伊達政宗、将来に不安を抱く
朝鮮に唐入りの軍勢が出陣して3年が経ち、加藤清正は一旦帰国して今後のことを豊臣秀吉と話し合っていた。
「この度はご嫡男、棄丸様が生まれまして祝着至極にございます。」
「うむ。しかしそのためにわし自身が渡海できなくなり、申し訳ないのう。」
と答える秀吉。
「いえ。しかし伊達殿のいう朝鮮の南、が南岸沿いではなく朝鮮全土の南とはこの加藤清正の目を持ってしてもわかりませんでした。」
「うむ。当初家のものがいう通り南に攻め入り、拠点を築いた後、小西行長が朝鮮王との交渉でも、と軍を進めたらどうやら伊達が先に入り込んでいたようで、あっさり王城が落ちた、というのは耳を疑ったな。」
「その伊達殿が朝鮮の民衆に金をばらまいてなんか慰撫に努めていたようで……我らが進んだときには影も形もありませんでしたが、勢い、朝鮮の民衆には愛護的に接せざるをえず。」
「なんか傲慢に接すると『ダテトチガウダテトチガウ。ダテモドッテコイ。』とかわけのわからん呪文を唱えだしたとか……」
「やむを得ずとはいえ、丁寧に接すれば支配階級から開放された民衆が意外と協力的でしたから。」
「うむ。おかげで輸送をする水軍を襲う李舜臣の根城も見つけ出し、討つことはならなかったものの北に追い払えたしな。」
「かの者はなかなかな将軍でしたので助かりました。」
「で、明との交渉はどうなっておる。」
「は。ソウルの北側でまっすぐ東西に引かれた線で睨み合っております。某が捕えた王子を推戴して南朝鮮王朝を建設し、それを認めさせようかと。」
「それは通りそうなのか?」
「朝貢などを元通りすれば、と意外と乗り気です。」
「それで対馬の宋氏を介在するのではなく、南朝鮮王朝を仲立ちとして我が国と交易はできるのだな。」
「は。南朝鮮が明に売るものが何処の産か問わない、ということで。」
史実で後に島津が琉球王朝を介して行ったような手段である。
「南朝鮮を介することでわしや主上が直接明の属国になることなくやり取りできる、というわけか。清正、よくやった。」
「その辺りは小西殿の考えもあります……商いについては認めざるを得ませんな。」
こうして日本勢はちょうど北緯38度の辺りから南を事実上領有し、そこで本来の李朝朝鮮である北朝鮮王朝と、日本の傀儡である南朝鮮王朝に分かれる形となった。明との貿易体制もなし崩し的だが形成し、秀吉の朝鮮征伐計画はひとまずある程度の成功を収めたのである。
とはいえ、南朝鮮の統治を続けるためには、十分な兵や指導者としての武将を置かなければならなかった。今回の出兵で実際の戦闘では加藤清正と小西行長の武勲が大きかったが、加藤清正は肥後に帰ることを希望した上、また商業上の交渉では商人出身の小西のほうが上手であったこともあり、実務的なトップとしては小西行長が付くことになった。それに伴い、肥後の半国は返上して加藤清正に与えられ、ひとまず役目を終えた肥前名護屋が小西行長の日本での本領として与えられたのである。
しかし、小西行長のみでは人手が足りず、また日本側のトップとしては格的にも物足りなかった。そのため、立花宗茂や島津家久(暗殺されていないので所謂『善』の方)など九州勢に加えて水軍大将として脇坂安治などが付けられた。そして小早川隆景が釜山など朝鮮南部を所領として与えらえ、朝鮮総督を支える賦役に任ぜられた。そして朝鮮総督としては秀吉の養子、豊臣秀俊が任じよう、との声もあったが、まだ7歳と幼すぎたため、別の人物が任命された。
それは豊臣家に養子に来ていた徳川家康の次男、豊臣秀康であった。
秀康は数えで14歳になり、秀俊よりは単なるお飾りにならずにすみそうであった。また関ヶ原の敗戦で豊臣秀次が責任をとって処刑されたため、棄丸が生まれたとはいえ、まだ予断を許さない年齢では秀俊を異国に送り出すのは躊躇われたのである。
徳川家康の長男信康はすでに処断されて世を去っていたが、家康の後継としては生母の格が高い長丸(秀忠)でほぼ衆目が一致していた。そのため浮いた立場の秀康を秀吉は哀れんで養子に貰い受けたのであるが、秀康の果断で男らしい性格はひろく武将に好かれるようになっていた。
そのため、将来は秀俊などに交代も、という前提ではあるが、朝鮮総督に秀康が就くことなったのであった。
その頃、伊達政宗は仙台平野の改良や品種改良、そして蘆名盛輝と協力して奥州での白磁の生産に勤しんでいた。そんなおり、南朝鮮王朝の成立と明との講和、そして豊臣秀康の朝鮮総督就任などを聞き、また焦りを感じたのである。
「まさか唐入りがこうもうまくいくとは。」
と片倉景綱にぼやく。
「無理押しせず南側を抑えて明と上手くやりなされ、と秀吉様に教示したのは殿と聞きますが。」
「いや、釜山あたりを押さえてイスパニアのマカオのごとく租借地にできれば上々、ぐらいのつもりであったのだが。これでは関白殿の評判が下がるどころかうなぎ登りに。」
「その上交渉も成功して貿易での利益も莫大なものになりそうですな。」
「ううう。唐入りに疲弊して関白麾下の諸将が分裂するとばかり思っていたのだが。」
「上手く行けば仲も落ち着く、というわけですか。」
「まさか小西行長や石田三成と加藤清正が問題なく仕事できるようになるとは。」
「それに釣られたか福島正則殿なども落ち着いていますな。豊臣家に与する諸将は上げ潮と息巻いてますぞ。」
「それに加えて朝鮮総督に秀康殿が就くとは。」
「関白様の跡継ぎは棄丸様ができましたからな。」
「いやそうではなく、これで朝鮮や関白配下の諸将と徳川家康殿の間に繋がりができてしまった、ということなのだ。」
「あ。」
「これで関白様と徳川殿のちからはますます増してしまう……」
「まぁ我らはおとなしく奥州で米と焼き物を作っていればよろしいのでは?」
「それだけというわけには行かないだろう……」
とますます将来の先行きに不安を覚えた伊達政宗なのであった。




