豊臣秀吉はどうしても唐入りがやりたい
関白太政大臣豊臣秀吉は天下の三巨頭の残る二人、徳川家康と伊達政宗を聚楽第に呼び寄せた。
「徳川殿、右大臣就任おめでとうございます。」
伊達政宗が声をかけた。
「おお、政宗殿か。当家はわかりやすい格付けもなくてな。わはは。」
と笑う家康だが、伊達政宗にしてみれば豊臣秀吉は太政大臣、徳川家康は右大臣と自らの准二位を上回る官位を得たことになり、肩身が狭くなってきた思いであった。
ある意味順調に政宗の事実上の格下げが進んでいる感じである。
「さて両公にお越しいただいたのは……」
と豊臣秀吉は大広間で語り始めた。
「唐入りをしよう!ということなのじゃ!どうじゃご両人!……なんか顔が渋いな。」
徳川家康は国内安定の観点から、伊達政宗は国内安定と前世の唐入り失敗の記憶の双方から唐入りにはろくな印象を持っていなかった。
「この国内にあふれる兵力の矛先、外に向けて朝鮮から明を征服し、天竺に至るまでの大帝国を築こうぞ。どうじゃご両人。」
どうじゃと言われても……と伊達政宗は思った。明どころか朝鮮すら征服できないのに。
先に口を開いたのは徳川家康だった。
「関白殿下、お言葉ですが、交易なら明や朝鮮を攻めるよりも呂宋相手に行ったほうが利ざやも大きいのでは?」
さすがは後に朱印船貿易で多大な利益を上げる徳川家康である。伊達政宗は感心して
「某も家康殿の意見に賛成であります。呂宋でイスパニアを相手にしたほうが我が国にないものを得られ、より利益になるかと。」
秀吉は渋い顔をしている。政宗は『大丈夫だ。秀吉殿は我が国唯一絶対の立場ではないのだから……』と手に汗を握りしめていた。すると秀吉は
「貴殿らの申しようもわかる、わかるがその呂宋と貿易するにしても朝鮮を征伐して我が国の立場を大きくしたほうが良いと思うのだ。」
「関白殿下は朝鮮自体がほしいですか?」
と突然政宗が発した言葉に秀吉はふと気を取られた。
「朝鮮を得なければ明へは繋がらぬだろ?」
という秀吉に対して
「殿下の話を伺っておりますと朝鮮や明の全土を得るのが目的でなく、呂宋も含めた交易が主眼のはず。となれば朝鮮全土を攻めるのはいささか兵を使いすぎな気がします。」
「貴殿はわしの考えに反対か。」
「いえ、全くの反対ではありません。明や朝鮮の全土を直接支配するには多大なる兵力をずっと張り付けなければなりませぬ。しかも朝鮮は寒く、土地も痩せていて糧食の確保も現地では困難、その上疫病が蔓延しております。」
「そんなに朝鮮は最果ての地なのか。まるで見てきたようだな。」
『見てきたよう』の言葉を流しつつ、政宗は続ける。
「はい。最上や津軽が大陸とは交易がありまして……」
と近隣諸国から聞いた体にする。
「我らにとって朝鮮で魅力なのはその、明や宋にも劣らぬ白磁ぐらいでしょう。第一朝鮮王は形だけで実際には明の裁可を得ないと降伏できません。つまり朝鮮全土を滅ぼしても明を征服しないと朝鮮は従いません。」
「なんともややこしい話よの。」
と徳川家康が呆れる。
「ですから、某は殿下の朝鮮入り自体は反対しませんが、その目標は『旧任那地域の回復』に留めるのがよろしいと思います。」
「任那だと。」
「はい。任那は本来古来から我が国の領土でした。しかし大伴金村めが新羅と百済に騙されて取られてしまったのです。そこで我が国本来の領土である任那を回復するのを目的とするのです。」
「任那の地域を落としたら次はどうする。」
「そこで兵を広げず、その領域の確保に心がけ、可能な限りの善政を施すのです。朝鮮では職人などの立場が低く、正統な報酬と立場を与えれば自発的にやってくるものも多くいるかと。」
「後は軍事ではなく政で朝鮮王朝からじわじわと奪っていくわけか。時間がかからんか?」
「同時に明に対しては下手に出た使者を送り、朝鮮に明の大軍がなるべく現れないようにするのが良いかと。」
「明はそんなに送ってくるものか。」
と聞く徳川家康に
「20万ないし30万程度を送ってくる可能性があります。もちろん我が国のもののふなら負けはしませんが、消耗が痛い。」
「それは面倒だのう。そしてその任那を拠点に明と交易を目指す、というわけか。」
「さすがは殿下、理解が早い。明が乗ってくれば平穏に交易をすればよいですし、乗ってこないようなら大海を渡らずに済むのを利して寧波でも落としてしまうのも一興かと。寧波があれば呂宋との交易もよりやりやすくなりますし。」
「おお、それは面白そうだな。」
豊臣秀吉も馬鹿ではない。政宗の案のほうが交易を広げやすいのを認めたのである。
「ところでそこまで案を出すなら唐入りは政宗殿、貴殿が率先して行ってくれるのか?」
と言われて政宗は肝を冷やす。
「いえ、当家は関東と奥州の開墾で人手がなく……」
「うはは。まぁ唐入りが上手く言った暁にはその利益を吸いたい物が多い西国から主に兵を出すとするか。徳川殿は出せるのであろう。特に新しい領地の経営に困っている様子もないが。」
「微力ながら。」
と応えつつ、秀吉の見えない所で政宗の小腹を小突いてくる。
「(まんまと逃げおってからに。)」
と小声で徳川家康はささやく。
「(言い出したからには当家も多少はだすからお許しを。)」
とこちらも小声で答える。
こうして『朝鮮半島全土の掌握は目指さず、拠点形成のみを目指す』方針で唐入りが行われることが決められた。豊臣秀吉は肥前名護屋に新しく築城することにこだわったが、
「そこは悪しゅうございます。」
と政宗が言い張るので調査したところ政宗のいう通り水回りが極めて劣悪なことがわかった。
そのため黒田孝高がすでに巨大な連立式五層天守を備えた壮麗な福岡城をほぼ完成させていたこともあって、唐入りの本陣は福岡城と、その背後の大宰府に陣を作って本拠とする事になったのである。
唐入り自体は行われてしまいますが、秀吉の権威が相対的に低いので規模が著しく縮小しています。
政宗はほとんどやる気出さず仙台平野と関東平野の開墾に精を出すつもりです。
それを見ている家康も取り入れる気満々です。




