと 洗ってからだ」
「はいっ。わかりましたっ」
イリスは迷いが完全に吹っ切れたらしく、満面の笑みで着替えに戻っていった。
「やれやれ 扉くらい 閉めなさい。おてんば 娘め」
玄関を開けっぱなしのままにした孫娘に注意しながら、ゼナがゆっくりと立ち上がる。公太郎はてっきり、ゼナがそのまま屋内へと戻るだろうと思ったが、意外なことに彼女は扉を閉めると、軒下にいる公太郎の方へとやってきた。
「さすがは、ゼナさんだー。俺は正直…どうしたもんかと思ってましたよー」
────なにか用かな?
…と思いつつ、とりあえず公太郎は頭をかきながら礼を述べてみた。考えてみれば、ゼナと二人きりで会話したことがこれまでにあっただろうか。
いや、ない。
「ハムタロは もう少し 女心という ものを 理解する 必要が あるね」
ゼナは公太郎の傍らに立つと、果汁の満ちた桶を見ながら、少々「呆れた」というように肩をすくめた。
「は、はぁ…、女心…ですかー」
お小言の気配を感じて、公太郎が一転、苦笑いになる。
「キミは あのこと 婚約 したんだろう?…リュナや ラピル それから グリという 娘ともだ」
「うっー…」
気づけばゼナが、どこかジト目のようになっており、公太郎は息を詰まらせた。
なにか用かな…などと能天気だった自分が恨めしい。そりゃそうだろうとも。これ以外の用があるはずもない。
「はいー…そうですー」
事実がそうである以上、公太郎はどんなにうしろめたかろうが、しおしおとうなずくしかできなかった。我ながら節操無しにもほどがある。
だとしても、まさか成り行きでそうなりました、などと言えるはずがあろうか。そんなことをすれば、ゼナから、より軽蔑されてしまうはずだ。
────受け入れよう、どんなことを言われても。
公太郎はこれから浴びせられるであろう、非難や誹謗、詰りや誹りを甘んじて受け止める覚悟を決めた。事ここに及んでは、できることなどそれくらいしかないのだから。
しかし。
「責めてる わけじゃ ないさ。イリスが 自分で 決めたことに ボクが 口を はさむつもりは ない。ただ…やはり 血は 争えないなと 思っただけだ」
「血…ですかー」
「イリスの 母親も そのまた 母親も 伝統や 古典的な 気質を重んじる エルフとしては とにかく 自由というか 型破りというか 破天荒だった からね」
「母親の母親というのは、イリスのお祖母さん…ということですよねー?」
ゼナは首肯すると、右腕の袖をまくって肌を公太郎の前へと露出させた。ダークエルフの、浅黒くも艶のある、イリスとは全く似つかない色彩を持つ肌を。
「肌の色から わかっていた だろうが ボクとイリスに 血のつながりは ない。イリスの母は ボクの 亡くなった親友の 娘だ」
「親友の娘ー…」
「娘は 訳あって ボクが育てた。でも 勘違いしないで くれよ?血の つながりなど 関係ない。娘はボクの 真の娘で、 イリスも ボクの 真の孫だ。ボクは 二人を 心から 愛してる。なにものにも かえがたい ボクの 全てだ」
ゼナの言葉に嘘はないと公太郎は思った。見ていればわかる。ゼナのイリスに対する優しさや思いやり、慈愛の眼差しは、決して上っ面だけ整えたところからくるものではない。心の底から、真で、誠の愛だと確信できる。
「だからこそ ボクはキミに 感謝を伝えたい」
「…感謝、ですかー?」
なんでそうなる?と首をひねった公太郎の前面に、ゼナが音もなく進みでて、お互い向き合う形となった。
────本当に、恐ろしいほどの美人だな。
至近距離でゼナの風貌を前にして、公太郎は思わずたじろいだ。
特別、化粧を整えてるわけではない。むしろほとんどすっぴんだ。着ている服も地味な貫頭衣。
それでもなお、エルフ族特有の美しいかんばせに、背筋がうすら寒くなる。作られたり飾られたものではない、自然のままの息遣いのある、見る者に訴えかけてくる美の造形だ。
────この世界の人は、ビジュアルがよすぎるんだよなー…
ゼナだけではない。イリスもリュナもフェルズもラピルも、グリは…知らないけど、ことごとく美形だ。
自分の冴えない外見など、とっくの昔に諦観とともに受け入れていたつもりの公太郎ではあったが、彼ら彼女らを前にすると、どうしても忘れていたはずのコンプレックスがチクチク痛む。
そしてそういう羨望が、ますます自分を矮小な者に思わせて、時に公太郎へ持つ者と持たざる者という現実から目を背けるための卑屈な笑みを浮かべさせたりするのだ。
だというのに、この時の公太郎はおためごかしを発して場を適当に取り繕ったり、ゼナから顔を背けるようなまねができなかった。
ゼナの切れ長の目が、揺るぎようがないほど真っすぐに公太郎を射抜いていたからだ。
「イリスと リュナから 訊いたよ。イリスの命を 救ってくれた そうだね」
「…えっ!?…あっ、あぁー……」
ゼナが一体なにに感謝しているのか、それを知った公太郎は曖昧な返事をするのが精いっぱいだった。
────感謝など、とんでもない…
口の中に苦い味が広がっていく。
今度こそ公太郎はゼナから目をそらし、うつむいて小さく首を振った。全身の毛穴から、嫌な汗がじわりとにじむのを感じる。
「すみま…せんー…。俺たちは、いや…俺は、イリスを守ることが…できま…せんでしたー…」
公太郎はただ、絞り出すように謝ることしかできなかった。
イリスの呼吸が止まった時を思い出すと、今でも心臓がギリギリと締め付けられるように痛む。不幸中の幸いで、かろうじて最悪な結果は免れたが、それでもイリスが文字通り、死ぬほど痛い目にあったのは変わらない。
そしてそれをゼナが知った時、彼女がどんな気持ちであったかを考えると、公太郎はひどく息がしづらくなった。
だが。
「ハムタロが 謝ることは ない。思い出して ごらん?キミたちを 竜の元へ 誘ったのは ボクの夢見だ。ボクのせい なんだよ」
ゼナは眉間に深い皺を刻みながら、唇をかんだ。特徴的な平坦なしゃべり方は変わらないが、声色に深い苦悩が混じっている。
「ボクは イリスの危機を 察知できなかった。恐ろしい… ボクは ボクの マヌケさが 恐ろしい。夢見の巫女なんて とんだ笑い種だ。しょせん こんなもの なんだよ。ボクの夢見は 肝心なことを 教えてくれない。ボクはまた ルチルの時と 同じ思いを するところだった」
「ルチルー?」
「ボクの 亡くなった 親友さ」
少し懐かしむように空を見上げてから、ゼナは再び公太郎へとほほ笑んだ。
「けれど今回は 勇者ハムタロ キミのおかげで イリスは 無事だった。こんなに 嬉しいことは ない。ボクは キミに 大きな感謝を 尊敬を 感じている。そして なにか 礼で 報いたい とも」
「…そんな、とんでも…ないですー。イリスの件は、なんとかうまくいきましたがー、むしろ俺の方が普段からイリスに助けられてますしー、ゼナさんにも十分、夢見で力になってもらってますー」
礼なんて受け取れない。実際、体を張って戦ってるのは、いつだってイリスとリュナなのだ。彼女らの後ろで守られてるだけの自分が、勇者などと持ち上げられたりなんかしたら、いたたまれない恥ずかしさで赤面してしまう。
「そうは いかないな。いろんな 種族が棲む 魔界だが 唯一不変で 誰にも通じる オキテがある。それは 『恩には 恩 怨には 怨』 だ。…まして 孫の命を 救ってもらった という 大恩。報いねば ボクの 気が済まない」
────「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典かよ…
信賞必罰はたとえ異世界であっても、たとえ種族が違っても共有できる価値観らしい。そんなちょっとした発見に、いつもの公太郎であれば感動を覚えるはずだ。…が、この時は、気がつくとゼナは公太郎の両手を握りしめ、息のかかりそうな至近距離まで接近してきており、そんなことを考える余裕は露ほどもなかった。
「ちょっ…ゼナさんー、近い…ってか、なんか怖いー…」
鼻の頭が触れ合うような、互いの体温すら伝わってきそうな近さだ。間近となったゼナの目と目の間には、マンガ表現でいうとこの横線が何本も入っている。その頑として反論を許さないという気迫に、公太郎は呻いた。
「…どうやら キミは 女が ニガテの ようだからね。それなのに 4人と 婚約するとか ボクには わけが わからないけども。…ともかく ごまかしたり なかったことにしたり しないように しないと。オキテ破りは ボクの沽券に かかわる」
「うっ…、す、鋭いー」
おっとりして、静かで、眠り姫のようなゼナの意外な観察眼に公太郎が舌を巻く。
「さあ なにか ボクに してほしいことは ないかい?ボクに できることなら なんでもいい」
「そ…そんなこと、急に言われてもー。…考えとくんで、また後日ではー…」
「ダメ」
きっぱりとした短い返答とともに、ゼナの握りしめる手へ、意志のこもった力が込められた。彼女の言う通り、なんでもいいから希望しないと、この場を収めてくれそうにない。
「うぐぐ…ハッー!!」
────閃いた。
苦し紛れとなった公太郎の頭に、切り抜けるためのアイディアが浮かぶ。できるだけ穏便かつ、波風が立たず、妥当な落としどころの閃きが。
「…ご明察の通りー、俺は女の人が…苦手ですー。特に、ゼナさんのような、美人の前ではー、体が固まってしまったりー、震えたり…」
「ボクが 美人?さっきも キミは 似たようなことを 言ったが、 そんなことじゃ ごまかされないよ。あいにく ボクは 普通さ。無駄な お世辞は やめなさい」
「ゼナさんが普通だなんて、冗談じゃないー。ごまかしやお世辞なもんかー。ってか、俺の手を握ってるんだ、嘘なんてついてないってわかるでしょー?」
「……んん?…まあ たしかに…」
ゼナは握りしめた公太郎の手が、緊張からみっともないほどカチンコチンとなってることで、一応の納得を得たようだった。
「不快にさせて申し訳ないけど、我ながら手汗だってすごいことになってるー。…けど、俺だってこれじゃダメだと思ってるんですー。できることなら、こんな情けない自分は変えたいー!!」
公太郎の叫びは、ゼナの追求によって引き出されたものではあるが、まごうことなき現在の本心でもある。
これまでの異性と深く関わることのない人生であれば、大した問題ではなかった「女性が苦手」は、リュナたちと婚約した以上、もはや看過できず、何としても克服しなければならない「課題」へと変化していたからだ。
「…そこで、厚かましいですけどー、どうしてもお礼をとのことであれば、これを乗り越えるのに手を貸していただきたくー…」
「…ボクが…?」
「はいー。お願いできれば、助かるんですがー…」
「むむ…」
ゼナは公太郎の手を放すと、指先で口元を覆いながら瞼を伏せ、想定してたよりも難題が出てきたなといった風に考えこみはじめた。
「ボクは ボクに できることをと お願いしたはずだ。自慢じゃないが ボクは 恋もしたことがない。そんなボクが キミの 力に なれるだろうか?」
「難しいことをやってもらうつもりはないですー。ゼナさんが起きている時、用事がない時、他にやりたいことが思いつかない時、近くにいてくれればー…」
「傍に?」
「傍…近くにー。別に何かをしなくても、隣で本でも読んでてもらうとかー。そうすれば俺の苦手意識も、だんだん慣れて良くなるのではないかとー」
自分でいうのもなんだが、この無難さ、なんと名案だろうかと公太郎はひそかに自画自賛した。
なんのことはない。要するにこれまでと同じ。イリスの家にいる際に、共に時間を過ごすだけ。それでお礼だの報いだの、貸し借りみたいな仰々しい話が終わるなら万々歳である。
あとはゼナがそれで納得するか、だ。
「ふぅむ… 礼をすると 言い出したのは ボクだ。…思うところが ないわけじゃ ないが ハムタロが そうしてほしいと いうなら 仕方ない。まあ いいだろう。全力で 務めるよ」
「本当ですかー?ありがとうございますー」
「だけど キミ… 大胆だね。意外と 言う時は言う方 なのかい?…思ったより ジゴロ じゃないか」
「じ…じごろー…?」
あまり聞かない単語に公太郎の頭の上にハテナが浮かぶ。
────ジゴロってなんだろう、ノゴローの親戚かな…
…などと考えていた公太郎の左腕に、ゼナが己の腕を巻きつけてきた。まるで恋人がそうするようにぴったりと隙間なく密着し、公太郎の腕へゼナのぬくもりや柔らかい感触が、たちまち嫌というほど伝わりはじめる。
「ゼ…ゼナさんーっ??ちょっ、なにを…ー??」
「訓練に 決まってるだろう?こうしてほしいと 言ったのは キミだ。まったく… ボクは 正直 あきれるよ。みさかいが なさすぎや しないかい?ボクにまで ずっと傍に いてほしい なんて」
「ずっと、なんて俺…言ってないですー」
妙な方向へと転がりはじめた話を軌道修正するため、焦った公太郎はとりあえず離れようと身をよじってみた。しかしゼナは想像以上に力強く絡みついてるようで、わずかにもびくともしない。
「そんな 顔を 真っ赤にして 説得力が ないな。ボクの 見立てだと キミが ニガテを 克服するのには 人の一生が かかるね。ホント 強欲 極まりない。それって ボクにまで 生涯 共にいろ って ことだろう」
「えっ、えっ、えっー????」
「プロボーズ じゃないか。まったく ハムタロは 何人を 侍らす つもりなんだい?まるで 大魔王 じゃないか。…でも 心配しなくて いいよ。ボクは きちんと やり遂げる。年長者の お姉さんとして イリスたちには 範を 示さないとね」
「プロ…ーッ!??」
ゼナの発した単語に、公太郎は目の前が真っ白になる感覚を覚えた。イリスやリュナたちと婚約してからまだ数時間ほどしかたっていない。だというのに、このザマである。
────ど…どうしよう。
事態は混迷しはじめていた。カオスといっていい。公太郎の頭も同様にぐちゃぐちゃとかき乱れている。
もはや「そんなつもりじゃなかった」と言ったところで、ゼナは撤回を認めないだろう。そういう断固とした意志が、ゼナの…女特有の甘い香りとともに、ひしっと巻き付いた彼女の腕からはっきりと流れ込んでくる。
それでも、早々に打開策を講じねばならなかった。この状況をイリスたちに見られたら、どう説明しろというのか。涼しく過ごしやすい気候であるのに、顔を脂汗でびっしょりとしながら、公太郎は頭をフル回転させ始めた。
しかし。
「できましたっ!!おばあさまっ!!」
イリスが玄関の扉から元気よく飛び出してきた。ゼナと同じような簡素で丈の短い貫頭衣へ着替え、肩まである銀髪も結んでひとまとめにされている。
「…おばあさまとハムタロは、どうしてくっついてるんです?」
きょとんとしたイリスが、見たままを問いかけてきた。
「これ…はー…」
時間切れを悟り、公太郎の目が泳ぐ。こんな刹那で、ごまかす妙案など浮かぶはずもない。
「練習 だよ。ハムタロに お願い されてね。このコは 女の人と くっつくのが あまり 得意では ないんだって。でもそれだと 困るし 克服したいと 言うから 協力してるんだ」
「へぇ~、ニガテなことに取り組もうなんて、えらいですっ」
ゼナの説明に納得したのか、イリスが褒めてくれた。
「すぐに 成果が出るとは 思わないけど まあ… ボクたちの 結婚式までには 見れるくらいには してみせるよ。式では 二人で 腕を組まないと いけないからね」
「わぁっ、ガンバってくださいねっ、ハムタロ!!」
しれっと「ボクたちの」とゼナが言ってのけたが、イリスは特に気に留めず、応援してくれた。
だが。
「面白そうなことしてるじゃない」
いつからそこにいたのだろうか。背後からの声に公太郎が首だけで振り返ると、リュナがいつもの露出の高い服装で、腕を組みながら立っていた。
「リュ…リュナー…こ、れはー…」
ドキンッと心臓が跳ね上がる。あわてて公太郎はリュナになんとか事情を誤解なくお伝えできる言葉を探したが、そんなものはあるはずもなかった。なにせ誤解どころか、事態はどんどんと既成事実として前に進みだしており、弁解の余地など存在しない。
────よし、殴られよう。
公太郎はすっぱりと覚悟を決め、目を閉じて歯を食いしばった。すでに自分にできることは、黙ってリュナに2,3発殴られるくらいであり、その後で許しを請うのがせいぜいである。
「ゼナ様、アタシも練習に参加させてもらってもいいですか?」
しかしリュナはといえば、別段機嫌を損ねた雰囲気もなく、ゼナに確認と許可を求めはじめた。
「もちろんさ。腕は もう片方ある。そちらを どうぞ。むしろ 二人がかりなら 効果は バツグン かもしれないしね」
ゼナもまた、あっさりと受け入れたので、リュナは遠慮なく右へ回ると、公太郎の空いている腕を絡めとる。
「リュナ…俺はー…」
「なによ、心配しなくても、肌は触れないようにするわ。アンタが触れたいなら、好きにすればいいけど?」
からかううような口ぶりで、リュナはゼナと相似の体勢で隙間なくくっついてきた。…それ以上は何もなかった。マンガなどでよく見る、こういう展開での修羅場みたいなのは、何もなかった。
魔界の風習のせいか、数時間前に自ら言ったように、リュナは嫁が何人いても気にならないらしい。
ただ、リュナが大きくやわらかな胸を、ゼナよりも気持ち強めに押しつけてきているのは、たぶん…気のせいではないなと公太郎は思った。
こうして、ゼナとリュナの二人にはさまれながら、公太郎は時間を過ごした。
イリスはきゃっきゃとはしゃぎながら、楽しそうにブドウをつぶした。
グリは途中からイリスに交じって、足をまたブドウまみれにした。
ラピルは家の中にて、すさまじい勢いで資産の仕分けを執り行った。
最後に、この日できたブドウの果汁を、皆で味わってみたが、
味はまあ… なんというか、
普通だった。
TIPS:ゼナはダークエルフと人間のハーフのダークハーフだが、公太郎はそんなことを知らないのでダークエルフとの記載となっている。
TIPS:ゼナの夢見がイリスの危機を警告しなかったのは、結果的に公太郎が何とかすることを予見していたため。
TIPS:ゼナと結婚する予定はなかったが、仲間外れもかわいそうだったので、する方向になった。




