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西国争乱

伊達政宗が江戸城で重臣を集めて協議していると早馬がやってきた。


「イスパニアの艦隊が福岡に入港したそうです。その数30!」

「30だと!わしの時には書面だけで1隻もよこさなかったのに!」


 と思わず政宗は叫ぶ。


「上様、わしの時にはってそんなことがありましたっけ?」


 と片倉景綱に聞かれ、


「い、いやな…」


 とごまかす。『前の人生ではなんて言えぬわ。』と政宗はひとりごちる。


「ともあれ、艦隊の目的を知らねばならぬであろう。使者を送るか。」


 とこれまた重臣の白石宗直が使者に尋ねると後藤寿庵が


「それには及びませぬ!」


 と部屋に入ってきた。


「これ寿庵、ここは許された重臣が協議する場。」


 と寿庵の義兄で伊達家に寿庵を迎え入れた後藤信康が嗜めると


「いえ、私は上様にイスパニア艦隊と西国諸将の意向を伝えに参りました。」

「なんと。しかしここに直接は越権…」


「よいよい、続けさせよ。」


 と政宗が促す。


「おお、さすがは上様にございます。我らが望みはキリスト教を日本の国教とし、邪宗である仏法を打ち払い、帝や上様が羅馬法王にお仕えすることであります。」

「それはまたいきなり壮大というか無茶なことを。」


 と鮭延秀綱が呆れるが、政宗は


「お仕えすると言ってもこんな遠い東洋には羅馬法王様の指導は届きますまい。」


 と聞くと


「ですから羅馬法王の家臣たるイスパニア王とイエスズ会の司祭に従え、ということです。」

「仏法を打ち払え、というが先祖代々の寺社も破却しろということか。」

「それは当然のことでございます。邪宗を崇めるものは天の国には参れません。」


「ごむたいな・・・」

「いくらなんでも横暴だ。」


 などと寿庵を避難する声がそこかしこから上がってきた。


「その提案、にわかには受け入れがたいな。しかし当方としてはイスパニアとの交流の断絶を望むわけではない。話し合いの場を設けてもらいたいところだが。」


 と政宗が寿庵に尋ねると


「そのような時間はありません。先の事はお願いではなく決定したこと。」


「なんだと。」

「どういうことだ。」


 と諸将から声が上がる。


「それはどういう意味だ?」


 と片倉景綱が尋ねた。


「福岡のイスパニア艦隊を水軍の基幹とし、黒田ジュスト様、大友フランシスコ様を中心とした九州諸将は結束して邪宗門の徒を討伐し、九州統一をすでに目指しております。」


 この情報に今まで黙って聞いていたものも含めて場は騒然とした。そこに使者が駆け込んでくる。


「島津義久様、立花宗茂様、龍造寺家名代の鍋島直茂様から危急の使者でございます。黒田・大友などがイスパニアの援軍とともに攻めてきていると。」

「それらの将は九州でも名うての名将たち、容易には破られぬと思うが。」

「そ、それがイスパニアのみならず毛利も攻めてきていると。」

「それはどういうことだ。」


 そこに後藤寿庵が口を出す。


「毛利輝元様は我らの提案を受け入れ、日本の西半分を差配する総督として我らが義挙に参加してくれることになったのです。」


 政宗は頭を抱えた。


「せめて小早川隆景殿と吉川元春殿が生きていればそんな浮ついたことをしなかったであろうに。」

「中国地方といえば宇喜多家は?」

「明石ジュストが家内をまとめてキリスト教建国のために一丸となってまっしぐら、と。」


 情報をまとめると先に上がった九州諸将の他、長宗我部を継いだ信親は抵抗しているが、四国は伊予の毛利と一条が中心となって押している、という。


 そこにふらっと入ってきた老人がいた。


「いよ!」


 と見ると徳川家康が入ってきた。秀忠を連れている。


「お困りかと思っての。」

「これは徳川家の皆様。」


 伊達政宗は丁重に出迎える。


「その使者の話よりも現状はちょっと進んでいるようだな。」


 と家康は話し始めた。


「九州の鍋島と立花は支えきれず領地を逃れて熊本の加藤清正のところに入ったぞ。」

「なんと。」

「島津も兵を出して今イスパニアに対抗する勢力は熊本に集結しているな。四国は長宗我部が粘っているが。中国はまだ九州を優先しているようで畿内へ積極的に進軍はしていないようだが。ひとまず鳥取城は包囲されておるな。宮部継潤が守っておるが、干し殺した城を干し殺されそうになっておる。」


 といって家康は笑った。笑うところではないが、気をあげようとしたのであろう。


「北陸もあまり芳しくありませぬな。」


 と報告したのは徳川秀忠である。


「摂津のキリシタン高山右近を監視していたのですが、自領を脱して加賀の前田利長様と合流。前田利家様を押し込めたとか。」

「なんと。」

「越後は上杉成実様が抑えているため、上杉景勝・直江兼続に当たりをつけたものの『当家は毘沙門天の化身の家系である。』とピシャリと断られ、越前方面へ進んでいるとか。」

「丹後も細川ガラシアの信奉者が夫忠興と義父藤孝を押し込めて蜂起し、若狭に攻め入り、越前へ進んだ前田勢と合流しそうな勢い。」

「平穏なのは東国ぐらいか。」


「ここは一同力を合わせて畿内へ向かい、それから西国に対する対処を検討しよう。東国の諸将に陣触れを!」


 と政宗が命じたところでまた使者、と思いきや入ってきたのは大坂で城代を努めていたはずの浅野長吉であった。


「丹後舞鶴と奴らが名付けた港にイスパニアの艦隊が上陸。前田・ガラシア勢と合流し、

京に攻め入りました。」

「なんと!主上は無事か!」

「は!我らがお守りして主上は秀吉様と大坂に逃れました。その時間稼ぎで伏見城で・・・」


 とそこまで言って浅野長吉が言いよどむ。


「どうした、浅野どの。」


 と政宗が尋ねると


「主上や秀吉様を逃すために、秀吉様のお相手として滞在されていた、伊達家の…」

「まさか爺が。」

「鬼庭左月斎様が僅かな兵とともに籠城し、大坂に逃げ延びるのを見届けるまで時間を稼ぎましたが、奮戦虚しくついに落城、討ち死にされました。」


 政宗は崩れ落ちた。


「爺が、爺が……。」


 場は悲しみに包まれた。しかししばらくすると政宗はすっと立ち上がり、皆に宣言した。


「天下騒乱を招いたイスパニアとそれに与するものは決して許さぬ!者共!爺の弔い合戦じゃ!大坂の主上と秀吉様をお救いするぞ!」

「おお!」


 諸将も立ち上がり、鬼庭左月斎の無念を晴らすために闘志を燃やしたのである。

今週はここまでです。次回週明け更新予定です。すみません。

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[一言] ここで左月逝くのか(´・ω・`)
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