マークとリューク
リュークそっくりの風貌の男と対峙して、マキアの脳内は「どうして」で溢れかえっていた。しかし、こんな時でも。いや、こんな時だからこそ、マキアは冷静だった。昨日の夜、リュークへ尋問した記憶がフラッシュバックする。
全てのピースが綺麗に収まっていく感覚。
マキアの推理に必要だったのは、リアナに対して告げた言葉だったのだ。
A級の捕虜達は、'マーク'がリュークと入れ替わっていることに気付いていなかった。または、知らされていなかった。
マキアは全てのことがわかった今、対峙する男に向けて、笑みを作った。虚勢の笑みだった。
「……初めまして、幹部候補の'マーク'さん」
男の眉がピク、と動く。リュークによく似た顔だが、彼と違って愛嬌の欠けらも無い。
「マー、ク?」
マキアの声にリュークが振り返ったのだろう。後ろからリュークの声が響いた。
「マーク!!
俺だ!撃たないでくれ!」
「リューク!」
リュークはマークを見つけて、ホッとしたように叫んだ。そして、マキアの後ろから横に立つ。
「銃を下ろしてくれ!
この子はマキア、とても優しい子で……」
「黙れ」
リュークは戸惑いながらも男に笑みを向けた。しかし、冷酷な声がマークの言葉を遮った。その声は低く、リュークとは似ても似つかない声だった。
マークの声を聞いて、マキアは理解した。なぜ、リュークが喋るなと言われていたのか。
「大人しくしろ。マキア・ヨーク」
「……何が目的でここへ」
マークの威圧的な声に蹴落とされないよう、マキアも眼光を鋭くして返した。
「俺達の目的の1つは既に達成された」
「……1つは……?」
マキアは瞬きをせずに返した。
この男の前では瞬きの一瞬な隙すら大きな致命傷に繋がりそうだった。
「もう1つは……」
マークの口がゆっくりと動いた。その時、マキアはマークの後ろに視線を向けた。しまった、そう思った時には遅かった。
マークの後ろに控えた3人のガスマスクのうち、1人がこちらに何かを向けていた。
マークの威圧と隙の無さに気を取られた。
マキアは己に向かって飛んでくる小さな針に気付いた。走馬灯のようにゆっくりと飛んでくるそれを、マキアは避けきれず、首に受けた。
「マキア!!!」
倒れたマキアをリュークが抱きとめる。マキアの視界には心配げなリュークの顔が映り込む。しかし、段々と視界は薄れていって……遂には暗闇に包まれた。
「よくぞ、気付いたな。
惜しかったぞ」
意識が遠のく際、マークの低い声でそう聞こえた。
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……体が、酷くだるい。
まるで麻痺したようだ。
マキアはぼんやりとした意識の中でそう思う。
そして、ゆっくりと力を込めて瞼を開けた。
「……私、生きてる……?」
絞り出した声は掠れていた。
「目が覚めましたか」
ふと、影が落ち、ぬっと視界に人の顔が現れた。
「うっ……」
「あぁ、無理はしないよう。
大丈夫、何もしません」
急な人の顔にマキアは体を動かそうとしたが、体は鉛のように重く動かない。
視線だけを動かして、相手を見た。
……黒髪を纏めた女のようだ。白の制服に帽子……風貌から看護婦のようだが……。その女は綺麗な顔立ちをしていたが、無表情のせいか冷酷そうに見える。女はマキアの点滴を探りながら話を続けた。
「貴女は毒針を受けました。毒と言っても、麻痺させるための。
ただ、貴女には効きすぎてしまって。それでこんなことになっているんです。
本来であればもう動き回れるはずなんですが」
「……ここは、どこだ」
マキアは分かっていながらそう尋ねた。
女は作業を続けながら答えた。
「レフリクトです。貴女がここに来て、1日が経ちました」
ご丁寧に訊いていないことまで教えてくれる。マキアは宙を見つめたまま、続けた。
「……リュークは、どうしている」
女は作業を止めた。そして、驚いたような表情でマキアを見つめた。
「……なんだ」
「……いえ」
女は短くそう言うと、また作業を再開した。
「リューク様は分かりません。ただ、貴女とは離された状態で帰還されました。かなり興奮していたようで、ずっと貴女の名を叫んでおりました」
……リューク、どうしているのだろう。
……リアナはどうなったのだろう。城は、どうなったのだろう。
「今、毒に効く薬を投与しました。この薬は患者が起きてなければ入れられないので。
今丁度朝の7時ですので、昼頃には動けるようになりますよ」
女はそう言って、作業を終わらせた。ゴミを片付けながら、女はベッド横の椅子に腰を下ろした。
「私は、スー。貴女の看護とお世話を担当します。こう見えて、立派な兵士ですので逃げようとはしないでください。こちらも相応の手段を取ります」
マキアはスーと名乗った女に聞き覚えを感じた。スーという名は……。
「お前……まさか」
「はい、私が貴女の担当の理由にもなりますが」
スーは胸に手を当ててこう言った。
「私はレフリクト人の父とライタニア人の母から産まれました」
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スーの言葉通り、昼頃には動けるようになっていた。ただ、痺れは少し残り、回復するのには少し時間が掛かるという。常にピリピリとした電流を流されているようだ。
出された昼食は自分の手で食べた。痺れのせいでカタカタと震えるが、どうにかなる。
そして、スーが食器を片した時だった。
「マーク様がいらっしゃいました」
スーの無機質な声が響き、私の全身に緊張が走った。ゆっくりと開いた扉からリュークによく似た男が入ってきた。やはり、マークだ。
「……気分はどうだ」
リュークとは違ってぶっきらぼうに言う。マキアはマークを鋭く見つめながら言った。
「おかげさまでまだ痺れている」
「……お前はどこまで知っている?」
マキアはじっとマークを見つめた。ここで、なんと言うのが正しいか、分からなかった。尋問したことはあっても、される側に回るのは初めてだ。
「……貴方がマークという、リュークにとっての肉親であることはわかっている。そして、私を始末する気がないことも」
マークは黙ってこっちを見ていた。マキアを始末する気がない、というのは8割ぐらいの確率だった。まず、始末するだけ、情報を吐かせるだけならこんな医療のできる豪奢な部屋には通さない。食事もしっかりしていた。まぁ、その立場がいつ危うくなるかはわからないが。
マークはマキアを見つめて、ボソリと呟いた。
「……マキア・ヨーク。'ライタニアの女神'であるヨーク家に生まれる」
「!」
「母は元一級狙撃兵。父は幹部。全てにおいて、歴代の記録を上回り、最年少で幹部に就任。……まだ聞くか?」
「……」
明らかな脅しだった。自分はこれだけお前の情報を掴んでいる、という威嚇だ。マキアは大人しく、自分が知りうる情報を話すことにした。A級捕虜がマークという名前を明かしたことから、自分の推理でリュークの素性を突き止めたこと。
マークはいつの間にか、スーが座っていた席に座り、話を聞いていた。
「……以上だ」
「……そうか」
マークは一瞬マキアを見て、小さく溜息をついた。
「……リュークは双子の弟だ」
「!」
まさか自分から話してくれるなんて思わず、マキアはマークの言葉に耳を傾けた。
「俺とリュークは伯爵家の元に生まれた。今はそうでもないが、昔は体の弱かったリュークは、屋敷の奥で育てられた。軍人の家系だった俺達は兵士を志した。俺はみるみる昇進していったが、リュークは家柄によって確立された地位のまま、昇進することはなかった。……どうやら、家の家庭教師から、部隊内から日常的に暴力を受けていたようだ。
リュークは俺の影武者となった。リュークが俺に成りすましていることは限られた数人しか知らなかった。そこへ上手くライタニア兵がやってきて、捕虜として捕まった」
……驚いた。まさかこの無愛想な男がこんなにも話すとは。
そして新たに分かったのはリュークの背中の傷のことだった。マークの存在がわかった時、マークが手をあげているのかと思ったが、そうではなかったらしい。しかし、リュークの傷を知りながらも、それを見て見ぬふりしたのは事実だ。
マークはふと、マキアの方を見て、口を止めた。
「……口が滑った。いらぬことまで話したな」
マキアに対して謝るように、ではなく、自戒のように言う。マキアはそんなマークの様子を不思議に思った。
「……なぜ、私に話した」
マークはマキアを見つめていた。
綺麗な青い瞳はマキアをじっと見つめて離さない、リュークと同じ瞳をしている。
しかし、リュークの時には空のように澄んだ瞳だと感じたが、この男からは冷たい海のような冷酷さしか感じない。
けれど、やはり同じ瞳だ。
「……リュークから聞いた。お前が尋問官でありながらリュークに優しく接したことを。
いかなる謀りがあろうとも、そのこと自体には感謝している。……その礼だ」
マークはぶっきらぼうにそう言うと、席を立った。そして、扉を開ける前にこういった。
「……弟が世話を掛けたな」
背中を向けたまま言う所が、リュークとは似ても似つかない。しかし、その奥にある優しさがリュークと似ていた。
マークが去り、部屋の空気が軽くなった。マキアはそのまま枕に倒れ込んだ。……酷く疲れた。
「お疲れですか」
マークが出て、直ぐにスーが入ってきた。
「あぁ……少しな」
虚勢を張りたいわけではなかったが、なぜかそんな言葉が出てきた。……まぁ、敵国でゆっくりすることなんて、できるわけが無いが。
スーはまた点滴を確認している。どうやら袋を替えに来たらしい。
……私はなぜ、このように好待遇で敵国に囚われているのか。スーに尋ねようかと思った。正直、敵国幹部であれば今すぐに葬るか、情報を吐かせるのが当たり前だ。なのに、私は悠々とレフリクトの医療を受けている。
……どうすればいいのだろう。しかし、こんな言うことをきかない体ではどうにも出来ない。マキアは諦め、じっと事が進むのを待つことにした。好機まで体を休めることも、計画のうちだ。
……リュークは、どうしているのだろう。
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マキアは、今どうしているだろう。
リュークは高い高い位置に付けられた心ばかりの窓を見つめた。
痛いことには慣れているが、昨日殴られた腹が疼く。
「おい、マーク様がお呼びだ。
出ろ、出来損ないのお坊ちゃま」
無駄に歳だけ食った兵士が下卑た笑みを浮かべて、リュークに言った。リュークはよろよろとした足取りで牢を出た。
地下から地上に上がると、神々しい光がリュークを包んだ。一日ぶりに外の空気と光を感じた。
……今までは、それだけで十分嬉しかったのに。今はマキアの容態が心配でならなかった。
豪華な部屋の中心にはマークが鎮座していた。
「……また、殴られたのか」
「ひっ」
マークの圧のある低音に、リュークを連れてきた兵士は悲鳴をあげ、逃げ帰って行った。
……こんなに怖い表情をしているが、リュークは知っている。マークが優しい兄だと言うことを。
「座れ」
マークが後ろに周り、リュークの手錠を解く。そして椅子に座るよう促した。
「……マーク。マキアは……?」
リュークはキョロキョロと部屋を見渡した。もしかしたら居るかと思ったが、自分の部屋に囲っているわけではないらしい。
「……今は回復しているが、昨日受けた毒が聞きすぎている。痺れが残っているそうだ」
マークの言葉に、リュークは気を落とした。あんなにも優しい彼女をレフリクトに連れてきてしまったことを後悔していた。
「……気を落とす必要は無い」
マークの言葉にリュークはそっと顔を上げた。
「あの女を殺しはしない。俺があの城を狙った理由は、あの城が本陣へと繋がるライフラインだったこと。そして……あの女がいたからだ」
リュークは首を傾げた。
なぜ、マークがマキアに執着しているのか分からない。
「あの女がいれば……マキア・ヨークがいれば、この戦争を終わらすことが出来る」
リュークはマークの言葉に目を見開いた。
「……ヨーク?」
ヨーク。その名をリュークは知っていた。
いや、レフリクト中の軍人も、一般人も知っている名前だ。
ニキ・ヨーク。
かつて、'ライタニアの女神'と呼ばれた、神の使いがいた。