徳川家康、名古屋城で度々使者を迎える
尾張名古屋城は徳川家康が天下の三巨頭と呼ばれるようになり、大地震で被害を受けた清洲城に代わって築城された濃尾第一、と言われる巨城である。漆喰に塗り固められた純白の巨大な五層天守は『尾張名古屋は城で持つ』と人々に言われ、豊臣秀吉の大坂城や聚楽第、伊達政宗の仙台城や江戸城、伏見城よりも規模が大きく、徳川家康の権勢の大きさを示していた。家康は駿府城にも大天守を挙げ、領土の東西で統治の象徴としていたのである。
その名古屋城の御殿で湯漬けを食べていた家康は東国から急ぎ来た、という使者を迎えていた。
「おお、信濃からか。上田城攻めの進捗はどうだ。降伏して佐々の首を差し出し、我が組下となるならば真田の助命もやぶさかではないぞ。」
「……それがし信濃ではなく上野から参りもうした。」
「なに?上野だと上野がどうした?沼田の真田勢がこちらに出陣してきたのか?沼田を預かる矢沢頼綱は老いたとはいえ知勇兼備の名将として知られておる。油断できぬな。」
「いえ、それが佐々成政が……」
「佐々が何だと?」
「名胡桃城主鈴木重則は上田に所要があり滞在していたのですが、我らの上田攻めで戻れなくなり、城代は中山某というものが努めておりました。」
「名胡桃城は真田の城であるはず。回りくどいがそれがどうした。」
「佐々成政がその中山某を調略して寝返らせ、郎党を率いて名胡桃城を占拠したのです。」
「それは単に真田と佐々がつるんでいたと言うだけのことではないのか?」
「いえ、それが中山某に開門させ、城内に突入した佐々と真田勢は戦闘になり、城も一部が焼けたと。」
「なに?では真田と佐々はつるんでいなかったのか?……いや元々つるんでいたのが佐々と揉め事になり、佐々が独立を試みたのやもしれませんな。」
と話を聞いていた参謀の本多正信が口を挟む。徳川家康は
「うむ。そういうことであろうな。さしずめ佐々が真田の走狗のように使われるのに我慢がならないのであろう。」
と頷いた。しかし使者は
「それが佐々はそもそも真田とは敵対していたと宣言しました。」
「そんな筈はない。あれだけ我らの輜重を襲っていたではないか。」
「それが『生活のため徳川様の荷物も奪ったが、それ以上に真田も襲撃していた』、と血染めの鎧など戦利品を城門に掲げまして。」
「なに、そんなものが。ならば真田とは和睦してともに佐々を攻めるが良いか。」
という家康に使者は
「それが『今こそ真田に天誅を』と宣言した佐々成政に呼応して当家の小笠原貞慶殿と石川康長殿が兵を率いて名胡桃に入城、佐々勢はそれを歓迎してともに真田勢の反撃に備えて守りを固めていると。」
家康は思わず湯漬けを吹き出した。本多正信が
「な、なんということを……」
とうめき、その声は震えていた。
「いかん。それでは我らが佐々を唆して自演で襲撃を演出し、真田を無実の罪で攻撃したようになってしまう!」
と叫ぶ家康の所に新たなる使者が訪れた。
「名胡桃城の小笠原貞慶様からです。『憎き真田の城を佐々と手に入れた故殿に出陣いただき真田を滅ぼしましょう。』と。」
「な、なにをいうか……」
と頭を抱えた家康の所に次々と使者が入ってきた。
「殿!上野の国人衆が徳川家の行動に不審を抱き、次々と蜂起しております!」
「殿!甲斐でも国人衆が次々に蜂起し甲府城代の天野康景殿が新府城に逃れたとのこと。」
「殿!信濃でも真田に対する我らの所業に我慢がならぬ、と次々に国人が蜂起しました。深志城の石川数正殿は城を追い出されました。」
「殿!小諸城の依田信蕃殿が深志の石川殿の救援に向かい、深志城を攻めましたが戦死されたとのこと!」
次々と入ってくる報告に徳川家康はすくっと立ち上がると
「よし、出陣して諸国の動揺を収めるぞ。まずは信濃を平定して真田をなんとか……」
と言いかけた時にまた使者が入ってきた。
「殿!」
「よい!どうせまた国人の謀反であろう。まずは信濃に向かい出陣……」
「いえ、某は大阪から参りました。」
「大坂?秀吉殿のところか?」
「はい。えー、『此度の佐々の件、いくら真田が鬱陶しいとはいえ裏で佐々を手引していたとは失望した。かくなる上は事態収拾のため岐阜から浅野長吉・織田秀信を向かわせた。』と。」
「……なに?もう名胡桃城の件が伝わっておるのか?我らも今知ったところだぞ。」
「……真田から急使で知らせがあったと……」
膝を付く家康。するとまた使者がやってきた。
「今度は何だ!関白殿の救援はこれ以上は不要だぞ。」
「越後の上杉成実殿、真田救援のため越後を出陣、沼田城に入りました。『あくまでも佐々の追討のためであり徳川家に相対する気持ちはない。預かっていた佐々の不始末は申し訳なく思うが何分逃亡後の行動故許していただきたい』と。」
「上杉も動いたか……上田に向かってこないだけ事態がややこしくならずマシと思うほかないか。」
とため息をつく本多正信。するとさらに使者がやってきて
「江戸の伊達政宗殿が甲斐救援のために出陣され、甲斐の謀反を起こした国人衆をまたたく間に駆逐、我らが築城していた甲府城に入られました。」
「今度は伊達か!」
と正信。
「……で伊達殿は今どうしていると。」
と訊ねる家康に使者は
「天野康景殿を解放して甲府城で保護されている、と。甲斐国人の動向は未だ定まらず、鎮撫のためにそのまましばらく駐屯する、とのことです。『今後については関白様とともに話し合いたい。』と書状もこの通り。」
と書状を差し出す。それを奪い取って呼んだ本多正信は
「……どうやら我らの領内の問題というだけでは済ましてくれそうもありませんな……」
家康は胃の中のものをゲーゲー、と吐いてしまった。
しばらくして落ち着いた家康は
「ひとまず佐々とそれに与したあのバカども(小笠原貞慶ら)だけでもなんとかせねばならんな……まずは出陣して上田の鳥居元忠と合流するぞ!」
と号令をかけ、急ぎ陣を整え信州へ向かう。そして伊那高遠に入った時にまた国人の蜂起に出くわした。
「五郎盛信様万歳!」
と以前討ち死にした武田信玄の5男、盛信を崇拝するような口ぶりで攻撃してくる国人衆であったが、さすがに徳川家康は寄せ付けず打ち破り、高遠城に入った。
「これ以上軍を急がせるのは危のうございます。ここはまず伊那を押さえるべきでは?」
と榊原康政は進言したが、家康は
「いや、ここはまず鳥居元忠と合流せんとならん。まずは小諸に軍をすすめるぞ。」
と鎮撫もそこそこに小諸へ進軍した。
小諸城にたどり着くとそこには上田から撤退した鳥居元忠らの軍勢が待っていた。
「元忠!無事であったか。」
と安堵する家康に元忠は
「撤退する時に真田信幸の追撃を受け、随分と被害を出してしまいました。真田信幸は恐ろしい大将ですな。」
「とはいえ無事で何より!さて、これからどうするかだが……」
と相談しようとした家康の所に豊臣家からの使者を名乗る富田一白がやってきた。
「富田殿か、お通ししろ。」
と家康は富田一白を小諸城の御殿で出迎える。富田一白は慇懃な態度で
「関白様が深志城に入られました。今後について甲斐におられる伊達様も交えて家康様と相談したい、とのことです。場所はこの小諸でいかがでしょう?」
「なんと。深志へ向かっていたのは浅野長吉殿ではなかったのか。」
「浅野様もいらっしゃいますが。」
「……とはいえここは話を受けよう……」
と不安な面持ちで徳川家康は豊臣秀吉の提案を受けた。そして数日して小諸城に豊臣秀吉が率いる軍勢と、伊達政宗が率いる軍が到着したのである。




