死にたがりの竜 5
我の辞書に習近平という言葉はない ナポレオン・ボナパルト
────やかましい。
峻険たる岩山の頂、よどんだ魔素が澱のように吹き溜まる塒で、夢と現を彷徨っていた竜がわずかに身じろいだ。
先ほどから山の中腹で、小さな羽虫と亡者どもが争う騒音がする。
なにをやってるかに興味はない。眠りを邪魔され、少々苛立つが、叩きつぶしにいくのも面倒だ。
早く終わればそれでいい。望むのは、ただ静寂のみ。
竜は大きくあくびをすると開きかけた眼を閉じ、再び眠ろうと丸くなった。
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人の夢と書いて「儚い」と読むなら、竜の夢はなんというのか。
もし叶うなら、消え去ってしまいたい。
竜である身にも、かつて友がいた。我が生涯で唯一の友。
だというのに、あろうことか、我は友との約を反故にしてしまった。
あれから1000年。あの時の友の顔が、我を苛み続けている。
不滅である竜に、この地獄を抜け出す術はない。どれほど悔やんでみても、友の命はとうに尽き、どれほど祈ってみても、時が逆巻くことはないのだから。
「命の限り」こそ、我が憧憬。「滅び」こそ、我が切望。
叶うはずもない燻るだけの夢が、やがて我を諦観と倦怠で満たしてしまった。
死なぬばかりの無為な日々が、我の心と体を腐敗させてゆく。
いつしか我の吐息は、毒々しく濃化した魔素となっていた。今、魔素は風となり、かつて友の愛した大地を蝕んでいる。
だが、もはやそれすら我の関心を引くことはない。塒の外で起こるすべてが億劫だ。叶わぬ夢に苦悩するくらいなら、我はただ、いつまでも眠っていたい。夢にまどろむ間だけ、夢を忘れていられるのは皮肉だが。
だから、静かにしておくれ。住処の軒先で暴れないでおくれ。
耳元で羽虫のように飛び回られては、我は安らかに眠れない。
見せつけないでおくれ。我が欲して叶わぬ「命の限り」を。
いともたやすく滅びを得られては、我は心穏やかでいられない。
ああ…
いったそばから、魂がひとつ消えていく…
ああ…
なんとも、うらやましい…
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「リュナアアアアアアアアアアア!!」
尋常でない公太郎の様子に、リュナの動きがわずかに鈍った。
「グオオオオオオオオオオッ」
それまでもっぱら防御と回避を強いられていた大型が巨体をひねり、反撃の正拳突きを放つ。
「ハンッ」
小賢しい、とリュナが鼻を鳴らした。突きをバク転でさばくと、そのまま大型の肘をヒールで蹴り上げる。
逆に大型の横腹へ大きな隙が生じた。
「悪いけどいったん休止よ。向こうへいってなさい」
「グヌウウウウウウウウウウウウ」!!」
膂力にまかせた戦斧の横薙ぎが、大型を岩山の壁面へと吹き飛ばす。大きな衝突音をさせながら、崩れた岩が大型に降り注ぐ。
「どうしたの!?ハムタロ!」
リュナは反動を利用し、一足飛びで公太郎たちのもとへ還ってきた。
「リュナッ!イリスが…イリスの心臓がー!!」
「…なんですってっ!?…代わって!!」
公太郎はガタガタと震える手で、どうやっても目覚めないイリスをリュナに受け渡した。リュナは素早くイリスを地面に寝かせ、胸に耳を当てる。途端に顔が蒼白になった。
「イリス!だめよっ!!起きなさいっ、イリス!!」
すぐさまリュナはイリスの心臓付近に両手を置き、心臓マッサージと人工呼吸を開始する。
「イリス!!死んではダメ!!許さないわよ!!」
「そうだ、イリスー!!目を開けてくれー!!」
しかしふたりの呼びかけも虚しく、イリスが応えるそぶりはない。
「うぐっー…!?イリスの…体が…!!」
「恩寵が消えかけてる…イリス!!」
『因子解放』で伸びたイリスの四肢が、みるみるうちにもとの長さへ戻っていく。その姿が物語る残酷な現実を前に、公太郎は呼吸すらできないでいた。恩寵の消失は、即ち、生命の喪失を意味する。
ガラガラ…ガランッ。
不吉な音に公太郎が振り返った、
崩れた壁面の岩をはねつけ、大型がゆっくりとこちらへ向かってくるのが見える。
「くそっー、こんな時にー!!」
公太郎は悪態をついて立ち上がった。大型の接近に、リュナはもちろん気づいているだろう。だがリュナは今、下唇をきつく噛みながら、イリスの救命に必死だ。それどころではない。
「グウウウン」
再び、大型が右手の人差し指を天に掲げた。あの落雷がくる!
「お…俺が、相手だー!!」
やるしかなかった。本気のリュナすらあしらう強大な相手だが、勝てるわけもなかったが、自分がやるしかなかった。
公太郎は恐怖にガクガクと震えの止まらぬ足を殴りつけ、大型に向かって駆け出していく。冗談じゃない!イリスの命がかかってるんだ。リュナの邪魔なんてさせてたまるか!
「『光』魔法、直列起動ー!」
柏手を打つように両手を合わせ、公太郎は十指分の光球をひとまとめにした。
「雷など撃たせるかよーっ」
大型のむき出しになった頭部へ、輝く光球を全霊で放つ。
「フゥンッ」
しかし光球は大型の右手の一振りで、いとも簡単にかき消されてしまった。
「そりゃあ、イリスやリュナの一撃に比べれば、子供だましもいいところだろうがよー!!」
されど、公太郎にとってはそれも織り込み済みだった。もともとダメージなんて期待しちゃあいない。
「こっちはー、雷さえ撃たれなきゃいいんだぜー!!『光』魔法、並列起動!!」
公太郎は、今度はスケルトンの大群にそうしたように、指先に形成した小さな光球をやたらめったらに投げつける。
──────とにかく、時間を稼ぐんだ。イリスが息を吹き返すまで、1秒でも、長く!!
だが思惑に反し、大型は飛んでくる光球をほとんど避けようともしなかった。
それもそのはず、光球は頭蓋骨以外の鎧部に命中しても、シャボン玉のように割れて消えるだけ。 時折、頭部に飛んでくる魔法を、まとわりつくウンカが鬱陶しいというような手つきで払いのけるのがせいぜいだ。時間稼ぎどころか脅威にすらなっていない。
「くそっー!!」
公太郎は焦った。このまま無力な自分を無視して大型がイリスとリュナの方に向かう、あるいは一帯に雷撃を放たれると打つ手がない。なんとかヤツの気を引かなくては…
「俺を見ろデカブツー!!俺を…」
しかし奇妙なことだが、それは公太郎の杞憂だった。叫んで気を引くまでもなく、気がつけば、なぜか大型は公太郎を観察するように棒立ちになっている。
「…オマエ」
「…え?」
大型の口が、はじめて意味のある言葉が発した。それが呼びかけであったこともあり、公太郎もまた魔法を撃つのを忘れて突っ立ってしまう。
「オマエハ、殺セル」
「…な、なんだっ…て?」
急に意味がわからず、反射的に聞き返してしまった…時にはもう、目の前に大型がいた。
「うおおおーっ!?」
目を疑うような、すさまじい速さ。警戒して20メートル弱は間合いを取っていたのに、ピッチャーマウンドからホームベースくらいは離れていたのに、一気に距離を踏みつぶされた。
「オマエハ、殺セルウウウウウウウウウウウ!!」
大型の手刀が、驚愕と恐怖にゆがんだ公太郎の腹を貫く。
「…ムウ!?」
手ごたえの違和感に大型が困惑した。致命傷を負わせたはずの公太郎の姿が、風にかき消えていく。
「『幻影』魔法LV1…おまえがやったのは俺の作った虚像だぜー」
大型のすぐ背後に公太郎が立っていた。両手を合わせ、指先に光魔法を収束させながら。
「さっきの光球は全部、目くらましだー。おまえが気をとられている間に、俺は幻影魔法を利用して背後に回った。だが、今度は目くらましじゃないぜ?直列起動…くらえーっ!!」
ドゴッ!!
「ぐはっー!!」
光球を放つ間もなく、大型の後ろ蹴りが公太郎を吹き飛ばす。
「ガハッ…グッ、うぐぐぅぅ…。ぐく…か、『回復』ー…」
みぞおちに直撃した蹴りで数メートルほど宙を舞わされ、衝突した地面の砂地にやすりのごとく皮膚を削られながら、なおもかろうじて意識を失わなかったのは幸運以外の他にない。
「はあ、はあ、…く、くそー…うっ!?」
痛む腹を押さえながら、どうにか立ち上がろうとした公太郎の視界を、大型の足裏が占めた。
──────踏みつぶされる!!
頭を砕かれる恐怖に公太郎が顔を伏せた時、ガキンッとなにかを弾く音が響き渡った。
「…リュ、リュナ…」
赤髪のツインテールをなびかせ、戦斧を手にした女の背中。リュナが大型の前に、仁王立ちで立ち塞がっていた。
「…あとはアタシに任せて、ハムタロは離れてなさい」
大型を見据えたまま、リュナが戦斧を構える。しかし、それより。
「イ…イリスはー?イリスは目を覚ましたのか…?」
「……死んだわ」
「なっ……!?」
公太郎の地面が、世界がぐにゃりとゆがむ。頭がリュナの言葉を拒絶するように重たくなり、ガクガクと膝が笑う。公太郎は立っていられずその場に尻もちをついた。
「う…嘘だろ…?なあ、リュナ…嘘だろ?」
「…いいから…ハムタロ、アンタは離れてて。今のアタシにアンタを気にしながら戦う心の余裕はないの。…お願い。せめてコイツを倒すまで、イリスのそばにいてあげて…」
リュナの声はつとめて冷静だった。幼児へ語りかけるように、穏やかに、優しく。それだけ聞けば、誰もがリュナの心情を量り間違えるだろう。小刻みに震える肩と、血がにじむほど戦斧を握りしめた手を見なければ。
「う…そ…だ…うぅ…ああああああああーッ!!」
自分ですら意味のわからない叫びを発しながら、公太郎は走り出した。それを合図に、背後で激しい剣戟が鳴り響く。
「うあああああああ!!イリス…イリスーー!!!」
足をもつれさせ、何度も転び、土にまみれた。知らぬうちに涙と洟がとめどなく流れている。
公太郎はイリスの遺体にほとんど縋るようにたどり着いた。
「『回復』魔法ー!!『回復』魔法ー!!!『回復』ーーーっ!!!」
狂ったように回復魔法を試みるが、眠ったように横たわるイリスに効果はない。すでに何度も試したことだ。
「くそおおおおおおおああああああああああああああああああああ!!!!」
無力感を叩きつけるように、地面を拳で力の限り殴る。何度も殴る。衝撃で皮が裂けた。しかし痛みはない。
己の目の前で、己の力およばず、子供を救えない。これほど惨めで情けないことがあろうか。
「お…おおお、俺は…みんなに…ゼナに!!なんて…いえばいいんだ!!」
消え去ってしまいたかった。コップの水が音もなく蒸発するように。この世界から消え去ってしまいたかった。
イリスの死を告げられる村の人々、ゼナの絶望を想うと、合わせる顔などあろうはずもない。
「なにが…イリスの勇者だ…。なにがLV1魔法だ…。ちょっとうまくいって、いい気になって、俺はッッ!!」
──────役にたたない!!肝心な時にッ!!!
吐き捨てながら、地面に額をこすりつけた時、公太郎の脳裏にかすかな違和感が訪れた。
「リ…『リレキショ』…」
公太郎の呼び出しで、目の前にステータス画面が開く。
表示に特別変わりはない。そもそも名前の欄などに用はない。確かめたいのは末尾のみ。
震える指で項目を表示するように画面をスクロールさせる。…あった、これだ。
恩寵:LV1全魔法
「全…魔法…」
『全』とはなにか、これまで公太郎は深く考えてこなかった。
相反する属性の火と水魔法を同時使用した際、イリスが「器用」だとほめてくれたので、「そういうことか」くらいでとらえていた。
さっきの『幻影』魔法にしたって、数日前にリュナが口にしたのを実際に使ってみたら「できた」ので、「便利だな」程度に思っていた。
「できる…んじゃあないのか?…これは…あれを、できるんじゃあ…ないのかー?」
胸の奥にともった小さな灯が、だんだんと確信へと燃え広がっていく。
「LV1…でも、効果さえでればいいー」
公太郎はうずくまった体勢から跳ね起きると、修行僧のように胡坐を組んだ。お寺で修業した経験はないが、見よう見まねでやってみる。少しでも可能性を高めるために。
「フウウウウウウウウウウ」
腹式呼吸で丹田に意識を向け、全身をめぐるマナの流れを感じ取る。さらに、ゆっくりと慎重に右手へ誘導し、集中。
「……………LV1『蘇生』魔法ーー!!」
公太郎は唱えると、右手のマナに変化がくるのを静かに待った。
しかし、いつもはすぐに魔法に変換されるマナが、みじんも揺らぎすらしない。
「…だめなのか?蘇生魔法なんて都合のいいものはないのか?…いや、ある!!」
──────『全』魔法なんてたいそうな名前がついてるんだ。ないわけがない。もし、なくても作ってやる。発動しないのは、おそらくイメージの問題だ。火や水、土に風、光や幻影。これらはきちんとイメージができるから魔法になるんだ。蘇生魔法だってきっと、命をイメージすればできる。命を…命。…いの…ち。命とは…?──────
「バカか、俺はー!!」
公太郎は頭を振って的外れな方へ進み始めた思考を追い払う。
──────なにが命とは、だ。哲学をやってる場合か。もっと、ありのままをとらえるんだ。…思えば、回復魔法にだって具体的なイメージはない。でも、できる。これがヒントなんだ。俺が回復魔法を使う時は、治った状態を思い描いて発動させている。リュナの痕を消した時のように。だとすれば、イリスの元気な姿をビジョンとして構築すれば──────
イリスとの付き合いは、まだそれほど長くはない。時間にして、たった数日。
しかしその間に、公太郎はイリスのいろいろな面を、表情を見てきた。笑って、泣いて、やさしくて、くいしんぼうで、根性があって、がんばり屋で、料理がうまくて…。
ふと考えてみると、元の世界の会社の同僚や取引先、彼らのそういった面は思い出せない。どうすれば気に入ってもらい、不快にさせないでいられるかのみで築く関係性。そればかりを考え、時に自分を捻じ曲げてでも迎合する、そんな上辺だけの付き合いだった。
だが、イリスとのそれはまったく毛色が違う。上辺だけではない。イリスとの付き合いは、関係は、生きている。だから、こんなにも助けたいのだ。
「……これ、はー」
公太郎は右手に集めたマナが、燃える炎のように揺らめくのを感じた。なにかが起きそうな鼓動を感じる。…だというのに、あと少しのところで明確な魔法の形にならない。
「マナが…足りてないのかー?…だったらよー、俺の命を削ってもってけよー。魔法なんだ、それくらいできるだろー!?」
イリスを想う。できるかぎり活力的な姿を想う。その姿を取り戻したいと想う──────
ドクンッ。
公太郎の右腕が脈動し、ずしりと重たいなにかが手に乗る感覚がきた。
目を開いてみれば、手のひらに収まるほどの柔らかい玉を持っている。重く、やわらかく、あたたかい。魔法でつくった火球や光球、回復の光のどれとも色合いが違う。少し赤みがかったオーラを纏った玉。
「…できた」
確信がある。術者である公太郎には、はっきりわかる。
「『蘇生』魔法…LV1ー!!」
公太郎は悦びで飛び上がりそうになったが、すぐに気を引き締めた。まだ成功したわけではない。
「たのむ、イリス…助かってくれー」
公太郎が玉を慎重にイリスの胸の上に置く。玉は溶けるようにイリスの体へ、しみわたっていった。
息をのんで見守る。なにかひとつでも、わずかでも、変化を見逃すまいとまばたきすらしない。
…血の気が引き、青白くなってしまったイリスの肌に、頬に、少しずつ赤みがさしてくる。
グゥゥゥゥゥゥ。
突然、腹の虫が鳴る、間の抜けた音が響いた。
「…お腹、すいたなぁ…」
あくびをしながら、イリスが目を覚ました。
TIPS:な…難産だった…。たすけて習近平…。




