竜の救済 3
海物語にはサムという激レアキャラがいるのだが、
激レアすぎて出てこないので、
たぶんこっそり習近平に置き換えておいても誰も気づかない。
「し、信じられぬ。ま…まことに、真に…ナユタ…なの…か…?」
グリモアの呆気にとられた視線の先で、勇者の剣はナユタの手にあって煌々と輝いている。
「うへー、まぶしー…」
間近で発する強い光に公太郎は手で目を覆った。自分が手にした時との輝度の差は、いわずもがな勇者としての力量差か、あるいは器の違いか。その点における剣の容赦と遠慮と節操のなさに、公太郎は苦笑いするしかなかった。
「1000年もの間、貴様は…我の…こんなにもそばに…?嘘だ…。そ…そんな…バカなことが…。ど、どうして…どうして、いってくれなかったのだ!?貴様がいてくれたなら、わ…我は…」
慄くようにグリモアが膝からへたり込む。
────彼女は激怒するだろうか?
…少なくとも、その資格は十分にある…と公太郎は思った。
なにしろ、1000年。人の身で計る時間の単位ではない。日本でいえば鎌倉幕府どころか平清盛すら生まれる前、歴史で語る長さだ。そんなグリモアの苦悩の年月を想えば、ナユタにはそれを受け止める義務がある。
「…スマナイ、グリモア。オマエニハ、コンナ姿ヲ見ラレタクナカッタ…コンナ、無様ナ…オレヲ…」
ナユタもまた、己が責められて然るべきと自覚はしているらしい。グリモアの憐れな様子を直視するのが堪えるのか、苦渋を噛みしめるようにうつむき、顔を背ける。
「……ああ、そんな…こんなことがあっていいのか?こんな…夢のようなことが。我のようなクズの、生涯の最後に…こんな奇跡が…僥倖が…。ああ、姿形など…どうでもよい。夢なら覚めないでくれ…」
しかしグリモアは怒るどころか、幸福な幻影を目にしたかのように、ふらふらと頼りない足取りでナユタへ向かいはじめた。
「我はずっと、貴様に詫びたかった。あの日から1000年間、夢の中に現れる貴様へしか果たせなかったことが、まさか現で成せるなど…そんな日が来ようとは…」
カラカラの砂漠を彷徨う旅人が、オアシスの映る蜃気楼をそうするように、グリモアが震える手を懸命に伸ばす。
「すまない…などとは我の口にすべきこと。本当にすまなかった、ナユタ。すべて我の浅慮により、あの日…貴様を…。許してくれとは…到底いえぬ。せめて罰してほしい。どうか、貴様の手で。貴様によって滅ぶなら、もはや我に以上を望むものはない。頼む…頼む…ッ!!」
「グ…グリモア……」
尋常ではないグリモアのさまに、ナユタが気圧されるように固まった。公太郎も心臓がぎゅっと縮む感覚をおぼえ、思わず数歩ほど後ずさる。…勇者二人がそろいもそろって情けないと思われるかもしれないが、なにしろ絵面がやばい。
顔を覆った長い髪の切れ間から、目いっぱい見開かれたグリモアの丸い目玉が、恍惚でそうなっているのだろうか、らんらんとぬめるように光っている。両手を前に突き出して幽鬼のようにゆらゆらと近づいてくる姿は、いつか映画で観た貞子そのものだ。
そんな剣呑なイメージが補正をかけているのかもしれないが、赤黒い三日月のように開かれた口は、実態以上に大きく、裂けているかに見える。吐きだされる息はかなり荒く、獲物を前にした餓狼のようだ。
それが「殺してくれ…殺してくれ…」と迫るのだから、グリモアには悪いが端からでも背筋にくるものがある。
「グリモアさんー…!?ちょ、ちょっと落ち着いてくれー。俺はそんなことをさせるためにナユタを呼びだしたんじゃ────」
「待テ。アノグリモアノ前ニ…デルナ。道ヲ遮レバ、殺サレルゾ」
なけなしの勇気を振りしぼり、グリモアを制止しようとした公太郎の肩を、ナユタの骨の手が押しとどめた。
「ナユター…?」
まさかナユタにそんな気遣いをされるとは思っていなかったので、公太郎は一瞬、呆気にとられそうになった。…が、ナユタはこちらなど一瞥もせず、グリモアだけを見据えている。
たしかにナユタのいうとおり、一歩一歩ゆっくりと進んでくるグリモアの様子はかなり異様だ。その進路を迂闊に妨げようものなら、邪魔な虫でも払うように引き裂かれかねない。
そう感じさせるだけの迫力が、グリモアの血走った目にはある。
「…コウナルカモシレナイト、恐レテイタ。オレガ、名ノリデレバ…箍ガ外レルンジャナイカト。1000年前ニ、心ガ壊レテシマッタ…グリモアヲ、今日マデ生カシテキタ箍ノヨウナモノガ…」
「お…俺が、無理やり…あんたを引っ張りだしたから…かー…」
「オマエノ、セイデハナイ。スベテ、先延バシニシテキタ…オレノ責。イズレハ、コウナッテイタノダ」
ナユタは首を振り、恥じ入るように顔を手で覆う。
「モット早ク、決着ヲツケネバナラナカッタ。誰デモナイ、オレ自身デ。トウニ、ワカッテイタノダ。…モハヤ、コノ手デ滅ボシテヤルコトガ、唯一グリモアニトッテノ救イデアルト。…ダガ、ドウシテモ、踏ン切リガツカズ、モシカスレバ…イツカ、別ノ方策ミタイナモノガ見ツカルノデハナイカナドト、アリモシナイ希望ヲ夢見、ダラダラトココマデキテシマッタ」
ため息なのか、それとも事を起こす前の深呼吸なのか、ナユタが長い息を吐いた。その決意の固まりへ呼応するかのように、勇者の剣の刃がいっそうの輝きを帯びはじめる。
「オマエニ、頼ミガアル。当代ノ、勇者ヨ」
「頼み…だとー…?」
「コトガ済メバ、オマエガコノ剣デ、オレヲ討ッテクレ。ソシテ…手間ヲカケルガ、グリモアト共ニ葬ッテホシイ。骨ノ、一欠片デイイ。セメテ…土ニ還ルマデハ、傍ニアリタイノダ。ドウカ…」
「…ま、まてよー。そんな結末にするために、俺はあんたを引きずりだしたわけじゃないー。なにか方法があるはずだー。考えるんだー、グリモアさんを救うなにかー。あんたが口にした、『いつか見つかる方策』ってのをよー」
「…ソンナモノハナイ。今ノオレニハ、ナニモデキン。コノ剣ヲ振ルウ以外ニハ、ナニモ…」
「………今…のー…?」
────閃いた。
『あれ』が、できるかもしれない。…いや、できるはずだ。
公太郎の脳内に、ひとつの確信が浮かび上がった。
かなり倫理的にまずい案だが、ここは異世界であるし、四の五のごちゃごちゃいってられるか。
「俺の元の世界にはー、大昔にマンモスって動物がいたんだがー、氷漬けになってたそいつのDNAを、どっかのえらい学者が解読して姿を再現したとか…そんなニュースを見たことがあるー」
「……マンモ…、ディーエヌエ…?ナニヲ、イッテイル…?」
「たかが1000年くらい、どうにかしてやるって話だよー!!勇者ナユタ、あんたはさっき筋を通したー!だから、あんたは俺たちの敵だが、少しばかり、俺は力を貸すってことだー!!」
ナユタの骨は1000年、氷漬けであったわけではない。しかし不死者としてではあっても、こうして今なお動き、その意思をとどめている。
…であれば、残存しているはずだ。その骨に。ナユタを構成する生物の設計図、DNAが。
もちろん専門の学者でもない公太郎が、DNAを見たところでなにか判別のつくはずもない。そもそも目に見える類のものでもないのだし。…だが、そこにナユタの魂がまだ宿っているというのなら、できるはずだ。肉体を呼び起こせるはずだ。魔法をもちいれば!!
「LV1魔法…『蘇生』…起動!!!」
公太郎はナユタの腕をつかみ、目を閉じると、体内のマナをかきあつめて集中させていく。
────イリスにそうしたように。
イメージする。深く、深く、深く。イリスの時とは違い、ナユタには肉の一片すら残っていない。が、DNAから肉体の記憶を探り、復元をかけていく絵図を脳裏へと描く。
昔、理科の教科書で目にした、人体の構造。筋肉や神経、血管に血液、臓器に皮膚、体毛まで。できる限り細かく、リアルに、詳細に。
「…なんだ、なにをやっている!?貴様…ハムタロ!!」
光を放つ勇者の剣よりもなお、まばゆく輝きだしたナユタ自身に、グリモアが激しく狼狽する。
「コレハ…ナンダ!?ナンノ…魔法ダ…。ア…熱イッ!!上位ノ…光魔法!?溶ケル…オレノ体ガ…ッッ!!」
光に包まれたナユタが苦悶の声をあげはじめた。しかしこれを幸いといっていいものか、再生しだした神経系がひどく傷むのだろう。ナユタの体は固く硬直し、それ以上の抵抗ができず、公太郎の魔法を妨げることもない。
「やめろ!!貴様、余計な真似をするなっ!!ナユタが…せっかく逢えたナユタが…消えてしまう!!」
「そんなあああああ魔法じゃああああなああああああいー!!俺をおおおお信じろおおおおー!!勇者ナユタとおおおおおおおお同じくううううううう、勇者であるうううううう俺をおおおおおおおおおー!!!」
「うっ…!?」
駆け寄ろうとしたグリモアの足を、目いっぱいまで眼を見開いた公太郎が気迫でとどめる。
奇妙な光景だった。魔王すら凌駕する竜が、ただの人間である公太郎に圧され、不意を突かれたように棒立ちとなっている。
だがこれは、竜と人間…肉体の強度差は天地ほどあれど、真の魂がこもった気合いを発せば、時に竜の歩みすら止められるのだ…などと耳触りの良いところからでた迫力ではない。
単純に、今、公太郎は余裕がなかった。
────…こ、これ…まずい、ぞー…
1000年前の勇者を蘇らせようという魔法は、公太郎の想定を超え、体内のマナをごりごりと喰らっていく。その余裕のなさゆえに、叫びが必死の形相を纏ってグリモアを押しとどめたまではよかったが、これでは完了する前に意識が飛んで魔法が失敗してしまう。
「うぐっ…くっ!!ちょ、ちょっと…やばい…かー?!」
全身から力が急速に抜け、体の節々が痙攣し、膝が笑いはじめる。
────そりゃあ、生命の冒涜をしようってんだから、簡単にはいかないだろうけどー…
視界が混濁し、ぐるりと回転した。いつかの飲み会で、調子にのって無理に大量の酒を飲みほした時を思いだす。つかんだナユタの腕を放すことはギリギリなんとか凌いだが、公太郎はまともに立っていられず、地面に屈してしまった。
「マ…マナが、枯れ-…ッッ」
────だめだ…!!し…失敗する!!ドヤ顔キメといて、なんてザマだー…!!
己の見通しの甘さに舌打ちする気分だが、ガタガタと歯の根が合わず、それすらかなわない。
その時。
「…タロッ!!ハム…タロッ!!手を、だして…ください!!」
「…イリ…ス…?」
公太郎の薄れゆく意識を、イリスの声がかろうじてつなぎとめた。いつの間にか、イリスとリュナがそばまで駆け寄っている。
「手をッ!!急いでッッ!!」
公太郎が導かれるままに左手を伸ばすと、すかさずイリスが少々乱暴なほどに荒くつかんだ。
「お義姉さま!!いけますっ!!」
「ええ、いいわ」
すでにイリスの反対側の手を取っていたリュナがうなずいた。
「ハムタロ、アンタがなにをする気か知らないけど、アタシのマナ、イリスを通して送ってあげる。…だから、やり切ってみせなさい。アタシが手を貸して、失敗しましたなんて…許さないから」
「わたしもっ!わたしのマナも送ります!!いいですね、ハムタロ!?『どんっ』…ってきますよ!?」
いうやいなや、リュナの背から二対の悪魔の翼がバッと大きく開かれる。イリスもまたまぶたを閉じて力を集中し、髪の毛が静電気を帯びるように放射状に逆立ちはじめた。
周囲の魔素が陽炎のように揺らぎ、どんどんとふたりへ吸い寄せられていく。
ドンッッッ!!!
「ぎゃーっ!!」
遊園地のジェットコースターが急加速した時のような衝撃がいきなりやってきて、公太郎が悲鳴を上げる。本当に、「どんっ」ときた。リュナを、イリスを包む淡いオーラのようなものが、つないだ手から急速に流れ込んでくる。
「こ…これが…魔王のマナー…」
体を押し出すような衝撃は刹那のことだったが、公太郎は我が身に注がれ続けるマナの圧倒的な質量感に溺れるような感覚になった。
ゲームの体力ゲージにたとえるなら、一瞬でキャパシティーは満タンになり、ドバドバとあふれまくっている。日本酒をちびっとやるお猪口に、消防車のホースで注水するようなものだ。
魔王級の存在が扱うマナ量とは、かくも凄まじいものなのか。公太郎の頭に、一抱えもある大きな袋のキャットフードを、すべて皿に盛られて怯える有名なネットの猫動画が浮かんだ。
────しかし。
「いける、いけるぞー!!このマナ量なら…いけるー!!ありがとうー、イリス、リュナ!!『蘇生』魔法…全力展開ー!!!!」
膨大なマナを、ためらいなく、贅沢に、豪勢に、後先考えず、魔法へと変換する。たかがLV1魔法にはもったいないほど過剰な気もするが、成そうとしている物事の、ことがことだけに公太郎はありったけを突っ込んでいく。
「ウオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!!!!!!」
ナユタが断末魔のように叫んだ。その体は、夜へと移ったばかりのこの時間に、まかり間違って太陽が昇ったのかと錯覚するほど、強烈な輝きに満ちている。…公太郎も、イリスも、リュナも、グリモアでさえも、誰もがまばゆさに目を閉じた。
「ナユターーーーーーーーッッッ!!」
光の奔流の醸しだす白い闇の中で、グリモアが悲痛なトーンでナユタの名を絶叫する。
────静寂が訪れた。
塒を飽和していた光は徐々に収まってゆき、夜が勢力を取り戻しはじめる。
「…ナ…ユ…タ……?」
時が止まったように立ち尽くしていたグリモアの、地面を擦って踏み出した小さな足音が妙に大きく響く。
その視線の先で。
「…無事…だ…グリ…モア…」
地に片膝をついていたナユタが立ち上がった。とはいえ、異質な魔法に包まれたあとである。ナユタはどこか体の節々に違和感があるのか、全身鎧のいたるところをまさぐりはじめた。しかし鎧に覆われた指で鎧に包まれた体をそうしても埒はあかない。やがてもどかしくなり、手甲部を引きちぎるように取り外した。
「…ッ!?」
息を呑む。
手が現れた。修練に、戦いに、たゆまず剣を振り続け、皮膚が角質化し、硬くなった手の平が…指が。
「…なんだ…こ、これは…?オ…オレの…手?」
震えはじめた指を、おずおずと顔のほうへと持っていく。心に芽生えつつあるかすかな期待と、それが思い違いであったらという恐れがないまぜになって、わずかずつしか動けない。
極めて繊細な壊れ物を扱うように、砂で作られた城に触れるように、指の腹で頬に触れてみる。押し返す肉の弾力。続いて耳へ、鼻へ、まぶたへ、感触を確かめてみる。…ある。髪も、ある。
「グ…グリモア…オ、オレは、どうなっている?…お前から、オレは…どう見える…?」
「ナユ…タ…」
グリモアが崩れるようにひざまずいた。顔からはすっかり異様な険が消え去り、見開いて血走っていた眼には零れんばかりの涙が波打っている。
1000年の時を超え、今、勇者ナユタが蘇った。
TIPS:環境に漂う魔力が魔素、体内で魔法などに変換できる魔力がマナ。マナは使用しても時間経過で回復するが、当然その速度に制限がある。よって魔素をマナに変換して利用できる者はそれだけで強い。
ちなみに竜は体内に膨大なマナを作り出す器官があり、魔法などは使い放題、かけ放題。しかもそれを糧に生きるので基本的に食事が必要ない。その代わり、定期的に何らかで使用して放出しないと腐っていく。




