癒えない無数の傷
要塞の城と化した拠点の最上階、マキアはエレベーターを降りると自室を目指した。
変な真似をしないだろうか、と後ろを気にしていたが、男は大人しくマキアの後ろを着いてきていた。
大型犬に似ている、と言ったが、鎖に繋がれ、マキアの後ろを着いてくる様子は大型犬以外の何者でない。
……しかし、敵国・レフリクトの幹部候補ともあろう者がこんなに大人しく従うのだろうか。それとも、逃げ出す隙を考えているのだろうか……?
一抹の不安を抱きながら、マキアは自室へ辿り着いた。
「ここが私の部屋だ」
マキアは笑みを浮かべて男に話しかけた。
いや、彼は捕虜だった。
S2、という捕虜ナンバーで呼ぶが正しいか。
S2は相変わらず一言も発さない。
しかし、その表情はまるで、少年のまま大きくなってしまったかのように純粋無垢な瞳をしていた。
ライタニアの中でもトップクラスに豪華なマキアの部屋をキョロキョロと興味津々に眺めている。
さながら、夏にカブトムシを探す幼児のようだ。
……ほんとにこの男が幹部候補なのだろうか。
背格好としてはマキアと同じく、10代後半から20にかけての年頃だろう。
……いや、こんなことを考えていても仕方ない。
とりあえず、報告書に書くための必要最低限の情報は聞き出さなければ。
マキアは鋭い目つきの瞳を一度閉じて、目を開ける。
そこには優しく柔らかな金の瞳があり、表情も柔らかな笑みを浮かべている。
「さ、こっちだよ。君の部屋は」
自然と喋りまで柔らかくなってしまった。
自嘲的な笑みを浮かべて、隣の部屋へS2を案内した。
ペアの捕虜用の部屋は、マキアの部屋から直通の扉が付けられている。
出入り可能なのはこの扉のみ。
それだけ聞けば、尋問官がすぐ横にいるなんて、鬼畜的な部屋のように思えるが、内装は至って普通の部屋である。
どの捕虜もそうだが、この部屋を見ると皆呆気に取られた表情をする。
それはS2も例外でなく……というか、こいつは最初から緊張感のない顔をしていた。
案の定、S2はキラキラとした大きな瞳でおもちゃ箱のような尋問部屋を眺めている。
……ほんとにこいつは幹部候補なのか……?
マキアは1つため息をついて、S2に近寄る。
顔は幼い面立ちだが、やはり近くで見るとかなり大きい。
190cm近いのではないだろうか。
レフリクト人にしては珍しい、恵まれた体格だ。
S2は相変わらず、ぽかんとした表情で近づくマキアを見つめていた。
「鎖、外すから手を出して」
S2はちょっと経って、手を差し出した。
鎖を外すとS2の手は拘束を解かれ、自由に動けるようになる。
……普通の捕虜ならここで襲いかかってくるものだが……。
「……」
S2は以前、ぽかんとした表情で外された鎖を見つめている。
……ほんとに、なんなんだこいつは。
あまりに緊張感が無さすぎて、こちらの調子が狂ってしまいそうだ。
「鎖は外すけど、捕虜の手枷を外すことは出来ないんだ。
そこは勘弁してくれ」
S2はぽかんとしたまま、マキアを見つめていた。
……うん、この子のデフォルトはこの顔なんだろうな。
マキアは諦めて、鈴を慣らした。
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マキアが鈴を鳴らして数分後、メイド服を着た女が現れ、紅茶と茶菓子を置いて出ていく。
あのメイドはここに仕えて長いから、捕虜を招き入れる奇行にももう慣れてしまったのだろう。顔色1つ変えずに、出ていく。
「さ、どうぞ食べて」
興味津々で茶菓子を見つめるS2を見つめて、マキアは微笑み、紅茶を1口含んだ。
それを見たS2もそっとティーカップを持ち上げて、口を付けた。
……ティーカップの持ち方、スプーンの扱い方から飲み方まで。
過不足のない、綺麗な所作だ。
やはり、この男、市井の出ではない。
おそらく、貴族の家の出だ。
マキアがS2を鋭い目付きで観察していると、S2がマキアの方へ顔を上げた。
マキアはS2と目が合う前に、笑みを浮かべた。
「私、君のことを捕虜ナンバーのS2、と呼びたい訳では無いんだ。
……君の名前を教えてくれないか?」
もぐもぐとスコーンを頬張っていたS2の動きがふと、止まる。
S2はキョロキョロと周りを見回して、棚に置いてあった本を持ってきた。
そして何やらページをパラパラとめくり、1文字を指さす。
そして、見て欲しいげに視線を向ける。
マキアは長い髪を抑えながら、身を乗り出した。
「リュ?」
マキアの言葉にS2はうんうんと頷き、またページをめくった。
そして、マキアを呼ぶように顔を上げる。
……ほんとに犬みたいだ。
マキアは身を乗り出したまま、本を見た。
S2が指さしているのは挿絵だった。
「挿絵……?」
その挿絵は髪の長い華奢な男性を描いていた。これは、ここら辺の地域では有名な物語だ。
私の言葉に、S2は頭を左右に振った。
よくよく見ると、指の先は男性の下に置かれている。
「……マーク?」
そこには挿絵の人物・物語の主人公である「マーク」の名前がある。
「リュマーク?」
マキアが首を傾げると、S2はなんとも言えないような表情をした。
喋りはしないが思ったよりも表情が豊かだ。
「……惜しいか?」
S2は大きく頷いた。
そして、またS2はマークの「ーク」の部分をなぞった。
「もしかして、リューク?」
S2は大きく縦に頷いた。尻尾があるならばブンブンと振っているような様子だ。
リューク……聞いたことない名だ。
特別珍しい名前でもないだろうが。
「わかった、今度からリュークと呼ぼう」
そう言うと、S2……もといリュークは嬉しそうに1つ頷いた。
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捕虜・リュークもといS2についての報告書をまとめ、マキアは自室を後にする。
リュークは今、隣室のベッドで眠っている。
やっと気を休めることが出来たのだろう。
その寝顔はまるで幼い少年のようだ。
危機感の無さに違和感は募るが、相手が尻尾を出さないのであれば、出来ることは少ない。
今日得た情報をまとめて、上官室へ向かう。
上官室へ行った後、自室へ戻ろうとするとエレベーターの扉が開いた。
「あら、マキア。朝ぶりね」
エレベーターから出てきたのはリアナだった。
マキアが先程提出した報告書と同じ束を持っていた。リアナも報告書の提出に来たのだ。
「……まだしていたのか」
リアナから放たれる異臭にマキアは眉をひそめた。
しかし、リアナはマキアの言葉など全く気にしていない様子で、恍惚そうな笑みを浮かべている。
「あのハッちゃんがね、なかなか良いのよぉ〜。壊し甲斐があるって言うか……」
「……」
ハッちゃんとはA8のことだろう。リアナは自分のペアである捕虜に愛称をつける癖がある。
「それで、何か聞き出せたのか?」
マキアが呆れながら尋ねると、リアナは気怠げに報告書の中身を確認する。
「そうねぇ〜、とりあえずジョインと私が担当してるA級達はS2の配下で間違いなさそうね。
特にジョインの所のA7なんて、あんな屈強な見た目しといてすぐに泣き言漏らしたらしいわ。
ま、ジョインの性格上、白状しても罰を与える手を緩めはしないだろうけど」
……相変わらず、手酷い仕打ちだ。
しかし、リアナとジョインはこの手打ちを酷いなどと思っていない。
最早、捕虜をヒトとして認知すらしていないのだ。
足元で蠢く蟻のことなど気にしないのと同じ。
存在は認知していても、相手にどんな気持ちがあるか、なんて考えない。
「……そう、お勤めご苦労様」
「マキアこそねぇ〜」
鼻歌交じりに去っていくリアナと擦れ違う。
生臭い性の臭いがリアナから漂う。
A級の捕虜2人が、いつまで持つのか。
……いや、私が考えていても仕方ない。
上官命令としてジョインの行動を止めることは出来ても、同じ立場のリアナの行動を止めることはできない。
そもそも、捕虜の一切は担当尋問官に一任されているから、マキアの言葉なんて反映されない。
なんとも胸糞悪い気持ちを燻らせながら、マキアは自室へ戻る。
コップ一杯の水を飲み、喉を潤わす。
何故だろう、リアナやジョインと話すと無駄に疲れる。
価値観が合わない相手と話すのは体力消費が大きい。マキアにとっては捕虜と話す方がまだ楽だった。
「……はぁ」
大きな溜息を吐いた時、隣室で物音が聞こえた。
リュークが起きたのだろう。
一息ついて、笑みを浮かべた。
そして隣室への扉を開いた。
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「リューク?起きたか?」
そう言って扉を開けると、ベッドに腰掛けてぼんやりしているリュークがいた。
しかし、リュークの服はよく見ると肩口から血が染みている。
慌ててリュークの元へ駆け寄った。
「どうした?」
リュークは大きな青い瞳で、マキアを見つめた。
どうやら傷付いた左頬から血が出ている。
それが伝って、肩に染みているのだろう。
さっきまで血は止まっていたし、リュークが眠ってしまったため、処置出来ていなかった。
マキアは自室から医療箱を持ってきて、そっとリュークの頬を処置した。
「……これ、ライタニア兵にされたのか?」
マキアの言葉にリュークは戸惑いながらも頷いた。
……幹部になったは良いものの、私の声はまだ小さいらしい。
ライタニアでは捕虜への暴力が横行している。それは分かっているのだが、完全に撲滅する術を持ち合わせていない。
マキアは出来る限り、目に見える範囲で捕虜への待遇改善を測ろうとしていた。
「……?
リューク、ちょっと上の服を脱いでみてくれ」
マキアの言葉にリュークは嫌がる素振りもなく、汚れた上の服を脱いだ。
「……これ、は」
上の服の血はてっきり左頬から流れた血だと思っていたが、応急処置の間も服の染みは広がり続けていた。
そこに違和感を持った訳だが……。
目の前のリュークの広い背中は生傷から古傷まで、無数の傷で覆われていた。
服に付いた血は、未だ癒えていない肩口の怪我によるものだった。
しかし……ライタニア兵が付けた傷としては、古傷が多すぎる。
どれも一貫して同じ刃物で切りつけられた傷のようだが……。
「……この傷、ライタニア兵が?それとも戦争で?」
マキアの言葉にリュークは暫し考えている様子だった。
背中から見るリュークは、表情が見えない。
しかし、どうやら何か思案している様子だった。
1分くらいそうしていただろうか、リュークは心を決めたのか、恐る恐る頭を左右に振った。
「……じゃあ、レフリクトで?」
マキアの言葉に、リュークはまた思案してゆっくりと頷いた。
この傷は、自国で付けられたものだったのだー。
マキアはその事に絶句した。
訓練でついた傷にしては些か不自然なものが多い。
……一体、レフリクトで彼はどんな扱いをされていたのだろうか?
そして、彼は本当に幹部候補なのだろうかー?