メイドのラピル 3
気がつけばもう11月の半ば。
秋はあっというまに去り、冬がやってこようとしている。
その寒さに追い立てられるように世間様ではクマの被害がシャレにならなくなってるそう。
しかしクマと聞くとどうしてもあの黄色いクマを連想し、そこに習近平が思い浮かぶのであった。
────公太郎のところに嫁ぎに来た────
ラピルの言葉に冗談の響きは感じられない。かといって本心からのものとも思えない。なにせ初対面から30分もたってないのだから。そんな相手に嫁ぎにきたとか言われても、というのが正直なところだ。
────これじゃあまるで中世の政略結婚みたいじゃないか。そりゃあ魔王なんてのが普通にいる世界だから、それもまた普通なのかもしれないが、俺は殿様でもなんでもない。政略目的に値する地位や立場や権力なんぞあろうはずもない。
…ならば、ラピルの真意はどこにあるのか。まさか本当に、昔…リュナとそう誓ったから来た…なんてことはないはずだ。
だってそうだろ?自分が結婚なんて想像もつかないが、少なくともそんなことで簡単に決められる事柄であるはずがない。
「あのー、ラピルさんー…。一度、はっきりさせておきたいことがあるんだがー」
「なんでございましょう?」
公太郎は深呼吸をして、脳内でラピルの言動を振り返ってみる。やはり、誤解と齟齬があるようだ。
「ラピルさんはー、リュナ…さんと俺が結婚するから、昔の誓い…約束にもとづいて、あなたもここに来た…ってことでいいんですよねー?」
「左様でございます」
「それなんですがー、真に申し上げにくいんですがー、できれば怒らないで聞いていただきたいんですがー、俺とリュナさんは結婚してないんですよー。…というか、そんな話は全くかけらも出てないんですー」
公太郎はくどいほど慎重に言葉を選んで状況を整理し、説明しはじめた。なにしろさっきはここでラピルがブチギレて、グリと一触即発までいったのだ。同じ展開になるのはご免こうむりたい。
「だからラピルさんがどうしてそう思ったかは本当にわからないんですがー、もしかすると…あなたが伝え聞いた内容に誤りがあったか、尾ひれがついてるのか……」
「まぁ…」
ラピルが口に手をあて「驚いた」というジェスチャーをする。
その仕草が何に対する驚きなのか、公太郎は内心緊張した。先だって言った「自分はリュナとそういう関係ではない」というのが真だったことに対してなら良いが、「同じ言い訳を繰り返す、見下げた愚か者め」という類だと、このあとの展開はかなりややこしくなる。
「リュナ様は、誠にかわいらしい方でございますね」
しかし公太郎の憂慮とは裏腹に、ラピルは穏やかに、野に咲く可憐な花をめでるように微笑んだ。
「それならば…やはり、わたくしがリュナ様を待たず、こうして先に参った甲斐がございました」
「…んんー?どういうことー?」
「地ならし…でございます。ああ見えて、リュナ様は奥手でございますから」
「地ならしー?」
ラピルの言ってる意味がわからない。だがラピルの方は詳しく説明する気はないようで、それ以上は口を開かず、まるで命令を待つ自動人形のように姿勢よく佇んでいる。
「帰ってきたようだぞ」
二人のそばで、この件には我関せずとしていたグリが遠くの空を指し示した。その先で、明るく晴れ渡った空でもそれとわかる、輝く星のような魔法光跡がきらめいている。
ドンッ。
ほどなく転移魔法の着地音が響く。相応の砂塵が巻き上がり、魔法の残光の中からイリスとリュナが現れる。だが、イリスの顔はどこかしょんぼりと浮かなく、リュナは唇を真一文字に結んで険しい。
「お…お義姉さま…あまりラピルを怒らないであげてください…」
「………」
顔色をうかがうようなイリスには応えず、リュナは厳しい表情のままつかつかと歩み寄る。
「…ハムタロに、余計なことを吹き込んでくれたみたいね」
そわそわと落ち着かない公太郎の様子を一瞥し、リュナがラピルに向けて「ふん」と鼻を鳴らす。
「お帰りなさいませ、リュナ様」
片やラピルは、そんなことなど意にも介さないといわんばかりに恭しく一礼した。
「アタシって、アンタがお膳立てしないと何もできない幼児にでも見えるのかしら?」
「とんでもございません。リュナ様にはリュナ様のやり方がございましょう。ハムタロ様とのご関係、時をかけてじっくりと育みたいと考えておられたのも存じております」
直立姿勢に戻ったラピルが首を振る。
「しかし、わたくしには、リュナ様が少々のんびりしすぎなように思えるのです。踏み出せばつかめるのに、見えすいた答えがあるのに、あとは勇気をお出しになればよいだけなのに、どこか手を伸ばすのことをためらっておられるような。…いえ、わたくしとしては、そんなリュナ様も、お可愛くて好ましくはあるのですが」
口元に指を添えながらラピルがコケティッシュにニコり微笑んだ。
「けれども、僭越ながらハムタロ様は人間の御身。魔族とは生きる時の長さが異なります。あるいは、絶好の潮目を待つ間に寿命が潰えてしまうかも。そう考えると、わたくしは心配で。それでしたら、わたくしがその背を押して差し上げましょう、地ならしをして差し上げましょう、その方が早い。これはどちらが効率がよいか…の話ございます」
刹那、リュナの拳が閃く。
ビシュッと空気を切り裂く音がして、衝撃の風に公太郎が顔をしかめる。ラピルの顔面へ向けた、目のくらむような右ストレート。拳はラピルの鼻先で寸止めされたが、放たれた方は腰を抜かすほどの迫力だったはずだ。
だというのに…
「……少しはうろたえたりしてみせなさいよ、イラつくわね」
顔色一つ変えないラピルを見て、リュナがつまらなさそうにつぶやいた。
「リュナ様の拳に込められた力、角度、速度、マナ量、そしてわたくしとの相対距離。当てるおつもりがないことは、わたくしの『|眼鏡を通して把握する悪魔』の式によって導かれておりましたので」
「…かわいくない娘。森羅万象を数字に置き換えて、計算すれば正答が出ると思ってるでしょう」
「それがわたくしの恩寵でございますから」
「アンタの|眼鏡を通して把握する悪魔がスゴイのは認めてあげる。でもね、そのご自慢の恩寵を使って、全部を知ったような顔で、アタシのことを何もかもお見通し、みたいな態度はやめなさい。何様のつもり?傲慢なのよ。アタシの心を勝手に計算して、深読みして、何でも先回りしないで。不愉快だわ」
「リュナ様がお望みとあらば、御意のままに」
悪びれる気配のないラピルに、「本当にわかってるのかしら」とリュナがため息をつく。
────|眼鏡を通して把握する悪魔────
ラピルがわずかに見せた恩寵は、計算による未来予測に他ならない。かつてピタゴラスは「万物は数なり」と口にしたそうだが、それを現実で計算しつくすとすれば、それこそ万物を手中とする神の領域…いや、悪魔の領域だ。
ゼナの夢見による未来予知と似ているが、数字によって地に足がついてる分、確度は比較にもならないはずである。
────やばすぎだろ…。
ラピルのの凄まじさに、公太郎は慄いた。
聞いている分では、雨の日に降ってくる雨粒の速度を把握して、傘もささずに濡れないでいられる…なんてことすら可能のように思える。
だとすれば一体、脳内でどんな計算が、どんな速度で処理されているのか。ラピルの恩寵より、むしろそちらの方が恐ろしい。
「まぁ…。お考えになられてるほど、わたくしの|眼鏡を通して把握する悪魔は万能ではございませんわ」
「えっー…?」
不意に声を掛けられ、ハッとすると、ラピルがこちらをうかがっていた。
「わたくしの計算式による予測は、今ここに在る事象の因数によって導かれるもの。予測対象を構成する事象、つまり因数が増えれば増えるほど、当然…式は複雑化し、難度が高まります」
「は…はあー…」
「端的に言えば、予測はせいぜい数秒後くらいが限度…ということでございます。ともすれば、高難度の式を解く間に、予測したい未来が先にやってきてしまう…などということも。遥かを見通すゼナ様の夢見には、わたくしなど到底及びません」
「お、おぉー?」
思考を正確に言い当てられて、公太郎が唸る。
「俺が今、ゼナ…さまの夢見のことを考えてる、とわかったのも恩寵からですかー?」
「左様でございます。ハムタロ様の眼球の動き、眉間や口元に入った筋肉の力加減、そして…お知り合いになられたであろう人物たち。これらを因数に置き換え、式へ代入すれば答えは導かれるのです」
…たしかに、リュナの言うとおりだ。
とんでもなく有能で、とんでもなく有益ではある。ある…が、こんなにもたやすく見透かされては、たまらない。ラピルの予測が人に向けられた場合、それは他人の心を読むことと同義だ。
たとえば、今後ラピルが仲間になってくれたとして、自分のゆく先々で万事がすでに準備万端になされているとすれば……具体的には、用を足そうと席を立ったら、ラピルがトイレの前で扉を開けて待っている…なんてことになるのなら、シゴデキを通り越してちょっと怖い。
「ラピルッ!!」
困惑する公太郎の気持ちを察して、リュナが鋭く口をはさむ。
「ハムタロにも恩寵を使わないで。…というか、アタシたちの前では眼鏡をはずしていなさい。眼鏡がなければ、因数…とかいうのは見えなくなるんでしょ?いいわね!?」
「そんなっ、困ります。…恩寵の発動はもとより、わたくしは弱視でございますから…その、いろいろと不都合が…」
「必要な時は、ちゃんと許可してあげる。でもね、いい機会だから言うけども、アンタの恩寵は、おいそれと他人に使っていいものじゃないわ。い・い・わ・ね!?」
「…リュナ様がそうお望みであれば、ご随意のままに」
そう言いつつも、ラピルはどこか不満気ではあったが、しぶしぶと眼鏡をはずし、どこからか取り出したかわいらしいケースに眼鏡をしまい込んだ。
「ごらんのとおりでございます、ハムタロ様。わたくしの予測が自由自在であれば、このようにリュナ様からお叱りを受けることもございませんでしょう?」
「う…ん。そ、そうだなー…」
しゅんとするラピルに、公太郎は心が痛んだ。この世界の人々にとって恩寵はアイデンティティーである。それを行使するなと言われれば、かなり辛いものがあるはずだ。
…とはいえ、会話する際、常に心を読まれるというのは中々に息苦しい。気の毒ではあるが、これでよかったと思うしかない。
ラピルもまた、それ以上に抗議することはなく、しずしずと数歩下がっていく。その途上、足元に転がっていたなんでもない石ころに盛大につまづいた。
「あっ…!!」
短い悲鳴を上げて、ラピルがバランスを崩す。瞬間、「危ない」と考える間もなく、公太郎は反射的に手を伸ばしていた。…しかし、案ずるには及ばず、リュナがラピルの背中を羽毛で包むように優しく抱きとめていた。
「気をつけなさい。アンタ、眼鏡が無いと、とんだドジっ子なんだから」
「まぁ…ご無体なおっしゃいようでございますこと…。リュナ様がそう仕向けなさったのに。…でもこの体勢、ステキでございます。リュナ様の凛々しさ、まるで夢のよう…」
リュナの腕の中で、ラピルがうっとりと頬を染める。
(うおおおー…?)
公太郎は二人の醸し出しはじめた雰囲気に唸った。端からは、宝塚歌劇団のポスターでも見ているような、耽美の香りを感じる。ラピルは己をリュナの婚約者と名のったが、なるほどたしかに納得のいく空気感だ。リュナもまた、まんざらでもなさそうに見える。
「ほら…しっかりなさい。もう、しかたない娘ね。イリス、ちょっとラピルをお願いできるかしら」
「わ、わ……あ、はいっ」
リュナはくたりとなってしまったラピルをイリスに預けると、長いツインテールを手の甲でたなびかせながら「それで…」と公太郎へ向き直った。
「あの娘はアンタにどんなことを吹き込んだのかしら?」
「…俺にー?」
「そう。大体想像はついてるけど」
公太郎とリュナの背丈は、公太郎の方がやや高い。それであっても、リュナの切れ長の瞳に尋問するような光が宿ると、公太郎はなんだか高みから見下ろされているような気分になる。リュナは根っからの女王様なのだ。ラピルには悪いが、聞いたままを正直に話すしかない。
「自分はリュナの許嫁だ、みたいなー」
「それから?」
「リュナと同じところに嫁ぐとかなんとかー…」
「…そう」
リュナは指で前髪をかき上げると「まったく、余計なことを…」とひとりごちながら天を仰いだ。
「まあ…いいわ。あの娘の思惑に乗るのはシャクに障るけど」
それから、リュナは腰に良手をあて、宣言するようにこう言い放った。
「愛してるわ、ハムタロ」
TIPS:許嫁ではあってもリュナとラピルに肉体関係はない




