北条氏直、仙台に伊達政宗を訪ねる
「こんな事もあろうかといくつか案を用意してまいりました。」
と伊達政宗は話しだした。
「景綱!」
「はっ!」
と片倉景綱が地図を取り出す。
「一番簡単なのはここ、下総龍ケ崎なら北条殿に入っていただくのも容易かと。」
「して石高は?」
と松田康長。
「……1万5千石ぐらい……」
「話になりませんな。」
「流通に便利で栄えやすい地なのに……」
としょげる政宗。気を取り直すとまた話をはじめた。
「石高が一番高そうなのはここ!下総古河に入っていただき、古河公方足利家を吸収!結城家も傘下に20万石!」
「古河公方に間借りとなっては肩身が狭すぎまする。」
「今までの意趣返しにどのような扱いを受けるか……」
氏政も氏直も眉間にシワを寄せている。
「伊達殿、妙案というのはそれか。」
と徳川家康もちょっと呆れているようである。
「い、いや、次の考えとしましては、佐竹様には了解を得ているのですが」
と言って指差す。
「常陸小田で10万石!」
「いや小田はないでしょう。」
「いくら我らが小田氏治よりは戦はマシとはいえ、小田は守れないでしょう。」
「水城の土浦ならともかく、小田でどうせいと。」
「小田氏治なら地元の民が守りに来ますが、我らが入って誰が助けてくれるのかと。」
「ぶっちゃけ佐竹殿がきちんとお守りしていただいても多賀谷重経がちょっかいかけてきそうかと。」
「というよりこれまでの恨み、と太田資正が全力で攻めてきそう。佐竹殿が止めても。」
と超絶不評である。
「小田は良いと思うのだけどなぁ。良い米は取れるし逃げ場所には困らないし。」
とぼやく政宗。
「いくらなんでも逃げるのが前提ではこまりまする。」
と北条氏直がどうにかしてくれよ、という顔で見てくる。
「小田はいいと思うのだけどな……(なにせ攻めやすくて)」
とぼそっと榊原康政が呟いたのが皆に聞こえて、みなそれ見たことか、と微妙な空気になった。
「で、ではここまでは前フリでござる。」
『前フリが長すぎる』『ぶっちゃけ小田とか受け入れられていたらそのまますすめる気だっただろ。』と諸侯の冷たい視線を受けつつ、政宗は次の案を出した。
「徳川様は武蔵を抑えていますが、北条氏邦殿が差配していた上野はまだ抑えられていないはず。」
「であるな。織田信長を抑えるために武蔵への攻めを優先したからな。」
と徳川家康。
「どうでしょう。北条家に箕輪、厩橋、館林の上州の領有を認めては。北条としても所領が分断されていては色々と不都合でしょうし、上州の領有は北条氏康公以来の夢であったはず。」
「沼田もくれるの?」
と松田康長が言い出すが、
「流石に沼田は勘弁してもらいたい……」
と真田昌幸が返す。
「沼田領を除いても40万石近くはあるはず。」
ここで北条氏直が言い出す。
「ならば相模にしがみつくよりもよいやもしれぬ。」
「しかし我らにしたら北条家に40万石以上を自由にさせて利がありませぬな。」
と本多正信が言い出す。
「そこなのですが。」
と政宗が引き取る。
「上州南側を北条家に移ってもらいますと、真田領と徳川家の間に緩衝地帯となりますな。」
徳川家康は少し考えると答えた。
「真田家の仙台での暴れっぷり、こちらにも伝わっておる。確かに直接相対するのは避けたい。」
「逆にいうと我らが真田とやり合うということで?」
と北条氏邦が尋ねた。
「いえ、北条の皆さまが北上してこなければ真田は手出しをしないことをこの伊達政宗が保証いたします。」
保証されても、と思うものは多かったが、真田昌幸が
「政宗殿のご意思には従う所存。伊達・上杉と北条にいっぺんに攻められてはたまりませぬからな!」
といって笑ったのでひとまず信用することになった。
こうして北条家が相模・伊豆を退去し、厩橋城を大規模に拡張して前橋城と名付けて本城とした。流石に伊豆・相模の全ての所領を失うのは先祖伝来の地でもあり、気の毒であるとの事で伊豆韮山城を1万石で飛び地として残され、北条氏規が城代として入った。北条家は以後下総、下野方面に勢力を伸ばそうとして行動することになる。
徳川家康は武蔵に加えて相模を手に入れ、東海から関東にかけて一体化した巨大な所領を手に入れることになった。そして関東支配の拠点として江戸城の拡張を開始したのである。
北条家が無事に上野に移る条件として、伊達政宗は北条氏直が仙台に出向くことを出した。すわ人質か、と色めく北条家を制して短期の滞在と伝え、北条氏直は仙台城に出向いた。
「これが仙台の城でございますか。大きいですな。名取川の氾濫も用水路まで作り出して復興が進んでいるようで何より。ところで本題とは?」
と政宗に呼ばれた北条氏直が部屋に入る。その異様な雰囲気によもや暗殺か、と思ったその時
「ニャォオオオオオ!」
と一匹の猫が飛びかかってきた。
「な、なんでござる!うあわ!」
と慌てる北条氏直であったが、猫にしこたま引っかかれてしまった。程なくして氏直は熱を出し、うなされながら
「伊達にやられた……猫に毒が……」
と呟いていたが数日で回復した。粥を食べながら氏直は政宗にこれは一体どうしたことか?と訊ねると政宗は答えた。
「いや、それがし独眼竜と言われているのはこの瞼の傷のせいなのですが。」
「誠に龍のようでありますな。」
「我が幼き頃、陸奥では痘瘡(天然痘)が流行りましてな。我もかかっているはず……ゲフンゲフン罹っていてもおかしくない状況だったのですが無事に罹らずすみまして。」
「で。」
「原因を考えますと幼き頃南蛮渡来の猫に引っかかれたのが良かったのではないかと。その猫は船で馬痘にかかった馬と過ごしていましてな。なにか使えるかと思いそのような猫を我家では準備して若い家臣を引っ掻かせていたのです。」
「なんと。」
「思うに氏直殿も痘瘡にはまだ罹っていないはず、と思いましてな。」
「ではこれは痘瘡よけ、と。」
「さようにござります。」
北条氏直は負けた、と思った。これまではもともと同盟関係でありながら北条の拡張の足を引っ張り続けていた伊達政宗を疎ましく思っていたが、こう追い詰められてみてなお、北条を滅ぼしてしまわずむしろ徳川の軛から逃れて自由に動けるようにしむけた政宗に感謝すらしていた。もっとももともと同盟であった北条家の力を削ぐように動いていた政宗のことであるから、手放しで徳川家康の勢力の伸張をさせないための防波堤としての役割を期待していることは承知していたが、それはそれで自分達北条家に価値がある、と政宗が認めてくれたもの、と受け取ることにした。
「ところで氏直殿。」
「はい。」
「小田原は恋しいですか?」
「そりゃ慣れ親しんだ小田原ではありますが……まあ機会があれば
戻りたいとは思いますが。」
「素直に戻るとなると徳川様の組下になるほかありませんなぁ。」
「それはいくらなんでも避けたいところですな。」
「では時があれば小田原の奪取も窺いたいと……」
「そう取られましても……お、これはあくまでも戯言にて。」
「よろしければこれからは伊達家と北条家も仲良くしていきたいものです。」
「こちらからもお願いいたします。真田にちょっかい出されてはかないませんからな。」
と言って氏直と政宗は笑いあった。
こうして仙台から無事に前橋に戻った北条氏直であったが、伊達政宗の目算通りいわゆる種痘の効果が出た。そして史実では天然痘に罹って若くして死去したのに反して無事に生きながらえることができたのであった。




