第七章 竜と勇者と眺めぬ結末
「ゴガアアアァァァァァッ!!!」
何かが、吼えている。
耳鳴りが、酷い。
背中が、痛い。
それでもどうにか瞼を開けば、腕の中で頭部の耳をぺたんと伏せたリムが見上げてきていた。
あれだけの衝撃の中、意識を失いもしなかったのだろう。
大したものだ。
感心しつつ、リムの頭を撫でて周囲を見回す。
意識が寸断しただけで済んだのは、巨大なベッドが盾になってくれたからだろう。
部屋の角を覆うようにしてベッドが立てかけられている。シーツが剥がれ、覗く瓦礫の先端を見る限り、命の恩人はこのベットだ。
「何があったんだ一体。……腐れ五月蠅いし」
大きな生き物の咆哮だというのは分かる。
ただ、これだけ絶え間なく吼えられると、さすがにいらつく。
ベットを蹴り倒すと、景色は一変していた。
窓や壁が無くなり、先程まで王とミモラがいた部分は丸ごと消し飛んでいる。扉も同様で、ウィリアムの姿も無い。
だがまぁ、あいつらなら無事だろう。爺さんはそれほどの凄腕だし、ウィリアムなら自衛程度なら問題ないはずだ。
問題は、無くなった壁の先に見える景色。
本来なら離宮が見下ろせたんだろうが、そこでは赤い鱗を纏った巨大な存在が吼えていた。
王城の三階だと言うのに、その化け物の顔が真横に見える。
つまり、十五メートルはある巨体だと言う事だ。
ドラゴン。
この世界にいるとは聞いていたが、まさかこんな近くで見る羽目になろうとは。
『皆殺しにしてやるぞ人間共がっ!』
そのドラゴンの咆哮が、不意に理解できた。
ゴブリンでもあった事だ。不思議はない。
不思議は無いが、発言が物騒すぎるので止めていただきたい。
「さ、さがら……」
「大丈夫。ちょっと待っててくれるか?」
俺の言葉に、抱きついてイヤイヤと首を振るリム。
まぁ、この状態で離れてと言われても、そりゃあ嫌だろう。俺だって怖い。
「……近付くけど、大丈夫か?」
こくんと頷いたので、リムを背負って立ち上がる。
出来るなら逃げたいが、さっきから延々(えんえん)と物騒な事を吼えているのだ。
浄化だの、罪深きだの、まるで邪教の説法だ。
逃げ切れる保証も無いし、会話でどうにか出来そうならそうすべきだろう。どうせこのままでは、さっきみたいにブレスを喰らって死ぬ。
床の端にまで辿り着くと、そこから見える地面は黒く固まりつつあった。
離宮があった位置を狙ってブレスを吐いたんだろう。その威力は見たとおり、直撃した場所はマグマ化しているし、余波だけで王城の分厚い壁が吹き飛ぶほどだ。
こんな一撃を薙ぎ払われたら、逃げてても無駄だ。
どうせ死ぬなら、せめて努力ぐらいはすべきだろう。
会話の可能性に懸けて、俺は声を上げる。
「おーいっ!」
『人間がぁっ!』
振り向くなり吼えられて、俺は思わず後退った。
風圧もそうだが、何より臭いっ!
これがそこらのオッサンなら、ぶん殴った上で『歯を磨けっ!』と怒鳴っている所だ。
「待ったっ! 敵意は無いっ! 何で怒ってるか教えてくれっ!」
『何故だとっ!? 貴様等の罪だろうがっ!』
「それが分からないから聞いてるんだっ! 皆殺しにしても、理由は教えてくれっ!」
俺の言葉に、ドラゴンは臭い鼻息をまき散らすと、身体をこちらに向けた。
イメージにあるドラゴン同様、ずんぐりとした胴体だ。だが、翼はそれ以上に大きい。王城を包み込めるほどのサイズで、全力で羽ばたかれただけで周囲の建物が全て吹き飛びそうだ。
『……ん? 何故、私達の言葉が分かる?』
「それは、こっちの世界で言う迷い人って奴だからかとっ!」
『異界の者か。……あぁ、声を上げずとも良い。聞き取れる』
「そうですか」
怒りが霧散したようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「あの、それで何故お怒りで?」
『貴様等がっ! ……いや、異界の者ならば知らぬも道理か。龍脈は、知っているか?』
「えぇ、はい。名前程度は」
『龍脈とは、大地の血液だ。貴様等で言う所の魔力に当たる』
「はい」
『個が利用する分には構わぬ。生あるモノは、自然と魔力を受けて育つ。多少己が為に多く使おうと、理に支障は無いのだ』
そこまで言うと、ドラゴンは金色の瞳に宿る瞳孔を縦へと変え、吼えた。
『貴様等は、その理に手を出したっ! 膨大なマナを引き抜き、流れを途絶えさせたのだっ! その罪許しがたしっ!』
「……はぁ」
『なんなのだその気のない返事はっ! 大罪を犯したのだぞっ!』
ドラゴンの咆哮に口を閉ざしたのは、気圧されたからとか恐怖とかじゃ無く、単純に臭いからだ。
言わないし、言えないけども。
空気が落ち着いた所で、俺は口を開く。
「あの……それで皆殺し、ですか?」
『そうだ。罪には罰を与えねば、理解すまい』
「その意見にはもの凄く同感ですけど、多分無駄ですよ?」
『何がだ』
「えっと、そもそも龍脈に干渉していたからドラゴンが来たって認識になってないです」
『……む?』
巨大な顔が傾く。
大きすぎて愛嬌も何も無いが、キレている時よりは遙かにマシだ。
「罪の理由を、理解してないんです。多分、それをやったのはそこの人達だけですので」
指さす先は、ドラゴンの足下。
王が希代の嘘つきでも無い限り、第三王子がいた離宮だけの出来事だ。今となっては、実行犯全員が死んでいるのかもしれない。
『……確かに、龍脈の流れは戻っている。何をした?』
「いえ、それはこっちの台詞なんですけど」
『むぅ』
ドンドンと、離宮があった位置を確かめるように踏みしめるドラゴン。
たぶん、そこに装置かなんかがあったんだろう。
何があったのか、皆目見当はつかないが。
「えっと、じゃあ帰って貰えませんか?」
『そうはいかん。貴様等人は、愚かしい生き物だ。罪には罰を与えねば』
「そんな義務みたいに言われても」
『義務なのだ』
真っ直ぐに俺を見据え、ドラゴンは言葉を続ける。
そう言われてみれば、声を発しているが風は殆ど来なくなった。耳も痛いと感じるほどじゃないし、気を遣ってくれているんだろう。
巨大な癖に、繊細な事をしてくれるものである。ありがたい。
『数百年に一度、人は龍脈に手を出す。その愚かさを知らしめる為に、都市の一つ、国の一つでも滅ぼさねばならん』
「……ドラゴンの義務、なのか?」
『龍脈の管理者としての義務、だな』
「それは……キツいですね」
数百年に一度。
そのスパンに心底から同情の声を漏らすと、ドラゴンは大きく頷いた。
『そうなのだ。退屈なのだ』
「退屈?」
『今回は私の管理下であったから良かったが、そうでないと領域から出られずに暇なのだ。龍脈の管理は誇りではあるが、ただ待ち続けるのはキツいのだ』
そりゃあキツいだろう。
その間何もしていないとは思ってもいなかったが、普通に考えれば道理ではある。
こんな生き物が自由気ままに動き回っていれば、国としての体裁を保てている国家なんて極僅かになっていた事だろう。
条件があるからこそドラゴンに会う事なんて普通は無く、すべて世は事は無し。
まぁ、会っちゃった以上どうしようもないけども。
『だから、ただ帰るわけにはいかぬ』
「そー言われても」
『……貴様を見逃してやろう。この国は龍脈に手を出したから滅んだと、そう伝えるが良い』
「外道過ぎない?」
『ならばどうしろというのだっ!』
怒鳴られて、一歩下がる。
風圧が凄くて踏みとどまれないのだ。それでも多分気を遣ってくれているから、吹き飛ばずに済んでいるんだろうけど。
「……ん~、じゃあ旅でもしてみたら?」
『旅だと?』
「今回の件はちゃんと伝えるし、百年も経たずにまた起きたら問答無用で滅ぼすって方向でいいんじゃない?」
『だが、義務がある』
「それって、今も領域に帰りたいって訳? それとも、義務を果たしたら帰りたくなるの?」
『…………?』
ゆっくりと、首を横に傾けるドラゴン。
爬虫類顔なのに本当に不思議そうな表情で、今度はちょっと愛嬌がある。
『……言われてみれば、良く分からんな』
「なら、ちょっとぐらいぶらぶらしても良いんじゃない? 退屈も紛れるだろうし」
『うむっ! 人の浅知恵もたまには聞いてみるものだなっ!』
ご機嫌なドラゴンに苦笑しつつ、背負っていたリムを下ろす。
この調子なら、まぁ大丈夫だろう。
「言葉、分かるの?」
「なんでかね」
「すごいのっ!」
目を輝かせるリムを撫でてドラゴンへと顔を向けると、何故か背中が見えていた。
『良し、乗れ』
「……は?」
『旅には道案内が必要であろう。光栄に思え』
「いや、待って。ちょっと待って」
これは不味い。
「なんて言ってるの?」と見上げてくるリムを相手にする余裕も無く、必死で思考を巡らせる。
誰を生け贄に捧げるか。
パッと思い浮かんだのは王とウィリアム。
王は無理だし、ウィリアムは基本的に無愛想だ。ドラゴンを怒らせたら、ヤバい。
次いで、犠牲にしても良い人材でヤクモが出てくるが、あいつは嫌いなので除外。ドラゴンと仲良くなられても不愉快だ。
そうやって何人か思い浮かんだ所で、うってつけの人物を思い出した。
「そうだっ! どうせならちゃんと案内できる奴の方がいいだろっ!?」
『貴様で十分だ』
「いやいやっ! どうせなら貴方とも戦えるぐらいの人物の方が良いに決まってるっ!』
『この私と、戦える人物だと?』
ドラゴンの顔がこちらを向いた。
興味を持ってくれたのなら、後は楽勝だ。
「そうだ。何せ、この国が呼び出した勇者。それも、歴代最強って言われるような人物だ。凡人の俺なんかより、旅の相方として最適だろう」
「リムも行くっ!」
「え? いや、リムは別に……」
「行くっ!」
何を勘違いしたか、俺の身体にしがみついてくるリム。
まぁ、ドラゴンが行ってくれれば関係ないので、今は気にしない。
『ふむ。興味深い。案内せよ』
「それは大丈夫。サンダっ!」
「お主に呼ばれる覚えなど無いのだがのぉ」
音も無く突然隣に現われた爺さん。
いつも通りの様子から察するに、王もミモラも無事だったんだろう。
「じゃあそう言う事で、セイギのとこまで案内を頼む」
「貴様の指示など受けん———と言いたい所だが、喜んで請け負おう」
そう言うと、爺さんは頭巾をとってドラゴンへと向かって跪いた。
爺さんの素顔を見るのは初めてだ。
とはいえ、特徴があるわけでは無い。好々爺然としたしわくちゃな顔で、白髪がちゃんと生えているのが特徴と言えば特徴か。
「龍脈を守護せし大いなる御方よ、私の名は、百地三太。遙か昔より受け継がれし名を持つ、忍びの頭領であります。矮小なる身ではありますが、どうか同行の許可を」
『ほぅ。人にしては随分と道理を知っているようだな。良かろう、同行を許そう』
ドラゴンは随分とご機嫌な様子で喉を鳴らした。
案外チョロい。最初から褒め称えてれば良かったんじゃ無いだろうか。
「サガラ。御方はなんと?」
「あぁ、良いって」
「ありがとうございまするっ!」
深々と頭を垂れる爺さんに、ドラゴンは豪快な笑い声を上げて再び背をこちらに近付けた。
『乗れ。行くぞ』
「乗れって」
「はっ。感謝の極み」
一礼し、爺さんがドラゴンの背へと跳躍した。
光沢を放つ赤い鱗は随分と乗りにくそうだが、爺さんは平然とその背に立つ。
その様子を見て、俺はドラゴンへと手を振った。
「いってらっしゃーい」
『何を言っておる。貴様も乗るのだ』
「……なんで?」
思わぬ言葉に疑問を返すが、ドラゴンは平然と口を開く。
『当然であろう。誰が私の言葉を介す』
「なんかさぁ、別に人の言葉話せそうな気がするんですけど」
『……乗れ』
スッと視線を逸らしながらも強めの口調で言われて、思わず黙る。
機嫌を損ねたら一発アウトだ。ちょっと強めに突っ込みたくても、残念ながら無理。
ただ、素直に頷けない原因が俺の身体にしがみついていたりする。
「リム」
「やなのっ!」
「……うん、ですよねー」
待ってて、と言う言葉を先読みしての否定に、俺は諦めて肩を落とした。
「あのー、この子も一緒で良いですか?」
『構わん』
「……落とさない?」
『配慮はするが、そこは貴様が努力しろ』
「う~ん……」
正直、俺自身が落ちそうなんですけども。
「さっさとせぬかっ! 落ちぬようワシが対応してやるっ!」
「信じるぞ爺さんっ!」
ドラゴンのご機嫌を損ねてもアレなので、即判断。
俺はリムを抱えると、その背に向かって跳躍した。
着地の感覚は、硬い岩。触れた感じも岩のような硬さとざらつきがあり、だが生物の暖かさがある。
「ほれ、しっかり縛れ」
「……大丈夫かよ」
「貴様等より先に落ちる事は無いから安心せい」
そう言うなら、信じるしか無い。
爺さんから受け取った一本のロープ。頑丈な繊維で編まれたザイルを手に暫く考えて、リムを一度下ろしてから両腕を広げる。
「リム」
ぱあっと目を輝かせて抱きついてきたリムは、分かってないんだろう。
空の旅。
飛行機ですら無く、野ざらし的な状態で高速で飛ぶとどうなるか。
「……凍え死ななきゃ良いけど」
落ちるのも嫌だが、そっちも問題だ。
拭いきれない不安を誤魔化すように、俺はリムのぬくもりを感じつつ、ザイルをキツく巻いたのだった。
そらのたびは、じごくでした。まる。
そう言葉にも出せず、俺はカチカチと奥歯を鳴らしながらドラゴンの背から滑り落ちた。
寒い。
胸だけはリムのお陰で暖かいが、他がヤバい。指先なんてぽろっと落ちてしまいそうだ。
「龍神様。誠見事でした」
『うむっ。私の背に乗れた事、末代までの誉れとするが良い』
言葉は分からないはずだが、満足そうと言う事は分かるんだろう。
うんうんと頷くドラゴンに爺さんは目を細め、跪いたまま深々と頭を下げた。
何故爺さんは、あんなに平然としてるんだろうか。
寒すぎて、俺は立つ事すら出来ずにリムを抱きしめるだけだ。
ちなみに、ドラゴンの背にいる間、あまりにも寒くて一度リムの背中に手を突っ込んだら、腕を背中に回されて全力で抱きしめられた。
あんときは、内臓が出るかと思った。
なので今は、服越しにリムの体温で暖をとる事しか出来ない。
当のリムはさほど寒くないらしく、腕の中でゴロゴロ音を立てているのがちょっとムカつく。
「サガラ。何をしておる、さっさと立たんか」
「む、無理……」
「全く、情けない」
呆れたとばかりに首を振った爺さんは、俺に向かって五本のクナイを投げつけてきた。
俺を中心に星形を描くようにクナイが突き刺さると、地面に魔術陣が描かれ急速に空気が暖かくなって行く。
「あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~」
「うなああぁぁぁぁ~~~」
これは、良い。
下から温かくなってゆく点も含め、まるでお湯に浸かるようだ。
急速に温かくなるおかげで、肌がピリピリする。ちょっとした痛みすらあるが、同時に血液が戻って行く感覚もあって気持ちいい。
「変な声を出す出ないわ。ほれ、さっさと立て」
「お、おう。で、ここどこなんだよ」
ロープをほどきながら問いかけると、爺さんはため息を吐いて口を開いた。
「少しは把握しておけ。共和国北部の森の中じゃ」
「きょうわこく……、共和国?」
確かに真っ直ぐ南に移動していた事は把握していたが、想像以上の距離を進んでいた事に驚きつつ腰を上げる。
共和国。正式名称をヴィスタヴィラ共和国と言い、ヤマ王国の南に隣接する国家である。
共和国とは言うが、元の世界でいう共和制を取り入れた国というわけでは無く、君主制。その名の由来は、人種による差別が無いと言う意味だ。
ヤマ王国も人種差別は殆ど見受けられないが、ヴィスタヴィラ共和国は国の興りから全人種の平等を謳っている。他の国と大きく違う点はまさにそこで、法で全人種への差別が禁じられているのはこの国だけ、らしい。
「……国境は?」
「龍神様がおるというに、人の理に縛られてどうする」
『良い事を言うでは無いか』
「いや、俺たちは人なんですけど」
一応突っ込むが、どいつもこいつも聞く耳ゼロだ。
仕方ないので他の疑問を口にする。
「それに、こんな所にいるのか? 共和国まで、馬車で四ヶ月じゃ無かったか?」
空を見上げてみれば、真上に太陽が。
その周りを小さめの太陽が二つ、時針と長身のような感じで回っている。サイズが小さいとは言え、二個多い分気温も上がるはずなのだが、普通に四季があるのはどうなっているんだろうか――ではなくて。
セイギ達が四ヶ月も経ってないのに馬車で四ヶ月かかる場所にいるというのもおかしいし、半日程度でこんな場所まで辿り着けてしまったのも異常である。
「二日前に、大型の魔物を狩る為にこの森に入ったと報告を受けておる。龍神様には上空を旋回して貰ったでの。待っておればすぐ来るじゃろう」
四ヶ月の距離からどうやって報告を受けているのか気になるが、聞いても答えは魔導具か企業秘密のどっちかだから、あえて聞かない。
効力を失ったクナイを拾い集め、爺さんに返す。
と、木々が僅かに揺れ、爺さんが声を上げた。
「やめよっ!」
それは、魔術を放とうと魔力を集め始めた見えざる相手への警告。
距離は十メートルほどだろうか。姿は見えないが、魔力の動きは分かった。
俺も成長しているようである。
近付いてくる音は、二つ。
そして、久しぶりに見るイケメンが姿を現した。
「よぉ」
「サガラさんっ!? どうしてこんなところにっ!」
警戒しつつ顔を覗かせたものの、俺を見るなり笑顔で駆け寄ってくるイケメン、セイギ。
分け隔て無く万人に対して優しいセイギだからこそ、俺に対して特別心を開いているわけでは無いと分かっている。
けど、慕ってくれているように感じられて素直に嬉しい。
「それにこんな、ドラゴンさんと一緒だなんてっ! 凄いですよサガラさんっ!」
「それに関しては、本当に申し訳ない」
「……はい?」
首を傾げるセイギから視線を逸らし、ドラゴンを見上げる。
と、ドラゴンは豪快に笑った。
言葉が分からなくても笑っていると分かるほどに、ハッキリと。
『素晴らしいっ! 素晴らしいではないかその男っ!』
やっぱり気に入ってくれたらしい。
セイギは美形で、纏う雰囲気もまた異質。ドラゴンで無くとも、一目でそれに気付く。
『過去に、私の元に辿り着いた者はいた。己を勇者だと、英雄だと自称する者も多く存在した。だが……だが貴様は、本物だっ! この私が認めようっ!』
「ドラゴンさん、何か凄く楽しそうですね」
「うん、ホントごめん」
「……? さっきから、なんで謝るんですか?」
セイギの疑問に、俺は再び視線を逸らした。
その先から、ダッシュで駆け寄ってくる女性が一人。
「ちょ、ちょっとっ! あんたなんてもん連れて来てんのよっ!」
「よぉ、ユイナ」
「よぉじゃないわよっ! そもそもあんたに名前呼ばれる覚えは無いんだけどっ!」
セイギと一緒に召喚された女子高生、ユイナ。
美人なんだけど、なんというか相変わらずだ。
「ユイナ。サガラさんに失礼だよ」
「失礼なんかじゃ無いわよ。……セイギ、貴方が優しいのは美徳だと思うけど、こんなクズにまで優しくする必要は無いの。現に今だって、どう見たって厄介ごと運んできてるじゃない」
「正解」
「正解じゃ無いわよどクズっ!」
思わず指さしたら、その手を力一杯はたかれた。
ほんと、相変わらずである。
でもってこのユイナ、セイギと一緒にちゃんと召喚された存在なおかげで、チートも十分。ただはたかれただけなのに、手首から先が吹き飛んだと錯覚するほどに痛かった。
だからこの子は嫌なのだ。
加減は知らないし、思った事をすぐ口に出すし。
「でっ!? まさかセイギにあいつと戦えって言うんじゃないでしょうねっ!?」
「……おっしゃるとおりで」
「ばっかじゃないのっ!? このクズっ! イカレ野郎っ!」
胸ぐらを捕まれて前後に揺すられるが、抵抗は出来ない。
腕力が凄いってのもあるが、今回ばかりは単純に俺が悪いのだ。甘んじて受け入れるべし。
「やめてっ!」
「ユイナっ!」
リムが俺に抱きつき、セイギが間に割って入ってくれる。
だが、リムを目にしたユイナは若干戸惑った表情を見せた後、すぐに汚い異物ような冷えた視線を向けてきた。
「人間のクズが」
「違うぞっ!?」
「異世界だからって奴隷の幼女買ったんでしょっ!? 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!」
「違うってのっ! っつーかこの世界じゃ奴隷の扱いがまともだって分かってんだろうがっ!」
さすがに全力で否定しておく。
奴隷自体は存在するが、重犯罪奴隷でもなければ法で守られているし、それがないならそもそもスラムなんて存在しないって話である。
借金奴隷は、価値があるから自分を売って奴隷になれる。端的に言えば、借金奴隷となってもスラムの住人よりは価値が上なのだ。そもそも、奴隷になら何をしても良いってんなら、五体満足なスラムの住人は今頃丸ごと奴隷になっていた事だろう。
「その程度にしておけ」
「誰よお爺ちゃん」
「国王の直臣とでも思ってくれれば良いよ。それよりも、龍神様を待たせるでない」
『その通りだぞ人間っ! 普通この私を無視するかっ!?』
「あ、はい。ごめんなさい」
全くもってその通りなので、素直に頭を下げる。
何か謝ってばっかだ。実際自分が悪いんだけど。
「それでだな、セイギよ」
「もしかして……モモチ様、ですか?」
「うむ。過去に一度、王より説明があったな。覚えておったか」
爺さんは嬉しそうに頷いたものの、すぐに表情を真剣なものへと戻した。
「すまぬが、龍神様にその力を見せてやって欲しい」
「ボクに、戦えと?」
「なんであんなクズの尻拭いしなきゃなんないのよっ!」
今回ばかりは言い訳しようが無いほどのクズっぷりだと思うので、ユイナの言葉がふつーに痛い。
「ユイナよ。今回はサガラの責任では無い」
「どういうことよ」
「……国が犯した罪なのじゃ。むしろ、サガラは国家の危機を救ってくれた」
ユイナは怪訝そうな緯線を向けてくるが、セイギは違った。
「さすがサガラさんですっ!」
「いや、セイギに押しつける形になったし……」
「構いませんよっ! それが勇者としての役目ですっ!」
なんてええ子や。
罪悪感で顔が見られない。ユイナぐらい軽蔑してくれた方が、むしろ気が楽だったかもしんない。
「……ごめん。頼む」
「任せて下さいっ!」
そう答えたセイギは、ドラゴンへと向き直った。
「お待たせしましたっ! ボクはヤマ王国に勇者として呼び出されたセイギですっ!」
『そうか、良き名だ。では、存分にその力を振るって見せよ』
ドラゴンが咆哮を上げる。
こっちとしては大分慣れたのでリムが耳押さえた程度だが、ユイナは腰から地面に落ちた。
「む、無理よ、あんなの……」
「悪いんだけど、セイギに補助魔術かけてやってくれ」
「無理よっ! セイギが死んじゃうっ!」
「そうならないように補助魔術かけろって言ったんだろうがっ!」
ユイナ相手には、初めて怒鳴ったかも知れない。
俺の責任だ。けど、彼女の力は必要なのだ。
爺さんが龍神と呼ぶような相手に、セイギが生き延びる為には。
「あんたのチートも必要なんだ。頼む」
「言われなくてもやるわよっ」
アイテムボックスから見るからに高そうな杖を取り出したユイナは、詠唱を始める。
全部他人に押しつけて、自分は何もしない。
我ながらクズだとは思うが、今回ばかりは仕方ない。
出来るのは、使える奴を使う事だけだ。
ユイナの魔術が発動し、セイギが淡く輝く。
それにセイギは頷いて、ドラゴンへと剣を抜いた。
「行きます」
『来るが良い、勇者よっ!』
そして、戦いの火蓋が切って落とされた。
それは、大怪獣決戦と言えるような破壊の嵐だった。
セイギの斬撃は二桁の木々を容易く斬り飛ばし、
ドラゴンの一撃は大地を大きく陥没させる。
超威力と超重量の一撃が重なった時には、木々が折れ周囲一帯が更地になるほどの衝撃が吹き荒れる。
数キロ先からでさえハッキリと分かるその戦いは、まさに異次元の光景だった。
「……クズ」
「ごめんなさい」
「カス」
「えぇそうですね」
そんなのを遠目に眺めながら、俺はひたすら謝罪を繰り返していた。
ユイナの事は好きじゃ無いが、気持ちは分かる。
始まってしまったあの戦いには、ユイナですら干渉できないのだ。
そりゃあ苛つくだろう。
無力だと自覚している俺とは違って、ユイナはセイギがいなければ勇者になっていただろうほどのチート持ち。
それでさえ下手に手を出せばセイギの足を引っ張るという事実は、プライドの高いユイナにとって受け入れがたい苦痛の筈だ。
「しかし……セイギの奴、また腕を上げたの」
「爺さんなら、干渉できるんじゃないのか?」
「近寄る事すら難しいのに、干渉など出来ぬよ」
「そっか」
「バカ」
「はいはいごめんなさいよ」
今いるのは崖の上。
登るのに少し苦労したが、あの場にいても巻き込まれるだけだったので、視界が広くて離れた場所まで移動したのだ。
ユイナは体育座りで、俺と爺さんはあぐらをかいて戦いの様子を眺めている。
リムが大人しいのは、俺のあぐらの上に座って、更にゆっくりと撫でてあげているからだ。
放っておくとユイナに威嚇し続けるので、こればっかは仕方ない。
「勇者とは、凄まじいの」
「セイギが凄い事は分かっていたから、俺としちゃあドラゴンの方が凄いと思うな」
「そりゃあ龍神様じゃからな」
「だからって、状況考えてブレスを衝撃波で済ませてるってのは凄くないか? あの巨体で、セイギの動きに反応できてるし」
「龍神様じゃからな」
爺さんの、そのドラゴンに対する絶対的な信頼は一体何なんだろうか。
「ゴミムシ」
「ユイナ、いい加減にせい」
俺が謝罪を口にするよりも早く、爺さんがユイナを睨んだ。
「言っておろうが。今回はサガラの責任では無い、と」
「でも……」
「でもも何も無い。あえて最大の罪人を上げるのならば、ワシ等じゃ。責めるのならばワシを責めろ」
「……お爺ちゃんが誰か、知らないし」
ぶーたれるユイナの言葉に、爺さんは苦笑した。
「そうか。まぁ言うなれば、王直属の情報収集部隊じゃな。……故に、ワシ等の罪なのじゃよ。その点サガラは、ワシ等より早く元凶の危険性に気付いたと言えよう」
まぁ、確かにその通りではある。
単に私怨で復讐の機会を窺っていただけだけども。
「二百年ほど前、国家規模で龍脈が使用され、龍神様の怒りをかった。今回は個人の企みであり、危険性は無いと判断したワシの愚かさが招いた結果じゃ」
「何してたのか知ってたのかよ」
「当然じゃろう。核石を買い集め、多くの資材も搬入されていた。加工用の職人も常駐しておったし、龍脈を用いて魔石の量産を画策していた事ぐらいは分かる」
「……それをしていたらドラゴンが来るって分かっていたのに、あんな悠長な対応してやがったのか」
おかげであの馬鹿共は花町を求めて、結果俺がボコボコにされた。
そりゃあ爺さんを睨むってもんである。
「国家規模で行わぬ限り、本来そこまで龍脈に負荷はかからぬのじゃ。どんな真似をしたのか分からぬが、想定外なんじゃよ。龍神様を怒らせるほどに、大量の魔力を吸い上げていたなどとは、な」
「どっちにしてもテメェ等のせいじゃねぇか」
「……すまん」
大公家が何たらかんたら言っていたので内情を把握していなかったと思いきや、大体把握していたらしい。
「ドラゴンが来る可能性があるって知ってて、野放しにしてた訳か。こっちがボコられて、あれやこれややってる間にも、悠長に王族のご機嫌とって」
舌打ちしつつリムを下ろして、腰を上げる。
「クソ野郎共がよぉ。おい、有り金全部出せ」
「な、なんじゃいきなり」
「慰謝料に決まってんだろうが。セイギに任せる羽目になったのも、俺のせいじゃなくてテメェ等マヤ王国の無能が原因じゃねぇかよ。それを、今の今まで人任せにしやがって」
「うっ……」
爺さんの前に、右手を突き出す。
「無能だろうが誠意があるなら全額渡せ」
「わ、分かった」
素直に渡された革袋を受け取って、中を確認する。
思ってたよりもかなり多いが、国を救ってやった報酬とすれば小銭かもしんない。
「じゃがな、サガラ。龍脈に干渉してるとはいえ、本来個人では……」
「知った事か。俺に舐めた真似した元凶をちゃんと処分してりゃあすぐ済んだ話だってのに、クソみたいな面倒事にまで発展させやがって。死んでろ無能共が」
ボコられて、刺されて、両腕まで斬り落とされて。
思い出しただけでもムカムカする。
国王も爺さんも、同じ巻き込まれた立場だと思ったから我慢していたのだ。
だと言うのに、『ドラゴンが来る可能性を知っていたのに、見守ってました』ってんなら話は別だ。
ドラゴンのブレスで纏めて死ねば良かったのに。
「ユイナ」
「な、何よ」
「セイギには謝っておいてくれ。こんなクズ共の命をちったぁ心配したせいで、ドラゴンをけしかける事になった。その点に関しては、本当に悪いと思ってる」
国王と騎士団を差し出すべきだったのだ。
あの判断は、痛恨のミスだったと言えるだろう。
「じゃあな。リム、行くぞ」
「ま、待てっ! 結末を見届けぬのかっ!?」
「全部テメエ等のせいだろうがっ! 見届けるも何も、全ての責任を負って、死ねっ!」
腰を浮かした爺に怒声を返し、リムと手を繋いで歩き出す。
「……怒ってるの?」
「まぁ、な。それよりリム、これから共和国で生活するけどいいか?」
「うんっ!」
なんも考えていない速度で頷くリムに苦笑して、足を進める。
着替えとかは宿の革袋に入れっぱなしだが、一番重要な装備一式と魔法袋は所持してる。爺から巻き上げたお金だけでも十分豪遊できるので、生活面で不安は無い。
「ヴィスタヴィラ共和国って言えば、迷宮都市テザルムがあるしな。ホームをその辺にするのもいいか」
「ほーむ?」
「新しい宿の事だよ。それより、国が変わると飯も変わるぞ?」
「ご飯っ!」
「あぁ。楽しみだな」
「うんっ!」
嬉しそうに笑うリムに微笑んで、俺は轟音と暴風が吹き荒れるその場を後にしたのだった。