賤ヶ岳の戦い
焼け落ちた安土城を見て、織田信雄は呟いた。
「父上が建てた安土城、これほど容易に燃え落ちるはずはない。」
それを聞いた羽柴秀吉ははた、と手を叩くと言った。
「確かに安土城ほどの城がこの様に簡単に燃えるはずがありませんな。」
「となると前もって燃えやすいように誰かが仕組んでいたのに違いない。」
と柴田勝家が言った。
「おお、私も普請の責任者としてそう思っていたのです。あの安土が簡単に失火で焼けるとは思えませぬ。」
と織田家の三巨頭の意見は一致した。
「「「となると…」」」
「この慰霊の会に来なかった信孝の仕業だな!」
と信雄は断言する。三巨頭も
「まったくもってそうでありましょう。」
と同意する。もちろんこれは茶番である。安土城は単に失火で焼けたのだ。しかしこの場にいる誰もが思い浮かべた生贄の顔は同じであった。
「美濃にいる織田信孝の仕業であろう!」
美濃岐阜城にいた織田信孝に目を疑う弾劾状が届いたのはまもなくであった。
「なんだと!……信忠の息子、三法師がここにいるのは武田の姫を探し出して一目会わせるため、と猿に言っておいたではないか!」
と信忠の長男、三法師を岐阜城に置いたままであることを責められ、信孝はむしろめまいがした。続く文章は
「なんだと!安土城が焼けたのはわしが仕組んだからだと!そんなことせんわ!……単身丹羽長秀の居城、佐和山城に来て弁明せよ、武装を禁ずるだと!言いがかりをつけて誅殺する気しかないではないか!……それが嫌なら美濃尾張を返上して出家しろだと!信雄め!人を馬鹿にしおって!許さぬ。馬を引け!」
と近習に命ずる。
「しかし信孝様、信雄に背くとなると三巨頭も敵に回り、彼我の戦力はあまりにも差が……」
と止められるも
「戦下手の信雄さえ討てば良い!三法師も我が手にあり、信雄を打てば和睦も容易よ!」
と聞き入れず美濃、尾張から急ぎかき集めた兵1万ほど(急いだので少ない)で岐阜城を出立すると近江安土を目指して進軍をはじめた。
織田信孝立つ、の報を受けて秀吉と勝家は急ぎ領国に戻り出陣の準備をはじめた。信雄は丹羽長秀とともに信孝を迎え撃つことになったが、転封の影響もあり対処に遅れ、信孝は大垣から近江に侵入して長浜城を落とすことに成功した。
長浜城は琵琶湖に面した行政を優先した城であったため、信孝は廃城となっていた山城の小谷城に入ろうとしたが、小谷城の破却が予想以上になされていたため、小谷に入らず余呉湖の南の賤ヶ岳に陣取った。そこから佐和山を抜こうとしたが丹羽長秀に阻まれ、信孝と信雄のにらみ合いとなった。
「このまま賎ヶ岳に陣取っていてもジリ貧ですぞ。」
と家老が言うも
「急戦しようにも佐和山の丹羽が予想以上に固くて安土に届かん。柴田勝家に内応の使者を送ったのでその救援を待つのだ。」
と信孝は言った。勝利の暁には柴田勝家を唯一の大老として全ての差配を任せ、100万石以上の加増を行う、と提案していたのだ。
しかし数日して信孝の目に入ったのは視界を埋め尽くさんばかりの金扇と千成瓢箪を掲げた羽柴秀吉の軍勢であった。
「ばかな!姫路からここに来るには早すぎる!」
秀吉は姫路からの大返し(と言っても行き来したのは本人と近習ぐらいで姫路からの出撃と超高速の行軍がその正体だが。)を成功させ、信孝が予想するよりも遥かに速い期日で到着したのだ。
「柴田は、柴田はまだ来ないのか!」
信孝は呻く。すると使番の母衣武者が入ってきて
「勝家様からの書状にございます!」
と差し出した。
「おお、勝家殿が……ここは少しこらえれば援軍……?は?」
そこには
「無謀な戦をするのは織田家の一門としてふさわしくない。馬鹿め。自害せよ。」
とのみ書いてあった。とともに物見が本陣に入ってきた。
「柴田勝家様の軍勢がこちらに向かっております!敵です!弓矢鉄砲を雨霰と降らせてきます!」
呆然として立ち尽くす信孝を近習がどうにかひっ捕まえて退却する馬に乗せ、どうにかその場は逃れたもののその追撃に参加した加藤清正や福島正則などの羽柴秀吉の近習が『賤ヶ岳の七本槍』としてその名を広めることになったのであった。
どうにか美濃に戻った信孝であったが、関ヶ原の近くで追撃をしていた秀吉家臣、田中吉政についに捕えられたのであった。
大垣城に集結した諸将の前に織田信孝は引き出されると、織田信雄は冷たい目で言った。
「……貴様の功績で得た領地でもないのに己を過信するからよ。言ったろう、『美濃尾張をくれてやる』と。そこで気付いて辞退して少領の捨扶持をもらって耐えておれば、しばらくすれば目があったのにな。」
「美濃尾張は罠だというのか!」
と信孝は叫ぶ。
「……お前俺をバカにしていた割には教養がないな。源平の世に源頼朝公が言っておったろう。長田忠致に『身の終わりをくれてやる。』と。」
ここまで言われてやっと気づいたようで、信孝は暴れだすと
「謀ったな!謀ったな!三介!織田弾正忠家に栄光あれ!」
と叫びながら引きずり出されて処刑された。
「かつては諸君らが愛してくれた織田信孝は死んだ。 何故だ。」
と信雄が問いかけると羽柴秀吉が言った。
「坊やだったからでしょうな。」




