北畠信雄、多賀御所から脱出する
春日山城の柴田勝家を訪ねてきたのは北畠信雄であった。最初疑った勝家だったが、風呂に入れ、食事を与え、身なりを整えさせるとたしかに北畠信雄本人であった。
「信雄様ご無事で。よく伊達から逃れることができましたな。」
「うむ。兄上が仙台に来た時に参上しようと思ったのだが、多賀の御所を政宗の軍勢に囲まれておってな。戦いが終わって伊達が御所を焼こうとしたのだ。そこで火事に紛れて脱出に成功した、というわけだ。北畠の名は浪岡御所が大浦為信に焼かれてゲンが悪い。わしは織田に名乗りを戻す。」
「それはよろしいでしょう。まぁしかしよくぞ山狩りにも会わず。」
「そこは身の軽さが我が取り柄よ。伊賀で大敗した際も忍者相手に逃げ切ったからな。」
と言いつつ信雄は少し前のことを思い出していた。仙台城を攻める兄信忠の軍勢が向かっている、と聞いた時自分は殺されるか人質として交渉材料にされるだろう、と考えていた。殺されるよりは伊達に温情を、と交渉に向かいたい、と考えていた所、伊達政宗が多賀御所にやってきた。
「信雄様!お元気でしょうか?」
「元気も何も身の危険を感じて眠ることもできぬわ。」
「その割には昨晩も大鼾をかいてお休みだったようで。」
……これが話に聞く黒脛巾組の力か。自分は監視されていた、とあらためて信雄は自覚する。
「政宗殿、俺は殺されるのか?ならばせめて兄上との交渉を俺に任せてくれないか?」
「いえ。信雄様が頼りになるお方なのはみていてこの政宗、承知しておりますが信忠は誰の言うことも聞かないでしょう。」
「ではやはり殺されるのか。磔か杭打ちか。」
「いえいえ。お、御所の中のものは皆出たな。」
というと政宗が手を上げて合図をする。すると多賀御所は突然傲然と炎に包まれた。
「な、なんと。」
信雄は慌てる。
「というわけでこの政宗は織田と手切れになったため、後顧の憂いを断つために多賀御所を襲撃しました。信雄様は奮戦されるもむなしく伊達勢に火を放たれ……」
「なにをいっているのだ。」
「まぁ続きを。焼け落ちる多賀御所の中、なんと逃げ延びることに成功したのです!!パチパチパチ。」
と手を叩く政宗。
「……逃げ延びたのか。俺。」
「と言う訳でそこの『火事にあって焼けちゃった。』ボロい服を着てここから去ってくだされ。」
「兄上の所に向かうのか?」
「いえいえ!それはとてもとてもおすすめできません。」
と暗い目をして政宗はニヤニヤする。信雄は政宗が信忠に対して勝利を確信している、と感じ取った。そして政宗がこのような顔をしている時はたいていすでに策が成っており、あとは結果を待つだけの時、というのも信雄はわかっていた。
「柴田勝家様の所に向かうがよろしいでしょう。勝家様ならよもや上杉を相手にしても滅ぼされることはないでしょうから。中途は信忠と鉢合わせをしてもいけませんから最上義光殿の領地を通られますよう。最上殿や揚北衆には話を通してありますゆえ。」
「……最上殿は今は父上に従い、軍を出しているはずだが……まさか。」
「信雄様はやはり聡いですなぁ。ふふふ。」
信雄は今後も伊達政宗と正面からやり合うのはやめよう、と心に誓った。そして伊達の用意した服や旅の用意を受け取ると、最上領を目指し旅立ったのであった。
最上では政宗の話の通り信雄は丁重に扱われた。そして信雄到着の報は本来ならすぐに宇都宮にいるはずの織田信長に届けられるべき、と思われたのだが確かに最上の家老、氏家守棟は織田に連絡する様子が全く無く、そのまま信雄を庄内へ案内したのである。
信雄は庄内からは越後の揚北に入った。
「伊達の旦那からよく聞いてます。地侍も手を出さないと思いますんで、逆に柴田勝家の雑兵に見つかって謝って討たれるようなことにならないようにしてくだされ。」
と隠れ家に案内される。そこはひなびた庄屋の屋敷で結構大きく、ひとまず信雄はゆるりと休むことができた。
「しかし風呂に入ってはなりませんぜ。食事も申し訳ありませんが控えめで。柴田殿の所に向かう頃合いはまた知らせに来ますんで。」
と繁長は去っていった。何日か逗留していると繁長がやってきて
「信雄様、頃合いです。春日山城に柴田さんがいるんで向かってください。」
「どうしてそこまで。」
「伊達の旦那の仕切りですよ!しっかしあの人、おっソロしい人だ。」
と送り出され、ここ春日山城の柴田勝家のところに辿り着いたのである。
「信雄様、我らは信長公を救出するべく、関東に出兵しようかと。」
「……父上なら明智光秀に討たれた、と聞いたぞ。」
「そんなばかな!」
と信じようとしない勝家の所に使番がやってきて耳元で囁いた。
「……本当だったようです。信雄様どこでそれを?」
「その辺の村人が噂していた。そのような話が得られないとは勝家殿、残念ながら我ら織田家は越後で支持を得られていないようだ。」
「恥ずかしながら仰るとおりかと。」
「ここは越後から撤兵して越中までを我らが領分とするのが良いのでは?」
「仰るとおりで……しかし上杉との渡りが付きません。」
「ここはわしが出よう。」
と護衛を兼ねて前田利家を連れて交渉に赴いた。上杉家側からは先の当主、上杉実元と上杉景勝が出席し、主に景勝が相手をした。想像以上にあっさりと和議と越後からの撤兵がまとまった。
「越後から去っていただけるなら我ら上杉、決して柴田殿の軍に兵を向けるようなことはいたしませぬ。」
と景勝は誓い、実際その言葉の通り柴田勝家の軍勢は土民からも含めて攻撃を受けることなく、越中への撤兵を完了したのであった。




