大阪冬の陣 その1
太閤豊臣秀吉は大坂城に籠城していた。
「どうしてこうなった。」
真田家から大坂城に使者に出ていた真田昌幸の次男、信繁はぼやいていた。
父の命を受け大坂城に使者として…ついでに大坂や京、堺の物見遊山を楽しんでいくはずであったのだ。それが大坂城に逗留している間ににわかに情勢が慌ただしくなり、帰国しそこなってしまったのである。
「まぁそれがしも責任は感じるがそこはそれとして、落ち込むでない。」
と声をかけたのは毛利勝永である。勝永の父、吉成は九州豊前の大名であったが、イスパニア勢とともにキリシタン大名決起、の報を急ぎ大坂に知らせるために勝永が送られてきたのであった。ちなみに父の吉成はどうにか逃げ延びて加藤清正らとともに熊本城に立てこもっているところである。
「俺も大坂で一仕事したら帰りに有馬でひとっ風呂、と思っていたが、まぁ戦のほうがおもしろそうだな。」
とそこに口を挟んだのは水野勝成。徳川家康に『たまには戦でなく内政っぽい仕事をしてみよ。』と言われて大坂に来たところ巻き込まれたのである。
「貴殿はたまには落ち着いて政をしたほうが良いと思ったのだが…結局貴殿好みの状況になるとは。」
とぼやいているのは勝成とともに来ていた本多正純。
「兄上、そうはいわず、とにかく現状をなんとかしましょう。」
と声をかけたのは正純の弟で本多正信の次男、本多政重である。
「そうそう、政重殿が急遽知らせてくれなければこの秀吉、危ういところであった。」
とそこに太閤秀吉が登場し、一同平伏する。
「よいよい、頭をあげよ。」
と声をかける秀吉。
「本多政重殿がバテレンにたぶらかされた明石ジュストが宇喜多家を掌握し、毛利とともに大坂に攻め上ってくる、という報を宇喜多家をなんとか脱出して知らせてくれたので籠城が間に合ったのだ。政重殿には感謝いたす。」
「ありがたきお言葉。」
「さて当方は戦支度はそこそこで、どうにか3万強の兵で大坂城に入れた。将は貴殿らとともにそこに控える加藤嘉明、福島正則、片桐且元、藤堂高虎、そして徳川殿のご子息秀康どのもおるし他にもおる。まぁ人手は十分じゃろうて。」
「長束どのが先に差配しておいてくれたおかげで兵糧も十二分にありますな。」
「うむ。寄せ手は明石率いる宇喜多勢、前田利長率いる加賀勢、そして毛利が主体だが、毛利はどうせ漁夫の利を狙っていて本気ではあるまい。」
「御意。」
「なぜか知らんが四国からは兄信親と揉めて長宗我部盛親が寄せ手に加わっておるというが、数はまぁ15万はおろう。」
「城攻めに必要な籠城側の5倍、は用意できてしまっておりますな。」
と本多正純。
「うむ。これでも九州勢が熊本を全く抜けず九州から離れられないために数は少なかったのだがな。」
「そこは幸いでした。」
「しかし舞鶴からイスパニア船が上陸し、細川ガラシア率いる部隊とともに京へ攻め入り、京を焼き尽くしたのには驚きました。」
と京からどうにか逃げてきた公卿が言う。
「京は気の毒であったが、幸い京にとどまってさらなる略奪をするのではなく、すぐに伏見攻めに向かったのがまだマシであったか。」
と秀吉。
「鬼庭左月斎様の奮戦がなければこうして籠城するのも間に合いませんでしたな。」
「うむ。左月斎殿にはいくら感謝してもしたりぬ。ところで諸君。」
と秀吉は向き直り、地図を広げた。
「この大坂城、実はいつか伊達にでも攻められるのでないかと思ってな、このように『総構え』の工事を済ませておる。」
おお、と諸将はどよめいた。
「土塁や防壁の他に土塁に穴を作り、そこから砲撃をできるようにしてある。これは小谷城で浅井が行っていたことを活かした。しかしこの南側の防御がどうにも弱い。そこでだ。」
と言って秀吉は真田信繁に向き直った。
「真田殿、貴殿にこの部位の出城をおまかせし、『真田丸』と名付けたい。」
「ありがたきお言葉にありますが、兄(信幸)ならともかくこの信繁に務まりますでしょうか。」
「貴殿なら間違いない。わしは人を見る目はあるのじゃ。」
といってカッカッカ、と笑う秀吉。
「まぁ寄せ手で真剣に戦う気があるのは明石とガラシアの軍勢ぐらいだろうて。あとは九州が片付いて援軍が来てから本気を出すつもりであろう。」
「はっ!」
諸将は平伏し、気勢を上げた。諸将の担当も決まり、大坂城は迎撃体制を整えたのである。
こうして『大阪冬の陣』が幕を上げた。




