徳川次郎三郎家康、石垣山に一夜城を建てる
伊達政宗と奥州諸侯は兵を率いて徳川家康率いる小田原攻めに合流した。
「……思ったより少のうございますな。」
徳川家康の家臣、榊原康政が伊達の家老片倉景綱に問う。
「それが名取川の氾濫の復興で人手を取られまして……(棒)」
「自慢の鉄砲隊もあまりいらっしゃらぬようですが。」
「何分織田相手の戦で撃ち尽くしまして(棒)」
「まぁ顔を出していただいただけでも北条に対する圧迫にはなるだろう。」
と徳川家康がなだめた。
諸隊は編成を整えると小田原城までは容易に到達し、まだ総構えの構築がなされていない謙信、信玄が攻めたときと同様の小田原城を囲んだ。
「総構えがないと小田原もしょぼく見えますな。」
と伊達政宗は思わず言ってしまい、あ、と後悔した。徳川家康の謀臣本多正信に聞き取られ、
「総構えとは?」
「い、いや、城の周りをもう一回りぐるっと堀や防壁で広げて街全体を覆うようにするとさらに強そう……かな、と?」
と汗をかきつつ答えた。
「伊達殿は小田原にも詳しそうですな!なにか良い手はずをご教示いただけましたら。」
と徳川家康が聞いてくる。ニコニコしているが目が笑ってない。
「そ、そうですな。あの裏手の山に城を建てる、というのはいかがでしょう。」
「ほう、城を。何故でございますか。」
「たいてい小田原攻めに失敗するのは大軍を維持するのが難しく包囲が続かず、そのうち帰るだろうと思われているからなのです。そこで目の前に拠点を作り、居座ることを示せば戦意をくじけるかと。」
「おお。」
「さらに小田原側の木を切り倒さず、城ができたら一気に刈れば。」
「まるで一夜にして城ができたように見えますな!してその費用は。」
「我らは名取川の氾濫で(棒)」
こうして伊達勢などが中心となって小田原城の包囲を続け、その間に徳川家が後でいう石垣山に城を築き始めた。史実の太閤秀吉の様に金と技術をつぎ込めるわけではなかったので、それなりの規模であったが、一応天守のようなものも挙げた城となった。そして概ね見栄えが良くなった所で前面の森を刈り取って『一夜城』の様に見せかけたのである。
目の前に拠点を作られた北条氏政は驚愕した。しかし
「あの様に城を建てては金子も入用だったろうな。氏直、どう思う。」
「武蔵の諸城も落とされ、今は我らは援軍も望めませぬ。かと言って攻め手も小田原を落城させるまではできない様子。ここは相手も交渉を待っているのでは?」
と嫡男の北条氏直は推察した。徳川家康にしても城による威圧の効果はあったとはいえ、小田原北条氏がすぐに降伏する構えは見せなかったこともあり、交渉に応じることにした。
「うーむ。城を建てて北条が及び腰になったのは確かだが、この出費は痛いな。」
徳川家康は愚痴をこぼした。とはいえ、ひとまず話はしてみよう、と小田原城下早雲寺にて会談を開くことにした。参加したのは徳川家からは徳川家康、本多正信と本多忠勝、榊原康政、酒井忠次、井伊直政のいわゆる四天王(直政は若くこの時点では立場は低いが勉強に、と呼ばれた)。北条家からは北条氏政、氏直父子と氏照、氏邦、氏規の氏政の兄弟、そして松田康長と大道寺政繁が重臣の代表として参加した。伊達政宗と片倉景綱の主従も立ち会いとして参加し、政宗はなぜか佐竹義宣と真田昌幸も連れていた。
「この度は話し合いに応じていただきかたじけない。」
北条氏政が切り出した。
「では降伏して小田原城を明け渡していただけるので。」
と本多正信が言い出す。
「いやいくらなんでもそれは。我らはどこに行けばよろしいので。」
と北条氏照が鼻白む。
「これ、正信。それでは話にならないであろう。」
と徳川家康が本多正信を叱った。
「となればもっと良い落とし所を用意していただけますので?」
と松田康長が聞いてくる。
「……伊豆韮山と駿河の興国寺ではいかがでありましょう。興国寺は北条早雲様が今川家に来て治めていた故地にて。」
と酒井忠次が申し出る。
「……それでは今と同様徳川様の所領の中に間借りするような形になってしまいますな。流石に檻に入れられたような状態では我らも落ち着きませぬ。」
と北条氏直は納得していない様子である。
「流石に我らも武蔵を徳川様に返してほしい、とは言えません。しかしやはり周りを囲まれていてはお互い落ち着きませぬ。どうでしょう。我らも先祖代々の小田原を離れるのは心苦しいですが小田原を渡す代わりに江戸と交換するというのは。」
と言い出したのは北条氏規である。北条氏規は今川義元の元で徳川家康とともに人質を勤めていただけあり、家康とは親しかった。
「氏規殿の言い分はもっともであるが……江戸は流石に手痛いな……」
徳川家康は渋い顔をする。
「となれば他に替え地を用意させていただくのが良さそうですな。」
と伊達政宗が発言した。
「我らとしては早雲以来の伊豆・相模を離れるのは心苦しく。」
と北条氏照が言うが、
「その早雲様は元は伊勢の名にて備前にお住まいと聞く。ならば新天地を求めて動くことはむしろ早雲様の意に沿うことであろう。」
と政宗。
「ならば津軽にでも行けというか!」
と大道寺政繁が言葉を荒げる。
「津軽を馬鹿にしないでいただこう。」
といつの間にかいた津軽為信が反論する。
「我らには津軽も大事なのだ。」
という為信に大道寺政繁はぐぬぬ、と唇を噛んだ。
「とはいえどこか具体的なところを挙げないと。徳川様は吝嗇ですからいつまで立っても挙がりませんな。」
と真田昌幸。
「殿を愚弄するか!」
と井伊直政が詰め寄るも、本多忠勝が抑える。
「ここは私の素案を聞いていただけましたら。」
と伊達政宗が話しだした。




