竜の救済 2
聞くところによれば、トランプ大統領はノーベル平和賞をおねだりしているらしい。
なんともこの上なくみっともないというか、恥ずかしげもなくそんなことがよくできるなというか、自己評価どんだけ高いねんこのじいさんというか、様々な人が人種を問わずいいたいことはいくらでもあるだろう。
そこでひとつの案なのだが、習近平にお願いしてはどうだろうか。
なんかあったでしょ?孔子賞だかなんだかってやつ。
きっと頼めば、くれるんじゃないかな?
「そんな…あのスケルトンは、お義姉さまが…たしかに倒したはず…」
「…これだから不死族は。ああもうっ、アタシ嫌いなのよ。しつこいったらないわ」
再び姿を見せた大型のスケルトンに、イリスとリュナが背中を緊張させつつも即応の戦闘態勢に入る。彼我の距離は10歩ほど。彼女たちにしてみれば、手が届く距離に隣接しているも同然だ。
「ま、待ってくれー。俺はそいつと話がしたいんだー」
公太郎は飛びかからんとするふたりの前に回り込み、戦いのはじまりを慌てて制止した。
「どきなさい、ハムタロ!危険よ!!」
「いいんだー、リュナ!!こいつには、そんな気はないー!!なあ、そうだよなー!?」
公太郎の呼びかけに、しかし大型は反応せず、ただやるせなく佇むようにグリモアのほうを眺めている。
「…これは俺みたいな素人の見解なんだがー、たぶんあいつは今、戦える状態じゃないんじゃないかー?ほら、見た目もなんか…さっきと違うだろうー?」
「…大きさ、のことでしょうか?」
ネコ科の動物のようにしなやかに全身のバネを溜め、警戒の構えを解こうとしないイリスに公太郎がうなずく。
大型のサイズは山の中腹で戦った時よりもかなり小さくなっていた。常識的になった、といえば伝わるだろうか。便宜上「大型」と呼称しているが、成人男性とそん色のない程度の背丈だ。
「小さいのは、さっきのダメージの再生途中にあるからよ。敵意がないことの証明にはならないわ」
「…リュナの言うとおりだなー。けど…そんな弱った身体じゃ、戦ってもリュナやイリスの相手にならないはずだー。あれほど強いヤツが、それがわからないとは思えないー。その上でこうして現れたからには…」
「ちょっと待て!」とグリモアが公太郎を食い気味に遮る。
「ハムタロ…貴様、まさかこの亡者が…ナユタだと本気でいうわけではあるまいな!?」
「俺はそう思ってるぞー」
「バカな!!ナユタは間違いなく我が手厚く弔った。夢現であったとはいえ、それだけははっきりと憶えている。捨て置かれた骸のように亡者になど成り果てるはずがない!!」
「もちろん…グリモアさんのいうとおり、違うかもしれんー。まあ、確かめてみればいいのさー」
公太郎は剣を鞘に納め、グリモアをなだめた。それから、なおも心配げなイリスの肩をたたき、大型へ向かって進みでる。が、強い視線に引きよせられるように振り向くと、もの言いたげなリュナと目が合った。
「案ずるなー、リュナ。大丈夫だー」
「勘違いしないで。アンタがどうしてもやるっていうなら、別に止めたりしないわ。心配だってしてない。だって、たとえアンタの目論見が外れても、アタシとイリスが誇りにかけてちゃんと守るから。…ただ、ひとつだけ…いいかしら?」
「な…なんだろうかー」
リュナの口調は至って落ち着いており、平坦な声色にもかかわらず、纏う空気に妙な圧があり、公太郎はややたじろいだ。
「もしも…万が一、アンタが死んだりなんかしたら、アタシはその場で首を掻き切って後を追うわ」
「……え…えぇー…!?」
突如飛び出したとんでもない宣言に、公太郎はサザエさんのマスオのような声がでた。
「アンタの命はアタシの命でもあるということ。それを肝に銘じて、行いを考えてちょうだい。今だけじゃなく、これからも。…アタシがいいたいのは、それだけ」
「お…おぉー…?わ…わかったよー」
つまるところリュナは、自分の行動には責任を持て…といいたいのだろう。大型と交戦した彼女からすれば、あれに無防備に近づくことが無責任で無分別な自殺行為に見えて当然だ。…これは想像だが、『後を追う』という表現も、この世界独特のいい回しなのかもしれない。竜と戦うことを『嵐に向かって剣を振る』と表するように。まさか、本当に自ら首を切るなんてことはないだろう。……たぶん。
「よ…ようし、いくぞー」
リュナの宣言に気合いを入れなおし、幾分引き締まった顔で公太郎が大型へ近づいてゆく。
たった数歩ののち、その間合いへ踏み込んだ瞬間、背中越しにイリスとリュナの気迫が一層研ぎ澄まされるのがわかった。眼前の大型よりもむしろ、後ろから放射される闘気の圧が気になって仕方がない。
当の然で頼もしくはある。が、先ほどのような、イリスが命を落とす戦いなど二度とごめんだ。
────襲ってくるなよー?たぶん…勇者ナユタさんー
緊張からだろう、歩を進める足に接地感が乏しくなんだかフワフワする。
しかし、幸い杞憂であった。果たして大型は微動だにせず、公太郎はやすやすと対面に立っていた。
「あんたが勇者ナユタならー、この剣が抜けるはずだー」
公太郎が鞘に収まった剣の柄を無造作に差し向ける。大型はしゃれこうべの奥に宿る意志の光で、当代の勇者の意図を図るように見つめた。
「勇者の剣、か…然り。亡者の身なれど、真にナユタであれば抜けようが…」
グリモアが息を呑んでわずかにうなずく。…だがそれ以上はなにもない。公太郎も、大型も、イリスたちも、誰も動かず、しゃべらず、張りつめた空気の中を秒針だけが進む…そんな無謬の時が流れていく。
────…これ、なんの時間ー?
勇者の剣を大型がさくっと抜くシーンを想像していた公太郎は、陥った膠着状態に戸惑った。
土壇場に自ら現れておきながら、この大型はなにを眠たいことをやっているのか。…まさか、本当にナユタではなく、見当違いの剣を差しだされ、実は内心気まずくなってるのは大型のほう…なんてオチが待ってたりするのか?
…いや、そんなはずはない。メタ的にも蓋然的に考えても、大型はナユタのはずだ。
────まあ…1000年もそばにいながら、名のりでず、見守るしかできなかったんだもんなー
ナユタの状況を言葉で単純化すると、死んだと思ったら目が覚めたけど骨になってました、ということになる。その困惑はいかほどばかりだったろうか。
そして次に目にしたのは、自分を誤って手にかけた罪に苛まれ、生きる気力をなくしてしまったグリモア。「やあ、グリモア。なんだかよくわからないけれどオレだよ、ナユタだ」…などと気楽に名のれるはずもない。無惨な亡者と化した姿が、いっそう彼女を追いこんでしまうだろうから。
────背中を押してやる必要があるかー
とはいえ、「どうやって」という具体的な妙案は思いつかない。いっそ剣の柄を大型に無理やり押しつけてしまおうか。柄に触れるだけでも、最悪、ナユタであるかないかだけは判明するはず。
……だめだ。そんな受け身では、大型が自分で身の証を立てなければ、グリモアの魂を救うことなどできるものか。
ならば、まずは大型の心を動かすため、裸の本心でぶつかるしかない。
公太郎は大きく深呼吸をして表情を厳しく整えた。
「…あんたが自分を勇者ナユタじゃないというのなら、剣を取りたくないというのなら、まあ…それでもいいさー。それなら俺はこのままグリモアさんを終わらせることになるー。けれど…だったら、あんたはなにしにきたんだー?」
「……………」
さすがの安い挑発では、大型は無言のまま反応を見せない。 …いいさ。いい機会だ。いいたいことはいってやる。
「はっきりいって、俺はあんたを許すつもりはないー。あんたは一度、イリスを殺したー。できることなら、俺のこの手で、粉みじんにしてやりたいくらいだー。っていうかなー、黙って突っ立ってるだけなら、最初からでてくるなよー。正直、あんたのツラなんか二度と見たくなかったぜー。…それともなにかー?あんたも勇者の剣で、いっしょに滅ぼしてほしいってことなのかー?そりゃ、この剣ならできるかもしれないがー、せめてそれくらい自分の口でいってほしいもんだなー?」
呼吸と心臓の止まったボロボロのイリスを思い出すと、今なお背筋がぞっとして嫌な汗が流れる。あの時の怒りが、無力感が、絶望が、次々と大型を責める言葉の刃となっていく。
「ハムタロ…」
イリスが当惑したように自分の名をつぶやいたのが聞こえたが、公太郎は耳に入らないふりをした。振り返れば、少しでも目をそらせば、大型へかけている圧が霧散してしまう。
…それになにより、大型をなじる醜く歪んだ顔を、彼女たちには見られたくなかった。
「…だがきっと、あんたはそうやってこの1000年、あの山の中腹でグリモアさんを守ってきたんだろうー。彼女に気づかれないよう黙って、あくまで一体のスケルトンとしてー」
大型と仲良くするつもりはない。しかし、それでも、汲むべき事情はある。
「今…俺は、あんたの1000年の行いと、グリモアさんの顔に免じて、こうして一応の筋を通してるー。グリモアさんはもう限界だー。あんたがいくら守りたいと思っても、誰かが終わらせなきゃならないー。でもそれが、俺のような…今日やってきた、ほとんど関係のない人間の手で幕を下ろされて、あんたは納得できるのかー?俺が手を下せば、グリモアさんは1000年続いた苦悩を抱えたまま逝くことになるー。あんた…それで、いいのかー!?」
「クッ…」
公太郎の問いに、ようやく大型が動きを見せた。身につけた全身鎧の心臓のあたりを苦しげにつかみ、空気を吸い込む音がする。
「…イ…イ、ワケガ…ナイ…」
「…聞こえねーよー!!」
「イイワケガ、ナイ!!!」
「…だったら!!あんたも、筋を通してみせろー!!勇者ナユタ!!!」
叫びとともに公太郎が向けた剣の柄を、大型が骨の手でつかみ、力強く抜き放つ。
夜の帳を斬り払い、まばゆいばかりに光り輝く刀身が表れた。
TIPS:変化球もなにもなく、大型はナユタ。グリモアがきちんと葬ったのにスケルトンとなったのは、ナユタもまた深い悔恨を抱え、この世に未練を残していたため。




