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鎮守府大将軍伊達政宗、やらかしたことに気づく

「それで上様?今後はどのような政策をとっていくおつもりで?」


 鎮守府大将軍伊達政宗に側近鮭延秀綱が訪ねた。


「うむ。わしは痘瘡にかかって片目を失いそうだったのを幼少のときに南蛮船からもたらされた猫によって救われたのだ。」

「おお、そのようなことが。」

「であるから南蛮の国々とは積極的に交易を行い国を栄えさせていきたいと思う。」

「駿府に下がった徳川家康様も交易には積極的ですな。呂宋に今もよく船を送られているとか。」

「一方で太閤秀吉様は南蛮に懐疑的ですが。」


 と片倉景綱。


「バテレン共が我が国の者共を奴隷として売りさばいていると聞いて忌避しておりますな。」

「うーむ。しかし国としてバテレンを禁ずるのでなく、支倉常長をイスパニア王に同盟の使者として送ってみたのだが…」


 と政宗は顎を撫でた。


 三巨頭体制から政宗が頭として他の二人が隠居に近い状態になったこともあり、日本は積極的にスペインやポルトガルと交易を持つようになった。

 仙台などの国を代表する主だった港ではガレオン船の写しが建造され、またそれらに積む大砲も鋳造されるようになった。しかし街道の整備も進められるようになったとはいえ、山がちな我が国ではまだ本格的な重火器が陸上の合戦で積極的に用いられるようにはなっていなかった。


 その一方で政宗がイスパニア王との交流に興味を示していることもあって、キリスト教が禁教とならなかったために西日本の大名を中心に広まりを見せていた。その中には九州の大友家や有馬家のように狂信的とも言えるレベルで信仰し、住民に強制するようになってきたものもあり、蒲生氏郷(史実の政宗関係のストレスや毒がなかったせいか無事に生き延びていた。)や黒田如水といった当代きっての知将もキリスト教に入信する有様であった。(もっとも彼らは真剣な信仰心よりも海外の新しい知識の吸収が目的であったようだが。)

 それに伴いキリスト教の発言力は増大し、全国的に信仰する大名や教徒が繋がりを持つようになった。伊達家においてはその中心は年若き武将にして技術者、後藤寿庵であり、諸大名は寿庵を幕府におけるキリスト教の代表とみてさかんに繋がりを持ち、寿庵は隠然たる勢力を持つようになった。


 ここまでは政宗も黙認していたことであった。しかしキリスト教の勢力は見る見る間に全国を席巻していった。そんなある日、豊臣秀吉からの使い、と石田三成が数人のものを連れてやってきた。


「これが秀吉様からの書状であります。」


 と三成は差し出した。


「……うむ。秀吉様はわしの部下が十分足りていないのを見て秀吉様のところから三成殿と長束正家殿、増田長盛殿をつけてくださると。」

「我らでは力不足と思いますが、なにか役に立つことがありましたら。」


 と長束正家。


「いやいや、皆様は天下でも評判の内政の達人。どうかこの政宗を助けていただけましたら。」

「上様の仰せのとおりに。」


 と増田長盛が答えた。


「ところでその続きだが、有馬家が長崎を教会領に差し出し、南蛮人は長崎に築城している、というのは真か?」

「それは間違いありませぬ。」


 と答えたのは鮭延秀綱である。


「黒脛巾組の探りでも長崎に石造りの城を築いているとか。」

「うーむ。勝手にイスパニア領を作られるのは見過ごせぬな。」

「福岡の黒田孝高様のところにはセミナリヨが築かれた話は上様もご存知かと。」

「そのとおりだがそれが何か?」

「それがセミナリヨ(神学校)のみならず、カテドラル(大聖堂)の建築も始めたとか。」

「なんと。」

「豊後の大友も乗り気で、『九州を、そして日本を神の国にする』と息巻いているとか。」


 政宗は思った。これはいささかやりすぎではないかと。


 政宗は『一旦国(仙台)に帰る。』と言い残して二条城を出立した。


 そして仙台に向かい途中で駿府の徳川家康を訪ねた。


「どうした政宗殿。三巨頭から滑り落ちたわしを笑いに来たのか。」


 と徳川家康は不機嫌である。


「いえいえ、この若輩、家康様に教えを請いに参りました。」


 と深々と頭を下げて伊達政宗は平伏する。


「どうせ天下から滑り落ちたわしに教えることなどないだろ。」


 と拗ねる家康を宥めつつ、先に話をしておいたとおり家康の顧問、ウィリアム・アダムスを呼んでもらう。


「……このように先に民衆を教化し、有力な諸侯を味方につけ、征服する国の国軍を機能不全にしてから崩壊させるのがイスパニアやポルトガルの常道なのであります。」


 とイスパニアの海外侵略の方策を滔々と語るアダムス。聞いていた政宗の顔面は蒼白である。


「……まさにこれに近い状態やもしれぬ……」

「だからエゲレスやオランダと言った新教国を相手にしておれば良いのに。それらの国も侵略しないとは言わぬが、信教を絡めて攻めては来ぬぞ。」


 と気を取り直してホクホクした顔で語る家康。政宗が思い返すと九州は薩摩の島津、肥後の加藤清正、肥前の鍋島直茂(実質)、筑前の立花宗茂、といった頼れる面々はいるものの他は軒並みキリスト教のシンパとなっていた。四国は概ね…と思いたいが伊予に捨扶持を与えた一条が気になる。毛利こそ信教的には安心できそうだが、信教はおいておいても世が乱れたら野望をむき出しにしそうである。他にも摂津の高山、松坂の蒲生等などキリスト教の信仰を標榜するものは多く、加賀の前田利家にしても本人はともかく、嫡男の利長はキリスト教に理解を示していたし、丹後に至っては細川忠興がベタぼれの妻、ガラシアに禁教令がないのを幸いと活動を許していたこともあって多くの信者がガラシアを『今マリア様』と言って崇め集まってきているという。


「…まずい。」

「何がまずいか言ってみろ。」


 とすっかり機嫌を直してニヤニヤしている家康が聞いてくる。


「秀吉殿の禁教の考えは間違えていなかったのやも…」

「信教の自由、と聞けば聞こえは良いですが、それを操るものはいつの世にも現れますからな。」


 とうなずくのは家康が側近、本多正信である。


「お、正信殿といえば一向宗でしたが、一向宗の戦いぶりというのは…」

「さよう。死兵といってよいものであります。自らの命をなげうっても極楽浄土にいけますからな。」

「うーえーさまーよ、そしてアダムスに聞いた話ではキリスト教の信徒も同様とな。」


 と家康。


「うう、まずい。」


 政宗は頭を擦り付けて家康にこれからも助力してもらうように嘆願し、家康も国のためなら、と快諾した。そして政宗は仙台へ向かうのを一旦やめて副都の江戸に入り、今後の方策を一旦思案することにしたのである。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] この作品、江戸時代の家康時代どころか家光時代まで生きた政宗の転生って話だったと思ったけど記憶違いだったんだろうか。 彼自身常長の派遣もしておりキリスト教とポルトガルなどの国の問題は知ら…
[一言] 戦じゃー! 一先ずプロテスタントと話をつけてカトリック勢を抑えるのかな
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