徳川家康、仙台城を訪ねる
織田信孝が賤ヶ岳で破れてその儚い命を閉じようとしていた頃、仙台城で名取川氾濫の後始末に忙しい伊達政宗の所に来客があった。
「……これは徳川家康様!」
仙台を訪ねてきたのはなんと徳川家康本人であった。政宗はついチラッと右手の親指の爪を見る。
「おお、ご存知でしたか。」
と家康が爪を見せると齧ったあとがある。
「わしに最もよく似ている影武者の次郎三郎はなかなか爪を噛んでくれませんでな!閨で女房共にもバレない程なのですがな。ガハハハハ。」
と豪快に笑う。
「失礼いたしました。上様を疑うことなど。」
「上様なのはわしでなくて鎮守府大将軍の政宗様の方でござろう。グハハハハ。」
と笑う。『しまった。つい癖で上様と呼んでしまった。』と政宗は焦るが、ひとまず目の前にいるのはどうやら本物の徳川家康公らしい。
「ところで家康様は仙台にどのような御用で?」
と家康に訪ねると、
「そうであった。ひとまずこれは駿河の金山の手土産でござる。どうか洪水復旧の足しにしてくだされ。」
と言って砂金の入った袋を供のものに出させる。
「かたじけない。しかしただとは行かぬでしょう……?」
「うはは。さすがは伊達政宗様。此度はお願いがあってまいった次第。」
「してそれは?」
「ともに小田原を攻めましょうぞ。」
政宗は思わずのみかけていた茶を噴いた。
「お、小田原ですか。」
「御存知の通り、我らは甲斐を取り、武蔵に攻め入って幸い武蔵の大半を攻め取ることができもうした。そして板倉勝重や伊奈忠次などに命じて領民の鎮撫をはかり、概ね落ち着いてまいりました。」
「それはひとえに家康様のお力かと。」
「いやいや、わしなど家臣たちに支えられているだけのこと。」
と謙遜するがあの癖の強い家臣をまとめているのは間違いなく家康の力である。
「で、ですな。」
とまた家康は話をはじめた。
「北条を武蔵から追い払った結果、奴らは相模と伊豆に居座っているわけでしてな。ちょうど我らがぐるっと取り囲んだ中に取り残されている形になったわけです。
となると、逆に我らから見ると獅子身中の虫となったわけで。喉元に刺さった棘をスッキリと抜きたくなったわけですな。」
「でしょうな。」
「そこで小田原攻めというわけです!小田原を失えば北条もおとなしくなるというもの。」
「ですな。」
「しかし小田原は天下の堅城。我らだけでは心もとなく、天下の鎮守府大将軍様のお力をお借りできれば、とまいった次第。」
実にしたたかである、と政宗は思った。しかしここで徳川と敵対して泥沼の戦に突入する余力は伊達にはなかった。
「では伊達家から兵を出しましょう。」
「ここは奥州諸侯に号令して来ていただくのはいかがでしょう。」
と家康。確かにここで号令して出してくれる諸侯は明白に味方であろう。概ね奥州はカタがついてきたがここらではっきりさせるのも良いかもしれない。
「分かりました。では奥州の諸侯にお願いしましょう。ただ、織田との戦の後で兵の数がへってしまうのはご容赦いただきたい。また今回の件を契機に徳川様との同盟をきちんと結びたいのですが。」
「それはもちろんこちらからもお願いしたいところです。どうです?督姫を嫁にもらってもらえませぬか。」
また政宗は茶を噴いた。
「と、督姫様をですか。」
「なにかまずいことでも。」
「し、心情的に田村は小さい家と言っても正妻の愛姫はこちらから乞うてもらったものでして……」
「いやそこは鎮守府大将軍様のお心のままに。」
とは言っても徳川ほどの家のものからでは無碍にはできない。
政宗は青い顔をして一旦下がり……結局家康の話を受けることにした。
『そういえば前の人生で津軽家が徳川の係累を妻にもらって正妻を側室に立場上下げていたな……この際やむをえぬ。』
と伊達政宗は受諾し、徳川と伊達の同盟が成立したのであった。政宗は正妻の愛姫には土下座で謝り、義父の蘆名盛輝に泣きついて蘆名家から二本松領を多額の献金とともに割譲してもらい、そこを愛姫の実家の田村家に加増した。その代わり蘆名盛輝は鎮守府大将軍の権能で奥州探題に補任し、官位も進めたのであった。蘆名家は減封に反発も出たが、結局奥州統一のときなどに動きが定まらなかった白河結城と石川の二家を完全に蘆名の属国とするのを認めて納得させることができたのである。
「しかし仙台城の白塗りのこの天守、なかなかよろしいですな。」
と徳川家康は気に入ったようだった。
「そうだ。今度江戸城にも天守を上げることにいたしますわ。ワハハハ。」
とまた豪快に笑う。
それからは家臣を交えて小田原攻めの実務的な相談となり、家康が上機嫌に帰った後、伊達政宗は陣触れを出して奥州諸侯とともに小田原城を攻めることとなったのであった。




