水野勝成、上田城に使者にたつ
いつまで立っても伊達政宗と連絡が取れない徳川家康はついに見切り、鳥居元忠に上田攻めの軍勢を進発させた。
鳥居元忠率いる徳川勢8000は、真田領内に入ると上田城に使者を送った。使者に選ばれたのは……水野勝成であった。ちなみに鳥居元忠には特に考えはなかったらしい。
水野勝成は上田城の門で使者である、と名乗り中に通された。
「徳川家康家臣、水野勝成であります。真田殿には今回の我が所領の街道に現れる山賊どもを差し出していただきたい。」
「なんと。先に家康様には連絡を差し上げたとおり、山賊と我らは無関係であります。佐々成政が勝手にやっていること。」
と真田一門、矢沢頼康が答える。
「この期に及んでまだそれを言うか。ではその佐々成政をさっさと差し出せ!」
と凄む勝成。
「ですから、佐々は当家には お り ま せ ぬ。」
と平然と答える矢沢。
「ふん!隠し立てしてもお見通しだ!山賊の手のものが上田城に入っていくのを徳川家の服部半蔵配下の伊賀衆が見届けているのだ!」
「何を言います。真田十勇士を擁する我らの城に忍びが近づけるはずがありません。(注:後年の有名な十勇士だと若すぎるものもいるのでそこは先代だと思ってください。)」
「では忍びを討ったというのか。」
「忍びならば仕方がない定めかと。」
「なにを。貴殿では話にならぬ。当主の昌幸殿を出せ!」
と詰め寄り、真田昌幸が登場した。
「わしが信濃真田家当主!真田昌幸である!」
と大音声をあげて登場したのが真田昌幸である。
「……すみません。父が。いつもこうハッタリと言うか……」
と申し訳無さそうに話す隣りにいる青年は嫡男の真田信幸であろう。
「昌幸殿、佐々成政が山賊の首魁というならば差し出して身の潔白を証明されよ。さもなくば。」
「さもなくばなんだ!」
と威嚇する昌幸。信幸が『どー、どー。』と宥める。
「さもなくば我らが城に入って調べさせていただくがよろしいか。」
「徳川勢を城に入れろだと。」
「上田のみならず砥石など他の諸城も調べさせていただきます。あの山賊の規模なら何処かの集落に隠れているのではなく、城か砦を根城にしているはず。」
「すべての城に徳川の兵をだと!」
「ええ、調べるだけではなく、片がつくまで駐屯させていただきたい。」
「言わせておけば!真田は徳川の家来ではない!そんな事させられるか!」
と怒鳴る昌幸。水野勝成はすっと立ち上がると
「こちらこそ下手に出れば図に乗りやがってこの少悪党が!てめぇらが佐々を使ってか佐々の名を借りてかわからねぇがうちの荷駄を襲っているのはお見通しだんだよ!さっさと謝罪して頭丸めて城を差し出せっつうの!」
と豹変してすごんだ。真田家臣はすわ、と身構える。
「それともここで俺に討たれて責任を取るかぁ?」
とスラリと大太刀を抜き放つ水野勝成。
「者共!やれ!生きて返すな!」
と昌幸は号令する。すると勝成は逃げようとするどころか前に出てきてやにわに真田昌幸に斬りつける。
袈裟懸けに昌幸が真っ二つになった、と思われたその時水野勝成の太刀筋を刀の鞘で受けたのは真田信幸であった。そのまま信幸は低くいう。
「勝成殿、ここはお引取り願おう。」
「信幸!此奴を帰すというか。」
「我らには後ろ暗い所はありませぬ。徳川殿が言いがかりを付けてきているだけのこと。ならば我らは礼を持って応えましょう。」
「……おお、そうであるな。そちの言うとおりだ。」
と真田の配下は武具を下ろす。
そして水野勝成は上田城を退出した。真田昌幸は信幸に
「どうしてあの者に手出しをさせなかったのだ。お前ならなんとかなったであろう。」
と訊ねると
「父上、それはあの者を見くびりすぎです。もし切り合いになっていたら我らの損害は両手では済みますまい。私も父上も刀の錆になっていたかもしれませぬ。」
「それほどまでに恐ろしい使い手か。」
「御意。」
と遣り取りをした父子であった。
水野勝成は本陣に戻ると、攻め手の大将である鳥居元忠の所に出頭した。元忠が声をかける。
「……どうであった。」
「話になりませんな。何一つ具体的な返事はない。それに斬られそうになりましたよ。」
という勝成。
「そうであったか。まぁ並のものなら命はない、と思ってな。」
「そういうところだけ期待されるというのもちょっと微妙ですがな。」
と答える勝成。
「よし、そうと決まれば力攻めして奴らの家探しをする他ないな。名古屋の殿へ使者を出すのだ。」
と鳥居元忠は名古屋の徳川家康に使者を出し、兵を再編するといよいよ上田城攻めに取り掛かることにした。尼ケ淵の断崖の南に陣取る。
いよいよ陣形を整えた、その時に地響きのような音が聞こえてきた。せき止められていた神川が破られ、濁流が襲ってきたのである。
「……仙台で名取川を氾濫させたのは真田勢であったな……油断しておったわ!」
と悔しがる鳥居元忠を尻目に徳川の軍勢は水に浸かった。それほど決定的な被害を受けた、というわけではなかったが、水に浸かり装備は重くなり、糧食も失われ、士気が下がることは著しかった。
「ここは気分を一転してサクッと落としましょう!」
と大久保忠世は景気を付け、気分をあらためようとした。ともあれ、鳥居元忠は城攻めを始めることにしたのである。




