グリモアの資産
クリスマスは誰にでも訪れる。
習近平にも、君にも。
ところで、クリスマスとは、言わずと知れたキリストの誕生日。新年まで残すところあと1週間ほどもないというタイミングなわけだ。
で、今年は西暦2025年。西暦はAC.2025とも書けるんだけど、このACとはアフタークライストの略である。ちなみにキリストが生まれるまではビフォアクライストでBCで紀元前。
そうなると疑問が出てくるのは、キリストが生まれた時、つまり西暦元年はどれくらいの長さであったかという点。
クリスマスは年の瀬なわけで、西暦元年は約1週間ほどしかなく、年が明けた瞬間西暦2年になったのだろうか。
これが昔からずっと気になっている。
教えてくれ、五飛…
ドジャララララララララ。
自宅にて、イリスが食卓の上へ魔法鞄をひっくり返すと、大量の金貨銀貨が派手な音を立てて流れ出してきた。
「まぁ…!!」
あっという間に積みあがっていくきらびやかな財宝の山に、ラピルが目を丸くする。
ジャラジャラという財貨の奏でる音は、世界が違えど人の琴線に触れる効能があるらしい。沈着冷静を旨とするラピルであっても、頬のゆるみは隠しきれていない。
もっとも、それは公太郎もイリスも同じようなものではあるけれど。
ただ一人の例外はゼナだった。どれほど高揚感を誘う音の波が打ち寄せようとも、窓際で安楽椅子に腰を掛けながら、静かな寝息とともに夢見の午睡の中にいる。
「先代のグリモアさんが遺した資産の一部だー。全部を鞄につめてたらキリがなかったから大半は塒に置いたままなんだがー。ラピルさんは、これがいくらになるかわかるだろうかー?」
「総額、でございますか」
公太郎自身、我ながら無茶ぶりが過ぎると思う問いに、ラピルは顎に手をやりながら慎重に考え込んだ。といっても、可能か不可能か、というラインを思考してるわけではないらしい。
すでにメガネの奥の眼球がぎゅるぎゅると高速で上下左右に揺らぎ、すさまじい勢いで計算を試みていることが傍目からでもわかる。
「ハムタロ、鞄にはまだまだ入ってますけど、これくらいでいいですよね?」
「うんー。全部出したら家が埋まって、ゼナさんが窒息しちゃいそうだしなー」
うなずいたイリスが鞄を元に戻すと、決壊したダムのような貨幣の放出がぴたりと止まった。
ほんの数日前、グリモアの塒にて、公太郎はイリスやリュナ、グリと手ずから金貨銀貨を鞄につめる作業をしたので、「まだまだ」というのは実感としてある。が、イリスの言う通り、差しあたってはこれくらいでいいだろう。
すでに机のわきに立つ公太郎たちの足首くらいまでが埋まっており、足の甲がじゃりじゃりしてすごく重たい。
ふと窓辺の方を見やると、ゼナの椅子の脚も同じように貨幣が侵食していた。ゼナからすれば、起きた途端、足元に財宝の海が広がっているのだ。物静かな彼女であっても、飛び上がるほどびっくり仰天するんだろうな、と公太郎は思った。
「わたしも…お金に詳しいわけではないですけど、この金貨なんかは…だいぶ古いものですね。ほら、今のと比べて彫刻とかが全然違います」
イリス財宝の山の裾から、やや色のくすんだ金貨を取り、公太郎へと手渡す。
「昔のは、竜の意匠かー。信仰の対象だったとか、そんなんだろうかー」
公太郎が見たままの適当な推論を口にすると、イリスが自分のがま口の財布から現在流通してるものをひとつ取り出し、見せてくれた。
「たしかにー、今のはギョロ目のおっさんが彫られてるなー」
「それはユキチですね。金貨だからちょうど10万エンくらいの価値があります。魔界では金貨ばかりですけど、人間の王都では1万エン紙幣に描かれてたりするんですよ。同じユキチなのに面白いですよね」
「ユキチかー」
あえて言うこともないが、ユキチは公太郎も大好きな諭吉そっくりである。さすがに同一人物ではなかろうが、異世界でもあれ系の顔は偉人になるようだ。
────しかし魔界は金貨ばかりで10万か。魔界のユキチはずいぶん出世したんだなー。
言われてみれば、グリモアの資金という形での資産は、金銀から鋳造した貨幣ばかりだった気がする。
1000年以上も生きる竜にとっては、絶えずうつろう運命にある「その時々の権力」が価値を担保してるに過ぎない紙幣など、文字通りケツをふく紙にもなりゃしねえってもんなんだろう。そもそも、紙なんて1000年も経てば朽ちるし。長期保有するなら、やっぱり現物だね。
とはいえ、金貨銀貨も別に全てが古いものではないようだ。
公太郎がざっと見渡しただけでも、ユキチの刻まれた現行の金貨は無数に見つかった。全体からすれば1割くらいだろうか。もちろん割合としては多くないが、それだけ拾い集めてもかなりの額になるのは間違いない。
「これとこれは同じ柄だわ。これとこれも、あっ…あれもかな?」
生真面目なイリスが、手近なものを彫刻別で選り分けていた。おそらくはラピルが計算しやすいように、せっせと10枚一組にして並べはじめている。
「俺も手伝うよー。銀貨の方をやるー」
「えっ…?ありがとうございます!!」
「お、おぉー…。まかせとけー」
自分の申し出にイリスが嬉しそうに礼を言ってくれたが、正直手持無沙汰だったからというのが大きなとこなので、公太郎は少しバツが悪かった。
────しかし…まるで海のような大量さだな。
公太郎は改めて、その量に圧倒される気分だった。しかも鞄の中にはまだまだ残っている。
────この作業…終わるまでに何時間かかるんだろうか。
いや、それよりラピルの計算の方がずっと大変なのだ。終わったら紅茶の一杯でも入れさせていただこう。
「銀貨も、やっぱりいろんな年代のがあるなー。そりゃそうだろってとこだけどー」
彫られているのは城や植物、見知らぬ人物など多種多様。大きさや、たぶん価値もばらつきがある。そんな新旧の貨幣が入り混じってることもあり、公太郎たちには総額がどうなるか皆目見当もつかなかった。そしてこれこそが、ラピルという人材を招聘した本来の理由でもある。
というのも、公太郎たちはグリモアの資産を街づくりに回そうと考えていたからだ。けれども、まずは資産の規模がどれくらいかわからなければ、管理も運用もしようがない。計画を前へと進めるために、ラピルは必須の人材なのである。
「ブツブツブツブツブツブツブツブツ」
公太郎が横目でちらりと伺うと、ラピルが小声で何かを絶え間なくつぶやいていた。まあ、「何か」…もなにも、計算しているわけだが、血走った目が限界まで見開かれていていちょっと怖い。
────1億…うーん、3億エンくらいあるのかなー?あったらいいなー。
公太郎はラピルをあえて見なかったことにして、頭の中で自分なりの額を想像してみた。
当たり前だが、3億なんて莫大な現ナマとお目にかかった機会などない。なので、完全なあてずっぽうではあるが、この机に山となり、床を埋め尽くす量にはやはり期待するなというのが無理な話だ。
「概算ではございますが、計算できました」
カシャカシャッ、チーン!…とでも音が聞こえてきそうな仕草で、ラピルが眼鏡の縁をクイッとした。
「えっー、も…もうー??…早いなー」
計算を始めてからまだ2分もたってない。異様な速度だ。
「魔法鞄よりあふれ出すお金の量に、放出から停止までの時間をかけた単純な計算で、この場の貨幣の量はすぐにでも求められます。ですが、金貨と銀貨の含有比率は、うわべで見える範囲のものを参考に算出しておりますので、いささか正確性に欠けるものとしてお聞きください」
「う…うんー」
まるで小学生の算数問題のようにラピルが解説しはじめる。なるほど言われてみれば単純な計算だ。
とはいうものの、前提として毎秒ごとに鞄から出るお金の量を把握できればれば…だし、それができれば誰も苦労はしねぇ…ってもんだが。
しかしそこを深堀すると、なんだかめんどくさそうなので公太郎はスルーした。
「約850億です」
「「はちっ…ーっ!?」」
淡々としたラピルの回答に、公太郎とイリスはその場で飛び上がった。
「どどどどうしましょうっ!!ハムタロ!!!」
「おおおおおおちおちおちつつつけけけつつつつ、し…深呼吸だー!!!???」
叫びながら公太郎はイリスと両手をつなぎ、向かい合って数回大きく息を吸い、吐く。そうするうちに頭の中を派手に駆け巡る「850億」という途方もない数字が落ち着いてくれることを期待したが、何度深呼吸を繰り返してみても心臓の動機が収まる気配はない。
イリスもまた同様のようで、つないだ手どころか全身をスマホのバイブのように振動させている。その顔は喜びよりも、恐怖や混乱の色合いが強く見て取れた。
「…ですが、大きな問題がございます」
あわあわと取り乱して動転する二人をよそに、ラピルが平たんな声色で続ける。
「850億というのは、金銀の総量の…つまり金貨銀貨を炉で溶かしてインゴットなどにした仮定の価値でございます。しかしこれらは今は大半が失われてしまった古い貨幣。歴史的、学術的、さらに暴凶竜グリモア様の所有物であったという事情を係数としてかけ合わせますと、それは天文学的なものとなるでしょう」
「て…天文学的ー…」
「言うなれば、人類の宝ともいうべきもの。どなたにも扱いきれる類ではございません」
「博物館に飾るとか、そういう話ー?」
「左様でございます。正当な資産価値そのまま捌くことは、まず不可能でしょう。もしも運用されるのであれば、申し上げました通り、溶かしてインゴットにてなさるのがよろしいかと。この量ですから、かなりの手間となりますが…」
「い、いやー…」
ラピルの提案に、公太郎の体の震えはぴたりと止まった。カッと熱せられるようだった体の熱が冷め、一気に冷静さを取り戻していく。
「さすがに…そこまでは…なー?」
「そ…そうですね…」
目くばせすると、イリスも残念そうにうなずいた。どうやら同じ心持のようである。むべなるかな、というところだ。
たとえば、ツタンカーメンの黄金の棺は現代の金相場で1億数千万らしいが、学術的には何百兆に至ると何かで読んだ記憶がある。
そんな国家予算を超えるような額をおいそれと取引できるはずもないから、溶かして「ただの金の塊」にて運用するか?とラピルは訊いているわけだ。
けれど、歴史的な人類の宝ともいうべき財宝に、そこまで割り切る覚悟は公太郎にはない。
「ラピル、ここには今のお金も含まれてるようですが、それだけを取り出したらいくらくらいですか?」
手元に並べた金貨に現行のものが含まれたことを思いだし、イリスが質問する。
「若干の前後がありますが、9億から10億エン程度でございましょう」
「10億かー。年末ジャンボみたいだなー」
「…じゃんぼ、でございますか?」
「あ…、なんでもないよー。俺の故郷の話ー」
不思議そうなラピルに公太郎は「気にしないでくれ」と手を振った。
────10億か…。
目を閉じて思案してみる。
たしかに10億だって目のくらむような金だ。しかしながらこれぞ人間の業というか、欲深さというか、850億のインパクトの後ではどうにも頼りない感覚がする。
実際、一軒家をひとつ1億で建設したとして、10軒。どう贔屓目に見ても、とても街とはいえない。
もちろん、グリモアの塒にはまだ大量に残してきた資産があるため、別にこの10億で全てってことはないだろうが…
────いや、こっちのほうが、かえって良いことかも────
公太郎の頭へ、ふいにそんな予感が訪れる。
「まあ、当座の人件費、人足分としては十分だなー。もしくは、足りない資材があれば買って来れたりするかもしれんー。ちょっとオシャレな花壇が造れたりとかなー。いいじゃん、心強い資金だよー」
言いながら、公太郎は「やはり、これくらいがいい」とうなずいた。少しばかり初手にブーストがかかるくらいでいいのだ。むしろそれ以上は、危険な感さえある。
膨大なお金を投入して、上物の建物だけたくさん建てれば街ができるほど、街づくりは簡単な話ではない。振り返れば日本も、バブルの時に悪名高い「第三セクター」という大失敗をやらかしている。世界まで目を向ければ、いたるところでそんなケースが繰り返されてたし。
だがたとえ、わかっていても、もし手元に好き放題できる資金があれば、きっと自分だって同じ轍を踏んでしまうだろう。自分よりずっと頭の切れる人々ですらミスってきたのだから。
…なにより、全部お金でどうにかしたら、そんなの絶対…つまらない。
「うわっ!!」
突然響いた叫び声に公太郎が気を取られると、安楽椅子の上で目覚めたゼナが飛び上がっていた。
「な…なんだい これは。一体 この お金は なんの 冗談だい!?」
「ゼ、ゼナさんー…」
ゼナは切れ長の大きな目をいっぱいに丸くして、きょろきょろとせわしく、金貨と公太郎たちを交互に見回している。
「ふふーっ」
静寂の体現者のようなゼナの期待通りな反応に、公太郎の口元が自然にふっと緩んだ。
「なんだよ ハムタロ?その ちょっと 小馬鹿にしたような 顔は。どうせ これも キミの 仕業だろ」
「あぁ、すみませんー。ゼナさんが、あまりにも予想通り…というか、かわいかったのでー」
「む… むぅ…」
公太郎のフォローに、ゼナが「納得いかない」と少し頬を膨らませた。
「ボクは キミより ずっと年上の おねえさん なんだ。からかわないで ほしいものだね」
ゼナは小さく咳ばらいをしてから「…それより」と続ける。
「夢見が 出たよ。答えは マルだ。ハムタロ… 次は キミが 考えてる通り 西のドワーフに 協力を 求めるのがいい。それが 吉だ」
「そうですかー。ありがとうございますー」
何はなくとも、街には人口が必要となるだろう。そのためにも公太郎はドワーフとのコンタクトを計画し、是非をゼナの夢見に求めていたのだ。
「だけど…」
一段、声のトーンを落として、ゼナが真剣な顔をする。
「気をつけなさい。キミは そこで 大きな困難に 直面する。どういったものかは わからないが かなりの 難題のはずだ。ともすれば キミの精神が 壊れてしまうかも しれない。油断したり 軽く考えては いけないよ」
たどたどしい口調で、みるみるうちに、次々と恐ろしい単語が並べられていく。
────それのどこが「吉」なのー???
忍び寄る悪い予感に、公太郎は頭を抱えた。
TIPS:ラピルの概算は適当に設定したわけではない。パチンコで箱積み5万発出したおばさんを見たことがあるが、その時のボリューム感を参考に床に散らばった貨幣がどれくらいの量であるかを想定した。
スロットをやってたらもっと具体的に枚数感覚がつかめたかもしれないと思ったが、目押しができないどんくささからスロットはやらないのだ。




