おやすみを言わなかった夜
マキアは1度自室に戻って、温かな蜂蜜入りのホットミルクを持ってきた。
椅子には固まりそうな程に緊張しているリュークがいた。チラチラとマキアの機嫌を伺うように視線を送ってくる。
「……そんなに緊張しないでいい。喋れるのを黙っていたからと言って、取って食ったりはしない」
マキアは笑みを浮かべてホットミルクを差し出した。リュークは鼻を擽る甘いに匂いに惹き付けられたようにホットミルクへ口をつける。
「おいしい」
途端、ぱあっと笑顔になるリューク。良かった、いつも通りの反応だ。マキア自身の肩の力も抜ける。
思っていた以上に私も緊張していたのか、と自嘲的な笑みが零れた。
「レフリクトでは、このような飲み物は飲まなかったのか?」
リュークの緊張を取るため、何気ない話を振った。リュークは一瞬目を見開いて、ちょっと困ったように俯く。
「レフリクトは……痩せた土地だから」
リュークは声は、喋っていなかったせいか少し掠れていた。そのせいもあって、言葉自体に異様な重みを出している。
……嫌なことを言わせてしまった、レフリクトが戦争のせいで貧しい状況ということは重々承知していたはずなのに。
マキアが謝ろうとした時、マキアよりも先に口を開いたのはリュークだった。
「俺、ずっとこんな風にマキアと話がしたかったんだ」
向日葵が開くような、暖かい笑顔。
フワッとはにかむその様子はどこか儚く、でも可愛らしい。
マキアは一瞬目を見開いて、微笑んだ。
「……そうだな、私も、リュークと話したかったんだ」
心の底から出た本心だった。
尋問官は基本、嘘に塗れている。自分を隠して、相手に悟られないようにする。
そんな嘘で出来た私の口から出た、本心だった。
リュークとはその後も話を続けた。緊張を解くための話だったが、そう時間はかからずにリュークはあれこれ話してくれた。
「メイドから、昼間はぼんやり過ごしていることが多いと聞いたが、何を考えているんだ?」
「マキアのことだよ!
マキアは今何しているんだろう、とか」
「……そうか」
笑顔を浮かべて話すその様子は、小さな子供のようで。時には小っ恥ずかしくなるようなことまで何気なく口にする。
「昨日食べたスコーンは美味しかったなぁ」
「あぁ、あれは私の母から受け継いだレシピだよ」
「え!いいなぁ、教えてよ」
「企業秘密だ」
「ええ〜!!」
マキアの一言一言にコロコロと表情を変える様子は見ていて飽きない。
しかし。
「……リューク。
君はなぜ、喋れないフリをしていたんだ?」
私はライタニアの尋問官。
すべき仕事はしなければいけないし、核心に迫らなければいけないこともある。
私の質問に、リュークの笑顔が一瞬固まった。
そして、眉尻を下げた悲しそうな表情を作る。
「……言われたんだ。
ここに来る時、喋ってはいけない、と」
「……誰に?」
リュークがマキアの方を見つめた。
綺麗な海色の瞳と目が合う。マキアは逸らさずに見つめ続けた。
しかし、リュークはふっと笑顔を作った。それはリュークが初めて見せた諦めの表情だった。
「それは言えないんだ。ごめん」
「……」
正直、リュークなら教えてくれると思ったが、そうはいかないらしい。
リュークも私が乱暴しないと分かっていて言わないのだろう。いや、どんな手を使っても言う気はないか。
そこは敵兵として、レフリクトの者として、矜恃を守ったのだろう。
「……そうか」
その時は引き下がる他なかった。
マキアが言及をやめた時、リュークもホッとしたように肩の力を抜いた。
「じゃあ、質問を変えようか」
マキアはそっとカップを置いて、胸の前で手を組んだ。笑顔を浮かべているはずなのに、異様な雰囲気が空間を支配する。そのことに気付いたリュークは、訝しげにマキアを見つめた。
「リューク。
君は幹部候補じゃないな?」
マキアの一言にリュークは一瞬目を見開いた。
「……どうして?」
笑顔を作って答えるリューク。その笑顔はいつもの笑顔に比べてぎこちない。
対して、マキアは柔らかな笑顔を称えたまま。
「まず、君は兵士としてみても、未熟なところが多い。しかし、それはまぁ大目に見よう。貴族のお坊ちゃんが賄賂によって、上官を任されることは往々にしてある」
マキアはそっと美しい所作でカップを持った。
「君の所作は貴族出身であることを指している。カップの持ち方からスコーンの食べ方、椅子の座り方まで徹底的に教育された者だ」
リュークはハッとしたように手元を見た。そこまで気を回すことが出来なかったのか、その考えすらなかったのか。
「だから最初は貴族のお坊ちゃんが金で幹部候補になっているのだと思った。
しかし、君はそうはいかない」
マキアはカップを置いて、笑みを称えながらも鋭い目付きでリュークを見た。
「君は先月の奇襲を成功させた、超有能な幹部候補様だ。金だけで役を任された、実力の伴わない薄っぺらい人間では、奇襲を成功させる幹部候補にはなれない。
つまり、奇襲を成功させた人物は、実力のある有能な幹部候補である。
しかし、その人物像に君は当てはまらない。
そう……例えば、就寝中とはいえ、私が近づいたことに気づかない、なんて平凡なミスはしないと信じたい」
リュークはごくり、と唾を飲み込んだ。その上下に動く喉仏によって、この仮説は「当たり」だったと推測していいだろう。
さて、ここから先は私の完全なる推測にすぎない、いや、もはや妄想の話になる。
多少、かまをかける思いで行こうか。
マキアは緊張が悟られないよう、小さく息を着いた。
「そして、'マーク'のことだけど」
リュークは驚いたように強ばった表情で目を見開いた。
「君は'マーク'に関する質問に対して「知らない」、と首を横に振った。しかし、それは違う。君は'マーク'を知っている」
リュークは瞬きをせずにマキアを見つめていた。
「最初に名前を聞いた時、君の名である'リューク'を当てた時は顕著に喜んでいた。対して、複雑な表情をしたのは'マーク'を口に出した時。
もし、君の本名が'マーク'なら、リュークが偽名になるが、偽名ならばそんなに近しい名前を付ける必要はない。
つまり、君の名前は'リューク'であっている。しかし、'マーク'という名前に本名意外で心当たりがある」
……リュークが分かりやすい奴で良かった。ムダに責め立てる必要が無い。
「先程の会話から、君は喋らないよう命じられていたという。
この情報達から考えられることはひとつ。
幹部候補は君ではなく、'マーク'という人物。そして、君はその幹部候補の代わりに、捕虜となった人物だ。そして「喋るな」と命じたのも、その'マーク'なる人物ではないか」
リュークの絶望したような様子には内心可哀想だと思ったが、その様子からマキアの推測は間違っていなかったことが分かる。
「……君は'マーク'の配下だな。
君が幹部候補でないならば、君に聞けることはなにもない。わざわざ優秀な人材を捕虜として差し出すわけなかろうし」
リュークは俯いたまま、何も喋らなかった。
「……君の尋問はこれで終わりだ。
明日、君を解放するよう話を進める。君の未来は、自由に選ぶといい。その点は最善を尽くす」
マキアはそう言いきって、席を立った。
3日間一緒にいて、「おやすみ」と挨拶しなかったのはその日だけだった。
リュークは椅子に座ったまま、微動だにしなかった。
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朝焼けに染まる空を見て、マキアは息を着いた。マキアは一睡もしていない。そのように訓練しているため、対して問題では無いが……。
リュークが夜間に逃亡を企てるかもしれない、と気を張っていたが、その心配は杞憂だった。
戸締りをしっかり確認して、マキアは報告書を抱き抱えた。昨日のことをすべて記入している。もちろん、リュークが幹部候補ではないことも……。
提出しようか迷ったが、ライタニアの尋問官として提出する他ない。そして提出した上で、リュークの身柄の拘束を解くよう話を持ちかける予定だ。
朝早いから、とはいってもこんなにも静かなのは最上階だけだろう。下の階では下級兵士が忙しなく動いているはずだ。
そんな時、エレベーターが止まった。
「あら、おはよう。マキア」
「……リアナか、早いな」
出てきたのはリアナだった。リアナも報告書の束を持っている。
「ハッちゃんから色々聞き出せてきたから報告書をね、マキアはどう?」
「……そうだな。今日で私とS2のペアは解散だ」
マキアの言葉にリアナは瞳を大きくさせて、振り返る。
「あら、そうなの?
さすが若き天才幹部様ね」
「そんなんじゃない。奇しくも、昨日のリアナとジョインの話が引き金になってな。
あとはトントン拍子にピースが揃っていった感じだ」
「あら、そう。
そういうこともあるわね」
リアナはご機嫌らしい。
リアナのおかげ、なんて言えば普段なら「じゃあ私に報酬をちょうだい」などと言ってしまうのに。
マキアはふと、リアナに尋ねた。
「……あの捕虜達だが、S2とA級たちは一緒に捕らえられたんだよな」
「ええ、そうだと思うわよ。
ハッちゃんもS2について、「マーク様が指示したからだ」と言ってるわ」
「……」
「マキア?急に立ち止まってどうしたの」
A級の捕虜たちはリュークのことを'マーク'だと言っている。それはリュークが'マーク'を装っているとわかっている上で、'マーク'と言っているのか。……本当にそうか?拷問を受けた今、そこまで嘘を貫けるか……?
「あいつは'マーク'では無い。本当の幹部候補はあいつじゃない」ぐらい口走りそうだが……。
何故だろう。なにかが引っかかる。
「ちょっと、マキ……」
「もし、A級捕虜達が、S2を'マーク'本人だと信じていたら?」
「……え」
リアナの声を遮って、マキアは声を発した。A級捕虜達がリュークを'マーク'本人だと思い込んでいたなら……それは成立するのか?
いや、'マーク'の顔自体知らなければそれで上手くいくはずだ。けれど、もし知っていたなら……。
なんだ、なにかがおかしい。体の毛穴が脇立つようにゾワゾワとして落ち着かない。
「リアナ、私なにか」
私、なにか勘違いしてるのかもしれない。
そう言おうとした時、リアナは絶望した表情でマキアを見ていた。
「リアナ?どうし……」
「あれ……」
リアナの瞳はマキアを捉えていなかった。
その瞳はマキアの後ろを捉えている。
マキアはリアナの視線を追って振り返った。
視線の先には大きなガラス窓。
ガラス窓は開いていて、カーテンが揺れている。
そこに、ヒトが立っていた。
ガスマスクを被った、恐らくヒトは、重装備で立っている。もはや、ヒトの形をした何かかも分からない。
そのヒトの後ろから数人の同じ装いのヒトが現れた。
マキアはゆっくりと相手の胸元を確認した。
そこには、金のドラゴンの刺繍。
「「っ敵襲!!!!!」」
リアナとマキアは同時に叫んでいた。
その叫びと共に狙撃音がけたたましく聞こえた。
反射的にマキアは自分が来た道の方へ、リアナはエレベーターの方へ身を投げた。
間一髪、銃弾に当たらずに済んだ。しかし、上官室から出てきた人たちは何人か撃たれたようだ。悲鳴になりそこなった短い呻き声が聞こえる。
リアナはちょうど開いたエレベーターへ飛び乗ったらしい。既にエレベーターの扉は閉まっていた。
「リューク!!」
マキアは急いで今来た道を折り返した。威嚇しているのか、銃声はなかなか止まなかった。
背後を気にしつつ、走った。
走っている音は銃声にかき消されているはずだ。
永遠のように長い廊下を抜けて、自室へ入る。
その際に太腿に固定しておいた、拳銃を取った。あんな重装備の相手に対してかなり心もとないが、ないよりはマシだ。
「リューク!!」
マキアが入ると、リュークはベッドの上で困惑していた。
「マキア!いま、銃声が!!」
「大丈夫、あなただけは守る!」
マキアはリュークの言葉には答えず、リュークの手を引っ張った。そして自室へ戻ろうとする。
「な、なんで、俺を守るの?
マキアにとって、俺はもうなんでもないだろ?」
銃声に驚いたのか、情けないほどに弱々しいリュークはマキアの後ろを歩きながらそう言った。
「そう、私と貴方はもうなんでもないわ。
あとは捕虜と尋問官としてのペアを解いてもらうだけ」
マキアは気丈に声を出した。
静かだが、芯の通った声。
マキアはゆっくりとリュークの方を振り返った。
マキアの額には汗が浮かんでいた。銃声も鳴り止んでいない。
けれど、マキアは笑顔を浮かべていた。
「捕虜と尋問官じゃないもの同士になれたからこそ、私はあなたを守れる。
……初めてリュークに会った時の感情は、忘れてないから。その時の思いに従って、尋問官としてでなく、私として、リュークを守る」
リュークは驚いたように目を見開いた。
そこで、銃声が近づき、自室のドアがドン!と叩かれた。
「リューク、戻って」
もう自室はだめだ。ここから脱出する術は無い。窓から出ることは出来てもここは高すぎる。
隣室へ戻り、鍵をかけた。
「リューク、隅へ。」
リュークを背中に隠して、マキアは拳銃を握りしめた。安全装置をゆっくりと外した。
……開いたら撃つ。開いたら撃つ。開いたら撃つ。
隙は見せない。隙は見せない。隙は見せない。
私は死なない。私は死なない。……死にたくない。
息が上がっていた。身体中が心臓になったように脈打っている。
自室を突破した音が聞こえ、この部屋の扉も叩かれている。
ミシ、と木製の扉が音を立てた時。
バン!!!
大きな音と共に、扉が開いた。
撃て!!!
心の中で自分に命を出した。
「っう!?」
扉を突破してきた敵を見て、マキアの手は止まった。トリガーを握る人差し指が動かない。
ただ、脳内を「どうして」という言葉がグルグルと回る。
扉を突破した相手も、銃口を向けたまま、動かない。
外されたガスマスクが首元に垂れている。
先程入ってきた奴らで間違いない。
なのに、指が動かない。
長銃のスコープ越しにこちらを睨む長身の男。
金髪に、青い瞳。鋭い目付き。
私が銃口を向ける先には、リュークと同じ顔をした男がいた。