そしてケーゴは思い出す
ケーゴがマディソン商店で働き始めて数か月が経った。
計算の遅いケーゴは店頭では役に立たない。
だから、日中は雑用を言いつかっている。
【ゼロコンマ】を期待されて商店に入ったケーゴだったが、そのスキルが何の役にも立たないと判明した以上、先輩たちもケーゴを蔑ろにし始めた。
いつものようにケーゴは買い物かごを持って隣の雑貨へ買い物へ行き、ダラダラと時間を潰しながら帰路についた。急いで帰ってもみんなに煙たがられるだけなことを知っていたからだ。
だが店の外もケーゴにとって安全な場所というわけではなかった。
「おい、役立たず。」
店の番頭でもあるカムカから頼まれた買い物を終え、マディソン商店に戻る本の数十メートルの道のりで、ケーゴはマッゾとマッコに掴まった。
ケーゴが二人に気づく前に、マッゾは後ろからケーゴの肩に手を回して逃げられないようにしてしまった。
肩を組むというのとは少し違う。力を込めてケーゴの事を締め上げ、ケーゴは痛いが、他の人からはふざけているようにしか見えないようにしている。
神託の日でケーゴが弱いことが分かり、【ゼロコンマ】も役に立たないスキルだということも分かったせいか、マッゾたちは最近になってケーゴに直接絡みだした。
【筋力】のスキル持ちのマッゾにとって、Sレアとはいえ役に立たないスキルしか持たないケーゴなど襲るるに足らない相手だ。
「カムカが泣いてたぜぇ? お前のせいで仕事が減らないって。まかないを作る量が増えた分、仕事が増えたってさ。」マッゾはケーゴの肩に手を回したまま、耳元で囁いた。
「で? スーパーレアスキル【ゼロコンマ】とやらは何かの役に立ったか?」
「そうだ! そうだ! レアスキルなんだから、そろそろ何かスゲーことしないとおかしい!」マッコもマッゾに合わせるようにうつむいたケーゴの顔を覗き上げながら喚き立てた。
「・・・なんの役にも立ってないよ。」絞められた首と肩が痛かったが、嫌がればもっと痛くされるのを知っていたのでケーゴは我慢して答えた。
「ぷ。レアスキル持ちなんだから何かすごい事ができるんじゃないのぉ? なぁ? でないとスキル無しの役立たずと同じだよな。」
「そうだ! そうだ! 違うってんだったら何かの役にくらい立って見せろよな。嘘つき!」
【ゼロコンマ】が役に立たないと判明した今、
スキルを持たないケーゴはこの村で、この世界で、何一つ役に立たない人間だった。
「村としてもさぁ、役立たずが居られてもいい事何一つもないんだよね。俺、村長の跡取りだし? そういうの非常に気になっちゃうわけ。」マッゾはそう前置きしてから訊ねた。「で、他に何か新しいスキルでも憶えたの?」
「分かんないよ・・・・。」
「分かんねえことあるかよ。てめえの努力が足んねえだけだろ? なあ?」
マッゾがケーゴの首をいっそうきつく絞め上げる。
「ホントに分かんないんだって!」
ケーゴの言葉は本心からだった。
彼はもう自分のステータスなんて信用していなかった。
「俺が親父に口を聞いてやってるから、役に立たずのお前が村に居れるんだからな。お前がこの村に居れるのは俺のおかげだってこと、しっかり理解しておけよな。」
マッゾはそう言ったが、彼は口添えなどしていなかったし、ケーゴも彼にそんな力が無いことは重々知っていた。
「ところで、役立たず君。リコから何か連絡はあったかね?」
「あるわけないだろ。」
「おい。 口の利き方に気をつけろ!」
そう言って、マッゾはケーゴの腹を小さく小突いた。
「ぐっ。」
「ホント、お前は使えねぇな。クソの役にもたちゃしねえ。」
「そうだ! そうだ! お前は役に立たねぇ。」
「何でリコが俺に手紙なんて出すんだよ。」
「あ?」マッゾはケーゴの返事に驚いた声を上げたが、少し悩んでから呟いた。「それもそうだな。リコがお前にわざわざ手紙をよこすわけなんかないか!」
「そうだ! そうだ! リコがお前のことを思ってるわけぜーったいない!!」マッコが必死にはやし立てた。
マッゾは弟を蹴飛ばして黙らせると、今度はケーゴの耳元で呟いた。
「お前、いよいよ本当に役に立たねえな。」
そう呟いた後、マッゾはケーゴの腹を一発本気で殴ってから肩の手をほどいた。
ケーゴは腹の痛みに呻いてうずくまる。
「万が一、リコから連絡入ったら絶対に知らせろよ。じゃあな。」
そう言って、マッゾはケーゴが地面に落としたカゴの中から、さっきケーゴが夕食のために購入したリンゴを一つ取ると、うずくまるケーゴには目もくれずに去って行った。
夜、居心地の悪い夕食の後、ケーゴはマディソン商店に用意された小さな牢獄のような自分の部屋に戻ってきた。
「ほら、今日の分の仕事だよ! 買い物すらまともにできないんだからこんくらいはきちんとやりな!!」
カムカが戸口からケーゴに魔導機器の記録板の束を投げてよこした。
最近のケーゴの仕事はこの記録版に書かれた数字を顧客ごとに合算して報告することだ。
記録版からはみ出さんばかりに数字が並んでいる。
「明日までに絶対終わらせるんだよ!」カムカはケーゴを怒鳴りつけた。
今まで一度も間に合わなかったことなんて無いのに、とケーゴは心の中で舌打ちする。もちろん表情には出さない。
「分かりました。カムカ様。」
「アンタ、買い物もできなきゃ、受付できるほど計算も速くねえんだから、そのくらいきっちりやんな。また計算間違えたら承知しないかんね!」
「分かりました。カムカ様。」ケーゴは九官鳥のように同じ返事をくり返した。
カムカは大きな音を立ててケーゴの部屋の扉を閉めると持ち場に戻って行った。
計算の遅いケーゴは日中の素早い暗算を必要とする業務には役に立たない。しかも、しょっちゅう間違うのだ。
最初はそのうち慣れるだろうと見ていた店長のスージーもケーゴの愚鈍さについにさじを投げた。
そうして、最初はやさしかった他の先輩たちもケーゴを見下して辛く当たるようになっていた。
それでもケーゴはこの店でやっていこうと努力した。
しかし、どうにもならなかった。
未だにケーゴの計算結果は間違っていることが多かったし、計算も速くなったが先輩たちには遠く及ばない。ケーゴにはどれほど頑張っても先輩たちのような速さで計算をできるようになれる気がしなかった。
そもそも、今だって本当にケーゴが正しいと思う答えをそのまま伝えるとカムカが激怒するのだ。
ケーゴは自室の机に向かうと、各顧客ごとにまとめられた記録版を並べてそれぞれの板の数字を合計していく。
これは多少なら計算結果が間違っていても問題の無い作業だ。しかも、明日の朝までに終われば良い。
だから、ケーゴに任されている。
だが、その量はケーゴにとっては膨大だ。
計算は速くなっていたが、それでもまだ一件の仕事を処理するのに10分はかかる。
ケーゴは日中の雑用が終わってから、毎日3、4時間はこういった計算をこなさなくてはなかった。
「はぁ・・・。」
ケーゴは計算を止めて考え始めた。
こんな生活がいつまで続くのだろう?
カムカはいつも俺に怒っている。
最初は優しかった先輩たちもすっかり冷たくなってしまった。
仕事は多いし、寝る時間もままならない。
マッゾとマッコは村で会うたびに絡んでくる。
最近は人が周りに居る時でも絡んでくるようになった。
村の皆に聞かせるかのように、俺がどれだけ惨めかを声高に叫ぶ。
帰ってくればカムカに怒鳴られる。
計算もちっとも上手くならない。
俺は本当に数字に関わることが得意なんだろうか?
冒険者を諦めてでも自分のスキルを生かしていこうと思ったのに。
リコがどんどん遠くに行ってしまう。
ああ、リコは何をしているだろう。
ケーゴは自分の未来を考え、両手で顔を覆った。
その時、それは突然やって来た。
雷が落ちるように急激に変化したのではない。
じわじわと頭の中に流れ込んでくるように、その変化は降りてきた。
「ああ? あぁ・・・?」
頭の中が書き変えられていく感触にケーゴは怯えた。
ケーゴは新しい感情や知識が植え付けられて行くのを感じて恐怖と戸惑いで動くこともできず、呻くだけだった。
何か知らないものが彼の頭に流れ込んでくる。
「ああ! ああっ!!」
ケーゴは必至になって自分の中に流れ込んでこようとするそれを拒絶する。
自らが違うものにされてしまうかもしれない恐怖が彼を襲う。
だが、そんなケーゴの恐怖とは裏腹に頭の中の書き変えは進んでいく。
ケーゴの抵抗空しく、頭の中の書き変えは終わった。
そして、ケーゴは叫んだ。
「四捨五入知らなかっただけじゃねえかっ!!」