柴田勝家、新発田城を攻める
織田信忠が仙台城攻略に失敗し、伊達政宗の追撃を受けていた頃、越後の上杉家を攻めていた柴田勝家もまた、渋い表情をしていた。
「叔父御!上杉の奴らもなかなか諦めませんな!この新発田城、名前が叔父御の名字と同じ『しばた』なのですから我らにもっと優しくても良いと思うのですが。ぐはははは。」
と豪快に笑ったのは柴田勝家の甥、猛将佐久間盛政である。
「俺の鉄砲隊で散々に打ち破ろうと思ったのだが、あれほど鉄砲を用意してくるとは鉄砲狂いで有名な伊達政宗の差し金だろう。上杉もすっかり伊達の流儀になるとは落ちぶれたものだ。」
と寄騎の佐々成政。
「しかし竹俣慶綱や河田長親まで上杉実元に付くとは意外でしたな。そのせいもあって上杉家が一丸となって相手をしてきている様で……」
と同じく前田利家がぼやく。
「それどころかいつの間にか上杉景勝がしれっと新発田城に入っているではないか!一体どうなっているのだ。」
と柴田勝家が頭を抱えていた。上杉景勝は新発田城が織田に囲まれると手勢を率いて入城し、
「上田長尾の長尾景勝として上杉家の義のために働きたい。」
と申し出て逆に帰参とそのまま上杉を名乗ることが許されたのである。直江兼続について訪ねると
「なんか西方でやりたいことが、と西国に行きました。」
と。
新発田城の士気が高いのは庄内を支配する最上や会津の蘆名がこっそりと、しかし潤沢な補給を行っていたうえ、『若殿様』と呼ばれる上杉成実の勇猛さと戦いぶりが上杉諸将に『我家風に合う』と見做されて人気が高まった事が大きかった。
上杉実元は上杉景勝の帰参とともに、今後の相続を明らかにするためもあって越後上杉家の家督を上杉成実に譲ったのである。
当主となった上杉成実は水原親憲等の上杉家の名将を率い、積極的に出撃しては柴田勝家の軍勢をかき回した。さらに本庄繁長等の揚北衆も出てきて戦いを挑むが、適当に戦うのみで決戦には応じず、柴田勝家の苛立ちを高めていた。
「この分だと落とすのに数年は掛かりそうですなぁ。軍費もかさみますな。」
と金に五月蝿い前田利家。
「上様の命だ。なんとしてでも新発田城を落とすぞ!」
と勝家は発破をかけたが、そこに入ってきた報は耳を疑うものであった。
「織田信忠様、仙台城攻めに失敗。軍団は崩壊して信忠様は生死不明。」
「なんだと!ここは力攻めで……」
と言いかけた勝家だったが、すぐに次の使者が入ってきた。
「信忠様討ち死に!信長様も後退を試みましたが武蔵で徳川勢と合戦になり、現在行方が知れませぬ!」
「徳川が武蔵にだと?河尻秀隆や北条は何をしていたのだ?」
「叔父御、ここは我らも動かないと。」
「うむ。上様を救いに上野から武蔵へ向かおう。」
と新発田城を包囲する陣を解いて上野に向かおうとする。しかしそこを見逃す上杉成実ではなかった。水原親憲、山浦国清、竹俣慶綱、上杉景勝など錚々たる上杉家の武将を率いて出陣してくる。
「ここが勝負の決め所と見てきたか!迎え撃つぞ。」
と数の上では優位な柴田勝家は鶴翼の陣を引く。左翼に鉄砲の数が多く技倆に優れた佐々成政を置き、右翼に突破力に優れた佐久間盛政を配置した。
上杉成実は斜行陣を敷き、そのまま柴田勢の中央に突入してくる。
「取り囲め、包囲してしまえばこちらのものだ!」
と勝家は包囲を命じた。実際、佐々成政と佐久間盛政はよく起動して上杉家を包み込むような態勢を構築しようとしていたが、上杉家は斜行の陣をやや斜め向きにしてただ一点、柴田勢の中心のみを狙ってくる。一つの隊がさんざん暴れまわるとスルッと右手に抜けてしまい、次の隊が正面に現れてまた暴れていく。こうして次々と新手が柴田勝家の中央のみに襲いかかっていった。
「これぞ『車懸りの陣』よ!者共!柴田勝家の首を上げてみせよ。」
と号令するは上杉成実。乱れ龍の軍旗が掲げられ、陣太鼓が打ち鳴らされる、総掛かりの令である。
柴田勝家はそれでも猛将であった。次々と現れる上杉勢を相手にも崩れ去ることなく、陣を保っている。
「成政と玄蕃(佐久間盛政)に包囲を早く完成させるように伝えよ!」
「それが本陣を襲撃した敵が玄蕃様の隊と本陣の間に入り込むような形で進みまして、玄蕃様は突出して我らと切り離された形に。」
「成政に敵の後ろに回って鉄砲を射掛けよ!と命ぜよ。」
と伝令を出した直後、右後方に上杉の新手が現れた。本庄繁長の隊である。
この事態に柴田勝家の本陣が浮足立つ。そこに上杉成実は自ら騎馬で突入し、ついに柴田勝家の本陣の帷幕に乱入した。
「なにやつ!」
床几から立ち上がり太刀を抜く柴田勝家。
「上杉成実ここに見参!そこの髭親父が勝家か!死ねぇ!」
と大太刀を抜いて勝家に襲いかかろうとする。
「勝家様!」
と立ちふさがった柴田勝豊は一刀のもとに斬り捨てられ、成実は
「この糞親父が!糞親父が!」
と言いながら勝家に太刀を振るう。勝家は小傷を置いながらも太刀で上杉成実の斬撃を受け止める。そこに
「親父殿!」
と朱槍を持った前田利家が駆けつけた。前田利家は吝嗇家ではあるが、その剛勇は本物である。朱槍を振るうと逆に成実が防戦一方となった。
「これ以上は無理か!ではさらば!」
と言って成実は馬を駆りその場から離れていったのであった。
戦いのあと、この話が上杉家の将兵に伝わり
「まさに不識庵様(上杉謙信)の再来。」
「第四次川中島の生き写し。」
と成実に跪いて号泣する将も多く出る有様であり、上杉成実の上杉家支配は盤石のものとなったのである。
佐久間盛政は上杉家に逆に包囲されそうになっていたが、とっさに判断を変更して救援した佐々成政のおかげで無事に脱出に成功していた。柴田勝家は損害は受けたものの兵を立て直し、上杉家の追撃を振り切り、ひとまず春日山城に戻ることに成功した。
そこで今後の方針について話し合っていると、織田信長、明智光秀に討たれる、の報が入ってきた。
「ここは明智を攻めて仇を……」
等と話していた所、明智光秀が徳川家康に討たれた、との続報があった。こうなっては所領に引き上げも、と陣を払う準備をしていると春日山城の門前に一人の人物は現れた。
ボロボロの着物を着て、ところどころ煤けてすらいるその男は名乗った。
「勝家殿!北畠あらため織田信雄である!多賀城から泳いで……はいないが伊達の魔の手から逃れて参った!」




