大坂冬の陣 その6
細川ガラシャのワゴンブルグが水野勝成と交戦していたころ、明石全登は宇喜多隊を率いて大坂城を西側から攻撃しようとしていた。その前に城門から出現してきた一隊が立ちふさがる!明石は激しく攻めかかるが、なかなか敵もさるもの、のらりくらりと『ここだ!』と攻めかかった必殺の間合いを呼んだかのように防がれ、大坂城に取り付くことが出来ない。そんな中、大坂勢から声を上げる大将がいた
「明石よ!貴様の手の内は見えておる。さっさと尻尾を巻いて逃げ帰れ!」
「その声は本多政重!そうか当家にいたお主が間諜であったか!」
「バカを言うな!貴様が宇喜多家を乗っ取らなければわしは平穏に仕えていたわ!」
「抜かすな!」
と明石は返すも、お互い手の内も軍法も知り尽くした身、全く決定打にかける状況であった。その時本多政重の後方から声を上げるものがいる。
「お前ら俺が誰か見忘れたか!」
宇喜多勢からザワッザワッ、と声が上がる
「あれは殿ではないか。」
「殿は身罷ったのではなかったのか?」
「病に伏せている、という話はどうなったのだ。」
そう、宇喜多中納言秀家その人が出陣してきたのである。元々キリスト教徒など明石に賛同していた家臣は宇喜多詮家を担ぎ出し、秀家を幽閉したのであったが、多くの家臣に対しては秀家は重病で隠居城に引き篭もり、詮家に家督を譲った、としていたので、健在な姿を見せた秀家に統率が乱れた。明石は
「あれは偽物、影武者じゃ!お主ら騙されるな!」
と叫ぶも
「だれが偽物じゃ、大坂まで泳いで参るのは骨が折れたぞ。」
と言い放つ秀家に宇喜多隊の家臣たちは
「あれは本物じゃ!『泳いで参った!』が出たぞ!」
「殿が『泳いで参った!』のじゃ!」
「われらは明石に謀られていたのだ!」
と雪崩のように返り忠をしたり、逃亡したり始めた。見る見る間に明石の率いる宇喜多隊は崩壊した。
「お前ら、止まるな!神の国を…」
と言いかけた明石全登は逃げ出す騎馬武者の馬に蹴られそうになる。
「明石殿、ここは我にお任せください。」
と進み出たのは客将として参加していた長宗我部盛親であった。
長宗我部盛親が殿軍で鬼神の戦いをしたため、宇喜多隊(で返り忠をしなかったもの)はどうにか西側へ脱出することが出来た。しかしその数は大きく減らしていたのである。
長宗我部盛親はしかし、どっこい生き延びていた。
そのまま潜伏した後大坂の街が復興したころに潜り込み、寺子屋を始めたのである。
そして後に天下の台所と呼ばれた大坂の街で『思わぬ教養を学ぶことができる』と寺子屋は大繁盛し、盛親の開いた『土佐塾』は関西きっての名門予備校として現代にまで続くこととなったのであった。
そのころ、南側に布陣した毛利勢は南蛮船から譲り受けた大砲で大坂城の本丸に向かって砲撃していた。
「おお、天守に直撃しましたぞ!これでやつらも抗戦する意欲をなくすかと。」
と安国寺恵瓊が大将、毛利輝元に言う。
しかしそのころ、大坂城ではこんな会話がなされていた。
「おお、太閤殿下、天守が崩れ落ちるなどこの世の終わりのようではありませんか。ここは和議を。」
「なにをいうか淀よ、天守など飾りじゃよ。偉いやつにはそれがわからないのじゃ。」
と自分が一番偉いのをおいておいて言い放つ豊臣秀吉。
その見た目の派手な効果にも関わらず、大坂城側にとって天守への砲撃はまさに些事といったところであった。
所変わって毛利本陣に戻ると、
「これまでの砲撃で大坂城は櫓なども崩れているところが多く、いよいよでしょうな。」
「うむ。大坂城に槍を入れよ…?」
と言いかけた毛利輝元の眼前に大坂城から出撃してくる部隊が見えた。
「こちらは西国勢の主力よ。死にに来たと…?なんじゃあれは。」
と驚くまもなく、凄まじい速度で毛利家の前衛を打ち破っていく。見ると真っ赤な軍装で揃えられた『赤備』は真田信繁、漆黒の『黒備』は毛利勝永である。
側面の前田利長は毛利を助けようと横槍を入れたが、かえって真田に蹴散らされて全軍が恐慌状態となり逃亡を始める始末であった。その軍勢は同じく退却する元ガラシャが率いていた北国勢の内忠興の指揮下に入るのを良しとせずに撤退している勢力と合流し、なんとか金沢に落ち延びようとしたが、そこで待ち受けていたのは柴田家の家督を実質的に継いでいた佐久間盛政と丹羽長重率いる部隊であった。
散々に打ち破られながらも前田隊はどうにか生き延びて帰還に成功した。前田利長は即刻出家すると弟利常に家督を譲り隠居した。結果前田家は大幅に厳封されながら生き残り、後に『加賀十万石』と言われたのであった。
前田家の救援も失敗し、真田信繁と毛利勝永の猛攻の前に毛利輝元の本陣は風前の灯となっていた。
「ここはわしが防ぎます、殿は脱出を!」
と安国寺恵瓊が意地を見せる。毛利輝元は
「まだだ、まだ終わらんよ!右翼の小早川秀秋が押し出せば!」
と抵抗するもその遠方に見たくないものが見えた。
「敵方に新手!千成瓢箪と金扇!豊臣秀吉の本体です!」
「小早川秀秋、陣を払って東方に撤退をはじめました!」
「もはやこれまでにございます!殿、撤退を!」
と吉川広家や小早川秀包などの一門衆がどうにか輝元を輿に押し込むと、毛利勢はどうにか態勢を立て直して堺に撤退した。
堺にたどり着いた輝元のところに思わぬ報が入った。
「なに?大坂城はもぬけの殻だと?」
「は。太閤秀吉は大阪から全軍を一族郎党女房下男に至るまで含めて出陣し、我等や小早川勢が撤退する後を追うように進み、そのまま東に消えていった、と。」
「くぅぅぅ!もう立て籠もるだけの弾薬や兵糧がなかったということか!ここで後ひと押しできていれば。」
「とはいえ、大坂城を取ることが出来ましたら我らの勝利と言えましょう。殿で討ち死にした安国寺にも報いれましょう。」
と毛利秀元が言うのにうなずき、毛利勢は堺を出発して大坂城に入城した。
…そしてそこで目にしたのは目を疑う光景であった。
西国勢は大坂城の総構えを抜くことが出来なかった。そして総構えの堀や塀などはそのまま残されており、大坂城の堅固さを改めて思い知らされた。しかし、その内側に入ると、なにか違う。
「本丸や二の丸の堀はほとんど埋められております!」
「建物もほとんどが焼き払われております!」
「…つまり総構えなど一番外郭以外は丸裸というわけか。」
「そりゃこれは討って出てきますな。」
「しかしぬけぬけと逃げられたというのは…」
と毛利家の首脳が頭を突き合わせて丸焼けの大坂城本丸で情報を集めると、
もともと東方に布陣していたのは小勢ですぐ蹴散らされた。
西側は宇喜多(明石)が宇喜多秀家本人の登場に殆どが寝返った。2万はいたはずだが、今明石に付き従っているのは2千ほど。
北はイスパニア勢が内紛で崩壊。ガラシャは夫の忠興に押し込められ降伏ないし撤退。
という有様で大坂城の秀吉は堂々と城を破却した上で脱出していたのであった。
「となると大坂城はまるで役に立ちませんな。」
「ここは秀吉の後を追って討ち果たさないと。」
「いや、ここは黒田殿が九州を平定して攻め上ってくるのを待つべきかと。」
「それでは木下一門と浅野長吉・幸長親子が立て籠もる姫路城が障害になります。」
と喧々諤々の議論が行われていた。
ひとまず大坂城を形ばかりは修復しつつ、情勢を伺う毛利であったが、どうやら秀吉は名古屋に到着し、そこで徳川の軍勢と合流したらしいとの一報を得た。
「徳川家と合流したとなると兵力の点で互角と行ったところですな。」
と毛利秀元。ちょうど海路本国から増援をかき集められるだけ集めて到着したのだ。
しかしさらに悪い報がつづく。
「伊達政宗が兵10万を率いて岐阜城に向かっていると。名古屋の豊臣・徳川勢も伊達と合流するべく出発しました。」
「ここはこの大坂城では支えきれませぬ。小早川秀秋殿は美濃の松尾山に布陣されたと。おそらくそこで東方からの敵を支えよう、というお気持ちと思われます。」
「金吾殿も律儀なことだな。よし、ここは美濃に出陣して決戦だ!イスパニア勢が崩れたとはいえ我らには彼らから得た大量の銃と大砲がある!」
毛利輝元の号令とともに西国勢は美濃、関が原に向かって出陣したのであった。




