婚約者たち
もうすぐ2025年が終わる。
2020年代も半分を過ぎたということ。
来年の2026年には習近平の好きなサッカーW杯があるのだけど、
それはそれとして10年前の2015年はどんな年だったっけ?
…と思って少し調べたら五郎丸とか出てきた。
あれ10年前なんだね。
「おめでとうございますっ、お義姉さまっ、ハムタロっ!!」
公太郎とリュナが離れるころ合いを見計らい、イリスが両手を大きく広げながら飛び上がって祝福した。
「若い二人の門出というやつか。カッカッカ。これはめでたい。グリもまるで我がことのようだ」
この中で一番若いはずの、生まれて数日のグリも、何やら満足げに高笑いしている。
「祝ってくれるのはうれしいがー、門出…というにはまだ早いー。結婚は宝珠を手に入れてからだからなー」
公太郎がテンションの上がったイリスとグリに「落ち着いてくれ」と促していると、ラピルが傍から楚々と進み出てきた。
「ご婚約、おめでとうございます、リュナ様」
「…………グリはリュナではないぞ?」
ラピルに丁寧なお辞儀を受けたグリが不思議そうにする。
「まぁ…。これは失礼いたしました。わたくし、どうにもメガネがないと、モノがよく見えないものですから」
「ふぅん?難儀だの」
────ド近眼ネタ、現実にまじでやる人がいるのか…
受けた当人のグリは特に気にもとめてないようだが、公太郎はマンガでしか見たことのない光景を素でやるラピルに内心ちょっぴり感動した。
「それで、リュナ様はどちらに?」
「ここよ、ラピル。っていうかアンタ、ポンコツすぎて見てられないから、いいわ、メガネをかけなさい」
目と鼻の先の距離でキョロキョロとあたりを見回すラピルに、リュナがあきれたように許可を出す。
「まぁ…ありがとうございます。それでは、失礼いたしまして…」
ラピルはおずおずと懐からケースを取り出し、メガネをかけた。途端、ビシッとシゴデキのメイドへと変貌する。
「この度は、ご婚約おめでとうございます、リュナ様」
「…ん。ありがとう。結局、アンタの恩寵の計算通り…ってことなのかしら」
「お戯れを。”眼鏡を通して把握する悪魔”は、人の想いまでをどうにかできるものではございません。ご婚約はまごうことなく、お二人がご自身の手で掴まれた果実。わたくしはただ、きっかけをご用意したにすぎません」
「ふぅん?」
皮肉めいた…というより、少々からかうような一言をラピルがあっさり受け流したので、リュナがつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「ところで…つきましては、リュナ様、わたくしも先約の通り…あらためてハムタロ様へ嫁がせていただこうかと。よろしいでしょうか?」
「そ…その話、生きてたのー!?」
すっかりうやむやになったと思っていたことをラピルが蒸し返し、公太郎が叫んだ。
正直な所、ここまでの流れから鑑みるに、ラピルの「嫁ぐ」うんぬんは、彼女の冗談というか、リュナと自分を結婚へもっていくための方便や手段だと思っていたのだ。…というか、そうであってほしかった。
だがラピルの柔和でありながら、一歩も引かなさそうな顔を見るに、なんかそんな感じではなく、どうやら本気の本気らしい。
リュナと婚約して、この場はハッピーエンドだったね「はい、おしまい」であってほしかったのに、どうやらもう一波乱ありそうだ。
「ええ、構わないわ。アンタの好きになさい」
「…い、いやいやいやいやー」
抵抗も逡巡も、わずかな躊躇いすらなく、さらりとリュナが受け入れたので、公太郎はまたツッコんだ。
「そういうわけですので、ハムタロ様、不束者ではございますが、よろしくお願いします」
公太郎の主張など馬耳東風といったように、ラピルもまた、ごく自然に、結婚におけるお決まりの口上をさらっと述べてみせる。
────……いや、「そういうわけですので」じゃねーよ。
「ちょ、ちょっと待ってくれー。リュナ、これは…ラピルさんは、まじで言ってんのかー??」
「…そうよ?前々から言ってたのよ。ラピルはアタシの許嫁だから、一緒に嫁ぐんですって。アタシはそういうの強制するつもりはないんだけど、ラピルの自由意思は尊重するつもり」
「それじゃ俺、いきなり重婚になっちまうんだがー」
「………?何か問題があるのかしら?」
あわあわとする公太郎の要点がつかめない様子のリュナに、ラピルがそっと耳打ちをした。
「…人間族には、生涯でひとりとのみと結婚する風習を持つ部族もいるそうです。ハムタロ様の部族や、そのしきたりまでは存じ上げませんが、眉根の角度、体温の変遷、発刊量などを計算したところ、そのあたりを気にされておられるのでは…」
「ああ、そういうこと。…お堅いのね、人間って。こんなの魔界では普通よ。アニキだって3人くらい奥さんがいるし、大魔王に至っては、えぇっと…何人だったかしら…?」
ようやく合点がいったというリュナが何やら指を折り始め、空を見上げる。瞬間、ラピルが眼鏡の縁を指でクイッとした。
「昨日までの時点で、記録上は12660人でございます」
「いっ…1万ー…!?」
あまりの桁数に公太郎が絶句する。思わず2660人を端数で切り捨ててしまったが、よく考えるとそれだけですら、常人にはとても至らない域のとんでもない数だ。
古代エジプトのラムセス二世、魏の曹孟徳、モンゴルのチンギス・ハンや日本の校長といった、歴史上の伝説めいた、そうそうたる英傑達と比べても全く恥ずかしくない。
「ハムタロ様には馴染みがないことであるかもしれませんが、様々な要因から元々魔族の男は数が少なく、かのように重婚も珍しいことではございません」
「ま…まじかー」
ラピルは言葉の上では「重婚は珍しくない」と述べたが、その口調はむしろ「重婚が当然」というものであった。
これがいわゆる文化の違い、カルチャーギャップ…なのだろうか。いや、異世界だからワールドギャップになるのか?
…だが、とことん平凡であり、それなりの常識人である公太郎としては、つい今しがたリュナと婚約を交わしながら、舌の根も乾かぬうちに他の女性とも…というのはどうにも心にストンと落ちてこない。
「だとしてもだー、重婚が当たり前ってのはわかったけどー、俺は…結婚ってのはお互いの想いや愛があるからするもんだと思うー。ラピルさんは別に、俺のことが好きってわけじゃないでしょー?」
「……まぁっ!」
公太郎からしてみればごくごく自然な指摘に、意外にもラピルは完全に虚を突かれたように目を丸くする。
「ご心配には及びません。愛とは、育むことができるものでございますから。それに、どうかそのように心外なことをおっしゃらないでくださいませ。わたくしはすでに、嘘偽りなく、ハムタロ様を愛しております」
「えぇー!?さっき会ったばかりなのにー!?」
仰天する公太郎へ、ラピルが静かにうなずく。
「時間など些末なことでございましょう。僭越ながら、わたくしはリュナ様へ心よりの愛を誓っております。そのリュナ様の御心を救ってくださった殿方に、どうしてわたくしが好意を抱かずにおられましょうか。リュナ様が好いておられる殿方を、どうしてわたくしが愛さずにいられましょうか」
「うぅんー??」
────そ…そういうものなのかー?
自信満々と胸を張るラピルに、公太郎は頭がこんがらがってきた。
ラピルの主張は、一見、筋が通ってるようで通ってはおらず、論理的のようでそうでもない、納得するにはかなり無理筋な気がする。
なぜなら、これは数学の方程式や、利益の損得勘定ではなく、愛や好意という人の感情の話だからだ。
…にもかかわらず、ラピルがあまりにも衒いなく堂々と言い張るものだから、なんだか「そうなのかな?」という気持ちにもなってくるのだ。
「お義姉さまっ、お聞きしてもいいですか?」
混乱する公太郎をよそに、イリスが元気よく質問の手を挙げた。
「何かしら。イリス?」
「お嫁さんがたくさんいてもいいなら、わたしもハムタロと結婚してよろしいでしょうか?」
────なんか、とんでもないフレーズが聞こえた気がするけど、気のせいかな?
イリスの口から出た信じられないような単語が公太郎の脳内に警鐘を鳴らしはじめる。
「ええ、もちろん。イリスがそうしたいなら、すればいいわ。アタシは大賛成」
「ほ、本当ですか!?やったっ…うふふふふ」
リュナの快諾を受け、イリスが両手で口を覆って、嬉しそうにほほ笑む。
視界の端で当人が知らぬうちに進み始めた大事に、しかし公太郎の頭が急速に正気を取り戻した。
「ちょ、ちょっと待てー!!なんか二人だけで、やばい話を進めてないかー??さすがに、それはまずいーっ!!絵的にまずいだろー!!そんなの俺の故郷では大顰蹙…ってか犯罪だーっ!!」
「あら…妙なことをいうものね?ハムタロ、アンタさっき、結婚は愛があるからするものと言ってなかったでしょう?アンタまさか…イリスは愛してないのかしら?」
慌てて制止をかける公太郎を、リュナが髪をかき上げながら、しれっと切り捨てる。
「うぐ…それはー…」
言葉の詰まった公太郎にリュナは視線で「イリスを見なさい」と促してきた。誘導されるままにすると、さっきまでの嬉々としたイリスはどこへやら、一転、シュンとしょんぼりしている。
「そ…そんなっ…!…そうなんですか、ハムタロ…?」
当然ながら、リュナの言ったことは明らかに本気ではない。しかし素直なイリスは、悲しげに獣耳を伏せ、背は丸まり、がっくりと肩を落としてしまっていた。
その落胆に満ちた声が、公太郎の心の柔らかい部分をチクチクと突っついてくる。
「話をややこしくしないでくれー!俺はイリスを愛してるよー。でもそれとこれとは、おいー、リュナ…困るよー…」
「わ、わ、本当ですかっ、ハムタロ!!」
必死のフォローで、イリスはすぐさま明るい顔を取り戻した。…しかし、疑いようもないほど、事態はどんどんとややこしい方へ向かい始めている。その確かな手ごたえに公太郎はめまいがしてきた。
────まさか…イリスとも婚約する流れ…なのか?まじで??
「利家かよっ」と公太郎は自分にツッコんだ。
かつて織田信長の腹心の一人である前田利家は、正室となるまつが何歳の時に結婚したのだったろうか。正確な所は定かではないが、たしか…口にするのもちょっとはばかられる年齢であったと記憶している。結婚が早い戦国時代においても、周囲から「ちょっとお前、さすがに…ねえわ」と引かれるほどに。
このままだと、その戦国随一のロリコン大名と肩を並べてしまう。
「ふふ…冗談よ、わかってるわ。イリス、結婚はハムタロの言った通り、お互いの想いがあった方が幸せよ。だからハムタロの都合も尊重してあげましょう。彼の故郷の掟だと、イリスはまだ…早いみたい」
────おお、リュナ。助かったー。だよな、やっぱそうだよな!?
公太郎はいずれ妻になるリュナに、心の底からうなずいた。いくら異世界といっても、共通する認識や、共有する常識はあるはずなのだ。
「もう少し大きくなったら、ということですか?」
「そうね、イリスの恩寵『因子開放』で背が伸びるでしょう?大体、あれくらいになるまでかしら。大丈夫、すぐよ。3年もかからないでしょう。それまでは、婚約だけしておきなさい」
「はいっ、わかりましたっ!!」
元気なイリスの返事に、公太郎がずっこける。共通の認識も常識もありはしなかったようだ。
………どうすんのこれ。
イリスとまでも婚約をしたとして、今後、ゼナにどう顔向けできるのか。
公太郎は、これから背負うことになるであろう十字架の重さに、ひとり涙した。
「グリちゃんはどうするんです?」
真っ白な灰のようになってしまった公太郎の横で、イリスがさらにアクセルを踏み込むみはじめる。
「…どう、とはなんだ?」
「グリちゃんも、ハムタロと結婚しないのかな…って」
「しないぞ?」
「えぇっ!?」
「結婚とは番になる契りを結ぶことだ。軽々に決断することではなかろう。グリはまだ卵を産むつもりはない」
まるで遊びでも誘うかのようなノリのイリスを、グリが極めて常識的な物言いで諭す。
「グリちゃんー…」
公太郎の目には、グリの殻に描かれたへのへのもへじが、これまでで最も頼もしく映った。
────そうだよな。やっぱ、普通…そうだよなー?
自分の抱く感覚は間違ってはいない…という温かい肯定感が公太郎の心を満たす。
場の妙な雰囲気に流されず、我を通すさまは、さすが竜というべきか。信じがたく、まこと驚くべきことであったが、この場の人物の中で常識人Tier1は、生まれて間もないグリであった。
「そう…ですか…残念です…」
「だが、婚約であれば吝かではない。どうせグリは、ハムタロと共に在るのだ。普通に考えるのであれば、いずれ番となるのも自然の流れであろう」
しかし落胆するイリスの肩に、グリはそっと手を添えると、ちっとも常識的ではないことを言い出しはじめる。
「わぁっ」
途端にイリスの顔が輝いた。
「本当ですかっ!?そうしたらいつか、わたしとグリちゃんは姉妹になれますねっ!!」
「うむ、リュナとラピルもそうなるな。言っておくが、これはとても名誉なことだぞ?なにせ、竜の義姉妹なのだからな!カッカッカ、光栄に思ってよい!」
「はいっ。ふふふ…うれしいなぁっ」
グリは能天気で高らかに笑い、イリスは喜色満面で小さくガッツポーズをしている。
────もう…どうにでもなぁれ~
あまりのことに、公太郎はその場で直立した一文字のままぶっ倒れた。
前田利家に肩を並べるなど、とんでもない。さすがの利家も、生まれて数日の女児と祝言を挙げることはしないだろう。
もはやロリコンのそしりは免れそうもない。公太郎は、これから間違いなく背負う十字架の重さに、ひとり涙した。
…だというのに、地面から見上げた空は、抜けるように澄んでいて、心奪われるほど青く高く美しい。まるで空に包まれるような浮遊感があり、どこか現実感が希釈されていく。
こうして公太郎は、リュナ、ラピル、イリス、グリと婚約した。
TIPS:公太郎は思い違いをしているが、正確には、利家が周囲から引かれた理由は、結婚が早かったからではなく、年端のいかぬ「まつ」と子供をつくったからとのこと。




