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第二次関ヶ原の戦い その1

「どうしてこうなった。」


 関ケ原の西軍本陣で石田三成はボヤいた。


「これこそ『空城の計だな!』」


 とニッコニコのウッキウキで大坂城大脱走計画を成し遂げた太閤秀吉殿下であったが、三成は残務整理というか西国勢が来たら交渉も、と言い含められて僅かな手勢と共に残されていたのだ。大坂城から見える限り西国勢は敗北一辺倒であったので、死罪や改易でなく厳封、転封ならば和議に乗ってくるのでは、と太閤殿下は自信たっぷりに言い残していった。


 しかし堺から戻ってきた毛利隊は冷静に話を聞くどころか


「ヒャッハー!汚物は消毒だぜ!」


 と傍若無人に乱入し、残されていた(だいたい焦げていたが)宝物を奪い、婦女を辱めようとしたが…こちらはメス猫にいたるまで女性の存在が残されておらず、落ち込んだ姿を見せていた。


 三成は


「話を聞いてくだされ!」


 と訴えたが、囚われ、なんの因果かここ、関ケ原まで連れてこられてしまっていたのである。


 三成を人質として西国勢(以後西軍とする)は三成の居城、佐和山城で強引に補給を受けると、関が原にたどり着いて柵を立て、鉄砲や大砲の配置を始めた。


それから三成と三成の家老、島左近の縄を解くと(流石に刀は取り上げられた)毛利輝元は


「わが横で我が偉業をとくとご覧あれ。我らの勝利の暁にはやつら(以後東軍)への降伏の使者を務めていただく。」


 などと言い出した。三成は輝元を馬鹿じゃないか、と思った。


 散々大坂で翻弄され、兵力を消耗した挙げ句ここ関ケ原まで強行軍で打って出てきているのである。海道一の弓取りと言われる徳川勢やあの伊達政宗が合流してまともに戦えるとは思えなかった。


「その顔は我らが勝てない、と思っているな。しかしこの陣形を見よ!この笹尾山の本陣にわが毛利本家5万、そしてその南側には明石殿率いる…ごにょごにょ3万!」


 ごにょごにょ、とそれが小勢のかき集めであることを輝元は誤魔化した。当然ながら九州で西軍と戦っている島津はいない、というかそもそも敵。


「そしてここが肝だ!南宮山に毛利秀元と吉川広家を配し、敵の退路を断つ!」

「そうなると我らと南宮山の間に布陣する小早川秀秋殿が重要になりますが。」

「そこが鍵よ!我らのもとに押し込んでくる東国勢の側面を小早川が突く!」

「そんなうまくいきますでしょうか。小早川殿は大坂でも早々に戦線を離脱したかと。」

「そこで貴殿に重要な任務を授ける。」

「授けるってこの三成太閤殿下の家臣ですが。」

「であるから中立な立場で小早川に向かえよう。この戦で手柄を上げれば秀秋を関白の座につける、と伝えて参れ。」


 『はっとでもいうと思うか。』という三成に『命は惜しくないのか。』と輝元は迫り、石田三成は笹尾山を出て松尾山の小早川秀秋のところに向かった。


「思ったよりも松尾山は高い!」


 と目付がいるため逃れることは出来ずヒィヒィ言いながら三成は松尾山に登った。


「よぉ、三成殿、久しゅうな。」


 と本陣で声をかけてきた青年が小早川秀秋である。


「秀秋様、」


 と三成は毛利輝元の言い分を伝えた。


「そもそも俺は朝鮮での小早川隆景様の働きに惚れて小早川を名乗った身。関白などどうでもいいのだがなぁ。」

「それはそうでしょうが輝元がそう言っていました故。某は確かに伝えましたぞ。」

「といって手ぶらで帰っては貴殿のみが危うかろう。」


 と秀秋は言うとサラサラと書状を書いた。書状を確認した三成は


「…関白にすると約定した者に秀秋はお味方いたす。安心されたし。ですか。」

「そうじゃ。」

「よろしいので。」

「関白にすると約定してくれたもの、なのだ。」

「はぁ。」

「それと三成殿、もうしわけないがここまで来たついで南宮山の吉川広家殿にこの書状を届けてくれぬか。」


 と2通の書状を渡した。三成は中を見ないことを約して松尾山から降りた。


「三成殿、首尾良くなされましたな。ところでその書状は。」

「なんでも吉川殿と小早川殿が連携する秘策とか。見てはならぬ。」


 と毛利の目付を丸め込み、三成は南宮山にたどり着くと吉川広家に書状を渡した。

広家は


「秘策ゆえ我のほかは前もって見てはならん。」


 と人払をし、書状をまじまじと読んだ。読み終わると広家は三成に向かって


「相わかった。小早川殿に感謝いたす。」


 と伝えた。


 石田三成は南宮山から笹尾山に戻り、目付は役割を引き継ぎ三成の行動に不審な点はなく、秀秋は味方を約定した、と輝元に報告した。


 輝元の前から下がるように言われた三成は島左近と二人きりになると小声で話した。


「小早川殿は輝元殿にお味方なさるので?」


 と左近が聞くと


「それはどうかな?」


 と三成が返す。


「といいますと?…ここは毛利の陣ゆえ話しにくかろうでしょうが。」

「大丈夫だ。貴殿の部下の忍び、甲斐六郎が我らの話が聞かれないように周囲を警戒している。」

「六郎のやつやりますな。」

「小早川殿の陣に見知った顔がいた。というかわしにわかるように見知った顔で出てきたのであろうな。」

「それは。」

「さすがにそこが漏れるとな、まあ見ておれ。」


 と万が一をも防ぐ三成の気配りであった。


 そして西軍が一通り陣を構築し終わったころ、東軍が姿を表した。豊臣勢は大阪城での疲れが残っているのか、2万ほど。うち大坂で温存されていた藤堂高虎隊は徳川家康に従っていた。徳川家康・秀忠父子は4万の軍勢を率いて桃配山に布陣した。そして徳川勢の正面、西軍と相対するように布陣したのは…伊達政宗であった。


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