'マーク'
夜の3時。
眠れないマキアは、外をぼんやりと眺めていた。
敵国・レフリクトの捕虜であるリューク。
そのリュークの背中には無数の傷が付けられていた。
傷は全て、背中に集中していた。そして本人曰く、ライタニアではなく自国のレフリクトで付けられた傷だとか……。
それ以上追求は出来なかったが、彼は一体……。
……もしかしたら、私たちは踏み込んではいけないレフリクトの謎に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
そんな恐怖に苛まれる。
マキアはそっと壁際の席を立ち、隣室へ繋がる扉をノックした。
そっと扉を開けると、中から小さな寝息が聞こえてきた。
ベッドに近づくと、こちらに顔を向けて横向きに眠っているリューク。
その寝顔は軍人とは思えないほどに可愛らしいものだった。
……ほんとに、彼は幹部候補なのだろうか?
私がここまで近づいても起きる様子はない。
軍人であれば、就寝時でも気配を過敏に感じ取る訓練をしているはずだが……。
いや、リュークはそんな芸当が出来るようなやつではないか。
ふっと笑みがこぼれた。
まるでおっちょこちょいな飼い犬を見ているような気分だ。ベッドの縁に腰掛け、月明かりに照らされた綺麗な顔を見つめる。
リュークの顔に掛かった金髪をそっと避けた。
「……可愛いな」
こんな大柄の男に言う言葉では無いが、小さな子供のようだ。まるで親戚の子供を引き取ったような気分になる。
頬を人差し指の背でそっと撫でると、リュークは眉をひそめた。
「……起こしちゃ悪い、か」
マキアはそう言って、静かに隣室を後にした。
ベッドに戻ると、睡魔が襲ってきてゆっくりと瞼を閉じた。
マキアが眠りについた頃、隣室ではリュークが寝返りを打っていた。リュークは夢で何かを食べているのか、むにゃむにゃと口を動かしている。
ーーそして、
「……まー、く……」
小さくそう呟いた。
幼子のようでいて、落ち着いた品のある声はマキアの耳には届かないまま、闇に消えた。
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リュークの尋問が始まって、既に3日が経とうとしていたが、頑なにリュークが喋らない、または喋れないため、状況は何も変わっていなかった。
しかし、リュークの行動については読めてきている。
マキアがいない間は、眠っているか棚の本を読み漁るか、外を眺めるか。
逆にマキアが来た時は喜んで迎え入れ、マキアの話を聞いたり、本を利用して自分の意思を伝えたりしている。
1つ言えることは、マキアをかなり信用していて、懐いてきているところだ。
メイドの話によると、マキアがいる時といない時では態度が異なるらしい。
それこそ、マキアがいない間はメイドが入室してもベッドの上で縮こまっていることが多いらしい。そして、マキアが来た時には笑顔で迎え入れる。マキアが去る時にはしょぼんとして見送る。
……まさに大型犬そのものである。
上官に報告すべき情報が得られず、真っ白な状態の報告書を見つめた。
マキアがグッと伸びをした時、強くドアをノックする音が響いた。
「マキア様!
緊急会議の招集が!」
緊急会議とは幹部以上の者が集まる、名前の通り予告のない会議のことである。
マキアは小さく溜め息をついて、帽子を被る。
兵士に誘導されながら、会議室へ赴くと既にほとんどのメンバーが集まっていた。
メンバーの中にはリアナもいる。
そして
「……ジョイン?」
何故か1番目立つ端の1人席にジョインがいた。
ジョインはマキアと同じ時期に入隊した同期である。
しかし、マキアはトントン拍子に出世し、今では最年少幹部を務めている。それに対して、ジョインは尋問官としても兵士としても目立った功績を上げることが出来ずにいた。
そんなジョインが何故会議に……?
しかも、席の位置的にはかなり孤立している。
マキアが自分の固定席に座ると、もう1人、2人上役が入ってきて全員席に着いた。
「緊急会議を始める」
司会進行役の幹部・マクスの声が大きく響いた。
皆の表情も、先程より一気に緊張感が増した。
「それでは、尋問官ジョインより事の次第を説明してもらおう」
幹部の中でも古株のマクスの声は低く、威圧的だ。明らかに空気が重い。
そして、あの楽観的で嗜虐趣味のジョインの顔は青ざめている。よく見ると、肩は小さく震えている。
……一体何があったというのか。
「尋問官ジョイン」
「はっはい」
マクスに急かされたジョインは、哀れな程に怯えていた。声は裏返り、脂汗が鼻先に集中している。
ごくり、と唾を飲み込んで、ジョインは事の次第を話し始めた。
「けっ、今朝の話です……俺……っ私が担当していた捕虜番号、A7が……し、死亡しました」
会議室に戦慄が走った。
静かだった会議室はより息を潜めるような空間へと化す。誰もが発言しまいと怯えている時……
「……死亡したというのは自ら手を加えたからか」
そんな空気を割いたのはマキアだった。
マキアの言葉に、口々に周りの者達が発言する。
「そ、そうだ。
A7はどう死んだのかね」
皆の言葉に、ジョインは助けを乞うようにこちらを見つめながら続きを話した。
「お、俺が手を下したわけではありません!
確かに、捕虜として捉えてから昨日までは肉体的な罰を与え続けていましたが!!」
……捕虜を自由に扱うことの出来る権限を持つ尋問官でさえ、殺害することは許可されていない。捕虜が自害したとしても、それを止められなかった尋問官は責任を負うことになる。
ただ、殺害したのと自害したのでは罪状も罰も大きく異なる。
……さて、この会議どうなることやら。
「落ち着け、尋問官ジョイン。
事を一から説明したまえ 」
マクスの言葉に、ジョインは1度息を吐いて椅子に座り直した。
そして死んでしまったA7のことを語り始めた。
「……1日目から昨日の2日目まではずっと身体的罰を与えていました。A7は1日目から泣き言を言いましたが、2日目には「自分はただの兵士で何も知らない。マーク様の指示に従っていただけの副隊長だ」と言い始めました。」
……マーク?
マキアはその人名に疑念を抱いたが、1度ジョインの話を最後まで聞くことにした。
「そして今朝、見張りの兵士が違和感に気づいた時には椅子の上で死に絶えていました……。
俺は手を下していません!昨日の夜の段階では生きていました!」
本当です!と机を叩くジョインに幹部たちも息を詰まらせた。
しかし、
「あら、どうかしら」
必死なジョインに対して、余裕のある無慈悲な声を上げたのはリアナだった。
「な、なんだよ……何が言いたいんだよ!?」
「だぁって、ジョイン、けっこうA7のこと弄んでたじゃない?
あれだけの暴力振るわられたら死んじゃうんじゃないかしら」
リアナの言葉を聞いたマクスはリアナの方を振り返った。
「リアナはA8の担当だったな?」
「はい、部屋が近いので、ある程度お互いの罰の最中の音は聞こえるんですよ」
リアナの言葉にジョインの顔が歪んでいく。
「だ、だとしても!
俺がいる目の前で死んだんじゃないんだぞ!?」
「えぇ?
でもあんたが死因を作ったのかもしれないわよ?」
クスクスと笑うリアナはなんとも意地が悪い。
リアナの言葉が事実であったとしても、死因が分からない今はどうすることも出来ない。
狼狽するジョインを見て、リアナは楽しんでいるのだ。
「そこまで。
死因については今調べている途中だ。
死因が分かれば、その時にジョインの処罰を決めよう」
マクスの声に皆が頷く。
しかし、ジョインは悔しそうに歯を食いしばり、それを見てリアナは意地悪げに笑っていた。
「ところで、そのA7が言った、「マーク」とは誰だ?」
マクスは異論が無いのを確認して、ジョインに尋ねた。皆、それが気になっていたのだろう。
それもそうだ。今やA7に「マークが誰か」と尋ねることは出来なくなってしまったのだから。
しかし、ジョインはアワアワと青ざめた。
先程まではリアナの挑発で赤くなっていたのに。
「そ、それは……」
……どうやらお楽しみに夢中で訊いていなかったようだ。
尋問官とは聴いて呆れる。
しかし隣に座るリアナが名乗りを上げた。
「私の担当・A8も同じように「マーク」の名を挙げていました。
誰か尋ねたところ……」
リアナはそこで言葉を溜めた後、隣に座るマキアの方を一瞥した。
「金髪に青い瞳、背の高い男。
幹部候補で、自分と同じように捕虜となった男だと言っていました。
つまり……」
リアナはそう言って、またマキアの方を見つめた。
それに伴って皆の視線がマキアに集中した。
「マキアの担当する捕虜、S2のことです」
「……え」
マキアは思わず声が漏れた。
「そうなのか?マキア」
マクスの言葉にマキアは頭の中で情報を整理した後答えた。
「……私が担当するS2ですが、喋ることができないのか頑なに声を出しません。なので文字に対する指差しで名前を問いました。
そこでは「リューク」、と名乗っていました」
マキアの言葉に他の幹部たちはふむ、と考え込んだ。しかし、リアナはマキアの方を見ながら問い続ける。
「S2が嘘をついている可能性は?」
「ない、とは言いきれないが、その可能性は薄いと思う。目の動き、体の動き、頷き方から嘘を言っているようではなかった」
「じゃあ、S2が幹部候補ではない可能性は?」
リアナの突然の質問にマキアは一瞬目を見開いた。
……分かってはいたが、リアナの長所として、誰にでも無慈悲に、残酷に'疑う'ことができる所がある。
流石の着眼点だ、と内心感服しながら続ける。
「……正直、半分半分だ。
テーブルマナーなどの所作から貴族出身であることは間違いないだろう。
しかし、危機感のなさや逃げ出せるタイミングで逃げ出さないことなど幹部候補としては些か愚鈍すぎる」
マキアの言葉に、思案するように腕を組む者、ヒソヒソ話し合う者。
しかし、マクスの声によって場は静寂を取り戻す。
「話していても仕方ない。
マキアは引き続きS2の尋問を。
ジョインはA7の死因が分かるまで自室で待機。
また事が分かり次第、皆に報告する。
以上で良いな?」
マクスの言葉に誰も意見しなかった。
マクスの解散の言葉に、蜘蛛の子を散らすように皆が退散していく。
しかし、視線はマキアの方をチラチラと確認している。
2人の尋問官がS2を「マーク」だと言った中で、マキアだけが「リューク」と言っているのだ。
……このような視線を向けられることには慣れている。
マキアは小さく息をついて、最後に部屋を出た。
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「さ、どうぞ」
マキアは自室に戻った後、直ぐに隣室へ向かった。
マキアが扉を開けると、リュークはまるで犬のように扉前までやってきた。
青い瞳はキラキラと輝き、「待ってました!」と言わんばかりだった。
マキアは自室から紅茶を持ってきて、リュークに差し出した。
リュークはいつも通り、角砂糖2個にミルクをたっぷり入れて紅茶を飲んでいく。やけに甘党だ。
……今、この瞬間もスプーンなりで私を殺して出ていこうとはしない。それは脱出の機会を見計らっている慧眼さ故か、それとも脱出計画すら思い浮かばない愚鈍だからか……。
……しかし、もう3日も一緒にいる訳だが、いつも美味しそうに食べる。
もしこの行動全てが演技ならば、そろそろ尻尾を出しそうではあるが。
「……リューク」
リュークは紅茶を飲む手を止めて、マキアを見据えた。こてん、と首を傾げる仕草は本当に子供のようだ。
「……マークって知ってる?」
リュークは目を見開いて、慌てた様子で椅子から立ち上がる。
マキアは一瞬身構えたが、マキアとは真逆の棚の方へ行ってしまう。
そして棚を探った後、1冊の本を机に置いた。
「!!!」
リュークは本を置いて、その表紙を自信満々に指さした。
「……あぁ……」
それはリュークが指差しで意志を伝える時に使う、あの物語だった。主人公・マークが旗を抱えて立っている様子を指さしている。
リュークはまるで、「褒めて?」と言うように瞳をキラキラと輝かせている。
「そ、そうだな。マーク、だな」
マキアはそう言って、屈んだリュークの頭を撫でた。
リュークは機嫌が良さそうに頭を撫でられている。
……ほんとに、この子は幹部候補、なのか……?
嬉しそうな様子のリュークに、マキアもつい笑みがこぼれた。