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中編

 公爵家の領地を取り纏める大きな街にある大きなお屋敷。広い敷地の中にいくつも建物があり、それぞれに庭がしつらえられているのだと説明を受けた。


 ロレッタが案内された本屋敷といわれるメインのお屋敷の他に、別館が三棟、寝泊まりも出来る小さな家が二棟あるのだという。さすがは建国当初からある大貴族で、定期的に王家から王女や王子が婿や嫁として入る名門。領地の邸宅も大きく豪華だ。


 本屋敷の車寄せに馬車が到着すれば、ずらりと使用人が並んで「おかえりなさいませ」と出迎えられて驚く。出迎えや見送りなんて、ほとんど経験がない。


 お屋敷の中は公爵家所有らしく重厚感のある造りだ。どこも美しく清潔に整えられて、置かれた美術品や家具類も上品で落ち着いた感じにまとまっている。


 なにより驚いたのは案内されたロレッタの部屋だ。整えられた美しい庭が一望できる南向きの広い部屋で、入れられている調度品は女性向けの上品な物ばかり。クローゼットには肌着の類と普段着になるブラウスやスカート類、お茶会用だろうデイドレス、夜会にも着て行けるようなドレスと装飾品まで複数用意されていた。


「お嬢様のお好みがわかりませんでしたので、最低限の数でご用意いたしました。不足の分は後日ショップに注文する予定でおりますので、お好きな色やデザインなどをお申し付けください。家具類もお気に召さなければ変更できますので、お申し付けを」


 侍女は輝くような笑顔でそう言いながら、ロレッタの持ち込んだ古い衣類や文房具も丁寧に扱ってくれた。


 その後、侍女に手伝って貰っての入浴も、夕食用にと用意してくれた素敵なドレスも、料理長が気合を入れたという夕食からデザートまで、今まで経験がないくらいに素晴らしいものだった。


 人の好意に疎く、それを受け入れるのが難しいロレッタだけれど、さすがに歓迎して貰っているのだと嫌でもわかる。


 もしかしたら、ロレッタの諦めていたものが……ここでは手に入るかもしれない、そんな風に思えるくらいに使用人たちはロレッタに好意的だし、準備されていた物にも気を遣われていた。


「サロンにお茶の用意が整いましてございます」


 夕食後、ロレッタは屋敷奥にある家族だけが利用できるティーサロンに案内された。落ち着いた雰囲気のあるサロンでロレッタを迎えたのは、レナードだ。


「……お招き、ありがとうございます」


「いや。その、疲れているというのに付き合って貰って申し訳ない。……どうしても、話しておきたいことがあって」


「花紋の番のことや、生贄ではないことはすでにお聞きしておりますが」


「その事ではない。私やこの家のことについて……ロレッタには嘘偽りないことを知っていて貰いたい。あなたは、私の番だから」


 レナードのエスコートを受けてロレッタは席についた。テーブルの上には可愛らしい形をしたトリュフチョコレートと香り高い紅茶が並んでいる。


「美味しいお食事、素敵なお部屋にドレスなどの衣類もありがとうございます」


「キミがこの屋敷に入ると聞いてからずっと、料理長や侍女たちが張り切っていた。気に入って貰えたら、皆喜ぶだろう」


「ありがとうございます」


 ロレッタは頭を下げた。素直に嬉しかったから。


「好みに合わないものは取り換えて構わない。足らない物は出入りの商家に頼んでもいいし、街にある店に行ってもいいから揃えてほしい」


「はい」


 レナードは紅茶に口をつけてひと息入れると、背筋を正した。


「あなたと私が花紋の番であることは間違いない。私たちは夫婦神が定めた相手同士であり、正式な花結びの儀式で婚約し、結婚することになる」


「はい」


「吊り橋を渡ってから見ていたからわかると思うが、多くの花紋の番は出会った瞬間に激しい恋に落ち、死んでも想い合うほど深く愛し合う。けれど……私たちはそうではない」


「……はい」


 ロレッタはティーカップに伸ばしかけていた手を引っ込め、膝の上で握り込んだ。


 用意されていた部屋やドレス、好意的な使用人たちの態度から勘違いしそうになっていた。花紋の番という神様が決めた相手だから、レナードと愛し合える関係になれるかもしれない、なんて少しでも期待した自分が悪かったのだ。


 このお屋敷で今のところ領主の番として不足のない扱いを受けている。整えられた部屋、不足のない衣類や生活必需品、優しく気遣ってくれる使用人たち。


 レナードはロレッタを見て、名前を呼んでくれる。


 アビントン子爵家の別邸にいたときとは雲泥の差だ。それで十分ではないか。


「その、勘違いをしないでほしいのだが……キミが私の唯一だとは理解しているし、愛しているという気持ちが私の中にある」


「……え?」


「キミを好ましいと、愛おしいと思っている」


 レナードはロレッタから僅かに顔を反らした。その横顔にある耳の先っぽは不自然に赤く染まっている。


「その、私は……顔の表情がほとんど変わらないから、分かり難いだろう。だが、その、そういった感情はある」


 レナードは、王弟が婿入りして爵位を継いだ(この国では男子のみに爵位の継承がなされるため)タッカー公爵家の三男として生まれた。しかしながら、母親は正妻ではなく妾。元々、侍女として公爵家で働いていた男爵家の令嬢だったのだ。


 公爵の血を分けた三人の子息の中で、妾を母に持つ末っ子が一番公爵に似ていたことは皮肉なことだと、親族も使用人たちも含めて全員が思った。


 母とレナードは正妻の命令で公爵領の隅にある村の小さな家で暮らしていたが、レナードが五歳のときに母が病気を患った後に他界し、レナードは独りになる。しかし公爵家本邸に引き取られることはなく、レナードは小さな家で数人の使用人に面倒をみて貰いながら暮らした。それは、貴族が通うことが義務付けられている学校に入学するまで続くことになる。


 学校では卒業までずっと寮生活を送った。公爵家から顔を出せと求められもしなかったので、卒業するまで一度も関わらずに過ごした。


 公爵家の血を持つわけでもなく、父親である公爵自身に可愛がられているわけではない庶子ということで、同学年の生徒たちからはやや遠巻きにされており、特別親しい友人などはできなかった。だからといって、学校でイジメを受けていたわけでもない。必要なことは話しができたし、グループ学習で仲間外れにされるようなこともなかったため、問題なく学校生活を送り、優秀な成績で卒業を迎えた。


 母が亡くなってからのレナードは、家族とは疎遠、親しい友人もいない孤独な少年時代を過ごすこととなった。そのせいか、口数少く顔の表情に乏しい男に成長した。


 無表情で不愛想に見えるけれど、貴族社会の中では表情から内心を読み取らせない、という強みになり、敢えて無表情無感情で通していた。その結果、意識して動かさなければ、顔の表情がほとんど動かない状態になってしまったのだ。


 卒業後は文官として王宮で働くことが決まっていたのだけれど、突然公爵家に呼び戻された。六年ぶりに会った公爵夫人からは公爵が病に倒れ、療養に入るため「領地にて領主代理として働くように」と命じられる。


 レナードの一番上の異母兄は結婚しており、甥にあたる息子が一人いるのだが異母兄夫妻が馬車の事故で死亡したため、残された息子が成人し爵位を継ぐことができるようになるまでの間、領地の仕事をしろという有無を言わさぬ命令だ。


 二番目の異母兄は現在も王族付きの近衛騎士として生活しているが、未婚であり、更に幼いころに患った病気のせいで子どもができない体になっている。後継は望めないし、子どものころより剣の腕を磨き、騎士として生きて来た彼に領主の仕事は難しいし、騎士としての実績を積んでいるのを半端な時間の領主仕事で摘み取ってしまうのは問題だと判断したらしい。


 レナード自身の実績や、甥が爵位を継いだ後のことはどうでもいい、そう言っているのと同じことだ。


 元々タッカー公爵家の血筋は正妻である夫人であるため、王弟で現公爵の子であっても公爵家の血を持たないレナードは立場が弱い。そのため、使い捨ての中継ぎとして使うことに躊躇いはない様子だった。


「タッカー家の血など全く流れていないというのに、今までタッカー公爵家の三男と名乗ることを許していたのですから、当家の為に働くことは当たり前です!」


 前公爵夫人は目を吊り上げてそう言った。


 レナードとしては断りたかったのだけれど、公爵家の人脈と権力には逆らえず(文官としての就職決定を取り消されてしまった)に仕方なく今の仕事に就くことが決まってしまった。


 跡取りとなった甥は現在、七歳。成人するまで十一年。祖父である現公爵から爵位を受け継ぐのにさらに二、三年を予測しているが、甥が爵位を継いだその後……レナード自身の立場がどうなるかわからないという、微妙な立場である。


「……本当にすまない、こんな男の花紋の番とは」


 レナードが話し終わると、ティーサロンに沈黙がおりた。


 正直にいえば、貴族の世界ではよくある話だ。名家の庶子の存在だとか、後妻に入った令嬢と先妻の生んだ子との確執だとか、異母兄弟間での関係性だとか。特別珍しくない。


 けれど、当事者の立場に立ってみれば、笑い話では済まないのだ。当人にしたら、辛いし悲しいし苦しいし頭にもくる。


「レナード様、お話を聞かせてくださってありがとうございます」


 ロレッタに対して自分の生い立ちや立場、今後予想されることまで包み隠さず話してくれたことが素直に嬉しかった。自分自身の不利なところまでしっかり話してくれたとことから、彼が誠実で正直なのだろうと思うし、現実と向き合う強さも持ち合わせているのだろうと思った。


 この誠意には、答えなくてはいけない。


「あの、私の話を聞いていただけますでしょうか」


「ああ、勿論だ」


 アビントン子爵家の次女として生まれてから、ロレッタは今までのことを全て語った。


 レナードたちが暮らすこの国で、ロレッタの家庭環境は楽しい話ではないだろう。子どもをとても大切にするお国柄だと聞いたから、余計にだ。


 けれどレナードがありのままを話して聞かせてくれたように、ロレッタもありのままを話そうと決めて話した。家族とのこと、使用人や教師たちとのことも全て。


 ロレッタが話終わるころには紅茶はすっかり冷めて香りも失ってしまっていたけれど、ティーカップに手を伸ばしアルフレッドが止める間もなく飲み干した。わずかに温かさの残る紅茶は、沢山話したロレッタの喉には丁度よかった。


「ロレッタ、あなたは辛い思いをしてきたのだな」


「……それは、レナード様も同じことですよ」


 親や兄弟たちからの愛情は与えられることはなく、お互い家族には恵まれなかった。孤独で他人からの愛情に飢えていて、けれど愛情を得ることを諦めて生きてきた人生だ。


「私はこの通り話すことが上手くないし、表情も変わらないし、感情表現も豊かではない。だが、あなたに対しては言葉を尽くすし、出来る限り顔にも気持ちを乗せるつもりだ」


「その、無理をなさいませんよう。事情はわかりましたから」


「ありがとう。……今の領主代理という立場も、十五年後には無失っているだろう。恐らく、貴族という身分も失うことになる。こんな男の花紋の番であるとは、あなたにとっては不幸かと思う」


 レナードの顔色は悪い。先程、耳の先っぽが赤く染まっていたのに、今は顔全体が青白くなっている。


「花紋の番がある以上私たちの結婚は決定事項であるし、離縁しあなたを自由にすることも難しい。この国の法律で花紋の番の離縁は認められていないからな。……私自身、あなたを離してやるつもりはない」


「え……」


 レナードはゆっくりと席を立つとロレッタの座る椅子の横にたち、その場に片膝を付いた。膝上で強く握り込まれていたロレッタの手が、大きな手に掬い取られた。


 ロレッタの手を包むように取るレナードの手は、大きくてペンを長く使っている人特有の硬さのある手だと感じられる。


「レナード様」


「私は母が亡くなったときから、私は様々なものを諦めてきた。けれど、花紋の番相手だけは諦めないと決めていた。あなたと出会った後は、共に幸せに暮らすのだと。あなたは、今私への強い想いも深い絆もないだろう。あちらの国からやって来る花紋の番は、番の衝動が薄いと聞いているからな」


 強く握り込んでいたロレッタの手が解かれ、二人の手が重なった。


「ロレッタ、私はあなたを裏切らない。番であるあなたと出会って、その先のことを考えて今まで生きてきたのだから。だからロレッタ、もう一度だけ……信じて願ってくれないか」


「……なにを信じて、なにを願えばよいのでしょう?」


「私からの愛情を。愛情を受け入れてほしい、できることなら……私のことを少しでも想ってくれたら、なおいい。私はあなたとだけはお互い想い合える関係になりたい、そう思っている」


 ロレッタの中にあったろうそくの炎のようなほのかに温かいくらいの気持ちが、ぎゅーっと締め付けられた後大きく膨らんだ。それはろうそくではなく、大型ランプのように明るくて温かくて、そして甘くて切ない気持ちへと大きく膨らむ。


「……」


「……ロレッタ?」


 家族からの愛情を一切受けることができず、周囲からの愛情など諦めていた。この左手首の《シルシ》がある以上、生贄として死ぬことが決まっている者なのだ。そんな者に愛情など注ぐ者はいないのだと、そう思って。


 けれど、この《シルシ》は生贄ではなく番の証。ロレッタとレナードの結ぶ、夫婦神から授けられた愛の証。


 他の誰からも愛情を注がれなかったとしても、レナードからは愛情を注がれる……ロレッタからの愛情をレナードは受け取ってくれる。ロレッタが憧れて求めて、そして諦めた愛という気持ちをレナードとだけは生涯分かち合うことができる。


 家族と離される原因となった《シルシ》であったけれど、それが二人を繋いでいる。誰にも引き裂けない、神が結んだ縁として証明しているのだ。


「……っ」


 顔が熱い、首も耳も手も熱い。心臓がドクドクと大きく鼓動していて、口から飛び出してしまいそうだ。しかしながら、ロレッタの気持ちは心臓よりも荒れていた。


 恥ずかしい、嬉しい、もしもレナードに裏切られたら悲しい、苦しい。


 でもやっぱり想われて、求められて嬉しい。


 そんな気持ちが交じり合ってぐるぐると回っている。


「……ロレッタ。少しずつでいい、もう一度だけ愛を得られるのだと信じてほしい」


 手を取られ、甲にレナードの唇が触れた。その瞬間、ロレッタの全身を一気に血液が駆け巡り、思考不能に陥り、意識が飛んだ。


 遠くに「ロレッタ!」「お嬢様!」という慌てた声が聞こえた気がした。



 **



 ひとつ、三月に行われる〝花結びの儀〟までに番との関係を良きものにしておくこと。


 ひとつ、二人で返礼の儀に間に合うよう〝返礼の品〟を選ぶこと。


 この二つが、国で花紋の番を迎えた者に対して国王から命じられる。


 花結びの儀式までに番同士仲良くなっておくこと、こちらの国へ愛おしい子どもを送り出してくれた番の実家へ感謝を込めた贈物を二人で相談して選んでおくこと。これは儀式までの間に仲良くなっておきなさいよ、という国王からの優しくも少々お節介な命令だ。


 レナードとロレッタも王命に従い、交流を重ねる。


 お互いに拗れた想いを抱えていることも、話すことも上手くもない、表情に乏しいことも承知していたことから、素直な言葉を重ねてぎこちないスキンシップを意識的におこなった。


 共に街に出かけ買い物をしたり、演劇を見に出かけたり、話題のレストランやカフェに行ったり、お屋敷の広い庭を散歩したり、ティーサロンでお茶とお菓子を楽しんだり。


 中でも、ロレッタを歓迎するお祭りは街に暮らす領民を中心にして三日間に渡って開催された。街中を花と色ガラスで作られたランプで飾り付け、食べ歩きの出来る軽食を出す出店が沢山並び、幾つも楽団が街に入り楽しい音楽を披露するという、季節のお祭りとそう変わりはないものだ。けれど、領民は皆笑顔で「おめでとうございます!」や「ようこそいらっしゃいました!」とロレッタを歓迎し、レナードと縁付くことを喜んでくれていることだけはよくわかった。


 街の中央にある大きな広場にはステージが作られ、ロレッタとレナードはそこで領民たちの挨拶を受け、音楽に合わせてみんなで踊った。


 夜会で披露するダンスとは違う、パートナーと一緒にリズムに合わせて体を動かすだけの踊りは年齢も性別も関係なく皆が笑顔になる。ロレッタはこれまた初めての経験で戸惑ったのだけれど、レナードとのダンスは楽しくて自然に笑みが浮かんだ。


「ロレッタ、私の元に来てくれてありがとう。嬉しいよ」


 人との交流に乏しかったロレッタには、これまた不器用で言葉選びがあまり上手くなくロマンチックとは言えない真っすぐなレナードの言葉や態度が逆に刺さった。男性からの甘いセリフは、ロレッタにとっては小説や演劇用に作られた台詞として認識されていたからだ。


 二人の交流はロレッタに変化をもたらしたと同時に、当然レナードにも変化を与える。ほとんど変化のなかった顔の表情に動きが出てきたのだ。まだまだぎこちないものの、笑みを浮かべたり、がっかりしたり、嫉妬したりといった感情が端から見てわかるようになった。


 時間が経つにつれて徐々に交流は円滑になり、二人の間に芽生えて育った感情も手伝って二月も月末になるころには、燃え上がるような気持ちを交わした番ほどではないが、硬い信頼と相手を思いやる愛情で結ばれた番といった関係になっている。


 レナードとロレッタの二人にとっては理想的な関係だと、当人たちも周囲の者も納得している。


 ずっと別邸で独りきりだったロレッタにとっては、レナードとの交流は初めてのことばかりだった。初めてのことで驚きや戸惑いもあったけれど、それ以上に嬉しいし幸せだと感じることの方が多い。


 こちらの国に来てからロレッタはいつも幸せだ。レナードはもちろんのこと、使用人たちも街の人たちもロレッタという個人を認めてくれて、レナードの花紋の番、領主代行の婚約者として扱い、歓迎してくれる。


 同じ日にこちらの国に渡った他の二人がどう思っているのかはわからないけれど、ロレッタは「こちらに来られてよかった」と思う。


 花紋の番という目に見える《シルシ》のせいで家族との縁はなくなってしまったが、レナードとの縁を結んでくれたこと自体は夫婦神に感謝しているロレッタだった。




 三月の半ばに王都の大聖堂で行われるという〝花結びの儀〟が近付き、領地から王都へ向かう準備が始まったころ、ロレッタはレナードの執務室へ呼ばれた。


 執務室は落ち着いた色合いの調度品で纏められていて、大きな机の上には仕事の書類とは別に商品目録が山のように積み上がっている。


「……これは?」


「聞いていると思うが、四月の始めに花紋の番の生家に服の返却と贈り物をする慣例がある。返礼の儀というやつだ。こちらにやって来たときに着ていた衣類と靴を返すことは、生家からの自立、親離れをしたという意味。贈り物は感謝の気持ちを込めるものだ。……要するにアビントン子爵家のご両親や兄姉へ、ロレッタを今まで産み育てて可愛がってくださってありがとう、そういう感謝を込める」


 今までの贈り物事情を調べれば、どの花紋の番たちもかなり高額な贈り物をしているらしい。宝石や金銀の原石、ネックレスやピアスなどの装飾品、絵画や壺、彫刻などの美術品、あちらでは手に入りにくい生地や香辛料などの特産品、あとは現金などが一般的らしい。


 贈り物の総額が高いほど、量が多いほど、感謝が深いという意味になる。


 そう聞かされて、ロレッタは首を傾げた。


「……いえ、あの、そういう感謝を家族には……」


 服と靴を送り返すことが自立や親離れを現わすのなら、それらを送ることに文句はない。むしろ送り付けたい。けれど、感謝の贈り物を贈ろうという気持ちにはどうしてもなれなかった。


 ロレッタを産んでくれたのは確かに母だけれど、育ててくれたのは使用人と家庭教師で、彼らも仕事として行っただけ。両親に可愛がって貰ったこともなければ、兄姉と一緒に遊んだこともないのだ。そもそも、ロレッタは彼らの好きな物など全くわからない。


「……そう言うと思っていた」


 レナードは苦笑いを浮かべ、机の上に積み重なっている目録の表紙に手を置く。


「よろしいのですか? 決まり事、なのですよね?」


「構わない。贈り物はそれぞれに違う、何を贈るのかどれだけ贈るのか、全てが花紋の番である二人に任されている。決められているのは、四月一日に服と靴、贈り物が届くように選んで手配すること。時間的にそろそろ贈り物を決めて手配する時期だから、目録が商会から送られてきたわけだ」


 そう言うと、レナードは目録を腕で押しやりゴミ箱の中に落とした。ドサドサッという重たい音が執務室に響く。


「過去に、贈り物をしなかった花紋の番たちはいたのでしょうか?」


「ああ、いたと記録に残っている。過去にも、ロレッタのご両親と同じように考えた家族がいたようだ」


「そうですか。では、こちらに来るときに私が着ていたドレスと靴を送り返すだけでお願いします」


「了解した」


 レナードは頷きながら、ロレッタの家族宛てに一筆書いておこうと決めた。自分たちの気持ちを、意思をはっきり伝えておいた方がいい、そう思ったから。


 もう二度と関わりは持たない。けれど、そもそも彼らはロレッタとほとんど関りはなかったのだから、今までと変わることはないだろうし、それで問題はないだろう。


「王都へ行く準備は順調に進んでいるかい?」


「ええ、皆さん手伝って下さるというか、ほとんどやって下さるから確認するくらいしか私のやることはないのです」


「そうか、ではお茶にしよう。王都で行われる〝花結びの儀〟と、その後のパーティーについて話をしておきたいし、タッカー公爵家の者とも顔を合わせるだろうから、その辺の注意事項も伝えておきたい。なにせ、私と彼らとの関係はお世辞にも良好とはいえないのでね」


 肩を竦め、苦笑いを浮かべるレナードにロレッタは笑顔で頷いた。


「ぜひ聞かせてください、どのような態度で接したらいいのか知りたいですから」


 王都大聖堂で開かれる〝花結びの儀〟によって、レナードとロレッタは正式な花紋の番と認められ婚約者とされる。結婚はそれぞれ家の事情により、儀式の後一年から二年以内に行われることが多いのだ。レナードとロレッタも一年後の婚姻を予定している。


 二人は執務室の中にあるソファ席にぴったり寄り添うように座り、アルフレッドの用意したお茶とお菓子を楽しみながら三月半ばの話を始めた。


 この先二人は近い未来の話から、ずっとずっと二人で歩む未来の話をこうして何度も話し合って、少しずつ想いを寄せ合っていく。お互いに拗らせた想いを持っていたため『花紋の番』だから、と無条件に気持ちを一気に燃え上がらせて夢中になれなかった二人の在り方だから。



 執務室の大きな窓の向こうには、庭師によって整えられた庭園が広がる。


 早咲きのピンクや紫の春に咲く花が花壇で風に揺れているのが見えた。同じピンクと紫の花がお茶とお菓子の並ぶテーブルの隅に活けられ、差し込む春の陽射しに輝いている。


 タッカー公爵領の領主館付き執事であるアルフレッドがレナードと顔を合わせたのは二年前、領主代理として学校を卒業してすぐにやって来たときだ。


 公爵家の血を持たないが、継承権を持たないという契約で三男として公爵家に入れられ、何のうま味もない中継ぎの領主代理としてやって来た王弟の庶子。学校での成績は優秀だったと聞くが仮面でも着けているのかと思うほど表情と感情の起伏に乏しく、言葉少ない青年だった。


 神の定めた番を迎え、その後二人で穏やかに暮らすことだけを目標に静かにコツコツと仕事をこなしているのが、アルフレッドの目から見えたレナード・タッカーだ。


 その番相手であるロレッタに関してはまだ数か月という付き合いでしかないが、愛情に飢えているのに手に入れることを諦めている気の毒な少女だと思えた。


 家族など親しい存在からの愛情に乏しい生活をし、どこか歪んだり欠けたりしている二人が寄り添い想い合い、共に先へ進もうとしている姿はとても眩しい。喜びに顔が緩む。


 レナードが言う通り、これから十二から十五年後に公爵家は当主が代わるだろう。そのとき、レナードとロレッタたちがどのような立場になるのかはわからない。


 非道なことにはならないだろうが、領主代理のままという可能性はかなり低いと想像がつく。


 そのときの為に彼らがこれからの十数年をどう過ごすのか、当主が代わったあとでどうするのか……

 きっと、彼らは二人で話し合い出した答えをもって、生きていくのだろう。そしてそれを見届けたい、と老執事は思った。

お読み下さりありがとうございます!

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