暴凶竜グリモア 1
一気に暑くなって日々しんどいよ。
熱いのは演出だけにしてほしいもんだ。
習近平もそう思うだろ?
我の知る限り、竜を滅ぼす方法はふたつある。
ひとつめは物理的に滅する。
その際には勇者の剣のような神器を用いるのが好ましい。逆鱗を神器で貫けば、存外…竜というものはあっさり息絶える。しかし実際は、先ほどそこの羽虫の小娘が口にしたように、戦斧などで首を叩き落としてもいい。羽虫にそれができれば、だが。
ただし、これは本当に勧めはしない。一撃で仕留められなければ、死に瀕した竜の恐ろしさをいやというほど身をもって体感することになるだろう。理論上は可能であっても、事実上は不可能。机上の空論とはこのことだ。
とはいえ歴史上、あまたの竜の死因はおおよそこの物理的なものからである。そのほとんどが竜同士の争いの中で起こり、実際…我も何体かの同族を屠ってきた。あとは数例ほど、前述の神器を用いて竜を滅した例を知っているくらいだろうか。
ふたつめは魂が満たされること。
竜は不滅の存在である。寿命は存在しない。だが竜はその生涯において、命題ともいうべき願いを持っている。その理屈や仕組みはわからないものの、竜であれば誰もがある日、天啓のように気がつくのだ。
ただひたすらな己の強さの追求であったり、新しい魔術理論の確立や、あるいは富の蓄積。支配地域の版図の拡大や、珍しいところでは芸術の探求など、単純に客観的に誰もがわかる目標から、複雑怪奇かつ終着点がどこにあるか己ですら判断のつきかねる事柄まで、なにかしら魂を捕らわれていることに。
そしてそれが”成った”と確信を得られた時、竜はその生を穏やかに閉じることとなる。
このような最期を迎えられればなんと幸福なことだろう。そう考えてみれば竜とは畢竟、いつの日か滅ぶことを夢見ながら生きている。
だが、後者の結末が我に訪れることは永遠にない。
なぜなら我の願いは唯一の友、「勇者ナユタの手による滅び」であったのだから。
「暴凶竜」
我の名にそんな冠がついたのはいつごろからだっただろうか。少なくとも1000年前、勇者ナユタと出会った時より、さらに遡ること数百年前にはそう呼ばれはじめていたと記憶している。
さすがに昔がすぎるので、もはや仔細かつ明確に思い出すことはできないが、その時代の我の心を占めていたのはただ一点、「苛立ち」であった。
とにかく日々、イライラしていたのだ、我は。
我を見る、他者の目に。
暴凶竜の穏やかでない響きから、貴様らは我が暴れ回る悪の化身のような存在であったと想像したことだろう。実のところ、我にも思い当たるフシがないわけではない。なにしろ1000年単位の昔なのだ。不滅の竜といえど、生まれた時分から分別を持ちえたとか、老成していたなどということは決してありはしない。そのころの我は、端的にいえば、若かった。
だが、これは我の名誉にかかわるのではっきりと断っておくが、若さゆえに沸き上がる力の奔流を、誰かれ構わず、見境なく、思うままにぶつけていたおぼえはない。我の相手はいつだって同じ竜だった。それも、我以上に暴凶の二ツ名がふさわしい、周囲に厄災しかもたらさぬ悪竜どもだ。
おっと、だからといって我が悪を懲らしめる聖竜だったなどと勘違いするなよ。そういう奴らが相手ならば、遠慮も気兼ねも後ろめたさも罪悪感もなく、渾身の力で殴れたからというだけだ。
しかしその過程において、竜と竜が争う最中にあって、ほんの少し、わずかばかり、人や魔族といった羽虫どもが築いた街並みを砕いてしまうことがあったのも事実だ。我にしてみれば、知らぬ間に蟻の巣穴を踏みつぶすのと大差ないことだが、結果、目ぼしい竜をあらかた片づけたころには「暴凶竜といえば我」という図式が完成していた。
暴凶竜という二ツ名について我がいうことはなにもない。というか、どうでもいい。羽虫どもが我をどう呼ぼうとも知ったことではない。…しばらくはそう思っていた。が、100年、200年と過ぎゆくうちに、暴凶という言葉の持つ剣呑な響きゆえか、羽虫どもの子々孫々への伝承の中で、我という存在がどんどんと恐ろしいものへ変容していくことになる。
訊いてる方としては笑ってしまいそうになるのだが、かつて我が屠った悪竜の仕業を、我がやったことになっているなんてのはまだマシなほうで、悪竜の誰それとグリモアは名前が違うだけの同一の竜…と伝わってることもしょっちゅうである。
ともかく…するとどうなったか。単純な話だ。羽虫どもは徒党を組み、軍を起こして我に挑んできた。そんな恐ろしい竜とは、ともに大地で生きられぬというわけだ。
当初、寛大な我は彼奴らをまともに相手にしなかった。手を出さず、反撃もせず、好きにさせていた。それほどまでに羽虫どもは矮小で、取るに足らぬ憐れなものに見えたからだ。
しかしそれが羽虫どもを図に乗らせたのはいうまでもない。我が年老いて、もはや力を失った脆弱な竜のようにも見えたのだろう。羽虫の行いはだんだんと大胆さを増し、ついには蛮勇に駆られた者が我の懐へ入りこみ、その剣が逆鱗をかすめた。
その結末を口にするのは野暮が過ぎるだろう。羽虫どもの屍は今もこの山の中腹で、亡者になり果て彷徨っている。
そんなことを幾度か繰り返したのち、ようやく竜がどうにかできる類のものではないと学習したのか、羽虫どもは手管を変えてきた。
山ほどの貢物を携え、「竜よ、どうかお静まりください」と平伏してきたのだ。
逆鱗の件はさておくとして、日ごろは別段、怒り狂ってるわけでもないのだから「お静まりください」もなにもあったものではない。
だが実のところ、我の心の表面をざらりと逆なでしたのが、この時の羽虫どもの目だった。無理やり貼り付けたような引きつった笑みで、恐る恐る下から見上げる目が、我を無性に苛立たせるのだ。我の顔色を盗み見るように窺い、我が指先をわずかでも動かそうとしようものなら、飛び上がってびくつく。矮小な羽虫といえど、情けない姿は見るに堪えない。
それ以上に不快だったのが、不興で不愉快で胸糞が悪かったのが、貢物の中に女子供が生贄として混じっていたことだ。この羽虫どもは己が身の安全を担保するために、我に媚びへつらいながら同族を差し出そうというのである。気色悪い。悪竜にも勝るとも劣らぬ腐った性根ではないか。
だから、滅ぼした。
目についた羽虫どもの住処はことごとく滅ぼしてやった。
無残に、容赦なく、ぺちゃんこに。
それで一応の気が済んだわけではないが、その後、憐れな生贄どもには財貨を与え、遠くへ逃がしてやったことは付け加えておこう。
だいたい…この不快極まる羽虫どもは何を勘違いしてたか知らぬが、我は人も魔族も食したりはせぬ。そもそも考えてもみろ。山のような図体の我が、人を食ったところでなんの足しになる。愚かしいにもほどがあるというものだ。
ちなみに、生贄どもがその後どうなったかは我の関知するところではない。が、暴凶竜に曰く付きの者たちだ。滅多なことにはなってはいまい。
ともかく、こうして我は名実ともに、正真正銘「暴凶竜グリモア」として名を馳せることとなった。
当然、誰もが我を恐れ、我の姿を目にすれば、途端に蜘蛛の子を散らして逃げまどい、物陰から我の機嫌を窺うようになる。今でこそ仕方ないことと割り切れもするが、当時の我はいくら竜といえども、それがどこか寂しく、孤独が心を容赦なく苛んだ………わけではない。
逆だ。
誰もが常に我の所在を、動向を、息を呑んで見守っている。特大の腫物を扱うように、びくびくと。
端的にいえば、監視されていたのだ、我は。四六時中。その息苦しさたるや、貴様らに想像がつくか?
くどいようだが、我は羽虫どもなど心底どうでもよい。逆鱗に触れさえしなければ、こちらが手を出すことなどないのだ。眼中にないのだから。だがそんな羽虫であっても、常時、視界の端でちらちらとされれば、どれほど鬱陶しいことか。過去の我が、日々イライラしていたのは、つまりここに起因する。
そんな触れれば爆発しそうな苛立ちを抱えながら、どれほどの月日がたっただろう。ある日、我の塒に人の少年がひとり現れた。
恐れも畏れもなく、ただ真っすぐに我を見つめる純粋な目を、今でもはっきり憶えている。
「勇者ナユタ」
少年は礼儀正しく名乗り、我を討伐しに来たと剣を抜いた。
TIPS:グリモアの塒は魔界の端の端にあるはずなのに、どうして人間の軍隊が攻めてくるんだい?それはね、魔界というのは魔族の勢力圏のことを指すので、当時この辺は魔界じゃなかったのさ。…たぶんね。




