竜の卵
9月といえば昔は台風がよく来るシーズンだった。
だが昨今はくそ暑い高気圧が居座ってるせいか、ほとんどやって来ない。
代わりにアメリカのような竜巻が発生したとかで、これからはそっちに気をつけないといけないのかもしれない。
ところで台風には何号とかとは別で、それぞれに名前が付けられてるらしい。
それはこれから発生するであろう未来のものまで、すでにいくつか決まってるそうなのだが、いつか習近平と名付けられた台風が発生しないかひそかに待っている。
天から降ってきた大きな卵は、己こそが塒の主であると言外に主張するような堂々としたたたずまいであった。
「りゅ…竜の卵…だわ。昔、アニキの図鑑に載ってたのに似てる。信じられない…まさか本物を目にすることがあるなんて」
目の前の卵を観察するのに邪魔だと無造作に銀仮面を外しながらリュナが感嘆する。
「竜の卵?まさか、グリモアの…ってことなのかー?」
「…たぶん、状況的には。これはアニキの受け売りだけど、竜の生態…特に誕生のあたりはよくわかってないのよ。図鑑に載ってたのも、出所や真偽の定かじゃない、ほとんど伝説や神話みたいな昔から伝わる話を元にした想像図に近いものだったし。だって、何千年も生きる竜のはじまりなんて、立ち会った者がそうそういると思う?」
「た…たしかにー。数千年単位の歴史的なこと…だなー」
興奮気味に瞳をきらきら輝かせるリュナの勢いに圧されて公太郎はうなずいた。
とはいえ…リュナには申し訳ないが、公太郎的にはぶっちゃけ、そこまでロマンを感じるものではない。なにせあえて陳腐に言ってしまえば、目の前にあるのはただの大きめな卵。さきほどまで竜が息づいていた場面と比べれば、絵的な訴求力はそれほど高くない。
…というか、大きいといっても公太郎が抱えられそうなくらいのサイズなのだ、グリモアの巨体を考えれば、ちょっと拍子抜けする…というのが正直なとこか。
しかしリュナの気持ち自体は理解できるところである。彼女からすれば、たとえば現代人の眼前で謎多きエジプトのピラミッドが建てられはじめたような歴史的インパクトがあるのだろう。
「ああ…、ここにアニキがいないのが残念ね。きっと大はしゃぎしてたでしょうに。アニキ、こういうの好きだから」
「…フェルズ…さんの、はしゃぐ姿かー。ふふっ…そいつもかなりレアっぽいなー」
────むしろ個人的には、そっちのほうが見てみたいなー。
知的で冷徹なフェルズが子供のように夢中になるシーンを想像して、公太郎は少し含み笑いがでた。
「はぁぁ…すごい……一体、どんな味なのかしら…」
そんな公太郎のすぐそばで、イリスが妙になまめかしいため息をつきながら、うっとりとつぶやく。
「………んんー?」「…ん?」
「……あっ!?」
瞬間、公太郎とリュナの怪訝な視線に気づき、イリスは慌てて手で口をふさいだ。
「わっ、わっ!!ち…ちが、違うんです!!そんなつもり、ないですからっ!!その…ちょっとおなかが空いちゃって、つい…」
羞恥に顔を真っ赤にしたイリスが両手をわたわたと振って後ずさり、懸命に前言を撤回する。しかし、イリス自身は気づいてないだろうが、ちらりと見えたさっきの彼女の目は、完全に捕食者のそれだったのは疑いようもない。
…とはいえ、それも仕方のないことだった。実のところ、公太郎も空腹を感じている。この日は飛竜による移動の中で昼に食事を取ったきり。グリモアの塒のある険しい山を登り、激しい戦闘を越えて、今じゃすっかり宵闇だ。くいしんぼうのイリスにはなおのことキツかろう。
「ま…まあ、もう夜だしなー。今日はここに夜営して夕食にし…」
────我を食らおうとするとは、剛毅な羽虫よの────
公太郎のせめてものフォローをかき消して、誰かのくぐもった声が場に響いた。思わずイリスとリュナを見回したが、彼女らも「自分ではない」と首を横に振る。
その時────
バリンッ!!
分厚いガラス窓を力任せに叩き割るような音を立てて、卵の側面から拳が飛び出した。人の手、子供の右拳だ。
「う、うおおー?これは…!?」
呆気にとられる公太郎を差し置いて、さらにバリンバリンと殻が内部から破られていく。みるみるうちに左拳と両足が飛び出した。
「ふ、孵化するっていうの!?さっき現れたばかりなのに、もう!?」
「…だ、だけどこれ、竜の手足じゃないぞー…?」
リュナと公太郎が固唾をのんで目を見合わせる。しかし卵はそれ以上殻を割ることなく、両足でスッと立ち上がると、こちらに向かっててくてくと歩きはじめた。
「って、孵化せんのかいっー!」
手足の生えた大きな卵が近づいてくるというシュールさに公太郎が思わずツッコんだ。その緊張感の欠片もない間抜けな風体に、リュナもどう対応したものかと困惑し、動けずにいる。
卵は固まってしまったような二人の脇をするりとすり抜けると、うしろにいたイリスと正面から対峙した。並ぶとよくわかるが、立ち上がった卵の背丈は通常モードのイリスとほぼ同じくらいである。中の人(?)も見た目はイリスと似たような年ごろ(?)だろうか。
…ともかく、殻の表面は磨きぬかれた大理石のようにぴかぴかで、不可解な相手の接近に戸惑うイリスの姿がうっすらと反射しているのが印象的だ。
「カカカッ。残念だったな羽虫の娘よ。すでに我はこうして産まれてしまった。もはや中に黄身も白身もない。そうそうおいしくは食べられんぞー」
「たっ…食べるつもりなんか…ないですっ!!」
両手を高く掲げ、煽るように体(?)をくねくねさせる卵と、両拳を胸の前にして否定するイリス。まだ完全に産まれてないし、完全に食べるつもりだっただろと言いたいところだったが、話の矛先がこっちへ来るとめんどくさそうなので公太郎はぐっと我慢した。
「ふぅん…?まあ、よい。我を食おうとするその豪胆さ、気に入ったな。カッカッカ。名乗ることを許す。名乗れ」
卵は大股を開き、腰に手をあて、イリスの名乗りを要求する。
────この物言い、グリモアさん…だよなー…
その横柄な態度でこの卵が誰のものか、公太郎はおおよそ確信が得られた。もっとも、リュナの言ったとおり、状況的にはそれ以外ありえなかったことではあるが。けれど、それはそれとして、当然わからないことも多い。
その最たるものは…
「え…えっと、わたしはイリスといいます。一応、『魔王』をやってます」
「イリスか。直々に憶えてやろう。末代までの誉れとせよ」
大きくうんうんとうなずく卵に対し、イリスはコホンと小さく咳払いをしてから本題に切り込んでいく。
「それで…あなたは?」
「……………我?」
途端、イリスに問われた卵は虚を突かれたように、キョトンとしてフリーズした。
「…我の名か」
しばらく顎(?)に手をやって考えたのち、卵はおもむろに再起動すると、くるりと振り返って公太郎を手招きで呼びつける。
「…おい、ハムタロ。我は、なんだ?名はなんという!?」
仕方なく近寄った公太郎に、卵は答えようのないことを耳打ちしてきた。
「い…いや、知らないよー。俺に聞かれてもなー…ってか、あんたは俺の名前を知ってるのかー?」
「貴様の名は憶えてやると言っただろう」
────いつだよ。
公太郎は内心ツッコむ。卵にそんなことを言われた憶えはない。そもそも、産まれたばかりの卵とは、これが初めての会話だし。
「…それを言ったのは、グリモアさんだー…。それじゃあ、あんたまさか…やっぱりグリモアさん…ってことなのかー?たとえば、生まれ変わり…みたいなー?」
「……?貴様はなにを言っている?そんなわけなかろうが」
自由すぎる卵と話がかみ合わず、公太郎は頭が痛くなってきた。しかし卵のほうはいたって真面目というか、茶化している雰囲気は感じられない。なんだか根底に流れる論理のまったく異なる人、遠い文化圏の人間としゃべってるような気分だ。
「すまないー、名前の件はとりあえず置くとしてー、あんた自身がわかってる『あんたのこと』をおしえてくれないかー?なんでもいいー、わかるだけ全部、どうして俺の名を知ってるのかも含めてー」
「…なんだ、ハムタロは存外めんどくさいことを言うやつだな?まあ…貴様には借りがあるから構わんが、見たままだぞ。見てわかる通り、我は…竜だ!」
「…どう見ても卵だが、竜かー」
「うむ、竜である。母は暴凶竜と呼ばれたグリモア、父は勇者ナユタ。我はその間に生まれたひとり娘だ。………ん?待てよ。それは、竜…なのか?混じりない純粋種の竜ではないような…。竜人…とでも称したほうがよいかな…」
腕を組み、己についてひとりごちりだした卵をよそに、公太郎の胸がにわかに熱くなった。
「グリモアさんと、ナユタの娘ー…」
どういう仕組みかはわからないが、ふたりの愛が結実したというのなら、しくじった先ほどの駆け足な別れも、どうにか救いがあった気分になる。…たとえそれが、この珍妙な卵であっても。
「ああ。我が貴様の名を憶えているのは、竜の権能、見識をいくらか受け継いだからだ。親の能力と記憶をソウゾクしたのだ。我もよく知らんが、太古より竜とはそういうものであり、だから竜は最強なのだそうだ!!」
卵が再び腰に手をやり、自信満々にえっへんと胸(?)を張った。
TIPS:卵の中は美少女




