第二次関ヶ原の戦い その2
その日は霧が深かった。朝の関が原は覆われた霧で少し前の兵の後ろ姿すら見え難かった。
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし。」
伊達政宗は口ずさむ。
「上様、それってうちの不識庵謙信さまの言葉…」
と隣で騎乗している上杉成実(元伊達成実)が言ってくる。
「まったくもって上様はどこかから拾ってくるのが大好きで。」
と宿老片倉景綱は若干呆れ気味である。
「さて者共、先に相談したとおりの動きを頼むぞ!」
「はっ!」
と返事して各将は各々の持ち場に戻っていく。朝靄の中を前進する伊達隊の正面に、唐突に軍勢が現れた。
「こちらは小早川秀包様の部隊だ。そちらはどこの所属…」
「問答無用。撃て。」
西軍毛利の一手、小早川隊に伊達自慢の鉄砲隊の斉射が襲いかかる。
「殿!あれは敵です!旗印は竹に雀!紺絹地金日の丸、伊達政宗の隊です!」
と急ぎ秀包に伝令が飛ぶ。
「おお、伊達政宗!敵の総大将格ではないか!ここはやつを討てば我らの勝利は目前よ!輝元様に伝令を!我らは伊達を討つべく前進する。」
使番の知らせを受けた輝元は床几から立ち上がり、急ぎ母衣武者を使いに出そうとする
「待て!我々は馬防柵を築き防御陣地は万全だ!打って出ず張り付く敵を叩き続けていれば織田家の長篠の戦いのごとく勝機は訪れる。うかつに打って出るなと伝令を。」
…しかしその母衣武者が小早川隊にたどり着くことはなかった。伊達政宗配下の黒脛巾組に向かう途中で密かに処されたのである。
輝元の指示を見て石田三成は脇の島左近に言った。
「毛利輝元殿、なかなかの采配ぶりではないか。流石は大毛利の当主。通常ならこのまま有利に戦えよう。」
「『通常なら』ですか。」
「そうだ。『通常なら』な。相手は伊達に加えて徳川豊臣、伊達を抜いても後ろに徳川が備え、毛利秀元殿が押さえているとはいえ太閤様が遊軍でいるというのはわしが戦うなら恐ろしすぎて逃げ出したいぐらいだ。」
「これはご心配をおかけして。しかしいくら伊達の鉄砲隊が自慢と言っても我らにはイスパニアから供与された新しい鉄砲と多くの大筒がありますからな!」
「これは輝元様。先程ご指示を出していたとおり防御に徹して引きずり込めば長篠の再来でしょうな。」
輝元はまさか総大将たる自らの指示は守られるであろう、と楽観視していた。そこがお坊ちゃんらしい見通しの甘さであった。
小早川秀包は流石に毛利の誇る名将である。輝元の伝令が伝わらなかったため、伊達政宗に対して攻撃することは中止しなかったものの、焦って突出するのではなく、伊達に対して慎重に攻撃を加えて見定めながら前進していた。
「殿、思ったよりも伊達の攻撃は温うございますな。」
と近習に告げられ、
「伊達をなめてはならん。しかしわれらが持つイスパニア譲りの銃は伊達に撃ち勝っているやもしれんな。無理せず前進する。」
と命じ、ジリジリと前進を始めた。
一進一退、というよりは毛利勢がジリジリとではあるが、前に押し出していったその時、毛利隊の脇から突出して突撃する部隊があった。
「何奴!うかつに打って出るな!構築した陣地にすぐ戻れる範囲を確保しながら…こちらの指示を聞かぬ!あやつらは?」
「明石全登率いる小勢の集合の備えです!」
「何たる猛攻!」
「伊達の前衛が溶けてますな。」
大坂での失態を取り返すためか、明石率いる部隊は凄まじい猛攻を繰り広げた。伊達の前衛にいた長柄隊はたちまち陣を乱して逃げ惑い、前を長柄隊に防御してもらっていた鉄砲隊もむき出しになって明石の攻撃を受けると慌てて逃げ始めた。
「なにが奥州の大将軍よ!所詮は古臭い田舎者!ここで我らは名誉を取り返し神の国を建設するのだ!かかれ!かかれ!」
と白銀のフルプレートを着けた明石全登は馬上から盛んに鼓舞する。明石隊は大きく伊達隊を突き崩し、どんどん前方に突出していく。
それにつられて小早川秀包率いる毛利隊もどんどん前に出ていく。
「いかん!しかし明石を孤立させるわけにもいかぬ。ここは明石の後ろを固め…」
と小早川秀包は指示を出そうとする。しかし
「殿!兵が興奮してどんどん突出していきます!」
「輝元様の直属の部隊も前進をはじめました。」
「これはどうしたことだ。慎重な輝元様がここで前進を命ずるとは思えぬ。」
そのころ輝元の本陣は混乱していた。
「どうなっている!どうして兵が止まらず前進するのだ。」
「兵たちの間で『伊達は弱兵、ここで政宗の首を取れば1国を支配する大名に取り立てる』、と輝元様が約束した、との言葉が飛び回って我先に伊達隊に殺到しております。」
「そのようなことは申しておらぬ!」
「しかしすでに部隊は伊達を目指してどんどん前進しておりますな。」
と脇に座っていた虜囚、石田三成がポツリと言う。
「ううううぅ。ここはもはや止められぬ!逆に伊達を討ち、徳川を討つか潰走させるほかないか!全軍に総掛かりを命じよ。松尾山の小早川殿にも攻撃を開始せよ、と!」
と浮足立った毛利輝元は全軍の前進を命じた。もちろん流言は黒脛巾組と徳川配下の伊賀忍軍によるものである。
毛利・明石による攻撃は殊の外上手く行った。奥州で恐れられ、織田家を滅ぼした伊達の鉄砲隊の弾幕は想像していたよりも薄く、ちょっと突くとすぐに四散して後退していったのである。ますます笠に着た西軍諸将は最初の方針も忘れ興奮して伊達政宗の首を目指す。
ついに西軍は伊達の本陣が近い地点まで12の備えを突破してたどり着いた。そこはもうひと押しすれば徳川家康の本陣、桃配山すら捉えられそうな所である。
その時、朝靄が晴れ、西軍諸将の眼前に伊達政宗の本隊が捉えられた。
政宗はその象徴となった漆黒の『暗黒卿』と呼ばれた鎧を身に着け、脇には純白の鎧に鉄砲を構えた『晴嵐徒士隊』が控えている。
「よくぞここ迄たどり着きましたな。そして地獄へようこそ。」
政宗の言上に毛利麾下の猛将、内藤元盛が吠える。
「なにをほざくかヘボ将軍が!ここまで追い詰めたからには我らの勝利は目前!うしろの徳川の狸も一緒に狸鍋にして…」
と言いかけた時に前面ではなく、右側面から凄まじい数の一斉射撃に襲われ、内藤元盛は全身に銃弾を浴びて転がり落ちた。側面の山から大軍が駆け下りてくる!
「小早川秀秋!義によって伊達殿に味方いたす!」




