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伊達政宗、徳川と同盟を結んだことを悔やむ

本日遅くなりました。すみません。5000ポイント本当にありがとうございます。

 徳川家康と羽柴秀吉が小牧で睨み合っていると聞いて伊達政宗は仙台で煩悶していた。


「御屋形様、どうなされた。」


 様子を訝しんで後藤信康が聞く。


「徳川家康が背後をがら空きにしておる……しかし嫁までもらって同盟しては手が出せぬ。」

「御屋形様はそんなにちょっかいを出したいのか。」


 と言って鮭延秀綱が笑う。


「できれば家康に江戸をまんま与えるのはいっくらなんでも徳川家がでかすぎると思うのだ。しかしここで下手に手を出せばさすがに我が信用されなくなる……ううう。」

「素直に見守っておればよろしいではないですか。」


 と呆れた表情で片倉景綱が返す。


「だ、か、ら、家康が武蔵をまるまる治めていては我家がこれ以上伸びようがないではないか!」


 とごねる政宗。


「で、す、か、ら、ここでうろちょろして家康殿と手切れにでもなれば奥州の諸侯にも見捨てられますぞ!」


 と鬼庭左月斎。


「爺を無駄死にさせないようにここまで頑張ったのに……」


 とごにょごにょもにょる政宗。暫く頭を抱えていたが、ふと思いついたようで


「そうだ。ここは秀吉殿と京に書を送ろう。」

「は?」

「いや別に徳川殿と同盟は結んだが、我は元々羽柴様とも昵懇の仲。仲が良い二人の間を取り持とうかと。」

「いやいやいやそれはないでしょ。」

「まぁ見ておれ。ちょっと思い当たることがあるのだ。」


 とサラサラと書状を書き、黒脛巾組の面々に預ける。


「御屋形様、普通に使者に託すのではないので?」

「いやここは渡してもらいたい機会があってな。」


 といって家臣団の冷たい目も気にせず、なにか満足できる方策が見つかったようでどこか表情が明るくなった政宗なのであった。


 それから程なくして尾張での戦況が仙台にももたらされた。


「ほぉ。やはり池田恒興殿は討ち死にか。」

「やはり、とは御屋形様はお見通しだったので。」

「まあ海道一の弓取り相手に鬼武蔵もいなければ勝ち目はあるまいて。」


 さすがは鬼謀をうたわれる政宗、と家臣団の目が少し代わったのを見て気分が軽くなった政宗である。


「となると次の矢が効くな。」


「三好秀次殿が徳川家康様に囚われました!」

「ホイ来た。」


 と政宗は想定していた事態が上手く行ったのを見てニヤニヤし始めた。


「秀次殿が捕まるのをご存知で?」

「いや堀久太郎も付けてない、というからこちらも惨敗であろうと。なので徳川様に『殺さぬほうが』と申し送っておいたのだ。」


 しれっと徳川『様』づけにする政宗である。どうやらこの段階で喧嘩を売るのは辞めたらしい。


「蒲生氏郷と堀秀政の率いる部隊のため、織田信雄殿の治める伊勢はすでに羽柴殿が制圧しているとか。」

「やはりなぁ。滝川一益殿は頑張ったが、奥州から後ひたすら貧乏くじだよなあ。」


 と報告を聞いてうなずく政宗。


「しかしここは少し睨み合ってもらおう……そろそろ九州の島津殿も良いところまでいくであろうしな。」


 と島津にも伝手をとっていた政宗であった。


 その島津は九州統一を目指して北上していた。耳川の戦で大友を破った後、肥後の諸大名や龍造寺(実質的には家宰の鍋島が統治)も服属させ、九州北部の大友の本領である豊後や筑前などを残すのみとなっていた。


「ここで進みを止めろというのか、兄者!」


 と島津家の次男、島津義弘は兄の当主、島津義久に尋ねた。


「うむ。まぁ豊後は落としてしまって構わないのだが、問題は筑前の方だ。こちらは今は亡き『雷神』立花道雪の義理の息子立花宗茂とその実父高橋紹運が守っておる、と伊達政宗が警告してきた。」

「なぜに奥州の伊達が。」

「奥州にもその名が轟くほどの名将だというのだ。」

「とはいえ我らは日の出の勢い。押しつぶしてしまえばよろしいでしょう。」

「その押しつぶすのを止めておけ、と伊達が書いてきたのだ。」

「ですから奥州の伊達がなんで。」

「しかしよく書けておる……のう歳久。」


 と島津義久は智謀で知られる三弟、歳久に呼びかける。


「ですな。このまま進んで全て大将を討ち取れれば我らの勝ちですが……そこに行く前に時間がかかり、補給線が伸びすぎて援軍が現れれば逃げるしかなくなりますな。」

「であるな。」

「ですから伊達の言う、ここは進軍を思いとどまり、肥後から日向の線で統治を行い、むしろ防備を固めるべき、という意見は参考にして良さそうですな。」

「筑前の立花勢には手を出すな、ということか。」


 と一寸考え直した様子の島津義弘である。


「我らに味方をしている秋月家なども情勢が変わればすぐに寝返りますな。」


 と末弟の家久が意見を言った。


「ここは豊後府内の大友の本拠地には圧力をかけつつ、兵を休めるのもありかと。」

「うむ。立花が侮りがたいとは言っても大友本家はすぐに潰せるからな。畿内の様子が安定するまでは今まで攻め取った領で守りを固めよう。」

「ところで伊達から羽柴にも誼を通じては、とありますが。」

「あのような卑しい出のものに頭を下げる必要はないと思うのだが……毛利も実質的に傘下になり、織田信長の旧領を上回る勢いだと。ここは誇りをかけて一戦、とも思ったが伊達め、仲介するから形だけでも天下(畿内)の主に挨拶しておけば大友の好きなようにならないと。」

「大友が羽柴に泣きつくというのですか!大友も名家でありますが。」

「バテレンにかぶれたあの宗麟ならば恥も何もあるまい。しかしそれで言いがかりをつけられて一方的に我らが悪とされるのは気の毒、と伊達殿が言っておる。」

「うーむ。」

「ならば俺が秀吉に挨拶に参りましょう。ちょうど戦も一段落ついたところですし。」


 と末弟の家久が言った。


 こうして島津は侵攻を一休みし、大友宗麟が秀吉に泣きつくよりも早く島津家久が大坂に登って秀吉に挨拶をしたのである。徳川とのにらみ合いが続いている状況での島津の友好的な来訪は秀吉も歓迎せざるを得なかった。薩摩、肥後、日向、大隅に対する島津家の差配を認めたのである。(肥前については鍋島直茂の外交努力もあり完全な支配は認められなかった。)そして未だ旗幟を決めかねている長宗我部攻めへの協力を島津義久は約束し、四国は讃岐から羽柴秀長、仙石秀久、黒田孝高の率いる本軍が、伊予からは小早川隆景、毛利輝元が率いる毛利勢が、そして伊予南側に島津家久が上陸し、長宗我部元親はまたたく間に敗れ去った。特に島津勢は土佐の中村御所すら落とす勢いで、大いに気勢を上げた。長宗我部元親は降伏し、滅亡こそ避けたものの、土佐一国はおろか西の中村も失い、土佐の東側2/3程を領有して家督を嫡男の信親に譲って隠居したのであった。


 九州・四国の情勢が概ね落ち着いたのを見て慌てたのは徳川家康である。これまで羽柴家の主力を担う実弟、羽柴秀長の軍勢と智謀に優れた軍師黒田孝高の兵力は長曾我部などを抑えるために西側に張り付いていた。しかし島津と羽柴が友好関係を樹立し、長宗我部はまたたく間に降伏した。四国には仙石秀久と蜂須賀正勝を残して秀長率いる実質的に羽柴家の本軍と言っても良い部隊は返す刀で紀州に上陸し、秀吉に対して反抗的だった根来衆など紀伊の在地勢力を降伏に追い込んでしまったのである。


 そのため、秀吉はほぼフリーハンドでその兵力の大部分を尾張の戦線につぎ込めるようになった。その兵力は15万とも号令され、徳川の3万に逃げ込んできた信雄の兵力を足しても4万少々の徳川勢に対して数倍に膨れ上がったのである。


「ここはどうにか落とし所を付けたほうがよろしいのでは?」


 と自らの敗北はなんのその、平然と言い放つ織田信雄である。徳川家康は頭を抱えつつ、


「うーむ。三好秀次は捕えているものの……」


 と内心信雄の言い分にお前のせいだろ、と思いつつも出口を探っていた。ただ信雄が終わりに転がり込んできたせいで、勝手に和睦をされることがなくなったのが唯一の救いであった。


 頭を抱えているのは羽柴秀吉の方でも同様であった。西国は思いかけずまとまってきたが、徳川相手には池田恒興は討ち取られ、三好秀次は捕まり、攻勢をかけてみたが徳川家の本多忠勝、榊原康政に防がれてろくに戦果を上げられていないのである。このまま膠着していてもせっかく従っている西国の諸侯の求心力すら失いかねない状況であった。


 そんな時に伊達政宗からの使者が秀吉のところに来た。そのもたらした書状を読んで


「うーむ。これで徳川殿が納得するかどうか。」


 と悩んだが、まあやってみてもよいか、とひとまず使者を立てることにしたのであった。

かなりブロック化がすすんでいますが、これがどうまとまっていくのかはどうかご覧あれ。肝的には島津がデカイです。

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