江戸=仙台二重幕府は頭を抱える
天正15年(1587年)正月、前年に即位された後陽成天皇へ諸侯は参賀した後、鎮守府大将軍伊達政宗は第二の居城であり幕府の中心とした江戸城へ戻った。そこで一息つくと主だった近臣を集め、今後の方策を話し合うことにしたのである。
「上様に置かれましては新年、あけまして……」
と鬼庭左月斎が挨拶した後、
「よいよい。本日は現状の分析と今後の方策について皆で知恵を絞ってもらおうと思い集まってもらったのだ。」
と蒲生氏郷に手伝ってもらって落成なった新生江戸城の天守の最上階で政宗は話をはじめた。
後の史実の徳川家光の江戸城のような単立式の天守ではなく、むしろ姫路城のような複雑怪奇な連立式の天守である。城下町も氏郷が防備第一で線引したため、後に宣教師が江戸の街を訪ねた際、『ミノス王のラビリンスすらこれよりは簡単だったと思われる』と書き残す有様であった。その一方で火災に対しては気が使われており、主な通りの幅は通常の3倍以上もあって延焼を防ぐようになっていたうえ、あちらこちらに防災・消防のための溜池など水利を計る施設が設けられていた
「上様が正式に幕府を開き新しき年を無事に迎え……」
とまた左月斎が始めるのを押し留めて政宗は続けた
「無事に幕府を開くことはできたが、必ずしも伊達家が全ての勢力の頂点に立てたわけではない。第一、この江戸は得たものの武蔵の所領は在地の諸侯などをあらためて封じたのもあって直轄領は20万石にも満たない。」
「佐竹に寄寓していた太田資正殿に岩槻を返すなどしましたからなぁ。」
「佐竹に恩を売るとはいえあれはやりすぎでしたな。」
「とはいえ逆に佐竹にほぼ従属していた多賀谷や結城、宇都宮などの諸氏を佐竹ではなく幕府に直接仕えさせるようになりましたから必ずしも悪くはないかと。佐竹も常陸に加えて下総の一部と旧岩城領を安堵して70万石余りとなりましたから悪くはない話だったと思いますし。」
「そう、佐竹だけで70万石あまりが江戸のすぐ脇にいるのだ。いくら味方とは言え。」
と政宗はため息をついた。
「徳川家康殿と北条氏直殿の間を仲介して北条を伊豆・相模28万石に戻し、上野の所領を徳川殿にしたから徳川殿は信濃小諸から領土が繋がり、10万石以上の加増となったので。」
「江戸のすぐ上にどーんと徳川領が睨みを効かせている、と。武蔵の方も代え地で入り、川越に井伊直政が睨みを効かせておりますな。」
「徳川家康殿の領地は美濃、尾張だけでも100万石に加えて三河遠江駿河甲斐、それと信濃の大半と上野の大半、で300万石近いですな。」
「それに対して我らの武蔵領は20万石程度。仙台の本領が130万石程度ですから合わせて150万石……家康殿の半分ですな。」
「お味方とはいえ近隣の最上義光殿が出羽58万石、義父上の蘆名盛輝殿が会津約70万石、上杉成実殿が越後・越中80万石と上様にあまり見劣りしない勢力ですなぁ。」
「豊臣秀吉殿は関ヶ原の始末として自らは摂津など80万石程度とされましたが、それだけでも侮れないのに、実質的にもともと支配下の諸将を独立させた、と強弁してほとんどそのままもしくはより自らの意に沿う様に置きましたしな。」
「うむ。筒井順慶を追放して実弟の羽柴秀長殿が大和45万石、紀伊に浅野長吉30万石、加賀能登の前田利家70万石、越前堀秀政54万石、を始め丹波は幼い羽柴秀俊に、丹後細川忠興、但馬宮部継潤、播磨は池田輝政、淡路脇坂、讃岐仙石、阿波蜂須賀……形としては秀吉殿から独立した、とはいえほとんど代官みたいなものだな。」
とだんだん政宗の顔が青くなってくる。そこに片倉景綱が、
「もっとも大きいのは毛利一族がこれまた200万石以上を握っており、また北九州の黒田孝高殿も100万石を越えてますな。」
「九州探題を黒田殿にするか島津殿にするか……」
「いや問題はそこではないな。」
と鮭延秀綱が突っ込んだ。
「支配している領地の石高で比べると、現在扶桑で最も強大なのは徳川家康殿で、それに次ぐのが一応分けてはいるが実質的には豊臣秀吉、しかも畿内を支配しておる。それに次ぐのが毛利輝元など毛利一族で、伊達家はその後だ。しかも九州の黒田などとは余り違いがなく、下手すると近隣の最上・上杉・佐竹あたりにも伺われそうな規模だな。」
「そういうことだ!」
政宗が引き取った。
「鎮守府大将軍として全国に号令する、という大義名分こそえたものの、我々よりも大きな勢力がわんさかおり、我々よりも小さい勢力、といってもあまり差がない勢力も数多くあるのだ。例えばだが、現実味はおいておいても、最上殿が安東など出羽全ての勢力を下し、南部・津軽なども糾合して攻めてきたら。」
「結構互角なのですなぁ。」
と白石宗直があーあ、という顔をしていう。
「それで北側だけの話なのだぞ。であるから将軍だと言って無理なことを言えば。」
「先に上がった勢力の2つ3つでも談合してくれば我らの危機ですな。」
と鮭延秀綱が言うのに政宗はうなずいた。
「しかもだ……」
「主上の件ですな。」
と片倉景綱。
「そうだ。表でも裏でも我に好意を示し、つねに我のために動いてくださった正親町天皇陛下が昨年譲位されてしまったのだ。」
「今までのような無理な勅許で停戦、などはもうできませんな。」
「……その通りだ。」
「であるから皆の者に頭を絞ってもらい、どうやれば各勢力が我らに牙をむかず、我らの支配を確立していくことができるのか相談させていただきたい。」
「現状では神輿としてはあがりましたが、『支配』は奥州以外はからっきしですからなぁ。」
と後藤信康がうなずき、皆は頭を抱えたのであった。




