呪熱の女帝 3
シュ シュ シュ キン ペー
シュ シュ シュ キン ペー
家電量販店で流してほしい、習近平のうた
今から10年と少し前。フェルズとリュナの兄妹がまだ幼年期だったころ。
当時、フェルズはすでに非凡な炎魔術師としての片りんを見せはじめていた。一方、リュナはフェルズよりもさらに幼かったとはいえ、恩寵の発動にすら至っておらず、周囲の者たちをやきもきさせる日々を送っている。
「リレキショ」の「恩寵:呪熱の女帝」の記載から、リュナのそれが大魔王の娘という出自にふさわしい強大な力であることは明らかであった。しかし、その詳細についてはリュナ自身すら不明であり、誰もが予想、予測、推測するしかなく、そうした背景が事故の誘因となる。
リュナは物心のついたころから、眉目秀麗で才気にあふれ、生真面目で日々の鍛錬を怠らず、なにより自分に優しい兄を心から尊敬していた。子供らしいいい方をすれば、「大好きなフェルズお兄ちゃん」である。
だが…やがてその気持ちが、リュナの中で「はじめての憧れの異性」という淡い心の萌芽となるまで、さほど時間を要さなかった。
初恋である。それがトリガーだった。
「女」である己と、異性としての「男」、その認識がリュナの中で「呪熱の女帝」を目覚めさせた。ひっそりと、リュナ自身すら気づかぬままに。
その日、フェルズは日課である鍛錬の課題を終え、いつものようにリュナのもとへ訪れた。生家の庭にであったか、近くの山河であったかなどは、もはや当人すら覚えてはいまいだろうが、どこかへ遊びにいこうと誘うためである。
フェルズは部屋でひとり人形遊びをしていたリュナに手を差し伸べた。兄妹は連れ立って歩く時、必ず手をつなぐほど仲が良い。リュナもごく自然に兄の手をとった。
その時、「呪熱の女帝」が発動した。
リュナの「呪熱の女帝」はゼナの「夢見」に近い。リュナが意志をもって操る類の力ではなく、常に、無意識に、仮に就寝中であっても発動し続けるパッシヴ・スキルだった。
瞬間、フェルズの血液が沸騰する。突然の激痛にフェルズの意識が消失した。
「不幸中の幸い」という言葉がある。この時「呪熱の女帝」が初の発動であったこと、リュナが幼く魔力も育っていなかったこと、驚いて兄の手をすぐに振り払ったこと、これらの要因が重なり、幸いフェルズは意識を失っただけで命を落とすことはなかった。
しかしそれがリュナに不幸を呼び込んだ。
日々の厳しい鍛錬ですでに一流以上の炎魔法を会得していたフェルズは、より正確にいえばフェルズの体は、「呪熱の女帝」のもたらした痛みを自身への攻撃と捉えた。フェルズの意思とは無関係に、剣の達人が刺客の刀を受け流すように、脊髄反射による半ば自動的な反撃魔法が放たれる。
フェルズの炎がリュナの顔を焼いた。
消えゆく意識の中で、フェルズが必死に魔力を抑えたのかリュナもまた命を落とすことはなかった。
駆けつけた大人たちによって、ふたりはすぐに回復魔法で治療され、大事に至ることはなかった。
だが、リュナの顔に負ったやけどの痕は、今も痛々しく青黒く残ったままである。
どのような回復魔法の名手であっても、忌々しい事故の痕跡を消すことはかなわなかった。
以来、リュナは顔の傷を隠すように仮面をつけ、笑顔もなく、ふさぎ込みがちとなった。特に男とは、大好きだった兄とすら会話を避けるようになる。
事故はリュナが男嫌いを発症させるのに十分すぎるトラウマとなった。
しかし数年後、フェルズはリュナのもとを訪れ、わずかではあるが手と手をつなぐことに成功している。
聞くところによるとフェルズは事故以降、いかにすれば妹と昔のように兄妹らしく触れ合えるか知恵を絞っていたらしい。
フェルズの真摯な気持ちのもたらした結果に、再びリュナは彼を…彼だけは心から尊うようになった。今度こそ「異性」ではなく「兄」として、「人」として。
その一方で、リュナの男嫌いは一層悪化した。
なにしろ唯一認める「男」がフェルズなのである。フェルズに比べれば、たいていの男のくだらなさといったらどうだ。大魔王…父ですら兄と並べるのはおこがましい。そもそも、あの父は好きではない。
気がつけば、リュナの男に対する攻撃性は、その言動だけでなく恰好にまで表れていた。異様なまでに露出度の高いコスチューム。馬鹿な男は皆、誘引されて手を伸ばし、わずかばかり触れると勝手に自爆する。なんという救いがたい愚かさか。
当然、フェルズはいい顔をしない。最近は顔を合わせば、ハレンチだの、はしたないだのと小言をいわれる。
もっともリュナにしても、男からのわずかな接触の感触すら嫌なので、「呪熱の女帝」を発動させる際には、もっぱら素手で殴ったり膝蹴りを入れたりするのだが。
公太郎を抱きしめながら、リュナはしばしの間、過去を振り返っていた。「呪熱の女帝」が最初に顕現した忌まわしい時を。
────考えてみれば、「男」をこうして抱きしめることなんてはじめてのことだ。なぜそうしたくなったかは自分でもよくわからない。もちろん、不遜なコイツをわからせたかったというのもあるのだが、それがすべてではない気がする。
兄貴が…フェルズが珍しく、この男…ええっと名前はなんだっけ?興味がなさすぎて思い出せないけど、とにかくコイツを褒めてたもんだから、ちょっといじわるをしたくなったのかもしれない。
聞けば義妹のイリスも、コイツには妙に懐いてるらしい。詳しくは知らないけれど、なんでも心に一本、筋が通ってるとかなんとか…だったっけ?
こんな眠たそうな、とっぽいのがとてもそうは見えないけども。
とにかく、おそらく、妬いてるのだ。アタシは。
コイツは兄貴が褒めたりするほど大した者じゃないと見せつけたいのだ。兄貴に、イリスに、皆に、アタシ自身に。そういう子供っぽい、くだらないところが、アタシにはある。
ただ…たしかに、ちょっとばかり不思議な男ではあった。
アタシを前にした男はほぼ確実に、アタシを性的な目で見る。特に、はじめて会う男は。
でもコイツは宝物でも見るようなキラキラした目で「イロモノだー!!」ですって。
イロモノはないでしょ、イロモノは。失礼で不遜で腹が立つ。
けど、正直…ちょっと笑った。
なによなによ、イロモノって。もっと、こう…あるでしょ、他に。
たぶんこの辺が、今…アタシが抱きしめてる一番の理由の芯に近い気がする。男のくせにアタシを笑わすなんてやるじゃない。生意気ね。
だからこれは本当にご褒美。安心しなさい。いった通り、殺しはしないわ。ちゃんと、わからせるだけ。
まあ…アタシの肌が触れた時点で、コイツの意識は飛んじゃってるだろうけど────
「あのー」
すっとぼけて間延びした呼びかけに、リュナの目が見開かれた。
「美人に抱きつかれるのは光栄ですけどー、胸とか当たって落ち着かないんで、離れてもらってもいいですかー?」
「な…んで?」
どこか気まずそうに鼻のあたまをかく公太郎に、リュナの体が驚愕で硬直した。
TIPS:フェルズの恩寵の名称はまだ考えてもいない。いっそ習近平でいいか。




